チャプター 11:「不祥」
チャプター 11:「不祥」
「…………よし、到着だ。それじゃあ、俺は予定通り催行の確認集会へ行って来る」
「はい。俺も予定通り、車から機材を降ろしてセッティングに取り掛かります」
ワンボックスカーで会場入りした久人と菊池社長は、到着と同時に動き出した。工程表
を初めとする、イベント関連の資料を手にすると、菊池社長は助手席から降り、各社の代
表が集まり始めているテントへ向かう。
社長が十分に車から離れた事を確認すると、久人は車を切り返し、同じように機材車が
集まる場所へ車を移動させる。既に何台か運び始めては居るが、レッドトラックスのロゴ
が入る大型トラック以外は皆小さな機材車ばかりだった。
車を停めると、サイドブレーキをしっかりと引き、車から降りる。そして、バックドア
を開け、機材の運び込みを始めた。
仕事を始めてから三年。決して長くはないが、その間に久人は濃密な経験を積んでいた
事もあり、荷解きの手際も業者並だった。結束バンドを素早く切り、毛布にくるまれた大
型のギターアンプを手前へ引き出す。そして、用意しておいた移動用の台車へそれを載せ
ると、ステージへ向かって移動を始めた。載せたアンプはたった一つではあるが、高出力
の真空管アンプともなれば、その重量は五十キログラムに迫り、とてもまとめて運べるよ
うな代物ではない。その上、エリカのベースアンプや柚姫のペダル、シンバルなどは完全
な私物である。そして、そのどれもが高価である事から、久人の緊張も一層強い。
「よっと…………すみません。アンプはこのエリアで大丈夫ですか?」
ステージのマネージャーらしき人物に確認を取り、持ち込んだアンプをセッティングし
て行く久人。既にいくつかのアンプがセットされており、種類も様々だ。それはさながら、
アンプの見本市のようだった。
「あ、あの…………もしかして、内藤くん?」
次の機材を運ぼうと、ステージから降りかけた久人に、柔らかな声が掛けられる。
少女の声。
「あ、ああ…………南さん」
振り向いた久人は、朱音の姿を捉えると、目を瞠る。
朱音は、以前楽器店で遭遇した時に身につけていた白いワンピースとは打って変わって、
短いホットパンツとタンクトップを身につけたラフな着衣である。アロイの面々も顔立ち
は整っているが、スタイルでは朱音に敵わない。
扇情的とも言える朱音の格好に、久人は顔を赤らめた。
それにつられてか、朱音も縮こまり、目を伏せる。
「ご、ごめんなさい。内藤くんが居るなんて思ってもみなかったから……その…………だ
らしないよね?」
「い、いやいや。俺の方こそジロジロ見てゴメン。南さんってスタイル良いから、何を着
ててもつい目が…………ははは。ちょっと気持ち悪いな、俺」
自虐的な久人に、朱音は強く首を振る。
「そ、そんなことない! ここに居るって事は、内藤くんも音楽関係の会社に勤めてるの
よね? それなら、相手のそういう所、気になっちゃうんじゃないかしら」
「そう、かもな。もう癖になってるのかも」
まるで初恋を実らせたカップルのようなやりとりを行う二人に、辺りの視線は生暖かい
ものになった。
そして二人もそれに気がついたのか、目だけで周りを確認し、途端に慌て始める。
「あっ…………そ、それでさ。南さんは、今日何番目なの? リハも出るんだよね?」
無理に仕事の話へ向かった久人へ、朱音は壊れた玩具のように首を縦に動かした。
「うんうん! 私は………………二番目、です。だから、少し早めに来てるの。いつも、
私が一番アンプのセッティング出すの遅いから。何だか、急に組み込まれたバンドがある
みたいなの。その人達が、多分一番最初になるんじゃないかしら?」
朱音からの情報に、久人の顔が引き攣った。
「そ、そうなんだ。それ…………多分うちのバンドだ」
驚いた様子の朱音は、開いた口を手で隠した。その動作は柔らかで、上品な立ち振る舞
いは閑葉に通ずるものがあった。
「内藤くんの会社、凄いのね。厳しいオーディションを受けないと出られない筈なのに、
プロジェクトマネージャーが後から追加するなんて。凄いわ」
それは、受け方によっては嫌味にも聞こえる。しかし、穏やかな表情で賛美する朱音か
らは、中傷する類の雰囲気を一切感じない。本心からアロイを褒め称えてくれているであ
ろう朱音の清い心に、久人の表情も綻ぶ。
「ああ。身内贔屓と言われるかもしれないけど、本当に凄い子達なんだ。だから、うちの
バンド……アロイと、ネザースピリットで、このコンサート絶対成功させようぜ!」
