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涼しい部屋から見る演舞  作者: エリス計画
3/9

3

 最近の私の一日は、白紙の楽譜とのにらめっこから始まる。

 朝目が覚めると、まだ父も母も目覚めていない早朝に布団から抜け出して顔を洗う。トイレを済ませて自室に戻るとエアコンを点けてキーボードに向かうのだ。ヘッドホンをして時計を確認すると、朝食まで一時間。机の上のお茶を一口飲んでから、レコーダーの録音ボタンを押した後、鍵盤を叩き始めた。

 頭の中には白いページに黒色の記号達が舞い踊っている。明るい曲には高い所へ記号が飛び、暗い曲には低いところを記号が跳ねまわる。思うがままに描いた音を、楽譜の上に描き出していく。出来た曲には歌詞をつけてみて、歌いにくいものはゴミ箱へ。歌えそうなものは鞄へ入れる。今までの曲は全てが廃棄されていたのだが、今朝は違った。

「あれ?」

自分でも疑問に思う。自分の指が、まるで今までに弾いたことがあるかのように滑らかに曲を形作っていく。楽譜に書き起こすのも楽に済み、歌詞をつけるのも簡単だった。

「つまり、名曲というのはこんな風に降りてくるものなのね。」

 私は上機嫌だった。出来た楽譜を初めて鞄に入れて、ドキドキしながら頭の中で繰り返した。時計を見ると、朝食に呼ばれるまでに十五分ある。私は髪に櫛を入れて一つにまとめ、母がアイロンを当ててくれた制服に腕を通し、いつも以上に身だしなみに注意を払って鏡を見た。名作詞作曲家に相応しい身だしなみである。

 そうだ。と思いつき、机の上に見て見ぬふりをして放置していた調査票に、「作詞作曲家になるために、音楽大を受験する」と書いて、これも鞄へ入れた。

 そのうちに朝食が出来たと母に呼ばれる。階下に降りると父が新聞を読みながらトーストを食べていて、私はその真正面に座る。机の上のトースターに食パンを入れている間に目玉焼きとサラダを食べる。

「なんだか、上機嫌だな。面白い夢でも見たのか?」

「違うのよ、お父さん。いいことがあったのよ。でも秘密。」

 新聞から目を外して私を見たが、それ以上の追及はしなかった。

「行ってきます!」

と明るい声を母親に投げかけて家を出る。朝の心地よい熱気が頬を撫でた。

家を出るときは太陽に薄く雲がかかっていただけであったのだが、みるみるうちに暗くなり、学校まであと半分というところで雨が降りだした。水玉模様の行方不明になった私の傘を恋しく思いながら、コンビニで雨合羽を買った。透明色のその雨合羽は景色を通し、ビニール越しに早朝の暑さを癒してくれる雨の風景を見回しながら登校する。

学校に着くと、朝連を行う部活生達の元気な声が響いている。私は下駄箱で靴を履き替えて教室で濡れた雨合羽を脱ぎ、机の上で広げて乾かしておくと、体操服で視聴覚室へと向かった。

演舞の練習に本腰を入れるのは祭に行ってからだとしても、それ以外にやることは沢山ある。競技中の応援掛け声の練習や、旗が目の前を駆け抜けたときのみ立ち上がる、ウェーブの練習。本番では準備体操の代わりとなる、ラジオ体操の二番までの振付を覚えなおす。体育の授業ではなんとなく形が出来ていれば適当でも見逃してもらえるものの、全校生徒の前で体操の規範となるならば、前の人を真似しながら、というわけにもいかない。

限られた時間の中で、的場君の計画した練習計画表通りに事が進んでいく。そこには、「本日、応援歌締切。(白木)」と書かれていた。練習が一段落して小休止。的場君も高島君も汗を拭く。後輩達も水を飲んで、気だるげな充実感を味わっている。

「今日の練習の最後に。白木さん、お願いしていた応援歌出来た?」

「もちろん。今日の朝出来たの。自信作よ。」

待ってましたとばかりに、鞄から楽譜とレコーダーを取り出して的場君に渡す。彼は頷くと、楽譜の歌詞に目を通しながら、レコーダーを耳元で小さく再生した。私の歌声が彼の耳へと吸い込まれていく。眼鏡の奥の瞳は閉じられて、彼は私の声に聞き入った。

