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涼しい部屋から見る演舞  作者: エリス計画
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 私達の陰鬱な気分をよそに、体育祭の練習は進められていく。私達が体育館でダンスをしながら女生徒が暑い暑いと愚痴をこぼしているが、外を見ると男子は炎天下の中で土にまみれて組み体操をしている。それを目にすると、私は何も言えなかった。

 応援団の練習も的場君や高島君がいなくても回るほどに慣れてきた。今日、高島君は病院に寄ってから来るとの連絡があった。祭りの日から私と彼の関係は変わらない。むしろ、当たり障りのない話をするようになっただけ、距離は遠のいたのかもしれない。的場君は、本日から始まる三者面談を終えてからの参加するとのことだった。

 太鼓のバチを置いて、汗を拭う。正直、私にとっては二人と顔を合わさなくて済むのでありがたかったが、後輩達は不満そうである。

「先輩達、いつくるんすか?」

「さあ。もうすぐだとは思うんだけど。」

「それ、もう三回目っすよ。本番前なのに、先輩が揃わないなんて。」

「ごめんね。」

 そう答えるしかない。私だって、理由は言えるけれど時間までは分からないから。

「練習、始めましょう。」

 私が太鼓をドンと鳴らすと、後輩たちが扇子を構える。演舞を神社で観て以来、静止動作は様になったように思う。

「はあっ!」

 威勢のよい掛け声が放たれて、子の舞いを参考にした初めの舞いが始まる。初めの頃は恥ずかしげにこなしていた滑稽な動きも、今は見ている人が恥ずかしくない程度には舞えているように見える。

 太鼓の縁を打つ高い音でリズムを変えて、本舞いが始まる。腰の低い動作もまた、成長を遂げているようだった。

 今度は、女子の後輩達が私に尋ねる。

「ねえ、先輩。思うんですけど。」

「何?」

「うちら、衣装とか着て練習しちゃだめ?」

「あ、そうか。そうだよね。」

「本番、今週だし。」

「……じゃあ、私の教室に置いてあるから、取ってくるね。」

「はーい。」

 彼女達が前向きに取り組んでいることが、保護者のように嬉しかった。

 下駄箱で靴を履き替えて、教室へと向かう。三者面談をやっているのなら、いくらか待たなきゃいけないかもな。そう覚悟していたが、教室の中は誰もおらず、鍵もかかっていなかった。部屋の中央は四つくっつけた机があることから、今まで面談をしていたと察することができる。目的の物は、教室後方のロッカーの中にある。開けて中の衣装箱を取り、閉めようとすると、ドアが開く音がした。

「的場さん。どうぞ、お入りください。」

 新田先生の声です。普段の横暴な態度はどこへうちやったのでしょうか、まるで借りてきた猫のように緊張した声の震えが私の元まで届きました。

 私は咄嗟にロッカーの中へと隠れ、目線の高さに開いた通気口のスリットから、外の様子を垣間見た。やってはいけない背徳感が背筋を駆け巡る。後ろ暗い感触をほのかに覚えて、私は面談の様子を見るのに集中する。

 向かって右に新田先生がお座りになられた。左の方には手前から順に的場君、的場君のお父さん、更に奥にお母さんが座っている。お父さんは仕事を途中で抜け出してきたようで、泥がべったりついて固まったニッカポッカで私の席に座っている。頭に巻いたタオル越しに頭を掻きながら、ポケットから煙草を取りだした。

「あの、校内は禁煙……。なんでもありません。」

 一瞥されただけで、新田先生は押し黙られた。わざとらしく新田先生の顔に煙を吹きかけると、先生は咳をなされた。的場君は机を見ている。

「一本くらい多めに見ろよ。先生っていうのは余裕がねえなあ。」

 席を立ちあがって窓から灰を落とすと、火を消して咥えたままにする。煙草を吸っても先生は強く出られないということを察したのか、お母さんも煙草に火をつけた。煙草が様になっている姿や茶色の長髪。更に、私でも知っているようなブランド物のバッグは、夜のお水の仕事を連想させた。