久人が拳を掲げ、朱音も胸の前で両手を握り頷いた。
「うん! あ、あの、えっと」
久人が作業に戻ろうと踵を返すと、朱音が何かを言おうと言葉を繋ぐ。
「うん? どうしたの? 南さん」
「う、ううん。内藤くん、私のバンドの名前、知ってるんだ、って」
何も乗っていない台車から手を離した久人は、両手を腰に当て得意げに笑った。
「勿論。南さんにチケットを貰ってから直ぐ調べたさ」
「ありがとう。内藤くんの所は、アロイ、だね。覚えたわ」
久人は、はにかむ朱音に大きく頷き、親指を立てる。
「ああ! 小さい子ばかりだが、音は超ド級だ。その。よろしくお願いします」
「は、はい。私が言うのも変かもしれないけど…………が、頑張ろうね」
アイドルの世界も、音楽の世界も、決して綺麗な世界ではない。華やかな裏で、嫉妬と
欲が渦巻くドス黒い世界である。そんな中で、周りすら気遣える朱音は、あまりに強烈な
清涼剤だった。
「さて。南さんの情報が正しいなら、俺達が一番最初だからな。俺は作業に戻らせてもら
うよ」
「う、うん。引き止めてごめんなさい」
「いいっていいって。俺も嬉しかったからさ。それじゃあ……ああ、そうだ」
思い出したようにステージを駆け下り、機材車へ近づく。そして、他のバンドへ配布す
る予定のCDを手に取り、朱音のもとへ戻る。
そして、プレスされたばかりのアロイのミニアルバムを差し出し、無邪気にはにかんだ。
「これ。アロイのアルバムなんだ。是非、聴いて欲しい」
「はい!」
差し出されたCDを受け取り、久人に輝くような笑みを向ける。
「それじゃあ今度こそ。作業に戻るよ」
「うん。また、ね」
手を振る朱音へ、背中越しに手を振る久人。
朱音との会話を楽しんだ後は、設営の続きに取り掛かる。最後の音あわせをしたいと言
い出したエリカの要望を聞き入れ、魅音達はギリギリまで練習を行っていた。久人の父が
別の車に乗せて連れて来る手筈になっており、久人はそれまでに、会場の準備を終わらせ
ておかなければならない。
重量のあるアンプをピストン輸送し、ドラムリールで電源を確保する。現場の音響技師
の指示に従いながら、音録りのマイクを用意した。新人が多いこともあり自前のギターア
ンプを持ち込んでいるのは役半数である。殆どのバンドはエフェクターの類で音を作って
おり、アマチュア時代から築いてきたノウハウからか、セッティングは速い。
「よし…………危ない。何とか間に合ったか」
久人が安堵の吐息を漏らし、目を向けた先には、彼のよく知る車が停まっていた。ドア
を開けて出てきたのは、久人の父と、アロイの面々である。
久人がステージから降り、車へ近づくと、運転手である父へ労いの言葉を掛ける。
「親父。休みなのに悪いな」
「いいよ。魅音達の晴れ舞台なんだから。僕にはこれくらいしかできないしさ」
音響屋である父に「よく言うぜ」と呆れながら、久人は笑みで応える。意地の悪い面も
ある父だが、気配りのできる、久人の見てきた社会人の中でもかなり出来た部類に入る人
間である。
「へえ。ちゃんと準備できてるじゃない」
高飛車な物言いで久人に近づいてきたのは、金髪を結った小柄な少女。
エリカだ。
「ああ。きちんとやっておかないと、エリカにどやされるからな」
ようやくエリカの扱いに慣れてきた久人は、冗談交じりにエリカへ視線を向ける。
それに対して、エリカは唐辛子のように真っ赤な顔で久人を睨み返す。
「な、何よそれ! まるで私がヒステリックな我侭娘みたいじゃないの!? 変態の分際
でよくも言ってくれるわね!」
想像以上の反応に、久人も両手を上げ防御姿勢を取る。
しかし、エリカが久人に追撃を放とうと半歩踏み出した瞬間、それを止めるかのような
タイミングでアナウンスが入る。
『お伝え致します。明日参加されるアーティストの方々、並びに、関係者の方は、ステー
ジ裏のテント前へお集まり下さい』
呼び出しに耳を傾けていたらしいエリカが久人を一瞥すると、小さく鼻で笑い、歩き始
める。
「まあいいわ。行きましょう、みんな」
先行するエリカへ、魅音は若干の緊張を見せながら続き、その後を落ち着いた足取りで
閑葉が負う。
追いかけようと歩き始めた久人は、その場に立ち竦む柚姫の姿を見つける。
なるべく脅かさないよう、慎重に近づき、身体を屈めた。
「藤堂さん、どうしたの?」
久人の顔が近づき、僅かに色味を帯びていた頬が、急激に彩度を上げる。そして、右往
左往する柚姫の視線が、しきりに久人を見る。
「あ、あの…………えっと。す、少し……怖く、て…………」
