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企画競作

夏風邪と少女

作者: rai

 一人で住むには大きな一軒家に鳴り響いたチャイムの音はつまり、彼が抱えていた危惧をより現実的にさせる合図だった。

 まだ気だるい体で玄関まで足を運び、ノブに手を当てる。背中を這い回る嫌な予感に身震いをしてから青年は、ミキサーに搾り取られたような笑顔を浮かべて扉を開けた。

 「はい、どちらさ」

 あえてドアスコープから訪ねてきた人物の顔を確認しなかったのだが、それが裏目に出たようだ。青年は、笑顔と言葉を中断して開いた扉をすぐ閉じる。

 「このげんかんはげんざいつかわれておりません。ごようのかたはまわれみぎをしてとっととかえりやがってください」

 おぼろげに残る昨日の記憶は、どうやら夢にはならなかったようだ。夏風邪のあまりの苦しさによって生まれた心細さに、ついつい電話を掛けてしまった相手。その襲来は決して歓迎すべきものではない。

 青年は、虚空に向かって拝跪礼をしながら神に感謝した。もし電話をした相手が昨日襲来していたら、彼は今現世にいなかったかもしれない。一日の誤差は、神が与えた最高の贈り物だった。願わくは、ずっと襲来しないよう取り計らってもらいたいのだが、それは望みすぎだろう。神でさえも辟易しそうな人物なのだから。

 「あーけーろー!呼んでおいて、この扱いはおかしいでしょ!」

 不当な扱いに怒るわりにはいつもより控え目に、それでも近所に響くくらいの強さで扉が叩かれる。配慮という言葉の欠片も思考にない人物にしては非常に珍しいことだ。

 青年はその珍しさに不審を抱きながら、唇を動かせた。

 「近所迷惑だから扉を叩くな。あと、お前を呼んだのは昨日のことだぞ」

 青年の言葉に、くぐもった声が応える。

 「昨日?まぁ電話が掛かってきたのは昨日だけど・・・ん~、でも流石に、昨日は不可能だよ!」

 「は?不可能?」

 会話の齟齬。

 その噛み合わなさと、昨日のこととはいえ電話を掛けて呼んだという事実から湧きおこる良心の呵責によって青年は今一度ノブに手を伸ばし、意を決して扉を開けた。数秒して陽光と共に入って来た少女は、着けている白マスクを整え恨みがましい視線を送り、それから少ししんどそうに口を尖らせる。

 「鬼畜だ。この人とんでもない鬼畜な変態だよ。いたいけな少女に夏風邪までひかせた挙句、玄関先で放置プレイさせるなんて」

 青年の眉間に皺が寄る。彼には、少女の言葉の意味が何一つとして分からなかった。まぁそれはいつものことなのだが、今日の言い分は特に理解できない。

 「夏風邪をひかせた?どういうこと?」

 「どういうことって・・・昨日、変態チックな息遣いをしながら電話で言ったじゃん。夏風邪をひいてから来てくれって」

 記憶の澱みを濾過しようと、顔に手を当て額を揉む。だが、思い出すことは出来ない。ただ推理は非常に容易だ。

 「・・・それ、夏風邪をひいたから来てくれ、って言ったんだと思うんだけど」

 「え゛」

 奇妙な発声をした少女は数度瞬きをして、一足しか靴のない玄関にくたりと座りこむ。それから地面に何度も”の”の字を書き、悔し涙を滲ませながらつらつらと言葉を紡ぐ。

 「夏風邪をひいて来いっていう変態真っ盛りな要望に応えようと、水風呂に入ってかき氷も食べたのに。クーラーも最低温度一杯まで下げて扇風機の送風を最強にしたのに。朝ご飯はフレンチトーストを食べたかったのにぃ・・・」

 「バターを塗ってこんがり焼きたかったんだな・・・」

 青年は労るように少女の肩を優しく叩いた。しかし彼の瞳には何の感情も籠っていない。眼前の生物は何類何科に属しているのだろうかと心底不思議に思うのみだ。

 「というか本当に夏風邪なのか?他の病気なんじゃあ・・・」

 馬鹿は風邪をひかない、という定説を覆したくない青年はそう聞いた。すると少女は露骨に咳き込んで夏風邪をアピールする。

 「ごほっ・・ごほっ・・・・こんなに可愛いい女の子、看病したくなりませんか?」

 天保山のような胸の前で両手を握り、瞳をうるうると潤ませる。それから上目遣いで青年を悩殺しようと屈み、計算されつくした可愛いを見せつけた。

 「ないから」

 そのあざといポーズをやや冷淡に見据えながら、青年はバッサリと切った。可愛いか、可愛くないかはともかく、少女の性格を嫌というほど味わってきた彼にしてみれば当然の反応だ。

 「不明瞭な声だったなー。聞き間違えてもおかしくなかったなー」

 「じょ、常識的に考えれば分かるだろ」

 「可憐な少女を看病したいのかなと思って」

 「俺をどんな目で見てるんだよ・・・いや、違うな。お前は自身をどんな目で見ているんだ」

 青年は大きな溜息をつく。結局、折れるのはいつも自分なのだ。ただあっさりと要求を受け入れるのは癪なので、せめてもの抵抗に魂の抜けたようなメリハリのない声で承諾の意を表す。

