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黒き林檎の物語り  作者: 三傘
第一章『小さな鼓動』
11/12

編集中


「はぁい!! ここはサタムヴォスタで一番サービスのいい『レイカ・ホテル』さ!! よく来たね、歓迎するよ!!」


 やけに声の大きいオーナーに若い夫婦が驚いたが、すぐにお互い見つめ合い微笑んだ。


「サタムヴォスタは初めてかい? それなら街の景色がよく見える、とびっきり素敵な部屋を御用意致しましょう!!!」


 オーナーは小さなベルを摘んで左右に降って鳴らした。無駄に大きいオーナーの声とは違って、ベルの音色は控えめで可愛い音だった。

 そのベルを合図に、控えていたメイドが夫婦の前に歩み、そしてお辞儀を一つ。


「今日という記念すべき日に、お客様をご案内することが出来て光栄でございます。私はホテルメイドのフェリス・クラブサンドと申します」


 フェリスはこのホテルに従事して丁度一年が経つようで、いつも以上に気合を入れて仕事に臨んでいた。

 そんな気合十分と意気込むフェリスだったが、夫婦は自分を見て驚いた顔をしていた。

 しかしそんな反応はフェリスにとっては慣れたもので、夫婦を見上げたまま笑顔を崩すことは無かった。


 フェリスは背が低く見た目が幼い為、よく子供と間違えられていた。夫婦もまさか子供が出てきたのかと勘違いしたに違いない。これでも実年齢は二十二歳と立派な大人の女性である。

 しかしフェリスの容姿の特徴はそれだけではない。艷やかな金色の長い髪と、海のように煌めくエメラルドの瞳がとても美しく、客人にまるで妖精のようだと言われた事さえあった。

 フェリスは『レイカ・ホテル』の看板娘として今日も忙しく働いている。


「私がお二人を部屋までご案内致します」


 そう言ってフェリスはもう一度お辞儀をした。

 見た目は子供ではあるが、その振る舞いは熟練されたメイドそのもの。

 夫婦二人は一時の迷いが晴れ、フェリスに「よろしく」と笑顔で伝えた。

 フェリスは夫婦の足元に置いてある荷物を確認した。大きな麻袋が四つある。

 その荷物をフェリスが手に取ろうとすると、男の方は遠慮がちに一つだけ渡してきた。


「お客様、お気遣いありがとうございます。ですが私は大丈夫です、お荷物お預り致します」


 そう言ってフェリスが荷物全部を片手でひょいと持つと、夫婦二人は口を大きく開けて驚いた。フェリスはそんな二人をホテルの中へと招き入れた。


 歩き進めると広く開けたフロアがあり、窓側には大きなピアノが置かれ、そこに赤髪の女性が座ってピアノを演奏していた。

 その女性が引くピアノの音色は、優しく、弾むような心地よい曲で、誘われるようにフェリスが近寄ると「アンジェ、今日も素敵な音色ね」と声をかけた。

 演奏の手を休める事なくアンジェは「ありがとう、フェリス」と微笑み返した。

 フェリスはアンジェに手を降り、夫婦に向き直った。


「ここから、客室やフラワーガーデン、パーティルームに行くことが出来ます。お客様、上をご覧になって下さい、素敵な光景が見れますよ」


 フェリスがそう言うと、夫婦二人は上を見上げた。このホテルは四階まであり、見上げると天井まで吹き抜けとなっていた。そしてその天井には、いくつもの花が施されたステンドガラスで埋め尽くされ、造形美極まる圧巻の光景が広がっていた。

 そこへ太陽の光が降り注ぐと、キラキラと輝いて床一面に彩りが咲く。今日も天気は良好で、太陽が生み出す花々に、夫婦二人は感嘆の声を漏らしながら魅入っていた。


「私もお気に入りの場所なんですよ」

 しばらく眺めた後、フェリスは二人を次へと案内した。


 先に進むと石造りの階段がある。階段を上ると途中に踊り場があり、そこの壁には大きな絵画が飾られてある。


「オーナー曰く、名のある画家が描いた犬の絵らしいです。まるで子供のイタズラ描きにしか見えないですけどね。私でも、これぐらいなら描けますもの」


 フェリスがおどけた顔で言うと、夫婦はくすりと笑った。

 踊り場から左右に階段が分かれている。フェリスは左の階段に向きながら夫婦に言った。


「西と東のフロアそれぞれにお部屋がありまして、お客様のお部屋は西のフロアにあります」


 フェリスが夫婦の前を先導するように階段を登って行った。長い金色の髪を揺らし、小さな足首には赤いリボンが着けられ、その後ろ姿は幼女そのものではあるが、片手には大量の荷物を抱えている。見慣れない人にとっては異様な光景だろう。


 二階に着くとフェリスは振り向いて足を止めた。

「ここ『レイカ・ホテル』は二階から四階までお客様のお泊りになる施設となっております。そして、一階にありました受付隣りのフロアには、当オーナー自身がシェフを務めるベーカリーカフェがございます。