再生が終わった後に彼は目を開き、私に視線を合わせて頷いた。どうやら気に行ってくれたみたいだ。小休止を終えた後輩達も集まってきて、「出来たんですか?」と上擦った言葉を口にしながらレコーダーの音量を大きくして、耳を寄せあって聞き始めた。

私の作風には珍しい、ポップな曲調にした甲斐あって、後輩達も楽しげにリズムを足でとって聞いている。聞き終わったあとに、女子の後輩達が口々に私に感想を投げかける。

「とってもいいですね、この応援歌。」

「そうでしょう?」

 私は有頂天だった。

「先輩には替え歌を作る才能がありますよ。」

 この言葉をきくまでは。

「え?何?」

「何って、替え歌ですよね?」

「替え歌?」

「これ。最近流行りの、あのアイドルが歌っている歌ですよね。」

 その場の全ての人が私を変な人でも見るように目を向ける。そのうちの一人が私に音楽プレイヤーから再生してくれた。それは、確かにアイドルの、性欲溢れる曲だった。

 つまり、私はどこかで聞いたこの曲を、あたかも自分で作った歌のように発表し、自信満々に披露をしたのだ。私は顔が赤くなった。

「先輩?」

「あ、ああ、そうそう。この曲よ。どの曲を替え歌っていうか、潤色したのかど忘れしちゃって。」

 そう誤魔化すしかなかった。声は上擦っている。私を見つめる何人が、何を誤魔化しているのかを気づいただろうか。

「その曲は代案よ。出来れば私、オリジナルで勝負をしたいから。」

 消え入りそうな声でそう言って、制服を持って視聴覚室を後にした。視聴覚室から遠くまで離れるほどに歩く脚が速くなる。教室の隣のトイレの個室に入っていって、ホームルームが始まるまで出られなかった。


 ホームルームは簡単な連絡だけで終わり、一時間目の準備のために教室がざわつく。生乾きの雨合羽をビニール袋に入れて鞄に詰める。それから社会の教科書とノートを準備していると、教室の黄色い喧騒が更に大きくなった。

「ちょっと、誰に用かしら。」

「私かな?」

「何?抜け駆け?」

「ウチだと思う。」

「あんただけは無いわ。」

 なんにせよ、今日もカッコいいわね。と結論付けられた男が私の前の席に腰かけた。

「おはよう。」

 白い歯を見せて真田君が言う。

「おはよう。」

「可愛いなあ、今日も。」

「はぁ。」

 恥じらいもなく言えるのは、普段から言っているからだろうか。

「今日はお願いしにきたんだけど、いいかな?」

「お願い?」

「うん。今度の夏祭り、デートしようよ。」

女子の注目も男子の注目も集まって、静まり返った中でそう言われた。賑やかなざわめきとは打って変わって、火事場を見るような野次馬騒ぎが辺りを覆う。そう、まさに火事場だった。男子達は色めき立って囃し立て、女子は憤怒と罵倒と溜息が嫌なほどに耳につく。私は茫然自失となってそこにいた。何故、どうしてと、疑問ばかりが脳裏を渦巻く。助けを求めて見回すと、高島君は目を伏せて、的場君はそもそもこちらを見ていなかった。

誰も手を差し伸べてくれない事実に俯くと、それを肯定ととったようだ。

「ああ、応援団でも集まるんだろ?じゃ、その三十分前からの三十分間だけでいいから。それじゃあね。」

彼は難聴気味なのか、周囲の耳に騒音が入らないかのように爽やかに席を立つ。その際に私の右手にキスをした。

「そういうことだから、高島。それじゃあな。」

 そう言い残すと颯爽と立ち去った。後に残されたのは、興奮の残骸である。高島君の方を見ると、呆気に取られて絶句していた。教室の誰もが喋らない。男子は女子の鬼気迫る嫉妬を感じて。女子は私を殺してもおかしくない殺気を向けるのに夢中で。苦しい。やはり追いかけて断ろうとすると、始業のチャイムが鳴って新田先生がお入りになられた。

