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チャプター 09:「予兆」

チャプター 09:「予兆」





「もう、何なのよ!」

 行きつけのリハーサルスタジオ前で、エリカは甲高い声を上げた。ヒステリーを起こし

た高音が耳に突き刺さり、久人は思わず顔をしかめる。

 アロイの新曲の演奏を依頼していた週末に、少女四人と久人は途方に暮れていた。下ろ

されたシャッターには、臨時休業の四文字と理由が書かれた紙が貼られており、耳を澄ま

しても、内部に人の気配はなかった。

「仕方がないな。ここから二駅隣に、当日も受け付けてるスタジオがある。そこで演奏し

てもらえないかな?」

「イヤ」

 間髪入れずに、エリカが反対する。あまりの応答速度にか、魅音は苦笑する。

「どうして駄目なんだ? 確かに少し高いけど、綺麗な部屋ばかりで――」

「はあ?! アレのどこが綺麗なのよ? アンプも適当な奴ばっかりだし、部屋も狭くて

暗いし!」

 怒るエリカに、久人は両手を上げて宥める姿勢を取る。初めこそヒステリーばかり起こ

すいけ好かない人間だと思っていた久人だが、エリカの音楽に対する姿勢は本物である事

を知ってから、その見方は大きく変わっていた。

「わ、わかった、わかったよ。けど、ここと同等のスタジオなんて滅多にないぞ。まして、

マクファーレンのベースアンプが置いてあるレンタルスタジオなんて。少し狭い所でも、

一先ず曲だけでも――」

「絶対にイヤ。私達の音楽を最高の環境で聴いてもらいたいだけなんだから! 当たり前

の事でしょ? ほら、魅音も何か言ってやりなさいよ」

「えっ? え、えっと…………」

 突然話を振られた魅音は、言葉に困った様子で視線を右往左往させた。

「私は……その…………歪めば何でも…………」

 歯切れ悪く呟かれた魅音の意見は想定内であったのか、エリカは両手を広げて深いため

息を吐く。

「あーあ。これだから天才は。という事は、さ。閑葉も……」

 エリカの、粘り気を帯びた視線を受けた閑葉は、静かに微笑し、視線を返す。

「私は、音が出るならどこでもいいわ。アンプでギターを弾けるだけで幸せだから」

 久人は、閑葉の一言に涙を滲ませ感激した。今日日、アンプのトーンや楽器の優劣を、

理想の音が出せない理由にするプレイヤーが多い。自分の腕だけで勝負しようという気概

を持つ閑葉は、久人にとって職人的な粋を感じさせた。

 バンドメンバー二名に裏切りを受けたエリカだが、助け舟は彼女の後ろからやって来た。

「あ、あの…………私も。ちゃんとしたドラムが、いい」

 柚姫はエリカの袖を引き、自分の意見を伝える。

 エリカは、唯一の見方になった柚姫に抱きついて見せた。

「ゆ、柚姫……アンタだけだよ私の味方は!」

 かなりしっかりと抱きつかれているのにもかかわらず、柚姫は嬉しそうに頬を赤らめる。

そして、エリカの肩に自分の両手を置き、その身体を優しく離す。

「だから、ね? 今日は、私の家で、叩きたい」

 柚姫の一言に、緩み切っていたエリカの表情が豹変する。険しい目つきで、柚姫の鼻先

へ顔を近づけた。

「あ、アンタねえ! あそこは私達だけの場所でしょ?! あんな、下半身で生きてるよ

うな奴を入れたくない!」

 エリカは囁き声で反発したが、語気が強い事で、それは意味を成さなかった。声は、卑

下された久人の耳にもしっかりと届いており、気まずい様子の魅音の横で、久人は引き攣

った笑みを浮かべる。

「で、でも。内藤さん、は、あの人たちと違うとおも、う。それ、に…………あの、場所

以上に、私達の演奏を良く聴いてもらえ、る場所なんて、ない」

 次の言葉を練っていたらしいエリカだが、一際大きなため息を吐くと、もう一度手を広

