チャプター 18:「回顧」
チャプター 18:「回顧」
キクチレコードがレッドトラックスの傘下に入って二週間。
事務所の様子は吸収合併前と全く変わらず、大株主である藤堂東も、全くと言って良い
程動かなかった。傘下に入ってまだ僅かとはいえ、親会社が介入してこない事が不気味な
くらいである。
しかし、零細であるキクチレコードに必要な制度やルールは書面で伝達されており、藤
堂社長が本気で柚姫を、アロイを助けたい気持ちは久人にも伝わっていた。そして、トン
トン拍子に話が進み、地元に建つ市民会館でアロイのデビューが決まったのである。
今、久人は電車に揺られて実家へ向かっている。
数日後に本番を控え、魅音の事が気になった。
「あいつ…………大丈夫かな」
呟きながら、車両内の床を見る。ロックを始めた事で主体性が生まれた事は間違いない。
しかし久人は、先日のアクシデントから、根本的なメンタルは変わっていないと感づいて
いた。
三年ぶりに実家へ帰ってから、アロイとの打ち合わせもあり、久人はすっかり地元の空
気に慣れていた。駅の改札を出ると、当たり前のように実家へ向けて歩き出す。午後七時
を回った地元の住宅街は、生暖かい風が流れ、それに各家庭の、夕食の匂いが混じってい
た。
連絡なしで帰ってしまった久人は、実家の明かりがついている事に安堵した。自分が帰
って来る事を伝えていたならば、魅音は体裁を整えて迎えてくれる事はわかっていた。で
きた妹であるが故に、久人はその本心を確かめたかった。
呼び鈴を鳴らさず母親の携帯電話にコールすると、電話に出るよりも先に、母が玄関か
ら顔を出した。
「久くん。いらっしゃい」
「お袋…………エスパーかよ」
母親の直感に驚きながら、久人は家へ上がる。
丁度夕食時であったのか、食卓には茶碗が四つ(・・・・・)伏せられている。自分の
茶碗が用意されていた事で、久人はもう一度母の顔を見た。
「お袋。実は本当に超能力者だったり…………」
四十を超えても若作りの実母は、悪戯な笑みで夕食の支度を再開していた。
「ふふふ。今度こそ、魅音がデビューするんでしょ? だから、あの子は怖がってるのよ。
ほら――」
母が指差した先には、軒下で、外へ足を投げ出して地面へ視線を落とす魅音の姿があっ
た。相当参っているのか、久人がやってきた事にも気がついていない様子である。
「魅音から聞いたわ。自分が、折角のチャンスを壊してしまったんだ、って」
「ち、違う。あれは俺のミスで」
「あの子はそう思ってないみたいなの。自分のせいだって、ずっと思いつめて…………だ
から、今日は久くんがフォローしに来るような気がしたのよ。なんだかんだ言って、貴方
は魅音の事が好きなんだから」
久人は目を瞠り、顔を赤らめた。
「ば、馬鹿な事言わないでくれよ…………やっぱりお袋、エスパーなんじゃないか?」
「そういう事に、しておこうかしら」
悪戯に笑う母が冷蔵庫を見る。その一挙動だけで、久人には何を意味しているのか理解
できた。
二歩近づき、冷蔵庫の観音扉を開けると、瓶入りのジュースが数本納められていた。ラ
ベルに林檎が描かれており、銀色の王冠で密封されている。
魅音が大好きな飲み物だ。
「冷えてる冷えてる」
それを二本手に取り、引き出しから栓抜きを取り出した久人は、邪悪な笑みで魅音へ近
づく。
そして、冷たく冷えた硝子瓶を、久人に気がついてもいない魅音の首筋へ押し当てた。
「――ひゃああああああああああああ! な、何、何、何?!」
魅音は、久人の想像を超えた反応を見せた。飛び上がり、尻餅をついた状態で素早く後
ずさる。
そして、久人の姿を認めた魅音は、茹で上がったように顔を赤らめ、頬を膨らませる。
「お、お兄ちゃん?!」
「ははは。ゴメンゴメン」
口では謝罪しながらも、久人の声からは妹をからかう色が見えた。
全く悪びれる様子のない久人に諦観したのか、深くため息をついた魅音は、もう一度視
線を落とし、庭先へ視線を向けた。
「…………ほら、飲めよ」
魅音が自分から視線を外した僅かな時間で、久人は瓶の王冠を抜き、片方を差し出す。
「ありがとう」
呟くように断り、魅音がそれを受け取る。
それから少しの間、兄弟二人は庭を眺めながら瓶のジュースを飲んだ。