「ほら、皆、何馬鹿みたいにつっ立ってんだ。授業を始めるぞ。おい、白木。どこに行く?」

 教室を出ようとする私を押し返して、先生がおっしゃる。

「離して、離してください!彼の元に行かせてください。」

「何よ、一回デートに誘われたくらいでもう彼女面?」

「違うわ!」

「落ち着かんか!」

 新田先生が私の頬を張ると、意識が遠くなって床へ崩れ落ちた。

 

まどろみの中で、自分が柔らかい布に包まれていることを自覚した。意識があった最後の記憶は固い床の冷ややかさだったので意外に思ったのだが、目を開けると理由が分かった。白いシーツに夕日が差し込んだ橙色の布団に包まっていたからだ。蛇腹で区切られているのを見るに、保健室である。蛇腹に影が映っているので誰かいるらしい。汗だくの額を袖で拭ってそれを開けると、参考書に向かう的場君がいた。保健委員の証である、生徒用の白衣を着て、眼鏡を神経質そうに何度も直している。

「的場君。」

 声をかけると振り向いて、参考書にしおりを挟んだ。

「起きた?もう夕方だ。」

「もしかして、運んでくれたの?保健室まで。」

「まさか。白木さんを抱えられるほどの筋力は無いよ。高島だよ。運んだの。」

「高島君、何か言ってた?」

「何も。ずっと黙ってたよ。休み時間の度に、君の元へ来ていたよ。」

「そう……。心配かけちゃったな。」

「ああ、これを渡してって。」

 的場君は右ポケットから紙きれを取り出した。受け取って見ると、茅根高校野球場への整理券である。高島君達の練習試合のものだ。日付は土曜日の明日になっていた。

「心配に対する恩返しをしたいのなら、観に行ってやったらいい。」

「ありがとう。そうする。」

 再び参考書に目を落としたのを見はからって、彼の白衣姿を目に収めた。

「似合ってるね、白衣。」

「そう?」

「医者って、感じで。」

「はあ。」

「一生懸命勉強してるのは、そういうこと?」

「どういうこと?」

「だから、的場君は医者にでもなるのかなって。」

 的場君は空を見た。

「なるよ、俺は。医者に。」

 例えば、こういうのもいいかもしれない。小さな町の診療所。彼が医者で私が看護師。そこにくる、子供やお年寄りの健康を祈りながら、静かに生きていく。趣味で私は的場君のためだけにピアノを弾いて、その横で彼が本を読んでいる。こんな一生も。

「金のためにね。」

 彼の言葉は私の妄想を打ち砕いた。

「えっえっ、お金のために医者になるの?」

「俺はそうだよ。金に困らないために医者になるんだ。……なんだよ、最低とでも言いたいのか?」

「ち、違うけど。」

 彼は、バンと机を力強く叩いた後、何かを飲み込むようにしきりに視線を漂わせ、嘆息をつく。

「すまない。」

「う、うん。」

 話題を変えた方がいいのかも知れない。

「あのさ……応援団は?」

「応援歌の練習をして、帰ったよ……そうだ、これを。」

 今度は左ポケットからレコーダーを取り出した。今朝、彼に渡したままだった。返す弾みでスイッチが入り、小さなスピーカーから音楽が鳴る。

「……良い歌だよな、この曲。性欲溢れてて。替え歌の前の元歌は俺、意外と好きになったよ。」

 シーツを右手でいじりながら彼に伺いを立てる。

「あのさ……今朝も言ったんだけど、できればオリジナルの曲で勝負したいんだけど。」

「無理に決まってるだろ!今、言ったよね、練習始めたって!」

「ごめんなさい……。」

「やめろよ、俺が悪者みたいになるだろ!面倒なことを引き起こして、俺から勉強する時間を奪わないでくれ。」

 的場君は髪を掻き毟り、立ち上がる。こんな人だったっけ。

「でも、オリジナルで勝負したいの。私、将来作詞作曲家になりたいから!」

「無理だよ。」

「無理じゃない!なんで!」

「だって、白木さん。君はさ、今朝本当は人の曲を自分のものだと偽って出そうとしたんだろ?細かいところをちょっとだけ変えて。」

「え、私が人の曲をパクッたって言いたいの?」

「違うの?」

「違う……。ちょっと自分でも知らないうちに影響を受けてただけ。」

「そんなに影響を受けやすい人が、なれないよ。」

 私は的場君の頬を張った。

「いいさ。好きなだけ殴ってくれ。俺は慣れてる。気絶なんてしないさ。」

「最低。」

「いいよ。最低で。自分の夢があるのに異性の一言にいちいち心が揺れて、どっちつかずな態度を取って、やらなきゃいけないことがあるのに恋愛なんかに現を抜かす、君に言われたところで傷つかない。」

