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チャプター 07:「契約」

チャプター 07:「契約」





『しかしまあ…………君も熱心だな』

 電話の向こうで呆れた声を漏らすのは、チクチレコードの社長、菊池暁人だった。

「申し訳ありません」

 電話を耳に当てながら、久人は誠心誠意謝罪する。それを聞いた菊池社長は、電話口で

大きな笑い声を発した。

『はっはっは! いいよいいよ。少しリフレッシュしてもらいたくてああ言っただけさ。

俺なんかの言葉を大人しくきくような男じゃないだろう?』

「そ、そんな…………そんなつもりは」

 恐縮する久人に、菊池社長は慌ててフォローする。

『いやいや、そういう事を言いたいんじゃないよ。内藤君は本当に情熱的だ。今時、こん

なにも一生懸命仕事をしている男なんて、そう居ないよ。かっこいいじゃないか』

 何と返せばいいのか迷った結果、久人は静かに謝意を伝えた。

『まあ、いいさ。ところで…………勧誘した子は君の妹さんも入ってるってのは、冗談じ

ゃないのか?』

「はい、本当です。俺もまさか、あれだけ見ていた動画の相手が実の妹なんて、夢にも思

いませんでした。社長の言葉が現実になって、正直驚いてます」

 受話器から、菊池社長の嬉しそうな様子が音となって伝わってくる。

『はは…………不思議なもので、さ。時に、運命としか言い表せないような事が起きるも

のさ。人の縁なんて、その最たるものなんじゃないかな。ああ…………そうそう』

 電話口から物を探す音が聞こえ、新しい話を始めようとしているらしい菊池社長の言葉

を待つ。

『ああ、あったあった。未成年の登録に必要な書類なんだが、何時取りに来るんだい? 

