表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/21

チャプター 06:「炎の化身」

チャプター 06:「炎の化身」





「ちょっと早く…………来すぎちまったかな」

 久人が頭を掻きながら呟いた場所は、商店街の楽器店前。扉を開いて店内へ入り、暇つ

ぶしにと雑誌の並ぶコーナーへと足を向ける。

 魅音たちのバンド〝アロイ〟の演奏を聴いてから4日。久人は、先日の演奏で不在であ

ったメンバーを含めた四人での演奏が聴けると伝えられ、待ち合わせ場所の楽器店へやっ

てきたのである。

 先日のように駅前の公園でないのは、エリカが食事をしてから演奏したいと希望した為

である。初対面時の印象が尾を引いているのか、未だ久人は警戒されていた。

「はあ…………気にしないで、って言われてもな」

 並べられた音楽雑誌を眺めながら、ぽつりと呟く。友人と兄の関係が悪い事を気にした

魅音が、久人を気遣っての言葉である。妹にまで人間関係をフォローされている事に情け

なさを感じつつ、それを誤魔化す為に一層深くため息を吐いた。

「おっと。すみません」

 狭い店内で、背後に人が立っている事に気がつき、久人は慌ててその場を退いた。

「ほお…………」

 ふと、振り向いて目にした横顔に、久人は思わず感嘆の吐息を洩らす。

 そこに立っていたのは、美しいと形容して差し支えない少女だった。リムレスの眼鏡を

掛け、フレームから垣間見える瞳は、伏目気味で憂いを漂わせる。

 身につける洋服は派手でも地味でもない、中庸なものだが、肌の見える七分丈のシャツ

や、体のラインが露になるストレッチパンツを履きこなしている所から、少なくとも、他

人に見られることに抵抗はないのだろうと久人は推考する。

「あの。不躾ですみません」

「…………はい」

 久人の声に返されたのは、淡白な声。抑揚は無いが、しかしそれに嫌味は無く、また冷

たいわけでもない。大人びてはいないものの、その声や立ち振る舞いは上品だった。

「えっと…………楽器、好きなんですか?」

 少女は目を伏せ、小さく頷いた。

「はい。好きです」

 久人は背負っているソフトケースから、彼女がギターを弾いているとは予想できていた。

しかし、品の良い声から滲み出るのは、嬉の感情。それは、本心からそうであると感じさ

せるに十分な情報であり、音楽好きである久人を喜ばせるのに、十分な情報だった。

「…………あ、ああ。突然すみません。俺もエレキギターを弾いてた事があったので。同

じ楽器が好きな人を見ると、つい嬉しくなっちゃって」

「そう、だったんですか」

 微笑する少女に、久人も微笑する。

 そしてそれ以降、久人はどのように話を展開すれば良いのか、言葉に詰まった。スカウ

トマンはコミュニケーション能力が高くなければ勤まらない仕事ではあるが、元々ミュー

ジシャンは明るい人間が多く、久人から種を撒けば直ぐに話が膨らんでいたのである。

 今までに話したことのないタイプの人間に声を掛けてしまった事に、今更気まずさを感

じ、若い女子の好みそうな話題を考える。

 一方少女は、何かに気がつき、久人に半歩近づくと、その匂いを嗅ぐ。

「もしかして。貴方が、内藤さんの?」

 苗字を言い当てられた事で、久人の脳内で散らばっていた情報が途端に連結を始める。

 楽器店に偶然居合わせる。

 エレキギターを背負っている。

 年齢的には高校生でもおかしくない。

「もしかして…………アロイの?」

「はい。長谷川、閑葉です」

 名前を名乗った少女、長谷川閑葉は、久人に向けて深く頭を下げる。それにつられてか、

久人も同じように頭を下げた。

 数秒お辞儀しあっていた二人だが、このままではいつまでも動けないのではないかと可

笑しな心配を感じ、先に頭を上げる。

「そ、それにしても。随分礼儀正しくして貰っちゃって…………少し長く生きてるだけで、

俺なんて適当に接してくれていいんですよ?」

「いえ、そんな」

 それでも遠慮する閑葉に、久人は感動を覚えていた。目の前の彼女がアロイのギタリス

トであるならば、その腕は恐らく、魅音に匹敵する筈である。で、あるのにもかかわらず、

彼女は品行方正を絵に描いたような少女だった。ミュージシャンには粗暴者が多く、過度

な自信を持つ人間も少なくない。初対面で蹴られたエリカとの差に、久人は感動で涙すら

滲む。

「本当に、貴女のような人が参加してくれていて、嬉しく思います」

「あ、あの、えっと」

 久人は素直に感動して見せたが、閑葉の反応は期待とは異なるものだった。

「私も、不躾で申し訳ないのですが…………敬体ではなく常体で話して頂けませんか?

