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黒き林檎の物語り  作者: 三傘
第一章『小さな鼓動』
1/12

1.白い林檎

この度は『黒き林檎の物語り』をお読み頂き、誠にありがとうございます。

更新はゆっくりですがよろしくお願いいたします。

 少年は冷たい地面に背中を許していた


 甘い香りに包まれ、灰色の空を見ていた


 指先に何かが触れる


 白くて甘い香りを放つ果実だった


 その果実を手に取ると……


 白い果実は、赤く穢れていった──




 少年の小さな体に、木片が突き刺さっていた。

 穿たれた胸から流れる温かな鮮血が、冷たい寂静の地に注がれている。


 少年は震える唇で呟いた。


「母さん……これが僕への……天罰ですか?」


 憎しみの宿る瞳は光の無い空を見つめていた。

 少年の問いに返す者はなく、ただ、白い吐息が闇へと消えていった。


「……こ……れが──うぅっ」


 激痛は増すばかりだった。

 それでも、これが天罰だと少年は認めたくなかった。こんな事で罪滅ぼしをしたなどと、受け入れるわけにはいかなかった。


「僕は……」


 やらなければいけない事がある。成すべき事がある。

 だから、ここで死ぬわけにはいかない。

 痛くて、寒くて、怖くても、諦めるわけにはいかない。

 頬を伝う涙は死への拒絶。この体で、この魂で償いを果たすまで、死ぬ事は決して許されないのだ。


「まだ……死ぬわけには……!」


 無理矢理にでも身体を起こそうとしたが、まるで力が入らず、そればかりか気を失いそうになる程の激痛が体中に走った。

 少年は声にならない苦鳴を上げた。


「……誰か」


 少年は助けを呼ぶ事にした。


「誰か……助けてっ」


 身動きが取れない以上、誰かに助けを乞うしかなかった。このまま死を待つわけにはいかない。


──ここは漁や貨物が行き交う船の停泊所。今は大きな帆を畳んだ貨物船が、倒れた少年を見下ろすように泊っている。

 辺りはまだ早朝と薄暗く、人通りを期待するだけ本来は無駄だったが、船の貨物を運ぶ奴隷がこの時間に働いている事を少年は知っていた。

 なぜなら少年もその奴隷の一人として、大量に積まれた果実を運んでいたからだ──


「お願い、誰か──!!」


 少年は顔を歪ませ、掠れた声で必死に叫んだ。

 息を吸うだけでも激痛が走る。

 紫色の唇を震わせ、意識はすでに溷濁し、それでも必死に叫び続けた。


「怖い。死にたくない。……助けて──っ」


 死の闇が間近に迫る恐怖。

 動く事すら出来ない少年は、その恐怖から逃げる事は出来ない。

 痛み、寒さ、焦りが混じり合い、それはグロテスクな色合いをした恐怖として、少年の心臓にピタリと貼り付いている。

 少年が絶命するその時まで、ずっと、貼り付いているのだ。


「──んだこりゃぁっ!!?」


 叫び声を上げながら、誰かが駆け寄ってきた。

 大きな腹を弾ませながら、寒そうな禿頭をした太った中年の男が少年を見下ろす。

 その男が見たのは、折れた木片が少年の胸を貫き、赤い鮮血の海に白い果実が散乱している場面だった。

 少年の側には、高台にあったはずの滑車が根本から折損して地面に転がっている。何かの弾みで折れ、落下した時に少年を巻き込んだのだろうか。


「……助けて、くだ……さい」


 少年は目の前の男に声を振り絞り、助けを求めた。

 見上げたその男の顔には覚えがあった。威圧的で、奴隷や使用人誰かれ構わず暴力を振るう、親方と呼ばれている船の管理人だった。


「おいおいおい……雪林檎が台無しじゃねぇかっ!! どうしてくれるんだこのクソガキァアっ!!」


 親方は体を震わせ激怒し、倒れている少年の腕を思い切り踏みつけた。少年の顔が苦痛に歪み、その手から血塗られた林檎がころころと転がっていった。


──少年が運んでいたたくさんの白い果実は『雪林檎』と呼ばれる、この大陸では高級品として流通されている物だった。雪のように白いその林檎は上品な甘さはあるものの、見た目が美しく芳醇な香りを放つ事から、食用というよりテーブルを飾る装飾品として、身分の高い貴族達に広く好まれ高値で売られている。

