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黒き林檎の物語り  作者: 三傘
第一章『小さな鼓動』
5/12

編集中


 先程まで空を賑わせていた海鳥の姿が消え、港はしんと静まり返り、時折波の音が一定の時間を刻んでいた。

 突如ミコの前に現れた鬼の獣の咆哮によって、周辺の人間は麻痺状態に陥っていた。ゲールは立ち竦み顔を歪ませ堪えていたが、他の隊員は気を失ってピクリとも動かなかった。

 リックとソニアが運良く先程の咆哮を聞き付けて戻って来たとしても、到底間に合いそうもない。

 ミコが置かれている状況は、到底楽観視出来るものではなかった。


「仕方ありませんね……」


 しかし、この状況下でもミコは落ち着いた様子で呟き、静かに目を閉じた。ミコの表情はまるで無色透明で、それは諦めを意味しているようにも思えた。


 鬼の獣の腕に力が込められ、筋肉が強く引き締まっていく。鉄の塊がゆっくりと持ち上がり、鬼の獣は大きく息を吸った。

 その眼下には、たおやかに咲く花のように天命を待つミコがいる。鬼の獣は眉ひとつ動かさず、その腕を振り下ろした。


「止めてくださいっ! ゴラット団長!!」

 ゲールが叫んだ。


 鉄の塊がミコに直撃する紙一重の所でピタリと止まる。まるで誰かが時を止めてしまったのではないかと思う程に、そこには刹那の間があった。波の音が周囲の時を押し進め、緊迫の空気が再び周囲を支配する。



「ゴラット団長! その方は我々に協力して頂いている方です!」


 続けざまに声を張り上げたゲールが巨躯の獣を見上げている。体はまだ自由を取り戻せてはいない様子で動きはぎこちなかった。


「なん……じゃと?」

 巨躯の獣が鬣と見紛う程の髭を揺らして口を開く。


 ゴラットはゲールを一瞥し、険しい表情で睨んだ。



「そうですよ〜」


ゲールの背後から、先程まで地に伏していたはずのミコが顔だけ覗かせてゴラットに微笑みかけた。


「なぬっ!?こやつ、いつの間に……」


 知らぬ間にゲールの後ろに移動していたミコに、ゴラットはその太い眉を寄せた。

 ゲールも意外な所から出てきたミコに驚きを隠せない様子だった。


「団長さん、身体もそうですが声が凄く大きいのですね。直撃していたら危うかったですよ?」

 ミコは眼鏡の縁を指で挟んで整えた。


「ほぉ……あの距離でも直撃ではないと? お主、何者ぞ」


 ゴラットは鬼の形相でミコを見下ろし、鉄の塊を大木の様な腕で持ち上げて構えた。あの鉄の塊で殴られたら、人なんぞ木っ端微塵だろう。

 しかし、ミコは憶する事無くゴラットの前に出て膝を折ってお辞儀をした。


「私、調律機関に所属しております、ミコ・フルベリーと申します。職務中に今回の惨事に遭遇し、差し出がましくもゲール様にお力添えの申し出を致しました」

「ふん。連合の犬か。なんとも五月蝿い連中だな」

 ゴラットは鉄の塊を降ろし、しかしその目は警戒を解く事なくミコを見下ろしていた。


「ゲール、その犬を飼い主の所まで届けてやれ。こんな遠い地まで散歩させるなと忠告も付け加えてな」


「待って下さい! このまま惨事を見過ごして帰るなど、私には出来ません。天命に乖背する事と同義であり、存在価値を失います。どうか、ご容赦頂けませんか?」


「たわけが! お主らが勝手に作った協定だろう。それでお主がどうなろうがワシの知った事ではないわっ!」


 ミコがゴラットに食い下がるも、聞き入れる余地は微塵も見られない。それでも、ミコは諦めなかった。


「平和を維持するのが私達の天命であり、この街の憂いを払う事も当然私達の天命です!」


「その様に託つけて我が物顔で遠国の地を踏み入る行い、真に! 狂人の極みだなっ!」


「ゴラット団長! 私からもお願いします!」

 ゲールが膝を折ってゴラットを見上げ、懇願した。


「くどいわっ!!」ゴラットは目を剥き出し一喝した。


「我ら隊員だけでは限界があります。ミコさんの仲間もすでに動いて頂いており、今はとにかく人手と情報がほしいのです! 今回の事件は不明な点も多く、早期解決が必要と考えます。そして、今後は事件が起きてしまう前に未然に防ぐのが、我々治安部隊の本質ではありませんか!?」