げ苦笑する。

「わかったわかった。普段は気弱な癖に、変な所で滅茶苦茶頑固なんだから。どうせ私が

何言っても、アンタの家でやる事になるんでしょうよ」

「ご、ごめんなさい」

 両手を握り、不貞腐れた様子のエリカに謝罪する柚姫。

 深呼吸をしたエリカが、久人へ鋭い視線を向け、鼻先へ指を突きつける。

「仕方がないから、今日だけは許してあげる。泣いて喜びなさいよね!」

 マネージャー兼プロデューサーである久人は、完全に蚊帳の外である。勝手に決まって

しまった流れでも、それに従う他なかった。彼にとっては、演奏が聴けるならば場所はど

こでも良かった。

「うん。よろしくお願いします」

 悟りを開いたかのような穏やかな表情で応えた久人に、エリカはたじろぐ。

「な、何よ。気持ち悪いわね………………まあ、いいわ。行きましょうか」

 話が纏まると、真っ先に動き出したはエリカだった。楽器店からさほど離れていない柚

姫の豪邸へ向け、アロイと久人が歩き始める。

 季節は僅かに進み、夏の暑さがいよいよ始まる時期には、必然的に着衣の露出も増えて

行く。前方で会話する三名をぼんやりと眺めながら、久人は無意識に、エリカの開いた背

中や、閑葉のホットパンツから伸びる腿や臀部を見てしまう。女として見ていないとは言

え、久人も男である。本人にその気が無くとも、視線は本能に忠実だった。

 そして、その視線に気づいたらしい魅音が、頬を膨らませながら久人の裾を二度引く。

 スーツの端を引かれ、気がついた久人が魅音へ視線を移した。

「……うん? どうした」

 眉をひそめた魅音が、久人を見つめる。

「あんまり見てると、またエリカちゃんに怒られるよ? それとも、お兄ちゃん本当にロ

リコンなの?」

 実の妹から疑われた事は、久人にとって想像以上のダメージだった。ぴたりと足を止め、

魅音へ両手を差し出した。

「い、いやいやいや。これは本能的に…………はっ?!」

 焦りは、判断力をいとも容易く奪い取ってしまう典型例である。咄嗟に口をついて出た

台詞に、魅音は非難の色を強める。

「男の人だから、そういう事したいのも仕方ないって判るけど………………エッチなのも、

程々にね?」

 止めとばかりに放たれた一撃は、久人の焦燥を更に加速させた。

「ま、待ってくれ魅音! 俺はそんなつもりはないんだ! 誓って! 俺はロリコンじゃ

ない! …………はっ?!」

 焦りを隠そうと、声が大きくなっている事に気がついた時には、既に手遅れだった。諦

観した様子の魅音、赤髪を手櫛で梳きながら、冷ややかな視線を投げかける閑葉。そして、

最も攻撃的な様子で柚姫を庇うエリカ。

「あ、アンタ! やっぱりイヤラシイ事を考えてたんじゃないの?! 柚姫、やっぱり今

日は止めようよ」

 久人を見ていた柚姫も、一瞬交わった視線を素早く外した。

「きっと、大丈夫、だ、と思う。だっ、て。内藤さん、魅音ちゃん、に似てるから」

 突然名前を出された魅音が、飛び上がって両手を振る。

「そ、そんな事ないよ! 私はそんなにエッチじゃないもん」

「おい! そりゃお前は女なんだからそうだろうよ! 藤堂さんはそういう事言いたいわ

けじゃないだろう!」

 兄弟の言い合いが始まり、意味があるかも判断できない言葉のやり取りが勃発する。

 その様に呆れたのか、エリカが両手を二度叩いた。

「はいはい。もう、判ったわ。柚姫の家もすぐそこだし、早く行って始めましょう。兄弟

コントはお開きにね」

 あっさりと場を諌めたエリカは、止まっていた足を動かし、先導を再開する。何か反論

しようと思考を巡らせるも、冷静になった頭がそれを無意味だと判断し、吐息が漏れ出た。

魅音も同じような結論に至ったのか、内藤兄弟は視線を交わらせると、一つ笑みを零し、