 しかしその白い林檎も今や土と少年の血で汚れてしまい、美しい姿は見る影も無かった──


「この役立たずが!!」


 親方は再度少年の腕を踏み付け、「うぅ」と苦鳴が漏れる。


「旦那ー!!」


 何処からか、薄汚れた服装の大男が親方の側まで走り寄ってきた。


「旦那! 申し訳ねぇ!」


 二メートル以上はあるだろうその大男は、図体に似合わず背中を丸めて親方に頭を下げた。

 大男が頭を下げても尚、親方の身長を軽く超える程大きな体をしていた。


「おいっ、どういう事だよこりゃぁ!」


 親方は自分よりも大きな体をした男を見上げて怒鳴り上げた。


「聞いてくれ、旦那。貨物を降ろす滑車の土台が壊れて下に落ちてしまってよぉ。どうやら固定していた木材が腐ってて折れちまったみてぇなんだ」


 凍てつく寒さの中、大男は頭から蒸気を立ち昇らせながら、親方に事の成り行きを説明した。

 親方は落ちた滑車とその側で倒れている少年を交互に見やる。


「あぁクソ! ついてねぇ。今日は海に嫌われているようだ!」


 親方は地面を蹴り、禿頭を真っ赤にして激昂した。


「……た……すけ……」


 少年は必至に助けを呼ぼうとした。しかし、男達は血まみれの少年にまったく興味が無い様子で話しを続けている。

 この男達にとって、奴隷はただの道具でしか無い。林檎一個の価値すらもないのだ。


「まったくでさぁ。でもよ旦那、例のブツを降ろす前でしたから不幸中の幸いですぜ。もし、落っことしてブツに何かあればもっと最悪な事態になってましたぜ?」


 自分の禿頭に手を当てて不貞腐れている親方は、その大男の言葉に何かを思い出したようで、大きく目を見開き、鼻を膨らませて薄ら笑いを浮かべた。


「おぉ、確かにお前の言う通りだ。アレが無事だったのは唯一の救いだ。よし、その荷物は俺が運ぶ。依頼主に直接渡してたんまりチップを貰ってくるぜ。……お前は掃除しとけ」


