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チャプター 05:「遭遇その二」

チャプター 05:「遭遇その二」





 強烈な太陽光が降り注ぐ駅前の広場で、久人は隣に立つ魅音へ笑いかけた。

「まさか、こんなに早く顔合わせできるなんて思わなかったよ」

「うん。何だか、ベースの子が凄く乗り気になっちゃって」

 苦笑する魅音を眺めながら、久人は内心、そのベーシストに感謝した。

 一瞬の沈黙の後、久人が抱いた疑問が口をついて出る。

「ところで、どうしてこんな所で待ち合わせてるんだ? いつもなのか?」

 久人の問いに、魅音は小さく、二度頷いた。

「その、ベースの子…………エリカちゃんが、外食が大好きで。セッションする時は、決

まってご飯を食べてからなの。おいしいご飯を食べないと元気が出ない、って。でも、そ

の日の気分でお店が変わるから、私や他のメンバーを案内する為に、いつもここで待ち合

わせてるのよ」

「へえ。元気な子なんだな。それに、どことなく欧州人っぽい名前だよな」

 久人の意見に、魅音が目を輝かせた。

「そうなの。エリカちゃんのご両親がイギリス生まれでね? 彼女も凄く可愛くて。青い

瞳に綺麗な金髪で…………羨ましい」

「へえ…………楽しみだな」

 口ではそう言いながら、久人の脳裏には不安が渦巻き始めていた。エリカという名前、

金髪、碧眼という特徴から、先日のハイキック娘を連想する。思い返せば、その少女が身

につけていた制服は、自身の母校であり、魅音の通う学校のものだった。

 しかし、そんな偶然はそう起きないだろうと、久人は苦笑した。

「はは…………まさか……な…………」

 楽観した久人の思考は、遠方でこちらへ手を振る金髪の少女と目が合った瞬間粉々に砕

け散った。

 ホットパンツと白いシャツを身につけるその少女は、先日暴行されたあの金髪を靡かせ

る。背丈と不釣合いなベースのソフトケースを背負っている事や、魅音へ手を振っていた

事から、それがバンドメンバーである事はほぼ確定的である。

 お互いに見合いながらも、エリカがゆっくりと距離を詰めてくる。想像していた雰囲気

と違うのか、魅音は訝しげな様子で久人とエリカを交互に見る。

「ちょっと魅音。アンタこいつと知り合いだったの?」

 敵意をむき出しにして問うエリカに、魅音は困惑した様子である。エリカの背後に隠れ

ていた柚姫も、魅音と同じような様子である。

「えっと…………私のお兄ちゃんで、今日紹介しようと思ってたレコード会社の人」

 魅音の説明に、エリカは呆れた様子で右掌を返した。

「はあ?! この変態がそうだったの? うわっ…………信じられない」

 粘りつくような視線で観察される久人も、あまりの言われ方に腹を立てていた。

「ちょっと待てよ。怪我しないように支えただけで変態とはどういう事なんだ。それは確

かに、断りなく触った事は悪いと思うが……」

 久人の選んだ言葉に問題があったのか、エリカの目が鋭さを増す。

「よくもヌケヌケとそんな言い訳を…………どうせ、柚姫が大人しそうだから狙ったんで

しょ?! このぺドフィリア!」

 我慢強い事を自負していた久人だが、あまりに理不尽な言いがかりに堪忍袋を留めた理

性が綻ぶ。

「言わせておけば――」

 しかし、その怒りを一瞬にして冷ましたのは、涙を溜めた瞳でエリカの袖を掴む柚姫だ

った。彼女も髪型はそのままだったが、身につけるのは、淡い柄物のワンピース。その容

姿はさながら、御伽噺に出てくる幼いお姫様のようだ、と久人は思った。

「もう…………やめ……てよ…………」

 ただでさえ小さな声がかすれ、僅かに震える肩。久人を睨んでいたエリカも、背後から

の声に怒りをおさめた様子である。