エリカへ続いた。

 やりとりから三分程度で、藤堂の表札がかかる豪邸へ到着する。柚姫が鞄から取り出し

たカードキーをセンサーにかざすと、大きな鉄の柵がゆっくりと開いて行く。

 開ききっていない隙間から、せっかちなエリカが内部へ入って行き、一同もそれに続い

た。

「お、お邪魔します」

 一言断り屋内へ入ると、久人の住むアパートと同じ程度の広さを持つ玄関で靴を脱ぐ。

「ホント…………凄いな」

 久人は、感心した様子で内装を見渡す。屋内には、落ち着いた色調の家具や調度品が並

び、それはテレビや写真でしか見たこともないような、典型的な豪邸。

 そして、エリカや柚姫が通った廊下には、壁一面にレコードのジャケットが飾られてい

た。

 久人は歩きながら、その家が誰のものであるのか、一つの結論にたどり着く。そして、

そう認識した瞬間、途端に強烈な緊張を感じた。

「おや、いらっしゃい」

 背後の扉が開き、久人の背中へ声が掛けられる。

 振り向いた久人の目に映ったのは、ピンク色のエプロンを身につけた、中年の男だった。

 久人が息を呑む。

「お、お邪魔しています」

 震えた声で返答すると、男は口だけで穏やかに笑った。

 その男は柚姫の父であり、レッドトラックス代表取締役、藤堂東とうどうあずま

ある。

「まあ、そんな堅くならず、ゆっくりしていってくれ。キクチレコードの内藤久人君」

「は、はい」

 藤堂は、笑顔のままドアの奥へ首を引っ込め、扉を閉める。

 久人は踵を返すと、辛うじて見えていた魅音の背中を追った。頭が真っ白になり、緊張

で口の中が乾燥して行く。久人は、一瞬の顔合わせで完全に圧倒されていた。

「何やってるのよ。早く入ってきて」

 防音扉の前で立ち止まっていた久人は、苛立つエリカの声で我に返ると、急いで室内へ

入り、扉を閉める。

「ここが。藤堂さんのプライベートスタジオ……」

 久人の感想は、圧巻の一言だった。エリカが贔屓にしているらしい、あのスタジオの更

に倍はあろう吹き抜けの防音室。幾つものアンプがスタックされ、ツインペダルを備える

ドラムセットも威圧的である。フロアは走り回れる程の広さがあり、そして、二重ガラス

の向こうに見えた部屋には巨大なミキサー卓。

 プロの中でも超一流が自宅に持つ、完璧な設備がそこにあった。

「凄いな…………」

 柚姫ではなく、何故かエリカが腕を組み、自慢げに仰け反る。

「当たり前じゃない。最高の音楽を創りたいんだから!」

 ふんぞり返るエリカから視線を外し、室内を見渡してみると、多くのベースアンプ、ギ

ターアンプが並ぶ中、異質なギターアンプが二つある事に気がついた。

「あれ…………これって」

「そ、それ。私の」

 魅音が、久人の指差したアンプにギターから伸びたケーブルを挿す。その様に、久人は

口をあけて驚いた。

「お、おいおい。これって、家にある奴と殆ど変わらないじゃないか」

 久人が驚くのに不思議はなかった。数十万のブティックアンプが並ぶ中、量産品の中で

も特に安価なホビーユースのアンプを使用しているのである。

「だ、だって…………真空管? のアンプは操作が難しいし、どうやって使えばいいのか

わからないんだもん」

「これで十分音が出せますから」

 久人本人はそのつもりがなくとも、閑葉は不快感を抱いている様子である。気まずさを

感じ、エリカへ視線を移すと、金髪の少女は肩を竦め両手を広げる。

「あー、駄目駄目。その子達はそれが一番良いって聞かないから。家から貸そうか、って

言ったんだけど、それが良いって」

「でも、これじゃ」

 久人の懸念は、単に安価な事だけではなかった。初心者向けのギターアンプは、そもそ

もセッション用の出力ではない。爆音が轟くライブハウスや、リハーサル用のスタジオで