「あいあいさ!」


 大男は姿勢を正して、去って行く親方の背中に敬礼をした。

 親方は船へと戻って行き、体格の良い男を三人を掴まえて船内に消えていった──


「さて……」


 大男は舌舐めずりして瀕死の少年を見下ろす。醜い笑みを浮かべ、少年の頭に太い腕を伸ばした。


「グヒヒ。運が悪かったなぁ、ボウズ。まさか落ちた滑車に潰されるなんてよぉっ?」


 大男は楽しそうに笑いながら、少年の頭を鷲掴みした。そして、少年の体ごと地面を引きずって何処かへと歩き始めた。


「……助けて」


 少年は息も絶え絶えで危険な状態だった。


「ボウズ、年はいくつだ? 見たところ十歳ぐれぇか? ちっちぇなぁ?」


 大男は少年をちらりと見ると、黄ばんだ歯をむき出しにて口角を釣り上げた。


「もうちっと向こうへ行こうかのぉー」


 大男は船から遠ざかるようにして少年をひきずっていった。地面には、少年の血が点々と赤い標となって落ちている。


「今日は海でも色々とあったけどよ、今度は滑車が壊れるなんてなぁ?。海に嫌われるってのはホントおっそろしいもんだ」


 大男は何か深く感心した様に独り言を呟いている。

 しかし、少年にとってはそんな事より早く何とかしてほしい思いだった。

 死への恐怖で頭がおかしくなりそうだった。いや、すでに感覚はおかしくなっているのだろう。


「くらい……」


 何も見えないのだ。

 少年の目は、何も映さなくなっていた。

 全ての感覚が麻痺し、あとは残された時間をひたすら恐怖するだけとなっていた。


 大男は足を止め、少年の頭を掴み上げた。少年の体がぶらりと垂れ下がる。


「グヒヒ……着いたぞぉ」


 大男が辿り着いた先は、海岸に木で組まれた足場だった。辺りには波に揺れながら小舟がいくつも停泊している。

 身を凍らす冷たい風が、大男によって宙にいる少年の体を揺らしていた。


「……うぅっ」


 何も見えない少年は、自分が何処にいて、どんな状態なのか分からなかった。


「ボウズ、今どんな気分だぁ?」


「……え」


 少年は大男の言っている意味が分からなかった。


「怖ぇよなぁぁっ? 死にたくねぇよなぁぁっ?」


「……死にたく……ないっ」


「グヒッ。グヒヒッ。グヒヒヒヒヒヒッ」


 狂気にも似た不気味な笑いが大男から発せられた。焦点の定まらない両目に闇を映し、泡立った涎が口元に溢れ、とても楽しそうで、とても苦しそうな表情をしていた。


「いや……だ、……いやだ……っ」


 少年は気付いた。気付いてしまった。

 この男は自分を助けるつもりは無いのだと。

 波の音が身近に聞こえるのはつまり──


「や、やだっ……死にたくない……死にたくないっ」


 絶望を知った少年の心は恐怖で満たされ、これから自分がどうなるのか、怖くて怖くて、頭の中が掻き回されるぐらい怖くて堪らなかった。


「グヒャヒャヒャヒャッッ! いいねいいね! そのカ、オッ!」


「助けて……下さい」


「グヒャヒャッ! なぁんで俺がお前を助けないといけないんだぁ!? 馬鹿じゃねぇのおっ!?」


 少年は大粒の涙をこぼした。

 何度もお願いしたのに、こんなにも死にたくないのに。

 身体の熱が胸から流れ出て行く感覚に、自分が消えていくような喪失感に、少年は涙した。


「助け……て。お願い……します」


 それでも、泣きながら助けを求め続ける事しか出来ない。


「アーーヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ!」


 その少年の必死の姿があまりにも無様で滑稽で、大男は堪らず大きな口を開けてまた笑い声を上げた。

 耳が割れるような、下品で不愉快な笑い声。


「ヒーアハハハハハハハッ!! イヒッ、イヒッヒャッヒャッヒャッヒャ……」


 しかし突然、大男の笑い声がピタリと止まる。

 辺りには波の音だけが寒空に響いていた。


「助け……」


「あばよ」


 大男の手のひらは開かれ、宙吊りになっていた少年の体を自由にした。

 ふわりと感じる浮遊感に、少年は絶望へと向う事を知る。



──こんな世界、消えてしまえ



 少年は全てを恨み、そして静かに瞳を閉じた。

 血にまみれたグロテスクな果実は重力に奪われ、落ちるその先に待ち構えていた黒い海が、大きくうねりながら少年を飲み込んでいく。

 少年の体の熱を溶かしながら、冷たく暗い底の、奥へ奥へと流し込んで行った……。



────大男は満足そうな顔をしていた。


 しかしそれも束の間で、すぐに冷たい表情を露わにして口を開いた。


「奴隷は消耗品だ。怪我をすれば捨て、病にかかれば捨て、反抗する奴は殺す……」


 大男はニタリと再び不気味な笑みを浮かべ、船のある方へと戻っていった。


 海は静かに唸り、少しだけ赤く染まった。




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