俺としては、できれば休暇中に働いて欲しくないんだがね。内藤君の事だから、直ぐにで

も契約して動き出したい所なんじゃないのかい?』

 社長の気遣いに、久人は気まずさを感じた。

 何故ならば。

「社長。本当に申し訳ありません。実は、相手が未成年であると判っておりましたので、

その手の契約書は一式持っておりまして…………」

 菊池社長が驚いたのも束の間。受話器から、大きな笑い声が放たれた。

『あっははははは! 内藤君、君という奴は! これはもう…………流石と言っておこう

か』

 久人が次に発する情報を頭の中で整理している間に、菊池社長が口を開いた。

『それじゃあ、もしかして。もう、親御さんに挨拶を?』

 久人は電話を耳に当てながら、首を小さく縦に振る。

「はい。俺の妹の…………魅音は直ぐに終わりました。親父もお袋も、かなり乗り気でし

たから。そして、二人目のエリカ・マクファーレン。この子の親御さんも快諾してくれま

して」

『ちょっと待ってくれ。まさかとは思うが、その子』

 驚く菊池社長に、久人は得意気に応える。

「そのまさか、ですよ。あの天才アンプビルダー、ジェイソン・マクファーレンの娘さん

です。俺も、お目にかかれて本当に感動しましたよ。今思えば失礼だったんですが、咄嗟

に握手を求めてしまって」

『そりゃあそうだ。俺だって多分…………同じ事をするだろう。クソッ! 羨ましいじゃ

ないか!』

 冗談交じりに妬みの台詞を発する社長に、久人は子供のように笑む。

「二人の書類に不備はありませんので、残りあと二人の親御さんに挨拶を」

『そうだな。内藤君の事だから、心配はしていないがね? くれぐれも、失礼のないよう

にな』

「気をつけます。それでは、失礼します」

 社長の短い応答の後、久人は携帯電話のボタンを押し、通話を終了する。

 もたれかかっていた自室の椅子から立ち上がると、ベッドの横に置かれた鞄の中からい

くつかの組になった書類を取り出した。

 愛着のスーツが乱れていないか簡単に確認すると、部屋に掛けられた時計へ目を向ける。

「お兄ちゃん。もう準備、できてる?」

 久人は、扉の向こうから聞こえた妹の声へ応答し、鞄を持って扉を開ける。

 妹の魅音と、視線が交わる。

「お、おはようございます」

「ああ、おはよう。うん?」

 魅音の身だしなみを見るに、同行するらしい事を察した久人は首を傾げた。

「どうしたんだ? 今日は、柚姫ちゃんのご両親に挨拶するだけだぞ? 俺一人でも」

 魅音がはにかむ。

「柚姫ちゃんが、ね。皆と一緒に居たい、って。彼女のお母さんが、ちょっと厳しい人だ

から」

「そ、そうか。わかった。俺も心強いよ」

 魅音からもたらされた両親の情報に感謝すると同時に、聞かないほうが良かったのでは

なかと、久人はたじろいだ。

 それでも、久人の意思を曲げる事はできなかった。魅音を舞台へ連れて行く事が最終的

な目標であり、その過程で必要な事ならば、何でもやってやろうと意気込んでいた。

「よし、出ようか」

「うん! それなら、私が案内しようか?」

 魅音の提案に、笑顔で頷く。

「お父さん、お母さん、行ってきます」

 魅音が元気一杯に声を発すると、リビングから両親が小さく手を振る。久人もそれに倣

い、父と母に、手を挙げ挨拶した。

 自宅を出発した魅音は、最寄り駅へ向けて歩き始めた。久人も、先行するナビゲーター

の半歩後ろを黙って歩いた。

「な、なあ魅――」

 歩き始めて数分、何か話題を振ろうとした久人だが、覗いた妹の横顔に、口を噤む。深

刻な表情で歩く魅音の様子から、久人はその日の交渉が容易ではない事を直ぐに察し、思

考を巡らせる。

 音楽家を志す人間達にとって、反対される理由は幾らでもある。

 将来性や労働環境は、一般企業への就職に比べ悪いと言わざるを得ない。単純な実力だ

けでなく、その時代の流行や運まで味方につけて、初めて成功できる世界。

 冷静に考えられる思考を持つ親ならば、不確かなショウビジネスに我が子を送り込もう

とは思わない。エリカや魅音は、極めて稀なケースである。

「ここが、柚姫ちゃんのお家」

 口を閉ざしたまま歩いていた魅音にあわせ、無言で思考していた久人だが、かけられた

声に視線を持ち上げる。

 そこには、映画で見るような黒い鉄格子の門が立っていた。格子の隙間からは、真っ白

な石造りの屋敷が見え、その手前には、手入れの行き届いた青い芝生がびっしりと敷き詰

められている。

 まごうことなき豪邸である。

「こ、こんな所に住んでたのか」

「うん。それじゃあ、押すね」

 魅音がインターホンを指差し、尋ねると、久人は無言で頷いた。魅音から視線を外した

一瞬に、藤堂、と彫られた表札が目に入る。

『…………はい?』

 呼び出し音の後に、インターホンのマイクから聞こえてきたのは、大人の女性の声だっ

た。口を開きかける魅音を手で制止し、カメラらしいレンズが見えている場所へ、久人が

一歩進み出る。

「どうも、初めまして。私、キクチレコードから参りました、内藤久人と申します。この

度は――」

『ああ。柚姫から話は聞いています。どうぞお上がりください』

 スムーズな進行とは裏腹に、インターホンは乱暴に切れる。そして、自動らしい鉄格子

の門がゆっくりと開いた。

「よし、行こうか」

 深呼吸の後、視線を向けた魅音は、言葉無く頷いた。久人と魅音が、正面玄関へ向かう。

 扉に手を掛ける前に、片開きのドアが開き、中から、白いスーツを着こなした女性が顔

を出す。

 久人と目が合った女性は、まるでそれが作り笑いですと言わんばかりの冷たい笑みを浮

かべ、手で廊下を指し示す。

「いらっしゃいませ。どうぞ、中に」

「は、はい。お邪魔、します」

 久人に続き、魅音も頭を下げながら、玄関へ入る。脱いだ靴を手早く揃えた後、二人揃

って女性の後へ続く。

 久人が通されたのは、応接室らしい広い部屋だった。マホガニー材の木目が美しい家具

に囲まれた、暖かな部屋である。

 その中央に置かれていたのは、いくつかのソファと、ローテーブル。よく見ると、そこ

には既に人が腰掛けていた。

 閑葉とエリカ。そして、それに挟まれるように腰掛ける、柚姫だった。