 変わらず、的場君本人は机を見続けている。お父さんが切り出した。

「うちのガキを応援団長になったのは先生のせいだそうで。」

「……そうです。申し訳ありません。彼がその……あまりに優秀なものですから。」

 新田先生は陳謝なされた。

「いや、いいんだ。的場家の男はそうじゃなくちゃいけねえ。」

 沈黙が流れる。私はロッカーの中で心臓を早く波打たせながら、続く言葉を待つ。

「早くしてもらえる?もうすぐお店なんだけど。」

 お母さんは、鏡を見ながらそう言った。新田先生は頭をハンカチでお拭きになる。

「あ、ええ。それでは三者面談を始めさせて頂きます。」

 新田先生は資料を取り出した。ファイルから一枚の紙を取り出す。おそらく、未だ私が出していない、進路調査票だろう。

「倉科大学、医学部第一志望と。第二、第三志望も医学部ですね。」

「そうだ。いけるんだろ?こいつは。」

 お父さんは的場君の髪をわしづかみにしてぐるぐると頭を振り回す。

「え、えっとですね……。」

 新田先生は口をつぐまれる。

「は?おい、駄目なのかよ?」

 お父さんは私の机を蹴り上げた。その音に、新田先生は体が跳ねるほど驚きになる。私も頭をぶつけそうになった。

「どういうことか、説明して頂戴。」

「そうだよ、説明しろや、おい。」

 両親二人の激昂にも的場君は無反応に、虚ろに机の上を見続ける。

「こ、これを見てください。」

「これは、中間試験の成績表です。五教科、つまり、国数社理英の五百点満点のテストで合計四百五十三点です。」

「だったら、医学部行けんじゃねえのか?」

「うちの学校レベルの定期試験で四百五十点じゃちょっと。四百九十点は無いと……。あ、でももうすぐ模試もありますから、それでより正確に分かるかと。」

「そうか……。」

 ゴツンと鈍い音が響いた。殴られた的場君は椅子ごと後ろに倒れて後頭部を打つ。立ちあがって拳を固めたお父さんは、今度は馬乗りになって胸ぐらをつかんだ。


「お前、お前なあ、このっ!」

 息子の体を強く揺さぶる。頭に血が上って舌が回らないようだ。新田先生、どうにか止めてください!私が心で訴えかけても、先生は机の木目を指でなぞっていらっしゃるばかりだ。お母さんも立ちあがり、脇腹を蹴り上げる。

「この馬鹿が。学費を無駄にしやがって。この不景気に、私の年齢で同伴してもらうのがどれだけ大変だと思ってるの?」

 金切り声が耳をつんざく。更に何度か鈍い音が響いた後、疲れの方が怒りに勝ったらしく、息を切らして立ちすくんでいる。……見たくなかった。見なければよかった。高鳴る動悸に胸を押さえ、息を殺して私も立ちすくむ。的場君は黙って天井を見上げていた。

「では、三者面談もこの辺で。」

 保護者二人は新田先生のそのお言葉で我に返ったように教室を出ていく。先生は見送るためについて行かれた。

「次の面談があるから、鍵はそのままで。」

 そう言葉を残して。的場君は立ちあがって体中の埃をはらう。彼の顔にまた一つあざが増えた。鼻血をハンカチで拭いて、鞄に入れる。

「練習、行かなきゃ。」

 彼も教室を出ていった。私はロッカーを出る。日差しが温かく差し込んでいた。

 自分の趣味の音楽ごときで悩んでいた私の悩みなんて、なんとちっぽけなものでしょう。自分自身が嫌になり、つい笑ってしまいました。笑っても笑っても横隔膜が笑うのを止めることを許してくれません。膝が脱力して床に倒れて笑っていましたが、静かな廊下の遠くで賑やかな大人の声が聞こえてきたので、慌てて教室を出ました。

 私は衣装の入った箱を手に持ちながら働かない頭で考える。頑張ったのに認められない青春と、頑張ってもいない青春は一体どちらが悲惨なんだろうと。

「上機嫌ですね、先輩。」

「遅かったので心配しましたよ。少し。」

 別に、嬉しくて笑ってる訳じゃないんだけど。

出迎えてくれた後輩は和気あいあいと衣装を着こんでいる。

「あれ、的場君は?」

「え?来てませんけど。」

「嘘。」

「会ったんですか?的場先輩に。」

 どこに行ったんだろう。教室では練習に行くと呟いていたはずだ。

「ちょっと、どこに行くんですか!」

「練習してて。」

 駆けだして下駄箱に向かう。もしかすると、思い直して帰ろうとしているのかもしれない。いや、待てよ。会ってどうすればいいんだ。引き留めて参加させる?後輩たちにあの青いあざについて聞かれる気まずさを彼に味わわせることになるのは正しいことなのだろうか?元気づけるにも、私は何も知らないことになっているのだ。下手な話しかけはできない。彼が泣きだしたらどうしよう。彼と気まずい私が行って何か出来ることがあるのだろうか。後から色々な消極的な考えが浮かんでまとまらないが、体は追いかけようとしている。