その…………私の都合で本当に申し訳ありませんが」

 久人は閑葉の申し出に首を傾げたが、笑みと共に応じた。

「うん、いいよ。長谷川さんが丁寧に話してくれるから、俺も応えなきゃって思っちゃっ

て。俺も普通に話す方が好きだからさ」

「ありがとう、ございます」

 気さくに話す久人に向け、謝意を表しながら深々と頭を下げる閑葉。フランクに接して

欲しいと言われた手前、つられる訳にも行かず、久人は逆に居心地が悪くなってきた。

 しかし、これからどのように接すれば良いか途方に暮れていたところに、助け舟が現れ

る。

「あっ、お兄ちゃんに(しず)ちゃん、お待たせ」

「お、おう。魅音か」

 手を挙げこちらに近づいてくる妹に、久人はほっと胸を撫で下ろした。仕事柄、年下の

異性と話す事に慣れているとは言っても、それは芸能活動に慣れている相手の場合である。

自分が一般高校生の少女と行える会話などたかがしれていると自覚していた久人は、魅音

の登場に感謝せざるを得ない。

「もう、上のスタジオでエリカちゃん達が準備始めてるから。私もピックを買ったら上が

るね」

「うん、私も」

 魅音と閑葉が揃って買い物を済ませ、階段を上ってゆく後を久人が追う。魅音達はここ

の常連なのか、受付には顔パスで通される。久人もその連れであると認識されているらし

く、問題なくスタジオへ入った。

「それにしても…………こんな高い場所をバンバン借りられるなんてよ。最近の女子高生

はそんなに金持ちなのか?」

 零した久人の横で、ギターのチューニングを行う魅音が苦笑する。

「エリカちゃんが、ちょっと特別で」

 魅音に言われた直後、久人が視線を向けると、そこには得意げに足を開き、腰に手を当

てたエリカが立っていた。

「ここのスタジオの楽器はね、全部ウチの会社が貸し出しているの」

「えっ? ウチの会社って……」

 スタジオを見渡すと、確かに、室内に置かれたアンプやモニタースピーカー、ドラムセ

ットまでもが同じメーカーで統一されている。そしてそれは、世界的に有名なアンプメー

カー、〝マクファーレン〟のロゴが描かれている。

「えっと…………リース業でもしてるのか?」

 久人の一言が気に入らなかったのか、エリカの眉間に皺が寄る。

「製造元よ! パパが経営してるんだから!」

「な、なにいいいいいいいいいいいいいいいいいイイイイイイイ!」

 エリカの返答に久人はひっくり返った。

「おい、おいおいおい。って事はお前…………大企業の、お嬢様?」

 膝をついて驚嘆する久人の様が気に入ったのか、エリカは意地の悪い笑みを浮かべた。

「そうよ。それと、今回は許してあげるけど、私は〝お前〟なんて名前じゃないわ。エリ

カ・マクファーレンって立派な名前があるんだから!」

「わ、わかった。エリカ、でいいか?」

 お伺いを立てるかのような久人の振る舞いに、エリカは満足げに頷いた。

「そうね。ファミリーネームを呼ばれるより、名前の方がいいわ」

 最早、これがエリカという少女のキャラクターなのであると、久人は諦観する。そして、

そんなやり取りが終わった頃、全員の演奏準備が完了した。

 バンドマスターである魅音が一歩出ると、久人に視線を向ける。

「それじゃあ…………この間と同じ曲でいい?」

「ああ、頼む」

 頷いた魅音が、全員に目配せした後、演奏を始める。

 思わず踊りだしたくなるようなカッティングが刻まれ始め、ファンキーなリズムに楽器

たちが乗って行く。

 リズム隊が完成した後、遂に四人目のメンバーが演奏に加わる。

「あっ…………」

 久人の思考が瞬時に停止する。スツールに腰掛けた久人に最も近い位置に立っていた物

静かな少女は、髪を振り乱しながらギターをかき鳴らしていたのである。閑葉のギタープ

レイは、魅音の演奏と対照的なスタイル。グルーヴ感を損なわないよう、用意されたビー

トに前後し、ノリの良さを全面的にアピールする魅音に対し、閑葉のプレイは正確の一言

である。同じカッティングでも、閑葉の音はドラムと完璧にシンクロし、ルーズな音を締

め上げる。

 そして、驚きは更に加速する。

「なんじゃ……そら…………」

 久人に間の抜けた台詞を吐かせたのは、閑葉の弾き始めたギターソロ。アメリカで有名

な、コードを鳴らす事はさほど難しくない曲ではあるが、ギターソロはかなりの高難易度

を誇る。それを閑葉は、激しいアクションを交えながらも、寸分の狂い無く引き倒してゆ

くのである。

 狂おしく身をよじり、振り乱された髪がライトに透かされ、久人にはそれがまるで、炎

を纏った音楽の化身のように見えていた。

 ギターに取り憑いた、炎の化身。

 ドラムのビートと競るように、一小節に三十二もの音を穿ち、硬質な味付けを施された

音は、バンドサウンドで一際目立っている。

 演奏はあっという間に駆け抜け、最後の一音が鳴らされた。

「ふう…………」

 サスティンを鳴らし終わり、音が止むと、閑葉が静かに息を吐いた。そこに先の魔人の

面影はなく、彼女は上品な女子高生へと戻っていた。

 魅音とエリカが、今の演奏は良かったと話す中、久人は突如、閑葉の前に両膝をついた。

 そして手を床につき、頭を下げる。

「お願いします! 俺の会社に、キクチレコードに来てください!」

 突然の土下座に、アロイの面々は驚きの表情を浮かべる。エリカだけは、なりふり構わ

ず勧誘を行う久人に引いている様子だった。

「あ、あのっ。顔を、上げてください」

 久人が頭を下げた事に最も動揺しているのは閑葉だった。頭を上げた久人と視線を合わ

せるも、それは直ぐに逸らされる。

「ここへ来る前から、答えは決まっていました。私も……音楽が大好きなんです。皆と同

じ舞台に、連れて行ってください」

 バネ仕掛けの玩具のように立ち上がった久人が、閑葉の手を握った。

「ありがとう! 本当にありがとう!」

 目を輝かせ、閑葉に感謝する久人。その背後で、手を握った事に喚くエリカ。

 その日から、アロイと久人の挑戦が始まった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