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チャプター 10:「準備」

チャプター 10:「準備」





「よし…………完成だ」

 自分の事務机一杯に広げた各種申請書類を前に、久人は背もたれに目いっぱいもたれか

かる。大きな力がかかり、久人の背中や腰の骨、そして古びた椅子が、音を鳴らした。

「さて。後は…………」

 何度も添削を繰り返し、不備がない事を確認したものの、念のためもう一度目を通す久

人。社長から、この計画が資金の限界一杯まで消費する事を聞かされていただけに、失敗

は許されない。

「今度こそ問題ないな。ふう…………」

 過剰な確認によってようやく安心した久人は、首を回しながら、壁に掛けられた時計を

見た。

 針は、丁度正午を指しており、それを見た途端、久人は激しい空腹感を催した。

「もう、昼か。さて…………飯でもを買いに行くかな」

 誰も居ない静かな事務所で、久人は音をたてて立ち上がった。壁に掛けられた事務所の

鍵を手に取り、入り口へ近づいてゆくと、すりガラスの向こうに、気配を感じる。

 そのシルエットから、久人は扉の向こうに誰が立っているのか気がついた。

 ノブに手を掛け、相手が開くよりも早く、ドアを開ける。

「お疲れ様です、社長」

「ああ、内藤君か。君はエスパーか何かなのかい?」

 菊池社長の顔へ、僅かに現れた驚きに、久人はいやらしく笑ってみせる。

「菊池社長は、扉の前で考える癖がありますからね。うちみたいなすりガラスの扉だと、

直ぐわかりますよ」

 指摘された社長は、照れた様子で自分の頭を撫でた。

「そ、そうなのか。取引先でやらないようにしないとな」

「そうですね。社長、結構いい身体してますから、怖がられるかもしれませんよ」

 意地悪い笑みを崩さず、久人は言葉を続けるが、対する社長は、大きな背中を丸めて視

線を落とした。

「そう、だよな。うん、気をつけないとな、うん。俺ってやっぱり…………そっか」

 思った以上に気にしている様子の社長に、久人は調子に乗ってからかった事を反省する。

思考を切り替え、直ぐにフォローを始めた。

「で、でも、俺は社長の思慮深い所とか、情に厚い所に惹かれて働いていますから。その

ままでも、いいかもしれませんね」

 俯いていた社長の表情が僅かに上を向いた。

「そ、そうかな。ははっ…………内藤君に言われると、何だか嬉しいよ。こんな崖っぷち

の会社で、今日までずっと働いてくれているんだからさ。俺ももっと、頑張らないとな…

………ああ、そうだ。弁当を買って来たんだが、一緒に食べないか?」

「はい。俺も丁度、昼食を買いに行こうと思ってたんです。食べながら話しましょう」

 そう言うと、久人は直ぐに給湯室へ向かい、2人分のマグカップと冷えた水出し緑茶の

瓶を持って戻る。そして、菊池社長が接客用の机に広げた弁当へ、冷えたお茶を注いだマ

グカップを並べた。

 久人が腰掛けると、菊池社長と視線を交わす。

「では…………頂きます」

「おう。頂きます」

 手を合わせ、箸を割った二人は、怒涛の勢いで弁当を食べ始めた。おろしダレを唐揚げ

へ手早く掛け、幕の内風に間仕切られた米の塊を、2ブロック毎にすくって口へ押し込む。

口が止まる瞬間はなく、嚥下と同時に、既に箸に摘まれていた漬け物や米が詰め込まれ、

一人前の弁当はものの5分で空となる。

 早食いは、二人の職業病だった。

「ふう…………ごちそうさん」

「ごちそうさまです。ああ、社長」

 昼食を終わらせ、箸をプラスチックの弁当箱へ放り込んだ社長へ、久人は早速仕事の話

を始めた。

「魅音達の…………新曲、どうでした?」

 背もたれへ身体を預けていた菊池社長が、上体を起こし、口の端を吊り上げた。

「ああ、最高だったよ! ミキシングこそ素人だが、個々の音は文句のつけようがない。

ギター二人の絡みもいいし、ベースの子も曲全体をしっかり支えてる。何より、ドラムが

途轍もなく上手いね! 本当に女子高生なのか?」

「そう、ですね」

 未だ社長に面通しをしていないアロイのメンバーを思い浮かべながら、久人は気なしに

応答する。そして、人差し指の背で眉間を擦りながら、社長が絶賛したドラマーの少女を

思い出す。

 決して下手ではない。女子高生、それも、かなり小柄な部類に入る柚姫のプレイは、既

にプロの領域に居た。しかし、藤堂宅で聴いた新曲披露の演奏と、レコーディングされて

渡された演奏能力には違いがありすぎたのである。

 実際に演奏を見せる必要のないアイドルグループならばそれも問題ない。しかし、アロ

イは演奏能力を売り(・・)にするバンドである。最低限、人前で同等の演奏ができる必

要があった。

「内藤君。そんなに心配しなさんな」

「…………えっ?」

 俯いていた久人は、顔を上げ菊池社長を見た。

「いえ、俺は――」

「隠すな隠すな。内藤君は心配事があると、手で眉間を触る癖があるからな。何を思うか、