靴箱の前まで走ってきて、自分の棚を見ると、何か紙が靴の上に置かれていた。迷わず開けるが字体からは男か女、どちらが書いたものかは判断できない。

「秘密の場所で待ってる。」

 秘密の場所……。神社の丘の上のところに間違いないはずだ。高島君だろうか。高島君が的場君にもあの場所を教えたのだろうか。いずれにせよ、的場君の居場所は分からないので、この手紙が的場君からのメッセージだと信じて向かおう。一体、呼び出して何の用だろうか。まさか、両親から言われて、応援団を辞める……?

「それはマズいよ。」

 靴を履きかえた私は、再び走り出した。応援団の練習のために体操服に着替えていて良かった。スカートを気にせず走れるから。

夏の夕日に染まった町を、私はひた走る。授業のマラソンでだってこんなに必死にはしったことないのに。冷や汗と、運動不足の嫌な汗がアスファルトを濡らす。

 先日の、丘の上までショートカットをするために境内を通らずに雑木林の中を登っていく。息を切らして着いた秘密の場所には人がいた。その人は水玉模様の傘を携えて、向こう側を向いて仁王立ちしている。

 「逃げずに来たのね、白木。」

 美香が振り返って言った。髪が乱れ、顔に影が差し込んでいる。

「あの手紙、あなたが入れたの?」

「そうよ。」

「私、的場君からだと思ったんだけど。何の用?っていうかそれ、私の傘じゃない。」

「返してくれる?」

「それは私の台詞でしょ?返してくれる?その傘、探してたの。」

「返してよ、高島君を。」

 彼女がポケットから出した携帯の、画面を見て愕然とした。

「この写真、誰が撮ったの?」

「真田君。メールに添付されてたの。」

 一緒に神社で演舞を観た日。真田君が去った後、二人きりで立ちつくしている写真だった。

「ここで、この静かな場所で、あんたと、高島君が。お前と……高島君が!」

 見開いた目は影から私を見ている。

「やったの?」

 どういう意味だろう。

「何が?」

「なにが、何が?よ!」

 肩をつかまれて、樹の幹に押し付けられた。食い込む爪が凄く痛い。

「やめて!」

 美香の髪を引っ張る。彼女は手を離すと、私の手を傘で払った。その傘をまっすぐ高く構える。更に何か言った気がするが、最早何を言っているのか分からない。彼女は泣いていて、気づいた時には私の額に傘が叩きつけられていた。ごろごろと丘の上から転がり落ちていく私に美香は、

「泥棒!」

と叫んだ。草を掴むも体は止まらず、樹の幹からも手が滑る。全身を擦り傷だらけにして、体は砂利で止まった。誰かが駆け寄ってくる。男の人だ。

「おい、白木?大丈夫か!」

しばらく話すことも目を開けるのも嫌だったので。聞きなれた声に身を任せる。疲れた体にとにかく絆創膏を貼られる感触だけが体へ与えられる刺激だった。

体の気だるさが徐々に痛みに変わり、骨が折れてなさそうなことに安堵する。地面を押して体を起こし、目を開けると、的場君と心配そうな的場君が私を見つめていた。

「だ、大丈夫か白木。どうしたんだよ。」

 美香が引き起こしたと高島君に言ってやろうか。傘を盗まれた上、突き飛ばされたと告げ口したら彼女はきっと、もっと狂乱して小気味のいいうなり声を上げるかもしれない。彼女が最も嫌がることで復讐をするべきだ。

「息が乱れてるな。深呼吸をしてみろ。」

 はっとして、高島君の言われるがままに深く呼吸をする。気分が少し落ち着くと、途端に美香が哀れになった。高島君を好きでいられるということが、最早、彼女を形作る最後のアイデンディティになっているのかもしれない。それを私の告げ口で間接的に壊していい程、私は位の高い人間なのだろうか。復讐と許容の間を何度も低回した挙句、結論付けられなかった私はお茶を濁した。