 場の空気は、一瞬にして沈静化された。

「…………と、とにかく! 私はアンタを信用できない。今日は何処かの貸しスタジオに

しましょう。魅音には悪いけど、私はこの男をあそこへ入れたくないの。柚姫も…………

それでいいわね?」

 問われた柚姫が、青髪を揺らし、何度も頷く。

「うん。うん…………だからもう、喧嘩…………しな、い……で…………」

 懇願する柚姫には弱いのか、エリカは宥めるように掌を差し出した。

「あーわかったわかった! 魅音、行こっか」

 困惑した様子で黙って頷いた魅音だが、何かに気がついたのか、足を止め小さく手を挙

げる。

「ちょ、ちょっと待って。今日は、ご飯食べないの?」

 それが自身に対する質問だと気がついたのか、歩き出していたエリカが立ち止まり、振

り返った。

「今日は演奏してからにしましょう。アンタには悪いけど、私はまだそいつを信用してな

いんだから。一緒に食事なんて御免よ」

 魅音を見ていたエリカだが、何かを言いたそうな柚姫に目を向けた。その目が、僅かに

優しさを帯びる。

「いいの。スティックくらい、スタジオに売ってるでしょ? いつもの所なら、アンタの

好きな細い奴もある筈だから」

「うん」

 短く返答した柚姫が、先行するエリカへ続く。そして、何気なく魅音へ視線を向けた久

人は、相手も同じように自分を見返してきた事に苦笑した。

 合っていた視線を前方へ向けると、振り返りもせず進んでゆくエリカへ追従する。

「ああ。やっぱりここなのか」

「うん」

 呟いた久人に、魅音は短く頷いた。

 四人が到着したのは、久人の通っていた商店街の楽器店である。一階は楽器や消耗品の

販売店だが、上のフロアにはミュージックスクールや貸しスタジオなどが併設されている。

その中でも特に、貸しスタジオは多くの部屋が用意されており、学生向けの低料金スタジ

オから、たっぷりとスペースを取った高級機材の揃うリハーサルスタジオなど、全部で七

部屋。楽器店こそ田舎商店のような様子だが、用意された設備やバリエーションで老若男

女問わず利用されている人気スタジオである。

 ようやく店の前まで追いついた久人と魅音は、楽器店から出てきたエリカ、柚姫の二人

と合流する。

 久人と見合ったエリカが顔をしかめた。

「先に言っておくけど、あたし達の演奏にケチつけないでよね。ロクに弾けない奴から口

を出されるのが一番ムカつくんだから!」

 素人レベルではあるものの、自分も楽器を齧っていただけに、久人はその気持ちを理解

できた。

 だからこそ本心から、そう口にする。

「そう、だな。楽しみにしてる」

 しかし、それが正しく伝わらなかったのか、エリカは鼻で笑うと階段へ向き直る。

「ふん……行こっか」

 エリカを先頭に、一行はビル横に設けられた階段を上る。エレベーターも用意されてい

るこのビルで、あえて階段を利用するのは、自分に近づかれたくないからだろうと想像し、

久人はため息を吐いた。アーティストやアイドルに好かれたいがために仕事をしている訳

ではないが、マネジメントする相手と必要なコミュニケーションが取れない事は問題であ

る。

 明るかった幸先に陰が見え、久人は両肩を落としながら二階の床へ足をかける。

 先のカウンターでは、エリカが既に受付の男とやり取りを終えていた。

「今日もそこのAスタジオよ。柚姫、魅音。行きましょうか」

 さも当たり前のように同じフロアの部屋へ向かおうとする柚姫と魅音。

 一瞬固まった久人だが、異様な状況に三人を呼びとめる。

「お、おい! ちょっと待ってくれよ。ここのAスタジオっていったら、滅茶苦茶高いじ

ゃんかよ! もっと小さい部屋でもいいんじゃないか?」

 これは久人の気遣いであり、他人の財布を当てにしているのではないかという疑いでも

