水割りを飲む
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作家の俺は毎日、朝から晩まで書き物をして、夜になるとパソコンを閉じる。OSが古いノートパソコンは使い勝手がいいのだが、スピードは遅い。俺もずっとキーを叩き続けながら、物語を作るのが仕事だ。直木賞を受賞したのは遅かった。早い人間なら三十代で獲っているのだが、俺の場合、四十代後半で獲っている。作家としてずっと仕事をしていくうちに、作品数は着実に増えていった。俺も週刊誌や文芸雑誌などに掛け持ちで連載を持っていたのだが、書き下ろしの短編なども含めると、執筆した作品は軽く一千作を越えている。ずっと無名の時代から書き続けてきたからだ。別に多作だからと言って、他人に対し、威張ることはない。俺自体、元々地味な方だ。直木賞作家でもサイン会などは滅多にしないのだし、出版記念パーティーなどをすることもまずない。今時小説家が一作出すごとにそういったパーティーの類などをすることはないのだ。俺もそんな風に思っていた。別に創作などいくらでも出来るのだし、元々マスメディアには露出度が低い人間だ。気にすることはないだろうと思えた。作家なら作家らしく、創作を続けるのが一番である。まあ、人気作家といった類の連中もいるにはいたのだが、俺には何ら関係がない。それにずっとパソコンのキーを叩き、愚直なまでに小説を書くのが俺の仕事なのだから……。そういった労苦が分かる人間には分かるのだし、分からない人間には永遠に分からない。それだけなのだった。
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その夜も自炊して作った夕食を取りながら、ウイスキーの水割りを飲んでいた。原酒をミネラルウオーターでハーフに割って氷を浮かべる。確かに丸一日キーを叩くと疲れてしまう。そういったときは酒で紛らわせることもあった。俺も生身の人間だ、ずっと原稿を書き続けていると疲れる。だが夜は時間になると自然と空腹を覚え、食事を取ってゆっくりしていた。テレビなどはほとんど見ないのだが、たまに午後九時や十時から始まる連続ドラマなどを見たりしていた。俺自身、一日が終われば後はフリータイムなのである。気にすることはないと思っていた。余計なことを一切考えなかったし、ずっと独身でここまで来ている。確かに直木賞作家として原稿料を相当額もらっていた。本はあまり増刷が掛からないのだし、印税もほとんど入ってこないのだが、別にいいと感じているのだ。作家というのが、時間がお金に変わる仕事であるということに変わりはないので……。従来、ミステリーやサスペンスなど推理物を中心にやっていたのだが、最近は恋愛モノやエロス、時代物なども書く。出版社が要求してくるのだ。特にエロスは一番需要があった。官能小説は一定のニーズがある。エロ雑誌やアダルトDVDなどを買えない若者たちが、俺の綴ったエロ小説を買って読みながら自慰行為に更けるのだ。別に悪いと言っているわけじゃない。単に俺の書いた作品がその程度のことにしか利用されないということが腹立たしいのである。だがそれが現実なのだ。食事とトイレと外出以外はずっとパソコンのキーを叩き続けていた。俺も編集者とは懇意にしている。特に昔からずっと世話になっている大手出版社の担当編集者の大垣とは電話を掛けたり、メールのやり取りなどをしたりしていた。大垣もよく言うのだ。「原島さんはよく書けますね」と。俺も褒められて満更悪い気はしない。ずっと書き続けることが修行だと、昔創作を教わった師匠から言われて筆を絶やしたことがなかったからである。この道でずっと来ていた。俺も仕事振りは変わらない。手書きしていた時代もあったし、その後は旧型のワープロを使っていたのだが、そのうちパソコンに乗り換えた。データを全部移してしまい、マシーンをフル稼動させながら仕事をしている。それが年中ずっと続く。連載原稿なども締切日までに入稿し、ゲラのやり取りもメールでしていた。確かに時間はない。昼間はずっと執筆時間だ。だが夜、水割りを飲める時になると和む。ずっと独り身で居続けていたのだが、別に気にしてない。恋人や配偶者を作ることなく、いつの間にか、時間が過ぎ去っていったからだ。この年になって思うのが、俺も若いうちはあまりパッとしなかったのだが、その分いろんな意味で勢いはあったということである。そして加齢し、五十代という今の年齢に達してしまってから、初めて時間の貴重さを感じ取っていた。直木賞作家として仕事はジャンジャン入ってくるのだが、こなしきれない分もある。そういったときは一部の仕事を断ったりもしていた。直木賞を獲った作家はそれだけ忙しいのである。俺も忙殺されていた。出版社は一つでも多く俺に作品を書かせ、雑誌に載せたいのである。そういったことは承知の上で作家活動を続けていた。
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今の季節、盛夏で夜は寝づらい。疲れている。だが眠前にベッドに入る前、水割りを一杯飲むと、自然と寝付けた。疲労していたのだが、それが物書きの日常である。自由になる金はたくさんあった。原稿料や印税などは貯金していたのだが、何せ持っている金は優に一千万を超えている。使いきれないぐらいあった。俺もずっと金を貯め続けている。別に今老後のことまで考えていなかったのだが、気を付けていた。やはり蓄えがあってこそ生活できるからである。それに作家という職業に定年はない。ずっと続けられる仕事だった。俺もそう思い、日々作品を書き綴っていた。夜は水割りで気持ちを落ち着け、眠っていたのだから……。やはり気持ちが騒ぐと、夜眠れなくなる。あれこれと考えてしまうからだ。想いが尽きない。それを沈静させるために、あえてアルコールを含むのである。まあ、アルコールは人の寿命を着実に縮めるのだったが……。
夏の夜の寝苦しさは続いていた。俺も日付が一つ変わる午前零時前にはベッドに潜り込み、しばらく寝付けないときは布団に入ったまま、目を閉じている。そのうちにスルスルッと眠りに入っていた。そして朝は午前七時過ぎに起き出す。ゆっくりとマンションの寝室の窓を開け放ち、空気を入れ替えて夏も冬はエアコンを使っていた。今の季節、室内が冷えると、気持ちがゆっくりとなる。俺も慣れてしまっていた。冷暖房は必要だ。夏場などになると、冷房と扇風機を併用しながら過ごしていた。朝コーヒーをホットで一杯飲み、トーストを一枚齧って、食後にサプリメントなどを服用する。そして洗顔し、電動ヒゲソリ機で髭を剃り落としてしまって、体に浮いていた寝汗を水で塗らしたタオルなどで拭き取っていた。汗のベトベトが残らないようにしてから部屋に掃除機を掛け、掃除してからパソコンを立ち上げる。俺の生活ペースは決して乱れることがない。午前八時過ぎにはパソコンを開いて、仕事し始める。それがずっと続く。確かに直木賞作家は忙しいから、俺も必要なこと以外はほとんど外に出ない。それで慣れてしまっていた。対人関係は元々苦手で、人と会うととても疲れてしまうのだし……。だからファンと触れ合うことほとんどない。俺のような堅物の直木賞作家は世間に大勢いる。しかもオールジャンルで執筆していても、濃密な描写のエロスなども手掛ける作家なので、きっといろんな意味で敬遠されがちなのかもしれない。だけどそれでよかった。俺自身、ファンサービスの少ない作家として業界では通っていたので。ゆっくりと歩いていく。もちろん疲れることも抱え込むこともたくさんあったのだが……。でも書き続けている。ある程度人生を生きてきた俺にとって、小説を書くということがベストな時間の使い方だと思っていたので……。今夜も喉を焼くようなウイスキーの強い水割りをグラス一杯飲んだ後、眠りに就く。ゆっくりと。
(了)