「何でもないの。」

「何でもないって、お前、右手……。」

 高島君の言葉に、右手を見ると親指と人差し指の股が少し裂けて血が出ている。

「それから、でこも。」

 今度は的場君の指摘に額を触る。少し触れて、たんこぶになっていることを確認した。

「あら、お揃いね。」

 私はそう言って、右手の血をハンカチで拭きとった。傷を認識すると痛みが鈍く始まる。適当にハンカチで縛り始めたのを見かねて、的場君は黙って縛り直してくれた。

「ありがとう。」

 彼は黙っている。そうして落ち着いてみると、彼らがここにいる不思議に気がついた。

「二人はここで何をしてるの?」

「え?的場、言ってなかったの?」

高島君は的場君を一瞥した後、何も言わないのを確認して話し始めた。

「練習だよ。地域の文化を守る会の人達に、少しだけ稽古をつけてもらう約束をしてたんだ。」

「え、その人達って。」

「そう。この間、ここで観た演舞をやってた人達。」

「言ってよ!」

「俺は的場が言ってると、てっきり。」

「俺は高島が言ってると、てっきり。」

 二人は互いに指を指しあった後、的場君に続いて高島君も頭を下げた。

「悪かった。連絡しなくて。」

「ごめん。白木。」

「ごめんなさい。」

 私も頭を下げた。皆で頭を下げ合った。色々なことについて、私も二人に申し訳なかった。なんだか、自分も美香も真田君も的場君も高島君も大人も含めて、みんな滑稽に思えた。

「何故泣くんだ。痛むのか?」

 的場君が素朴に尋ねる。知らず知らずに嗚咽が出ているようだ。

「違うの。おかしいから。」

 二人は不思議そうな顔をして、二人も微かに笑った。

「ねえ、練習の成果を見せてよ。」

「いいけど。まだ練習中なんだが。」

「私だって、太鼓、練習中だよ。」

「良い機会じゃん、的場。合わせてみなよ。」

 高島君の勧めに従って、私達は石畳に移動する。近くの木切れを持って、私は地面の調子を確かめた。

「じゃあ、俺はこの辺で旗を振っているという体で。」

 高島君は的場君の後ろで旗を振る真似をする。二人が良き相棒、野球のバッテリーのように見えた。遠巻きに、神社の宮司さんが見ている。更に遠くに、神様が見守ってくださっているような気がした。

私が一つ叩くと的場君が構えた。バチ変わりの木片を、音の重さに重きを置いて石を叩く。的場君は扇子を畳んで雅に舞う。彼は一挙手一投足に神経を通して動く。いつの間にこれほどの練習をしたのだろう。参考書を持たない彼も様になるんだなと感心してしまった。

たった一分ほどの、団長演舞は今まで見てきた中でも良い出来で、短い時間の中にゆっくりとした時間がその場に流れる。終わった時には私は思わず歓声を上げてしまった。

「凄い!確実にいいものになってる!」

「そうかな。自分でも上手く行ったと思う。」

 無愛想に言いながらも、的場君は良い感覚を忘れないように、体で動きを振り返っていた。高島君は的場君の腕を軽く叩いて、近くの石に腰を下ろした。

「いた!」

「ここにいたんですか。」

「探しましたよ!」

 賑やかな声を響かせながら、後輩達が走り寄ってくる。

「何してるんですか、三人揃って。」

「白木先輩、鞄。」

 私の鞄、持って来てくれたのか。

「あ、ありがとう。練習よ。」

「練習なら私達も入れてくださいよ。会わせましょ。衣装も着たまま来ちゃいましたし。」

 後輩達は高島君や的場君にもまとわりつき、的場君は、

「時間も遅いから、少しだけな。」

と簡潔に答えて練習が始まった。一丸となって行われる練習は日が完全に沈むまで続けられた。

「そういえば、何故ここが分かったの?」

「あ、え?そういえば何でだろ。分かんないです。」

「そんなこと、どうでもいいじゃないですか。早く帰りましょうよ。お腹空いちゃった。」

 私は、本殿の前まで歩み寄り、

「まさかね。」

と独り言を言って、お賽銭を投げ入れた。

 家に帰って、擦り傷や切り傷の痛みに悶えてお風呂から上がり、母に消毒をし直してもらう。心配がすごくくすぐったかったが、

「派手に転んじゃって。」

「……本当に?」

「うん。」

といったやりとり以上のことは聞いてこなかった。部屋に戻ると私は机に向かう。そして白紙を取り出す。進路調査票だ。私はボールペンで希望する大学名を書いた後、鞄に滑り込ませた。

 体育祭の本番まで、あと三日である。




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