「どうぞ? お掛けになって下さい」

 柚姫の母親らしき女性に促され、久人もソファへ腰掛ける。女性の言い回しは丁寧では

あるものの、その声色は酷く冷淡だった。

 しかし久人も、この程度の空気で怖気づくような仕事はしてきていない。気を取り直し、

相手を真っ直ぐ見る。

「突然の訪問にもかかわらず、お忙しい所、時間を作っていただき大変嬉しく思っており

ます。先ずは、こちらの――」

 名刺を差し出す久人を、柚姫の母は右手で制した。

「回りくどいお話は止めましょう。娘からは聞いておりますが、確認の為、もう一度ご用

件をお聞かせください」

 冷淡に続ける柚姫の母を前に、久人は本題を切り出した。

「本日は、藤堂柚姫さんの音楽活動について、ご両親の許可を頂きたく、お伺いした次第

です」

 慎重に言葉を選びながら、相手に不快感を与えないよう、細心の注意を払う。

「…………聞いていた通りですね。貴方はレコード会社のスカウトマンで、うちの子、柚

姫と契約を結びたい、と」

「はい」

 柚姫の母、冷淡な雰囲気を崩さないまま微笑する。

「許可できません。音楽の世界は、貴方の考えるように甘くはありませんよ? その上、

ロックなど。品位の欠片もない、下品極まる音楽です」

 自らの愛するモノを汚され、頭に血が上るも、久人はそれを微塵も表情に漏らさず、冷

静を保つ。

「……彼女達は才能があります。それを磨かないのは、本当に惜しい事だと、私は考えて

います。どうか、お考えを――」

「駄目です。そんなものより、柚姫にはやるべき事が沢山ありますよ? 勉学に励み、き

ちんとした人間関係を築き、女としての能力を高めなければなりません。ようやく家から

出るようになったものを…………音楽に熱中して、家に篭られてはたまらないわ」

 久人の左手に腰掛ける少女が、怒りに身を震わせていた。

「おばさま! ここまで元気になれたのも、音楽を始めたからなんですよ? 新しい世界

に飛び込めば、きっと柚姫は――」

 穏やかであった柚姫の母の視線が、刃物のように鋭く光る。

 睨まれていたのは、声を荒げていたエリカだった。

「エリカちゃん……私はね。貴女も快く思っていないんですよ? 柚姫を誘惑し、このよ

うな世界に引きずり込んだ張本人なんですからね。あの人の言いつけさえなければ、貴女

を家に入れる事などあり得ません」

「そ、んな…………」

 気の強い人間は、得てして打たれ弱い。エリカも例外ではなく、突然宣告された自分へ

の敵意に、どのように対応すれば良いのか困惑した様子だった。

 しかし、それが友人への思いやりの結果であるのか、エリカは反論を選択する。

「おばさま。今は…………私の事は嫌っていただいて結構です! でも! 柚姫の頑張り

まで否定しないで下さい!」

 柚姫の母は、エリカの言葉を鼻で笑う。

「勿論、正しい努力は大歓迎です。しかし、何の役にも立たない事に精を出された所で、

親は評価のしようがありません。軽音楽が、柚姫の将来にどんなメリットを与えてくれる

というの? 〝技能〟は評価しましょう。しかし〝芸能〟は無意味です」

 無意味だと言い放つ柚姫の母に、流石の久人も、怒りを抑える理性が綻びはじめる。

 言い返してやろうと大きく息を吸うが、彼の言葉を止めたのは、エリカの手を握る柚姫

だった。

「お母さん。お父さんに、電話、して」

「…………なんですって?」

 余裕を持った態度を取り続けていた柚姫の母に、初めて動揺が現れた。

「柚姫もわかっているでしょう? あの人はとても忙しいの。だから」

「電話、して」

 肩と声を震わせながら、柚姫はもう一度訴えた。柚姫母が、更に顔をしかめる。

「なりません。今は大切な時期だと、貴女だって――」

 母が言いかけた言葉を噤む。埒があかないと判断したのか、柚姫は自分のワンピースか

ら携帯端末を取り出し、どこかに電話を掛け始めたのである。

 それを目にした柚姫の母も、諦めた様子でその光景を静観していた。

「あ…………もしもし、お父さん?」

 久人の耳に、相手の声はよく聞こえなかったが、それが男の声である事から、彼女の父

である事は容易に想像がついた。

「うん…………忙しいのに、ごめんなさい。…………うん……………………うん、そう。

だから私…………皆と、もっと音楽をやりたい」

 会話のやり取りは久人に聞き取れなかったが、柚姫の父は事情を知っているらしく、彼

女の少ない言葉で状況を理解している様子である。

 静まった室内で、全員が相手の返答を待つ。

「うん………………うん、わかった」

 もう一つ頷いた柚姫は、自分の携帯電話を母親に差し出した。

「お母さんに代わって、って」

 目を伏せ、眉をひそめながらそれを受け取った柚姫の母は、通話を始めた。

「はい……はい………………えっ?」

 驚いた様子の柚姫の母に、一同の視線が集中する。

「で、でも! それならあなたが………………はい…………わ、わかりました。それでは

失礼致します」

 持ち主の断りなく通話を切った柚姫の母は、不快感を隠そうともせず、久人を睨みつけ

る。

「柚姫を、貴方の会社にやってくれ(・・・・・)と。納得が行きませんが…………あの

人の言いつけならば仕方がないわ。同意書と関連書類を出してください」

 藤堂家を訪問して初めて、久人は心から笑顔になる。その嬉しさは、バンドのメンバー

全員に苦笑される程だった。

「あ、ありがとうございます! こちらに、なります!」

 久人が両手で差し出した書類に、柚姫の母は慣れた手つきで必要事項を記入する。

 そして、全て書き終えた書類を久人の前に滑らせつつ、激しく睨む。

「勘違いしないで頂戴。私は、貴方を認めておりません。もしも柚姫に何かあったら……

……貴方を死ぬより辛い目にあわせますから」

 冗談交じりに微笑する柚姫の母。しかし、久人と視線が合う彼女は、目が笑っていなか

った。

 しかし、久人はそれに動じない。

「肝に、命じておきます」

 この日、久人は無事に三人目のメンバーを獲得した。





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