 どの料理も大変美味ですが、中でも大きな石釜を使った当店オリジナル『レイカパン』が絶品で、それが目当てで来られるお客様も多いのですよ。

 それと、石窯の熱を利用した入浴施設もあるので是非ご利用下さい」

 夫婦は顔を綻ばせ、期待に胸を膨らませている様子だった。


 三階に着き、「お部屋は一番奥にございます」そう言ってフェリスは夫婦を連れて奥へと進んだ。


「北区は工業地帯で、東区は公爵の館があるので一般の方は入れませんが、西区は美術館や慰霊碑があります。そして中央区には商業エリアがあり、ここには各地の様々の物が集まるので大抵の物は何でも揃います。美味しいレストランもたくさんあるので、思う存分お楽しみ下さい」


 フェリスが再び夫婦に向き直り笑顔で言った。その時だった──


『ぁぁっ……』


 突然、微かだが妙な声が聞こえた。フェリスにはしっかりと聞こえていたが、夫婦には聞こえていないようだ。気付かないふりをして歩き進めた。


「このホテルがある南区には港があるのはご存知だと思いますが、その海の景色はとても素晴らしいですよ」


 フェリスは笑顔を絶やさず、夫婦に街の案内をして歩いた。

「海鳥の鳴き声も可愛いですし、波の音を聞いているだけで心が──」


『やっ、やめっ、あっ。んはぁっ……』


 また妙な声が聞こえた。今度ははっきりと聞こえる。男の子のような声だ。苦痛か快楽に悶えているように聞こえる。


「──癒やされますよ」

 思わず言葉が噤み、フェリスは気まずさを感じた。背後では夫婦がざわついている。

 次にまたあの声がする前に、なんとか案内する部屋に着きたいと、フェリスは気持ちが早った。


「この街はっ、各地から装飾品や宝石が集まる事でも有名なんですよっ」

 フェリスは少し早口で話した。

「宝石で人気なのがっ、ダイヤモンド、ルビー、エメラルド、そしてサファ──」


『いやぁっ! ど、どこ舐めてるのっ!? あぁっ!!』

 一段と大きな声がして、フェリスは思わずビクリとした。声の様子からして、男の子は何か攻められているらしい。何が起こっているのか、男性経験の無いフェリスには未知の領域だった。フェリスの顔が赤くなった。


「そしてすごい攻めが……コホンっ! そしてサファイアが……え〜と、お店に沢山……並んでいるので、え〜と、一見の価値がありますよっ」


 フェリスの頭の中は、攻められる男の子で一杯でまともに考えられなくなっていた。明らかに雑な説明になっている。背後で歩く夫婦も話し半分でまともに聞いている様子も無い。

 フェリスは焦った。こんな事は初めてだった。


「この南区は、住宅も多く、猫を放し飼いにしている人が多いんですよ。ホテルに紛れ込む事もよくあり、人懐っこいので、猫とじゃれ合うお客様も──」


『じっとしてて! 舐めれないじゃない!』


 フェリスは固まった。今度は女性の声だ。

 どうやら、じゃれ合っているのは男と女のようだ。機転も虚しく、もはやここまで来ると誤魔化せる段階には無い。


「──えぇ……と」フェリスは言葉に詰まった。

 階下より聞こえる、ピアノの優しい旋律が作る優雅な雰囲気も、声楽家の心に響くような歌声ならまだしも、それが怪しい喘ぎ声が聞こえてくるこの状況。何とも耐え難く、フェリスは変な汗が止まらなかった。


 今日ほどこの廊下が長く感じたことは無いとフェリスは思った。幸い、あの妙な声はピタリと止んでいる。事は済んだのだろうか。いや、事とは一体何なのかわはからないが。

 フェリスは体が熱くなるのを感じた。


 先程言いかけた言葉を繋ぐこともなく、ついには目的の部屋に着いた。

 フェリスは荷物を優しく置き、一度深呼吸をして後ろを振り向いた。笑顔を作っていたフェリスとは違い、夫婦は二人共地面に視線を泳がせている。

 そんな夫婦にフェリスは歩み寄り、笑顔を崩さぬ様に努めて、部屋の鍵を渡した。


「ご、ごゆっくりどうぞ……」

 気まずい雰囲気の中、引き攣った笑顔を見せながらフェリスはお辞儀をした。

「要件がございましたら……何なりと──」


『もぅ、許してっ! んっ、んんっ。 ふわぁっ!? ちょ、やめっ! だめ駄目だめダメぇぇっ! んぁっ、出っ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!!』


 フェリスの顔が凍り付いた。今までで一番激しい声と、さらには床板の軋む音が間近かに聞こえたのだ。

 フェリスはハッとして気付いた。隣だ。夫婦が利用する隣りの部屋からあの声は聞こえていたのだ。

 その事実に驚愕したフェリスは思わず夫婦同様に視線を落としてしまう。男の方がやや前屈みになっていた。

 フェリスは耳の先まで赤くして顔を両手で覆い──


「……な、何なりと……お申し付け下さーーーーいっ!!」


──逃げるようにしてその場から走り去った。

 廊下をパタパタと走りながら、フェリスは男の子の喘ぎ声を思い出していた。

 このホテルに勤めて、今日で一年という記念すべき日に、フェリスの経歴に傷を付けたのはそのせいだ。

 フェリスは涙目になりながら、やり切れない思いに叫んだ。


「男の子の馬鹿ぁぁぁ〜っ!!」


 フェリスの、恨めしく悲しげに叫ぶ声が、階下より聞こえるピアノの曲でより悲壮感を際立たせ、長い廊下に響き渡るのだった……。



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