「…………お兄ちゃん、来てたんだ」
久人は迷ったが、いつもの調子ではなく、自分も本心を曝け出す勇気が必要だと判断し
た。
「ああ。魅音が少し、心配になってさ」
「えっ?」
驚いた様子で、久人を見る魅音。冷めかけていた顔色も、火で炙られた硝子のように赤
く色づく。
「ニューウェイブコンサートの時は、さ。俺のミスで、魅音にも、エリカにも、長谷川さ
んにも、藤堂さんにも悔しい思いをさせちまったから。あれは俺の責任だ。お前は、何も
悪くないんだぞ? 魅音」
熱病にうなされた病人のような顔で久人を見ていた魅音は、顔色を変えないまま、庭の
芝生へ目を向けた。
「でも…………怖いよ。また、私がきっかけになって、折角の音楽が台無しになっちゃっ
たら、って」
魅音の本心。口から漏れ出る不安。
久人は黙って、妹の頭を優しく撫でた。
「何も心配する事はないさ。次は、俺より電気に詳しいエリカが全部チェックしてくれる
んだから。それに、音響は親父が担当してくれる。あんな親父だけど、腕だけは確かだか
らな」
久人の背後から「聞こえてるぞ」と文句を発する父の声に、魅音が小さく噴き出した。
「…………なんだか不思議。あんなに心配だったのに、お兄ちゃんと少し話すだけで、こ
んなに気持ちが軽くなるなんて」
柔らかな妹の笑みに、久人の表情も緩む。
「そう言ってもらえると嬉しいな。魅音には何も心配せず、いつも通りのプレイをして欲
しかったからさ」
静かに首肯した魅音の髪が、生暖かい風に撫でられ、揺れる。
それからは会話もなく、二人は静かに瓶のジュースを飲み続けた。
「…………何だか、こうしてぼんやりしてると、高校生になった頃を思い出すよ」
口を開いた妹へ、久人が目を向ける。
「へえ。どんなふうだった?」
「うちから一番近い学校だけど、私の居た中学校からは殆ど入学してなくて。どうしても、
知らない子ばっかりで、輪に入れなかったの」
久人は、顎で相槌を打ちながら続きを促した。
「その時、教室の端に座ってる閑葉ちゃんも輪から外れてて。少し勇気を出して話しかけ
てみたの。音楽、好きですか、って」
魅音の言い回しに、久人は口に含んだジュースを零しかけた。
「な、何だよそれ。もっと無難な会話もあっただろう」
魅音が苦笑する。
「…………そうだね。今思えば、どうしてそんな事をきいたのかわからないの。でも、彼
女からは、何か大きな圧力に必死に耐えているような、抗っているような雰囲気が感じら
れたの。それってまるで――」
「世に反抗するロックミュージシャンみたいだった、ってか?」
魅音が静かに頷いた。
「閑葉ちゃん、その時は本当に何もやってなかったんだけどね? 家に招待して、お兄ち
ゃんの持ってるDVDを一緒に見たりしたの」
「ああ、アレか」
直ぐに察した久人に頷き、魅音が続ける。
「その時、本当に目をキラキラさせて見入ってた。それから、彼女も音楽をやってみたい
って」
「そっか」
久人はそれ以上、言葉にできなかった。先日のやり取りから、閑葉の家庭環境が非常に
厳しいものである事は明白である。それでも、彼女を駆り立てる魅力が音楽にあり、閑葉
はそれを選択した。
まさに、ロックンローラー。
話す魅音は、嬉しさと、悔しさが混じった声で言った。
「閑葉ちゃんがギターなのは、私が教えられそうなのがギターだけだったから。思い返し
ても、あまり上手に教えられなかった筈なのに、一年であんなに上手になっちゃった」
「なるほど…………一年でアレとは。末恐ろしいな」
「それから少しして、ギターの話をしている私達に気づいた、エリカちゃんと柚姫ちゃん
が話しかけてきたの。バンド組まないかって」
アロイ結成のルーツを聞いた久人は、四人との距離が少し縮まった気がした。
「それからは、毎週セッションしたわ。その時は洋楽のコピーばかりだったけど、柚姫ち
ゃんが凄く拘るから、同じフレーズを何度もあわせたり」
「…………意外だな。藤堂さんは、エリカに引っ張られてるイメージしかないのに」
久人の正直な感想に、魅音が苦笑した。
「柚姫ちゃんは、凄く負けず嫌いなの」
そう言うと、魅音の表情が曇る。
空気の変化を感じ取った久人は、魅音の言葉を待った。
「私もエリカちゃんから聞いた話だから詳しくは知らないんだけど…………実は、ね?