はパワーが足りず、音が埋もれてしまう。

 しかし、久人の懸念を他所に、エリカは鼻で笑ってみせる。

「まあ、一回聴いてみて」

 それが、心配無用であると受け取った久人は、一瞬の逡巡の後、四度頷いて見せた。

「……わかった。それじゃあ、実際にステージに上がって、大勢の前で演奏しているつも

りでやってくれ」

 久人の一言に、アロイの面々が頷く。

 ただ一人、ドラマーの少女を除いて。

「それじゃあ、始めるね」

 魅音がギターのボリュームを上げ、拍を取る。その後三人を見渡し、演奏が始まった。

 重量感のあるリフレインから、壮絶なドラムのビートが生産され、次々に楽器達が音楽

に合流する。ミスは目立つものの、刻まれるパーカッションのフレーズはとても高校生が

打てるレベルのものではなく、スラッシュメタルなどの熟練ドラマーでなければ演奏でき

ない程の手数である。

 そして、派手なドラムとは正反対に、エリカのベースメイクも絶妙だった。バンドサウ

ンドの中では地味な立ち位置に見られやすいベースではあるが、サウンドの支配率はギタ

ーを上回る。ドラムの超絶技巧の隙間を埋めるように、丁寧なフレージングを行うエリカ

に、久人は普段とまるで逆の印象を受けた。

 そして、バンドの顔となるツインギター。久人はまたしても、閑葉と魅音の二人に驚か

された。

「凄い。凄いけど…………どうして!?」

 演奏技術か、トーン調整か。爆音で打ち鳴らされるドラムや、五百ワットクラスのベー

スアンプに比べ遥かに貧弱な筈のギターが、しっかりと聞き取れているのである。実際の

現場であれば、音響技師がマイクを立て音量のバランスを取る事もできるが、リハーサル

の段階では、純粋なアンプのパワーが音量に反映される。

 久人の混乱を他所に、二人のギタリストは、楽器に火が灯きそうな激しいプレイを披露

していた。お互いにプレイスタイルが正反対である事もあり、その音は、縦横無尽に踊り

狂う。ギター同士の掛け合いも鮮やかであり、ツインボーカルの迫力が足され、めまぐる

しく展開する曲は、あっという間に三分半を駆け抜けた。

 ドラムがタムを鳴らし、ピタリと演奏が止む。

 生唾を飲み込み、呼吸を荒げる。

「何だ……何なんだよこれ! 滅茶苦茶カッコイイじゃねえかよ!? あのアンプから、

あんな音鳴らすのかよおい…………てか魅音も長谷川さんも、弾きながら歌えるのか!」

 感想は素直なものであったが、エリカや魅音の表情は晴れない。その視線は、背後に座

る柚姫に注がれていた。

 久人もその原因に気づいており、口にしようか迷った末、小さく息を吸う。

「……ただ、ドラムのミスタッチが少しあったな。あの手数からしたら、仕方がないのか

もしれないけど」

 久人の一言に、魅音は狼狽した様子で口を開いた。

「あ、あのね。柚姫ちゃん、本当はもっと上手なんだけど…………お兄ちゃんが来て、緊

張してるみたいなの」

 久人は、魅音のフォローに深くため息を吐いた。

「まあ確かに、調子が出ない事もあるかもしれないが。ステージで演奏する事になったら、

何百何千って人の前でやらなきゃならないんだぞ?」

「そ、それはそうだけど…………」

 魅音が言い淀むと、背後から大きな声が発せられる。

「ごめん、な…………さい! もっと……練習し、ます」

 肩を震わせながら謝罪する柚姫に、久人は態度を軟化させる。

「い、いやいや。練習もいいけど、ドラム譜もシンプルにしたって良いんじゃないかな。

藤堂さん、凄く上手いし」

「は、はい…………がんば、りま、す」

 ぎこちなく返答する柚姫を、エリカは険しい視線で見つめていた。





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