あった。Aスタジオと呼ばれるのは、施設で最も広い部屋であり、その広さは通常スタジ

オの三倍以上。そして、揃えられているドラムセットやアンプは、プロ御用達の高級機材

ばかり。更には、簡単なレコーディングもできる小部屋が併設されており、稀にプロのミ

ュージシャンが利用する事もある。そして、その利用料金も通常の三倍以上必要な高級部

屋だった。

 しかし、久人の心配を見透かしたのか、エリカが不快感を隠そうともせず、背後の久人

を睨みつけた。

「ここが空いててよかったわよ。小さい部屋の空気は悪いし、アンプも良くないし………

…あんな所、絶対に嫌よ。もう料金は先払いしてあるから、アンタもケチ臭い事考えない

でよね」

 久人は自分の思考を見透かされ、棘のある物言いに不機嫌になるが、袖を引いた妹が何

かを言いたい様子で視線を向けてきている事に気がつき、僅かに屈む。

「あ、あのね。エリカちゃん、凄く音に拘るから…………本当に音楽が好きでいい子なの。

だから、もうちょっとだけ、我慢して?」

 妹にまで窘められ、遂に情けなくなった久人は、気持ちを落ち着けるように深く深呼吸

する。

 そして、二重ドアの奥で苛立たしくこちらを見ている少女がキレないよう(・・・・・

・)、足早にスタジオ内へ入った。

「うお、広いな」

 久人は素直な感想を口にする。通常は六畳から八畳程度しかないリハーサルスタジオだ

が、この部屋はそれらに比べ三倍程度の広さがある。更に、用意されたギターやベースの

アンプは、現場でも見慣れた有名メーカーのものであり、ドラムも国産の高品質なもの。

 久人が見慣れた機材に注目しているのには理由があった。久人が高校生だった頃から、

Aスタジオは高額部屋であり、学生の身では、三人で一万円近い出費は厳しかったのであ

る。当然、入ったのは初めてであり、内部を見ることができたのも初めての経験だった。

 久人が室内を見回している間、魅音達は各パートのチューニングを行っていた。とは言

え、ギターの魅音は直ぐにチューニングを合わせ、ドラムの柚姫も、椅子に座ったままス

ティックを握り、俯いている。残るは、ベースのエリカだけだった。

「まあ、こんなものかな…………それじゃあ魅音、適当に始めちゃって」

「うん」

 一拍置き、魅音の演奏が始まった。左手で弦を消音し、右手で拍を取る。音程のない空

ピッキングの音を出しながら、魅音はドラムとベースの奏者へアイコンタクトを取る。

 そして、演奏が始まった。

「う、おおお…………」

 それは、久人がよく知り、先日魅音が聞かせてくれた曲。ギターのリフレインから始ま

った曲へ、ドラム、ベースが合流する。決してハイテンポな曲では無いが、そのグルーヴ

は、とても現役高校生が奏でているとは思えない程堂々としたものだった。

 かき鳴らされるエレキギターの爆音は、何もない時間に刻まれたドラムビートによって

整列させられ、それらの隙間を補うように、ベースが低音を補助する。

 日常で耳にする音量の万倍近いエネルギーをぶつけられ、久人の意識は朦朧とし始める。

それは不快なものではなく、直前に憂慮していた事を簡単に吹き飛ばすような爽快なもの

だった。

 それから数分間、久人は快感の濁流に身を任せ、浴びせかけられる音に全てを解放した。

「……っと。ちょっと聞いてるの?!」

 続けて二曲演奏される間、久人は記憶がなかった。エリカに怒鳴りつけられ、ふと意識

を取り戻した久人は、演奏が始まってから十分近く経過していた事に恐怖した。魅音達の

演奏は、それほどまでに気持ちの良いものだったのである。

 最早、音の麻薬。

「ホントに…………バカにするのもいい加減に――」

 怒りを露にしたエリカが久人へ向けて一歩踏み出すも、弾かれたようにスツールから立

