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第七章 第九話「魔女の使命」

 話を聞いた陽太は、驚きのあまり言葉を失っていた。

 まさか魔女も人族だったとは思いもしなかったから。


「こっちへ来て何もかもが変わってしまいんしたが、時折思い出しんす。あの華やかであった街を……道中を歩く姿に憧れた頃もありんした。……けれど、人と人はずっと争っておったのう。どこの世も戦だらけじゃ。悲しいことでありんす」


「……その頃のような戦は、もうないですよ。みんな……平和に暮らしてる」

「ほんにかえ! 武力以外の方法で世界を平和にすることができるのかや?」


「わかりません……核抑止論と言って、国家同士がお互いに恐ろしい兵器を持つことで、なんとか均衡が保たれているだけという人もいます。戦争終結から次の戦争開始までの時間なだけだと……」


「やはり、それしか方法はありあせんしょう。強大な抑止力が必要なのじゃ。だから戦争を発起される前に――」

「……その都度その都度殺し続けるって言うんですか! いつまでもいつまでも……」

「わっちは……」


 彼女は答えられなかった。

 そう、この平和は、ずっと自分という抑止力が存在していないと維持できないから。

 自分が死んだ時、結局は終焉を迎える。

 だから殺せばいいという問題ではないことも心の隅では分かっていた。

 仮初めの世界平和だということも。

 だからこうして、咎められても仕方がないのだと。

 すると陽太が呟く。


「……辛いです」


「――辛い?」


 魔女にとってそんな感情は忘れた。

 ここへ来るときに置いてきた。


「辛すぎます……姐さんただ一人に背負わせるなんて」

「なっ……わっちの心配をしておるのか」


「……俺だけでも姐さんの味方でいさせてください」

「何を言っておりんすかえ」

「たとえ友への裏切りとなろうとも、俺は貴女の…………貴女の支えになりたい」


「……わっちは強い心をもらっていんす。誰に何を言われても、何をされても動じない。一人で幽閉されていても寂しくない。支えになりたいとか言われても、必要ない。――わっちは誰よりも、強い女でありんすえ? ぬしのような弱い男が何を言って――」

「姐さん……」

「――これは、なんじゃ……」


 魔女の目からは涙がポロリと零れ出ていた。


「なんじゃ、この涙は。この胸の奥から込み上げる、締め付けられるような感情はなんなのじゃ……」


 支えになりたい。

 果たして今まで、彼女にそんな言葉をかけた者がいただろうか。

 もし、彼女に添い遂げられるような男がいたら、また違った人生であったかもしれない。

 守りたいものがあれば、それは強さにも変わるのだと。

 強さには、愛情からくるものもあるのだと。

 陽太は彼女にそれを見せてあげたいと思った。



「俺に……やらせてください」

「……」


「もう、よいのじゃ。もう誰かが犠牲になる世の中は止めじゃ。ぬしはぬしの世界へ――」

「帰りませんから」


「何をおっせえす……わっちゃ、ぬしを――」

「俺は犠牲になんてなりませんよ」


「――犠牲になんてならない。俺のやり方で平和にしてみせる」



「みんな俺が幸せにしてみせる。アメリアもルナもハリルも、そして貴女も」


「ぬし……」


 魔女の目からは涙が流れ続けていた。

 ぽろぽろとひとりでに零れ落ちる。

 拭いても拭いても止まらない。


「……おかしいの。何百年も泣かずにきんしたのに」


 いや、何百年もかけて貯めてきただけだったのかもしれない。

 そんな水の入った桶を、陽太がひっくり返してしまった。

 魔法ではない何かで。



「それで……よいのかえ」


「はい」



「わかった……じゃが、辛くなったらいつでも投げ出して構わんからの。ぬしにはその権利がありんす」


「……はい」


 そして魔女は何か吹っ切れたような笑顔で陽太に言い放つ。


「ではぬしに、素敵な魔法をかけてあげんす。わっちからの卒業祝いじゃ」

「なんですか?」


「最上級魔法以外使えんその束縛を、解いてやる」

「えっ……じゃあディスペルとかも覚えられるようになるってこと?」

「うむ。使い方はぬし次第じゃ」

「やった! それはありがたいです! 魔法、教えてくださいね!」


 その言葉に魔女の返答はなかった。


「……では――」


 鎌を天高く掲げ、目をつぶりながら詠唱を開始する魔女。


「万象を支配せし摂理のアルケ―よ、我らを束縛せし鎖より今解き放て……!!」


 すると陽太は螺旋状の魔法陣に包まれ、体中から湧き出る気のようなものを感じる。


「体が……熱い!!」


 それと共に、魔女の体に刻まれた紋章が、一つ、また一つと消えていく。

 その状況を見た陽太が驚きながら声を上げる。


「えっ、もしかして……究極魔法じゃないですよね!?」

「これでぬしのかせは外れた……これでいろんな魔法を覚えられんすえ……」

「それより、代償は!? 大丈夫なんですか!?」


「……わっちゃあさっき、ぬしに世界を見てもらいたかったと言いんしたが、ありゃあ嘘じゃ。今、わかりんした。どうやら、わっちが見てもらいたかったのは……わっちの最期じゃ」


 魔女の体が光りだす。

 そして体が透けていく。


「まさか……究極の代償って……」

「……術者の肉体でありんす。ああ、わっちもやっと解放されんすえ」


 そう言って両手を広げ、にっこりとほほ笑む魔女。


「そんな……!!」

「……でも、なぜでありんしょう……やっと死ねるというのに。もう少し、もう少し生きたいと思うてしまいんす……ぬしのせいじゃからの……このとんちきが」


 魔女は陽太を睨み、ほっぺを膨らませる。

 当の陽太は、突然の別れに何が何だかわからず呆然と立ち尽くしている。


「この先、過酷な運命が待ち受けているかもしれんが、ぬしは負けんでくりゃれ、強く生きてくりゃれ」


「そんな、俺どうすれば……!」

「どうしたいかは、ぬしが決めればよい。ぬしはぬしを信じよ」

「信じる……ったって……」

「わっちは結局、武力でしか道は開けんかった。ぬしなら、また違う道を見つけられるかも知りんせん。この地に、あたたかい風を吹かせてくりゃれ」


「嫌っすよ……もっと怒ってください! ほら、ののしってください! 嫌われててもいいから……何でもするから……ずっと……ずっと、傍にいてくださいよ……!」


「ふふふ……ぬしや。やっとわっちから解放されんすよ、喜びなんし」

「解放って……なんですか! いなく……ならないでくださいよ……」


「こんな運命……一人でやっていけないです……俺一人じゃ……何も決められないですよ!」


 すると、ふわりと陽太の首に消えかけの手を回し、そっと包み込むように抱きしめる魔女。


「……大丈夫、わっちゃ、いつも傍におりんす。ぬしのそばに――」


 そう言った直後、魔女の体は泡のように消えていった。

 陽太の頭の中に響く彼女の声。


『……出逢えて良かった。ありがとう……陽太』



「姐さん……!?」


 宙を掴もうとする陽太。

 そこにもう、魔女はいない。


 ぽろぽろと流れていた涙は、やがて嗚咽に変わる。


 両手をつき、むせび泣く陽太。

 誰はばかることなく大声で泣いた。



 ――カランカラン。


 魔女の姿は消え、鎌だけが地面に落ちてくる。

 その音が誰もいない神殿の屋上に虚しく響き、いつまでも陽太の胸を締め付けた――

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