柚姫ちゃんが男の人に対してあんなに怖がるのは、その…………昔、いじめを受けていた
らしいから、なの」
「………………なんだって?」
久人の瞳が月光を受けて煌いた。
「かなり苛烈な…………その、性的にも」
久人の瞳孔が怒りに縮み上がる。
「何だそれは。そんなふざけた話が! で、でも…………それなら何であの時。ニューウ
ェイブコンサートが始まる前に――」
「絶対に言わないでって言われてたの! 皆とバンドを続けたいからって!」
久人は責めるつもりで気持ちを吐露したわけではなかったが、魅音は過敏に反応し、仲
間を必死に弁護した。
「い、いや。俺は藤堂さんを責めてる訳じゃない。精神的なケアが大事な事も良くわかる
から、予め言ってくれれば、ってさ」
魅音は久人から視線を外すと、両手で握る瓶へ視線を落とした。
「でも、本当の事を言ったら辞めさせられるかもしれないから、って。柚姫ちゃん、そう
いう事、凄く敏感だから」
絶句。
久人は腹のうちを見透かされていた事に、気まずさを感じずには居られなかった。
「でも、お兄ちゃん。今は、違うんだよね? 私達四人で、演奏できるんだよね?」
久人は、縋るような魅音の視線を真正面から受け止める。
「ああ。絶対に誰も外さないと約束する」
安堵が目に映る魅音のショートヘアを黙って梳く。
そして、大きな月を見上げながら、静かに呟いた。
「来週のライブで、ぶちかましてやろうぜ」
「…………うん」
右手から伝わってくる髪の感触や魅音の表情から、自分は役目を果たせたのだと安堵す
る。
そしてふと、今まで抱いていた一つの疑問が、口を突いて出た。
「そういえば。どうして、アロイなんて名前にしたんだ? ちっちゃい女の子ばっかりな
んだし、もっと可愛らしい名前でも良かったんじゃないか? ミニマムロッカーズ! み
たいなさ」
茶化す久人の表情を見て、魅音がむくれる。
「わ、私だって好きでちっちゃいわけじゃないんだから」
「ああ、ゴメンゴメン」
久人の反応に慣れてしまったのか、魅音は肩を竦め、久人と同じように月を見上げる。
「私達って、聴いてる音楽が近いようで、それぞれバラバラなの」
「ほう。それで?」
「閑葉ちゃんはプログレッシヴなロックが好きだし、私はローテンポのメタルが好き。エ
リカちゃんはブリティッシュロックをよく聴いてたし、柚姫ちゃんはスラッシュメタルば
っかりコピーしてた」
「なるほどなるほど」と相槌を打つ久人に、魅音が微笑する。
「だから、閑葉ちゃんが、まるで合金みたいだって言って。そうやってアロイって言う名
前になったの。いろんな金属をを混ぜ合わせてできた合金みたいに、凄く強くてカッコイ
イ音楽が出来たら、って」
久人は身震いした。
それはまさに、久人が求めていた姿そのもの。自らが実現できなかった理想の姿。
「お前ら…………最高にカッコイイな」
「えへへ。でしょ?」
無邪気に笑う魅音に、久人もつられて笑った。
そして、静かに拳を突き出す。
「成功させようぜ。最高にクールでホットなライブに!」
乾杯のように、久人の拳へ魅音の拳が触れる。
そして少女は、天使のような笑みを浮かべた。
「うん!」