 ゲールは必死だった。平和だった街に突然起きた悲惨な事件。これは何かの前触れでは無いのかと嫌な予感が拭えないのだ。


「……ゲール。お前は打たれ弱い癖に真っ直ぐで、無知なクセに出しゃばりで、それ以上にお前は……人が良すぎるのだ」


 ゴラットはゲールに向き直り、大きな溜息を零した。ゲールは神妙な面持ちで、しかし真っ直ぐにゴラットを見上げていた。


「お前の好きにせよ」


 ゴラットは諦めとも取れる表情で許しを出した。ミコとゲールの顔から雲が晴れたように明るさが戻る。



「ミコと言ったな。もし、おかしな事をしでかすならば、この棍棒の餌食にしてくれようぞ」


 ゴラットは鈍く光る鉄の塊を振り上げ、自分の肩の上にズシリと置いた。ミコはその鉄の塊を物珍しそうな目で見つめた。


「団長さん。すごい武器ですね。鉄の棍棒ですか? 初めて見ました」


 ミコが見上げていると、後ろからゲールが肩を回しながら歩いてきた。体の痺れは取れたようで、他の隊員もぶつくさと文句を言いながら作業の続きに入っていた。


「私も初めて見た時は驚きましたよ。これだけで大人五人分ぐらいの重さがあるみたいです。こんなので叩かれたらひとたまりもありませんよ」


「お主ら若いモンにはコヤツは珍しいのかもしれんが、大戦中は主力武器の一つじゃった」

 ゴラットは、鉄の棍棒を地面を抉るように刺して、徐に髭を触り始めた。その姿はまるで、獅子が毛並を整えて気持ちを落ち着かせている姿のようであった。


「そうなのですね。大戦と聞くと私は剣とか弓矢とか、後は槍なんかのイメージの方が強いです」


「ふん、あいつらに切ったり刺したりの攻撃なんぞ通らん。この棍棒で潰した方が早い」


「ゴラット団長は大戦を生き抜いた兵士でした。当時の大戦の先陣を切っていたのはプレートアーマーと言われる、金属鎧を着込んだ兵隊でした。その金属製の鎧で様々な武器の刃を弾いたそうです。その為、取っ組み合って棍棒で殴り合う、という原始的な戦いが繰り広げられたそうです」


 ゲールからの説明を、ミコは真剣な眼差しで聞いていた。


「なるほど〜勉強になりますね。……あれ? どうしました団長さん?」


「よ、鎧……よろい、よろ……い、ヨロイィィィ……」

 ゴラットは何かに怯えた様子で、唇を震わせていた。その顔は酷く青ざめ、焦点も定まらないまま地面をじっと見ている。ゴラットの様子は明らかにおかしかった。


「しまった! ゴラット隊長、ここには鎧の騎士は居ません!」


「グッ、オオッ………ウウ……」ゴラットは低い呻き声を上げている。

 ゲールはゴラットに駆け寄った。落ち着かせようとするゲールの声はもはや届かず、ゴラットは身を捩り錯乱状態に陥った。


「何が、起きているんです?」ミコは目を丸くして眼鏡の縁をつまんだ。


「ブァァァアアアアアアーっ!!」


 ゴラットの精神が限界に達し、ついにはミコ達に背中を向けて走り去った。端に静かに置かれていた棺桶を開け、なんとゴラットはそこへ身を投げ出し入ってしまった。そして、ガタンと音を立てながら蓋が閉まっていく。


「そこに入っちゃうんだ……」ミコはあまりの事に、唖然とした。


「はは……。ゴラット団長、幽霊が大の苦手で」

「幽霊……ですか?」

「実は事件後に私と団長が侯爵宅に出向いた帰りに、街中に霧が発生しているのを見つけたのです。ゴラット団長と物珍しく見ていたら、なんと……その霧の中からスーッと全身鎧に包まれた騎士が現れたのです」


「なにそれ、怖い」


「しかし、すぐに霧ごとその鎧の騎士は幻の如く消えてしまいました。余りにも不気味な光景で、まるで幽霊にでも会ったかのような出来事でした」


「……確かに、不可解でなりませんね」


「その後、幽霊が苦手なゴラット団長は叫びながら走って逃げて行き、行き着いた先がその棺桶でした」


「なるほど、お察し致します。私達が港に着いた時から、すでに団長は棺桶の中にいらしたんですね……」


 苦笑いを浮かべるゲールに、ミコはコクコクと頷いた。


「しかし、幽霊騒動は事件とは関係無さそうなので、今は事件の目撃情報と行方が掴めない奴隷を探す事が必要と考えています。私は引き続き聞き込みに行ってきますので、何か分かりましたら中央区のギルドまでお越しください」