柚姫の心配は、久人が納得できるものだった。新曲が完成するまでの間、いくら曲を簡
単に改良しても、柚姫のドラムプレイは一向に上向かなかった。それどころか、手数が減
っているのにもかかわらず、失敗する頻度は増えていたのである。
しかしながら、それでも並のドラマーに比肩するレベルは優に超えている。比較対象が
魅音達である事から、久人は自分の観察眼が厳しくなってしまっているだけだと結論付け
ていた。
その上で、柚姫の前へ手を差し出し、優しく笑ってみせる。
「俺は、藤堂さんがずっと頑張ってるの知ってるから。大丈夫」
戸惑っていた柚姫も、差し出された久人の手をそっと握る。
「よし…………行こう」
「は、はい」
柚姫の手を引きながら到着したステージ裏には、出演者の待機用らしいいくつかのテン
トが設けられていた。そして、それらの側部に残った芝生のスペースに、演奏者達が集ま
っている。当日の衣装と同じものであるのか、アメリカンロック然としたラフなスタイル
から、毒々しいデスメタルのレザースーツ、フリルを限界まで縫い付けた純白のドレスな
ど、そのバンドカラーは多岐に渡る。
参加企業別に整列している中で、集団の端に立つ菊池社長と魅音達を見つけ、久人もそ
れに合流した。
「魅音。列の先頭はお前だ」
「う、うん」
バンドマスターである魅音へ先頭へ移動するよう指示した久人は、菊池社長と共に、ア
ロイメンバーの後側へ移動する。
そして、各バンドが概ね整列を終えた事を見計らったのか、会場のマネージャーらしき
中年の男が集団の前へ出た。
拡声器を口に当てた男は、大きく息を吸う。
『それではこれより、当日の興行と同じ手順でリハーサルを行います。事前に催行の行程
は伝わっているかとは思いますので、このリハーサルにて、サウンドの最終確認、及び手
順の正誤。そして、この会場の空気を感じていただければと思います』
参加者から大きな拍手が起こった。それを右手で制したマネージャーが、演奏のスケジ
ュールを発表する。
『ありがとうございます。それでは…………参加アーティストの演奏順を発表したいと思
います。番号が割り振られますので、リーダーの方はスタッフの指示に従い、対応したテ
ントへ移動してください。その番号が、演奏の順序にもなります。それでは、発表を始め
ます』
マネージャーの声に固唾を呑む久人。朱音からの予備情報が確かならば、アロイは一番
目に演奏する事になる。魅音の話では、今までに人前で演奏した経験は一度も無い。期待
される分、緊張は大きいポジションである。
「あ、あれ? 社長」
久人の後ろに立つ社長へ、視線で疑問を訴える。次々に呼ばれる名前に、移動を始める
他のプレイヤー達。その中には、朱音の所属するバンドもあった。
『そして、最後に。キクチレコードより参加の〝アロイ〟、十三番です』
呼ばれた瞬間、参加者達がどよめいた。マネージャーが呼ぶバンドはアロイで最後。
魅音達が、トリ。
初め、驚きに満ちていた場の空気は、次第に魅音達への敵意へ変わっていった。
「マズイ事になりましたね。社長」
恨めしい視線を受ける事は当然である。本来ならば、そこはいくつもの狭い門をくぐり
抜け、更に、同じように難関を突破した他のライバル達と競った上で初めて獲得する事が
できる場所。まともなオーディションも受けず現れた魅音達が、誉れ高いトリを持ってい
った事に、妬みや恨みが生まれない筈がなかった。
「ま、まあ、こんな事もあるさ。ささ、皆テントへ――」
「おい、待てよ」
周囲からの視線に怯える魅音達を見かねて、社長が誘導を始めようとすると、背後から
女の低い声が掛けられた。
久人が振り向くと、そこには赤と紫のメッシュを入れ、髪を逆立てた長身の女が立って
いた。鋭い視線は、小柄な魅音達へ突きつけられている。
「なんてお前らみたいなクソガキがトリなんだよ。ああ?」
「おい、ちょっと待ってくれよ!」
威圧的な態度で見下ろされ、魅音が立ち竦む。
その前へ、久人が立ちはだかった。
「俺達も知らなかったんだ。開催者に従っただけで、非難される謂われはない」
確たる意思で、女の視線を受け止める久人。
その様がどう見えたのか、女は嘲笑する。
「非難される謂われはない、だ? 正々堂々と戦った私達の横を素通りして、舞台へ割り
込んだお前らが? 挙句、碌な実績もない連中が終幕際の晴れ舞台に立つ? ふざけるな
…………ふざけるなよ! 私達を馬鹿にするのも大概にしろ!」