ち上がった久人に驚き、言葉を噤む。

 エリカを見る久人は、まるで少年のような笑みを浮かべていた。

「すげえ! すげえよ! 魅音から上手いとは聞いてたけど、こんなに良いなんて思わな

かった! 最高の音楽だ!」

 あまりに褒めるからか、エリカが一歩後ずさる。

 しかし、直ぐに調子を取り戻し、腕を組んで不遜な態度を取った。

「ふ、ふん。当たり前じゃないの。私達の演奏は宇宙で一番なんだから」

 子供のような表現に、久人は思わず苦笑した。

「宇宙一とは大きく出たな。けど、なるほど…………否定できないかな。今までいろんな

音楽を聴いて来たけど、こんな気分になったのは初めてだよ。本当に、最高だ」

「な、何よ…………気持ち悪いわね」

 恥ずかしがるエリカを見ながら、久人はようやくこの少女の性格を受け入れられそうな

気がして来ていた。初めこそお互い悪印象ではあったが、思えば、それは自分の友人を想

うからこその怒りであり、根は仲間思いなのだろうと考えを改めた。

 立ち上がっていた久人が、姿勢をただし、三人を見回す。

「まだ二曲しか聞かせてもらってないけど…………俺の意思は固まりました。改めて、お

願いします。キクチレコードの専属アーティストになって頂けませんか?」

 久人の言葉を受けた三人は、黙ったままお互いに見合う。

 返答は、意外な場所から放たれた。

「は、は……い」

 声の発生源へ集中する視線。

 肯定の意を表したのは、ドラムのスローンに座る柚姫だった。驚いたのは久人だけでは

なく、エリカや魅音も柚姫を見たまま口を大きく開けている。

「う、うそ。私は嬉しいけど…………柚姫、本当にいいの? 貴女、あまり乗り気じゃな

かったでしょ?」

 無言で頷いた柚姫から、息を吸う音が聞こえる。

「うん。でも…………みんなが楽しいなら、私も……頑張りた、い……から」

 柚姫は俯いたままだったが、その言葉だけで、エリカは笑う。そして、不敵な表情で魅

音を見た。

「だ、そうだけど? 私は乗り気だからいいとして…………後は魅音が決めなさい。貴女

がバンドマスターなんだから」

 戸惑う様子の魅音が、視線を右往左往させた後、エリカを見返した。

「だ、駄目だよ。閑葉ちゃんの意見も、ちゃんと聞かないと」

「良いじゃない。あの子は元々賛成してたんだし」

 久人が手を挙げ、会話に割り込む。

「ちょっと待ってくれ。もしかして、まだメンバーが居るのか?」

 久人が視線を向けた先は魅音だった。

「うん。今日は急だったから参加できなかった子が居るの。このバンドのリードギター、

長谷川閑葉ちゃん」

 妹の一言に、久人は目を白黒させた。

「お、おいおい! お前がリードじゃないのかよ!」

「う、うん。私はコードバッキングの方が好きだし、細かいフレーズは閑葉ちゃんの方が

ずっと上手だから」

 動揺し、慌てふためく久人の様が可笑しかったのか、エリカが得意げに腕を組む。

「あの子、大人しい顔してものすごいんだから。閑葉のソロを聴いたら……アンタきっと

ひっくり返るわよ」

 エリカの賞賛に久人は慄くも、社会人としてのメッキを貼りなおし、表情を締める。

「わかった。それなら、四人全員が揃った時に、改めて意思を聞かせて欲しい。俺はいつ

でもいいから。魅音、決まったら連絡してくれ」

「うん」

 どこか嬉しそうに頷いた魅音。

 事が動き出した事に満足を覚え、座っていたスツールへ戻ろうとした久人が、背中越し

に魅音を見る。

「そういえば。このバンド、名前はあるのか?」

 魅音はメンバーの二人を見回し、満面の笑みで久人を見つめた。

「アロイ、です」





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