「わかりました。ところで団長さんはこのまま置いてかれるので?」


「はは……。昼頃までには落ち着いて出てきますよ。それでは、また」

 ゲールは苦笑いを浮かべたままこの場を後にし、去った行った。


 残されたミコは空を見上げた。不穏な空気なんて一切感じさせない、静かで穏やかな青空だ。長い黒髪が海風に揺れる。


「……この街で一体何が起きているのでしょう」ミコは独り呟いた。


 小屋を潰していた船首が数人の隊員によって運ばれて行く。一人が掛け声を上げ、それを合図に残りの隊員が一斉に力を込めて引っ張る。どうやら、船の停泊所の広場まで運んでいく様だ。


「なるほど、解体してしまうのですね。こんな狭い畦道では確かに不便です」


 ミコは目を細めて停泊所を確認した。停泊所からこの小屋までは、緩やかではあるが上り坂になっている。


「船が乗り上げるのはやはり不可能ですね。ソニアさんの言うように波に乗らない限りは……」


『フルベリー様~』


 声がする方へ振り向くと、ソニアが上半身に重そうな肉の塊を揺らしながら走って来た。あの肉の塊で殴られたら、男なんぞ木っ端微塵だろう。ゴラット団長の持つ鉄の塊とはまた違う威圧感に、ミコは何とも言い難い物があったが笑顔を努めてソニアを迎えた。


「フルベリー様! 先程、獣が吠えたような声が聞こえましたが何事でしょう!?」


「いえ、ただ大きな猫が暴れていただけです。今は疲れてお昼寝しに帰りました」


「え!? それはそれで見たかったです」


 きっと可愛い猫を想像しているのだろう、ソニアの顔が緩んでいた。


「それより、衛兵と話しはできましたか?」


「はい。事件が起きた時の事はゲールさんの証言通りでした。奴隷の方達については、事件が起きる直前まで衛兵自身が見ていたので、逃げた事は疑わしい所はあったにせよ、関与が薄く処罰は難しいと判断しているようです」


「問題はこれからの事ですね。この街に身寄りがあれば良いのですが……」


「その点ですが、幸いにもスピア教会が引き取って下さるそうです」


「スピア教会?」

「大きな教会のようですよ。本堂は隣街にあるようですが、丁度神父さんがこの街に巡礼で滞在していて運良く話しを聞いてもらえたそうです」


「それは素晴らしい事ですね」ミコは優しく微笑んだ。


「ただ、行方が掴めない奴隷の事もあるので、しばらくこの街の教会支部にて預かるそうです」


「それでも、奴隷暮らしよりは未来のある道ですね。一先ずは安心です」


「そして、その奴隷ですが、衛兵にどんな人物だったのか聞いた所『覚えていない』そうです」


 ミコが眼鏡の真ん中を中指で持ち上げて、軽い溜息を零した。


「まぁ、仕方ありませんね。覚える暇は無かったでしょう」

「きっと、覚える気も無かったと思います。日常的に人数だけ確認していたようですし……それに」


 ソニアがミコに体を寄せて顔を近づけてきた。その顔は神妙な面持ちだった。

「衛兵は何か知っていると私は思います。一人逃げ果せた奴隷を探している様子も無く、聞いても『わからない』とまともに相手にされませんでした。怪しいですよね……」

「確かにそうですね……。船の有りえない事故、その船員は全員死亡。しかし九人の奴隷は全員無事、内一人は逃亡して未だ行方知れず。そして、何かを隠している怪しげな衛兵……わからない事が増えて行く一方です」


 ミコは眉間に皺を寄せて悩む素振りを見せた。


「ソニアさん、八人の奴隷の方達なら残りの人物がどんな人なのかわかるはずですよね?」


 船の中で共同生活していれば、嫌でもお互いの顔ぐらいは見る事になる。衛兵はともかく、奴隷同士なら知らないはずが無い。

 ミコの質問に、ソニアは答えるのを躊躇った。確かに知らないはずが無い。朧気でも、男なのか女なのか、大人なのか子供なのか、例え記憶違いをしていたとしても、何かしら話すはず。しかし、自ら奴隷達から聞き出したこの答えはソニアにとって、恐らくミコにとっても予想していなかった事だろう。ソニアは、最後の謎をミコに託す想いで告げた。

「フルベリー様。八人とも『知らない』と……答えました」


 眼鏡の奥に煌めく黒紫の瞳が微かに揺らぎ、ミコはまるで小魔のように上唇を舐めた──



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