女の罵声に辺りは静まり返った。参加者も、運営スタッフも、誰も止めようとしない。
その様はまるで、皆の心を代弁しているかのようだった。
しかし、腹式の、音圧がある罵声を浴びせかけられても、久人は眉一つ動かさなかった。
何の事はない。いくつも問題を抱えるバンドを担当していた彼にとってトラブル、諍い
の類は日常茶飯事であり、罵声ごとき(・・・)に萎縮するような弱さはとうに消えてい
た。
「馬鹿にするつもりなどないし、言ったとおり、俺達が批難される謂われもない。全て開
催者の決定だ。俺達はそれに粛々と従い、催事を完璧に催行し、コンサートを成功させる
事だけを考えている。他意などない」
女の感情を汲みながら、久人は半歩も引かなかった。その態度が気に入らなかったのか、
女が更に身を乗り出し、久人の眼前まで接近する。
「ちょ、ちょっと志穂。もうやめて」
鼻先まで近づいた女の顔は後から引かれ、静止する。
久人が目をやると、そこには気まずさを映しながら視線を落とす朱音の姿があった。
「な、内藤くんごめんなさい。志穂もわかって? 偉い人が決めたことなら――」
その一言が、志穂と呼ばれた女の逆鱗に触れた。
「朱音、やめろ! 謝るんじゃない! こんな…………こんなクソみたいな奴らに! 碌
に努力もしてこなかった連中に! 真剣に音楽と向き合ってないような奴らにさ!」
自分ではなく、魅音達を侮辱された事で、久人は初めて反応した。だがそれも、眉根を
僅かに痙攣させるに留まる。
「皆そうだ。小さなハコ(・・)からコツコツやってきた。皆音楽が大好きで、苦しくて
も、先が見えなくても、一生懸命歩いてきたんだ。その先に道があるのかもわからないの
に」
志穂の独白に、辺りは水を打ったように静けさを帯びる。久人や菊池社長、魅音達も、
その声に沈黙した。
「そうやって、やっと立てる晴れ舞台。嬉しくない筈がないさ。でも…………けど! ど
んな手品か知らないが、横からアッサリ大舞台に上がられて、一番華やかな真打の座をさ
らわれて! そんな低い志で来た輩を……はいそうですかと認められるほど、私は寛容じ
ゃない!」
彼女の意見は筋が通っている。いくつかの意見も、認めざるを得ない。
しかし。努力を怠った、志が低いと言われた事だけは、どうしても認める事ができなか
った。
無心に、ひたむきに曲と向き合ってきた魅音達に対する酷い侮辱である。
「…………お、おい!」
久人が口を開く前に、志穂の前に歩み出る一人の少女。久人の静止を無視し、志穂の双
眸を睨み返した。
エリカだ。
「まあ、アンタの言い分も一理あるわよねえ。私達は今までステージに立った経験も無い
し、勿論ショウビジネスに参加した実績も無い。今回の舞台に上がれるだけでも、大抜擢
も大抜擢よね。私は順番なんて気にしないし、演奏させてもらえるだけでも満足だから。
けど…………アンタわかってる?」
自分より二回りは大きい志穂を見上げながら、エリカはふてぶてしく笑む。
「アンタが文句を向けるべきなのは、私達じゃなくてレッドトラックスのプロデューサー
(・・・・・・・・・・・・・・・・)なのよ? 決定権もなにもないこのボンクラに何
を言った所で解決しないじゃない。本当に現状を変えたいなら、裁量を握る人間に直談判
する以外に、方法なんてあるわけ? 言ってみなさいよ」
ぐうの音も出ない、とはこの事。歯噛みした志穂は、恨めしい視線をエリカに向ける。
幾度か、何か言いたげに口を開くも、それを何度も飲み込んだ。
そして、何度目かの黙考を経て、志穂はメガホンを持つ男へ向き直る。
「生意気な事だとは、自覚しております……ですが! 少なくとも私は、彼らの実力に疑
問を抱いています。デモテープですら、一度も耳にした事がありません。ですから」
志穂は二の句へ、精一杯の呼気を注ぎ込む。
「先ず、彼らの音を聞かせてください! たとえ今までの実績が無くとも、実力が伴えば
納得できます」
志穂に演奏を請われた統括マネージャーは、苦々しい表情と共に、眉間を指で押さえる。
そして、吐息と共に言葉を漏らした。
「正直、私も今回の決定には懐疑的ではある。それに、この雰囲気だ。どうやら皆も、そ
れを望んでいるようだな」
統括マネージャーの視線に射抜かれた久人が、それを辛うじて受け止めて見せた。
「キクチレコードの内藤くん、だったかな。時間的にも余裕は無いが…………是非、皆に、
私に、その音を聞かせて欲しい」
マネージャーの要請に、久人は不敵に笑む。
「はい、勿論です」
自信を帯びた言葉と共に、久人は強く頷いた。