までは俺にはわからないけどさ。結局うちみたいなプロデュースと販売業をやってる所じ

ゃ、出たとこ勝負な事も…………ままある。そもそも、こんな小さな会社で両方やろうっ

てのが無茶な話ではあるんだけどな」

 笑いながら話す社長に、久人は肩を落として見せた。

「社長……笑い事じゃないんですよ? 彼女たちの成功に、文字通り社運が掛かってるん

ですから」

「だからだよ」

 呆れた様子で話す久人へ、菊池社長もまた、当然のように言葉を返した。

「既に死に体の会社だ。それを一発で再生させようなんてのは都合のいい話さ。だから笑

ってる。内藤君が、そんな子達を探してきてくれたんだからな」

 唐突に褒められ、久人は照れくさくなった。

「だから、さ。会社の存続云々なんて考えなくていい。内藤君がやりたいように、アロイ

の子達を纏めて、引っ張っていって欲しい。俺はそれを、全力でサポートする」

「社長…………本当に、お人よしですね。社長業、向いてないんじゃないですか?」

 皮肉を零しながら、久人は目を潤ませた。元を辿れば、周りに情を掛けすぎたせいで社

の経営が傾いている。それは社長の経営努力が足らないからだと批判する事は容易い。そ

れでも、自分や社の事よりも、自分や所属バンドを優先するスタンスに、久人は心の底か

ら感動した。

 視線を落とした久人を眺めながら、菊池社長は穏やかに笑った。

「ははは。そう、言ってくれるなよ。もしも、アロイがヒットを飛ばしてくれるような事

になれば…………まさに、キクチレコードの救世主になるんだからさ。だから、内藤君。

もう少し、俺にも手伝わせてくれよ」

「ありがとう、ございます」

 少年のようにあどけない笑みで顔を上げた久人に、菊池社長は笑い返した。

 そして、手早く拭いた机の上に、営業から持ち帰ってきた書類を広げる。

「今日は事前に話した通り、会場の下見と、リース会社への交渉に行ってきた。先ず、こ

れを見てくれ」

 自分に差し出されたB5の紙を受け取ると、内容へ素早く目を通す。そこには、プロジ

ェクトの意図と、会場の詳細な図が描かれていた。芝生のエリアを借りた野外会場で、広

さは下手なライブハウスよりも遥かに大きい。

 一通り目を通した久人が、緊張した様子で菊池社長を見た。

「かなり、大きいですね。二千人は入るんじゃないですか? これ」

「ああ。流石大手ってところだな。まあ、あの社長だからな。新人発掘に力を入れてるの

は昔からさ」

 久人は菊池社長の一言で、藤堂家で見た本人を思い出し、背筋が寒くなった。しかし、

直ぐに頭を切り替え、会場の詳細を追って行く。場所によって、ミュージシャンが求める

環境は大きく変わってくる。野外会場で問題となるのは、自分たちの演奏をしっかり聞き

取れるモニター環境と、アンプやその他機器の防水対策である。

 自分達の演奏を正しく聞き取れなければ、演奏が合わずルーズになってしまう。また、

防水対策が不十分では、突然の雨によってプレイヤーが感電するなどの事故が発生しかね

ない。

 久人は直ぐに必要な対策や資材を書き出し、次の一手を考えた。

 メモを取り終えた様子の久人へ、菊池社長が新しい書類をすすめる。

「これが、今回借りられた機材一覧だ。内藤君から聞いた話だと、ベースの子はアンプを

持ち込むだろうからな。メインはギターアンプとマイク、ケーブル類だな」

 頷きながら、久人は借用書類の項目へ目を通してゆく。

 そして、ギターアンプの欄が目に留まると、口を大きく開けて驚いて見せた。

「社長、これ…………サザーランドの」

「ああ。方々探し回って、ようやく見つけた」

 驚愕する久人の反応に、菊池社長は満足した様子である。

 高音の効いた上品なトーンのブリティッシュアンプであるマクファーレンに対して、サ

ザーランドはアメリカのビルダーが設計した低音重視の図太いサウンドが特徴である。そ

してそれは、久人や魅音が大好きなアメリカンバンドが使用する、憧れの音だった。しか

し、学生には過ぎた道具であり、全て手作りである事から生産数が少なく、価格も高い。

「よく見つけましたね…………流石社長です」

「そうだろう、そうだろう。俺も、どうしてもこいつで聴きたかった」

 菊池社長が零した一言に、久人は太陽のように笑った。

「デモを聴いて、本当に久しぶりに痺れたよ。同時に、本当に勿体無いと思った。今でも

信じられないが、この音は初心者用のトランジスタアンプで録ったそうじゃないか。こん

なに上手いのにさ。だからもし、この二人が最高のアンプで音を出したら。きっと………

………物凄い事になる」

 それは、いつか実現したいと考えた夢。

 久人は握り拳を作り、机の上に突き出した。

「社長。やりましょう!」

 久人の突き出した拳に、菊池社長は拳をぶつけた。そして、不敵に笑む。

「………………ああ!」

 最後の大舞台へ向けて、社の命運を賭けた仕事が動き始めた。





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