 「分かった、看病する。看病します。で、どうすればいいんだ?」

 「とりあえず、ベッドで横になりたい」

 一瞬停滞する思考。(のち)、青年は顔を固まらせた。

 「いや、ベッドって、俺、一人暮しなんだけど?ベッド一つしかないんだけど?敷布団とかないんだけど?」

 「そうだけど?」

 絶望感に立ち眩みすらして青年はがっくりと肩を落とし、同時に心も落っことしてしまったようで、もうどうにでもなぁれといったやけくそな思考が頭の中で乱舞する。

 「・・・どうぞ、ベッドで横になってください」

 少女はその言葉に満足したのか、大きく頷いた。それから靴を脱ぎ、遠慮なくベッドが置かれている部屋へ入って、真っ白なその場所にダイブした。

 「うん。ちょっぴり男風味な汗臭さがあるけど、許してあげよう」

 「悪かったな」

 ベッドで横になった少女は、眼を閉じて大きく息を吐く。それは非常に重く熱い吐息で、彼女が病気に罹っていることを確かに証明していた。心のどこかで冗談なんじゃないかと思っていた青年は、少しばかり申し訳ない気持ちになる。

 しかしその申し訳なさは、少女の発した三文字によって容易く消し飛ぶのであった。

 「おかゆ」

 ご褒美を期待する犬のような無垢なる眼差しを味方につけてそう要求する少女。成程確かに病人食の定番と言えばおかゆだ。そしてそれを躊躇いなく催促した彼女の辞書に遠慮という文字は存在していないようだった。これにはナポレオンも苦笑いだろう。

 青年は、そんな無遠慮な少女に爽やかスマイルで問う。

 「ん?顔にぶつけてほしいのか?」

 すると少女は頬に手を当てて、顔を朱に染めた。

 「そんな・・・照れる」

 「」

 何か言おうとして、しかし青年は首を振った。もう手遅れなのだ。現代の医学では、いやきっと未来の医学ですら治療不可能な人間にかける言葉は見つからない。仕方なく彼は、力の入らない体に鞭を打っておかゆを作り始める。せめてもの恨みに、冷蔵庫に保冷したままにしていた一昨日の白ご飯を使って。




 自分の部屋に向かって、入るぞ、と言うのは何か違う気がしたが他に適当な言葉も思いつかなかったので、青年はそう口にして襖障子を滑らせた。

 少女はベッドで仰向きになって天井を眺めていた。ぼんやりではなく、食い入るように。それがとても不思議で、青年は少女に問い掛ける。

 「何か見えるのか?」

 「ううん。天井のシミを数える練習をしていたの」

 「むしろ幽霊とか見えてくれていた方が良かった!」

 勉強机の椅子を引き寄せ、そこに小さな土鍋を置き、蓋を開ける。

 その中に入っていたぐつぐつと煮えたぎるおかゆから、ほのかに柚子の匂いが漂ってくる。食欲を優しく刺激するその匂いに少女は上半身を起こし、そして何を思ったのか再びベッドに倒れ込んだ。

 「美味しくなさそうで悪かったな。けど、お前の料理よりかはマシだと思うぞ」

 少女がベッドに倒れ込んだ理由を、おかゆが美味しくなさそうだったからと考えた青年は嫌味を言ったが。

 「え、ものすっごく美味しそうだよ?」

 少女の答えは青年の考えと反していた。そしてその数秒後、青年は少女のとった行動の真の意味を思い知る。

 「あーん」

 大きく広げられた口を目の前にして青年は、このシチュエーションが微塵も嬉しくないことに何故か愕然とした。レンゲでおかゆを掬い取った彼は、戸惑い気味に少女の口へそれを持って行く。動物園に販売されている餌を初めて動物にやる入場者のような気分になった彼の心情を汲み取る様子もなく少女は、勢い良くおかゆを口に含んでその熱さに息を何度も小さく吹き出した。

 「はふ・・はふ・・・うん、美味い。薄い塩味が五臓六腑に響き渡りますなぁ」

 「ああ、そりゃよかった」

 またしても広げられた少女の口におかゆを放りこむ。何事も、最初を乗り越えてしまえば楽なもので、青年は機械的にレンゲを走らせ、数分後には土鍋の中が空になっていた。

 「美味しかった美味しかった。料理も家事も出来るし、家計簿とかつけてるし、良いお嫁さんになれるよ」

 「何だろう。お前に対しては反論するべきではなく頷くのが正解な気がする。でもそれも何か悔しい」

 「ははは」

 満腹になって眠気が襲ってきたのか、少女の瞼が段々と下がり始める。その様子を見た青年は、今のうちに土鍋を洗いに行こうとそれを持って立ち上がった。

 「子供の頃にも、こんなこと、あったよね。ずっと泣いてた君を、慰めるために、わざと風邪をひいて・・・」

 去って行く青年の背中に、懐かしむような哀愁を湛えた声色で少女が言った。

 立ち止まった青年は、眼を静かに伏せる。振り返ると、少女はすでに静かな寝息を立てて眠っていた。

土鍋を勉強机の上に置いて、ポケットから熱さましのシートを取り出す。少女を起こさないよう気を使いながらそれを額に張ると、彼は僅かに表情を柔らかくされて呟いた。

 「・・・覚えてないな」

 そう言って彼は静かに部屋から出て行くのだった。




 「ごほっ・・・ごほっ・・・ありえねー。マジでありえねー」

 翌日、彼は少女にって召喚された紫色のおかゆ(自称)を前に目尻を痙攣させながら頭を振った。それはもうあらゆる角度から検証しても食べ物ではなく、この世の負を集結させたと言われれば納得してしまいそうな、何か、だった。

 「おいしーから。絶対おいしーから!これを食べればうつった夏風邪も絶対治るから!」

 「絶対快復しねーよ!むしろ夏風邪が御臨終するわ!」

 烈火の如く反論し、咳き込む。

 やはり昨日少女を家に上げるべきではなかったと、青年は激しく後悔するのだった。


最初はもう一つのお題である「夢落ち」と組み合わせようと思いましたが、ありふれているのでやめました。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  あーんいいですねえあーん。絵面を想像するだけで悶絶できます。  いろいろ残念な女の子が可愛かったです。
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