 目の奥が熱くなって、慟哭が抑えきれなかった。

「泣けば良いと思ってる。」

「思ってない!」

「思ってなければ泣けないよ。俺は頬が痛いのに泣けないんだ。」

 的場君は、参考書を鞄に詰めて、保健室を出る。

「白木さん。僕は君が嫌いだよ。」

 そうして彼の姿が見えなくなった。

教室までの帰り道、一歩一歩が足の裏を突き刺されるように辛い。肌が粟立ち、震えるほどの胸の動悸が酷くて手すりを掴んで歩いて行く。何で自分が、自分だけがこんな目に遭わなければならないんだ。壊せるものが周囲に見つからないので、何度も右手で太ももを殴った。

ようやく辿り着いた教室には誰もいなかった。私の机は倒れていて中身が散らばっている。美香だろうか。いや、きっと真田君のファンの仕業だろうが証拠がない。今朝買って着てきた雨合羽は、刃物か何かでバラバラに刻まれており、教科書の上に振り掛けられている。私は膝から崩れ落ち、両手を地につけて号泣する。細かくなった雨合羽の上にいくつもの水滴が降り注ぎ、そして弾かれた。頭の中では応援歌に使えない程の暗い曲が流れている。それも、今までよく耳にしたアイドルの曲だった。

机の周りの残骸を集めて鞄に入れて、暗くなった夜の道を一人で歩いて行く。空は青白い雲が広がっていて、綺麗なものは何も見えなかった。ようやく家に辿り着くと、母が私を出迎える。

「どうしたのよ、こんな夜になるまで帰らなくて。心配したのよ。」

「うるさい!」

 私は母をはねのける。

「ちょっと何よ、その言い方。お母さんは心配で……。」

「構わないでって言ってるの!」

「言ってないわよ。」

「言った!」

 階段を足を踏みならして上っていく。

「……泣いてるの?」

 母の言葉に足が一瞬止まったが、再び二階に足が向く。私は部屋で鞄を下ろすと、教科書を除いて、中の、かつて私が愛する小物たちだったゴミをゴミ箱に捨てる。最後に一枚の紙切れがゴミ箱の上に覆い被さった。

作詞作曲家になるために、音楽大を受験する。

 私は紙に書いてある言葉を口の中で呟き、シャープペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶす。それから消しゴムで消して、また塗りつぶす。もとの字の筆圧が搔き消えるまで。最後に消して白く戻すと鞄に入れて、着替えもせずにベッドに倒れた。

 携帯が鳴る。どうやってアドレスを知ったのだろう、真田君からだ。

「白木さん。大丈夫?元気になった?あれから倒れたって聞いたから、心配になってアドレスを調べた。ごめんなさい。明日の試合、高島が頑張るけど俺も出るからさ、観に来てくれよ。元気が出るような試合を絶対するからさ。整理券を持って待ってるよ。」

 事の始まりは彼のせいだったけれど、彼を取り巻く女達が悪いのであって、彼自身を憎むことは出来ない。むしろ高島君と違って、アドレスを調べてまで心配のメールを送ってくれる温かさに触れて嗚咽した。

「心配ありがとう。整理券は高島君から貰ったから大丈夫だよ。」

 自分が明日野球を観に行く気持ちになれるか分からず、一度、行けたら行くからと文字を打った。けれど思いなおして

「遅れてでも、きっと行くから。」

とメールを締めて送った。

 階下のリビングからは、性欲溢れる曲が聞こえてくる。

「うるさい!」

 ベッドを強く足で踏みならして叫ぶ。音量が小さくなるのに伴って、私の意識も小さく消えていった。






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