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「あら、瞳ちゃん!いらっしゃぁ~い!」




毎度お馴染みのおばちゃんの店の暖簾をくぐると、暖かい満面の笑顔が飛び込んできた。

体格のいいおばちゃんの、相変わらずの威勢のいい大きな声。

まるで自分の家に帰って来たような温かさが、おばちゃんのいるこの食堂の中にはある。


そのせいか、ついつい通ってきてしまうのだ。



いつもは「仕事どう?」とか「ちゃんと食べなきゃダメだよ~!」とかってお説教が始まるのに、今日のおばちゃんの好奇心は、一緒に連れてきた富樫君に向かっているらしい。


お腹から響きだすような声で、「えぇぇぇぇぇ~っ!!」と叫んだ。


…うわ、何か、お客さんに注目されてる。



「何々?瞳ちゃんも水臭いわね~!

 こんなに素敵な彼がいたんだったら、もっと早くに紹介して

 くれたらよかったのに!

 突然だったから、おばちゃん、びっくりしちゃったよ!」


目をまん丸にして、大げさな口ぶりで話すおばちゃん。

こりゃ、からかう気満々だろうな。



「違うのっ、おばちゃんったら!

 この人はねぇ、私の幼馴染で富樫君って言うの。

 彼とか…そんなんじゃ、全然ないの!」



少々頬が熱くて説得力に欠けるけど、どうにか状況を説明できたと思う。

実際、なんでもない関係なんだし、彼には素敵な彼女が居るんだから。


面白くない感情が浮かび上がり、無意識に唇を尖らせた。

これは私の小さい頃からの癖だ。

思い通りに行かないことを我慢する時に、必ずといっていいほどやってしまうらしい。

…おばちゃんに、気付かれなきゃいいんだけど。


「…おやおや。

 瞳ちゃんが言うなら…そうなんだろうねぇ」


何かもう一言二言と言いたそうな顔をしてから、おばちゃんは富樫君に視線を合わせてにっかりと笑った。



「富樫君、だっけ?

 瞳ちゃんのお友達とあっちゃ、おばちゃん、大盛りサービスするから。

 がっつり食べて行きな!」


豪快な笑い声を残して厨房に入っていくおばちゃんを見送ってから、空いている席に座った。



とにかく、ここは年季の入った食堂で。

来ているお客さんといえば、ガテン系のお兄さんやおじさんたち、中高年サラリーマンなどなど。

こういうお店が大好きな真世に誘われて通い始めて何年もたってるけど、若いOLの姿など見た事がなかった。


そんなお店にぱりっとした仕立てのいいスーツを着こなしている富樫君が、普通に座っていることに違和感を感じないわけでもない。

…というか、場違いだ。

彼もそう感じているのかもしれない。

お店の前に立った瞬間から、彼の眉間には皺がよりっぱなしだから。


むっつり顔で正面に座る富樫君とおそるおそる視線を合わせ、問いかけてみる。



「あの…富樫君、何食べる?」

「…おまえは?」

「わ、私は、いつものほっけ焼き定食にしようかな…って」

「…ほっけ?」

「うん、ここのほっけね、港から直接仕入れててね、すっごく美味しいの。

 身がほっこりして柔らかで、じんわりと滋味深いっていうか。

 しかもね、旬の野菜を使った煮つけや煮びたしと納豆、お味噌汁、

 ご飯、お新香まで付いてきて、値段がなんと!650円なんだよ~。

 すっごくお得でしょ?しかもおいしいし

 私的には納豆が付いてるってのがより魅力的に見えるって言うか…」

「…納豆」

「…あれ?富樫君、納豆嫌い?」

「…いや、嫌いじゃないけど…」



富樫君は、やっぱり渋い物でも食べたかのような顔をしている。

何が悪かったんだろうか?


おろおろしていると、富樫君がふっと息をついてから肩の力を抜いた。

そして、「そういや、おまえは昔っからこんな感じだったよな~…」なんて言いながらうれしそうに笑った。



よかった。

気に入らなかったわけじゃないんだ。



「俺もほっけ焼き定食」


富樫君のその声を聞いて、反射的に「おばちゃん!いつもの二つね~っ!!」と素丸出しの大声で叫んだ。

はたと気づいた時は既に遅く、富樫君は肩を震わせて笑っていた。

あまりの恥ずかしさに、頭から湯気が出そうだった。






その後、富樫君はうちまで送って行ってくれた。

駅から歩いて5分のところにあるマンションだけれど、わざわざ遠回りしてまで送ってくれたことにそれこそ天にも上る気分を味わった。


富樫君は実家住まいだろうと思っていたのに、意外にも一人暮らしをしているらしい。

うちの駅の二つ向こうの駅だ。

世間は広いようで狭いなぁ…としみじみ感じた。


「実家の近くなのに、何で?」と聞くと「いい大人が親となんて住んでられねぇし」と言っていた。

私なら親が近くに住んでたら、迷わずパラサイトに走るだろう…富樫君はやっぱり独立心旺盛なんだなぁ、と感心してしまった。







いい感じで一日が終わり、もうこんなラッキーデーはないだろうなぁと思っていたのに。

何故かこの週は毎日、どこかしらで富樫君と出会うことになった。


ある時は会社の前で偶然に。

ある時は駅のホームや改札口で。



富樫君の勤める東洋印刷は、うちの会社と駅を挟んで反対側にある。

たとえ使う駅が同じでもビルが乱立するオフィス街で出会う確立など低いだろうに、偶然の連続にびっくりする。

実際、最近になるまで出会わなかったわけだし。



毎日会うとはいえ、お茶しに行ったりするわけじゃ、もちろん、ない。

ほんの10分程度立ち話をするだけ。


年末でどこの会社も忙しい時期なので、富樫君は得意先からの帰りだったり社用の途中だったりで、そんな時間ははなからなかった。

若くして大きな会社の”主任”という重職を担っているだけに、彼はとても忙しそうだった。


ただ話をするだけだけど、いつもよりも少し長い時間の残業の後、生・富樫君を堪能できるのは幸せだった。

たとえ幼馴染というポジションだったとしても、ひょろひょろのくもの糸のような縁で繋がっているだけであっても、うれしいことには変わりなかったりする。

現金なもので、先週末のどん底など嘘のようだ。


…喉もと過ぎた瞬間に熱さをあっさり忘れてしまうから、余計に傷つくことになるってのは分かってるんだけど。

根が楽天的だから仕方ないのかもしれない。


うれしいことはうれしいのだ。




木曜日の夜、平日は用事がなければメールオンリーの真世から電話がかかってきたからこの話をすると、真世は珍しく歯切れの悪い口調で「…よかったわね」と言った。

本当に良かったと思っているのかどうか全く分からないのは、気のせいと思いたいけど。

口の中でもごもご呟いているのはお念仏ではなくて、確実に罵詈雑言だと長年の付き合いでわかるのだ。


何かあったんだろうか?


「怒ってるの?」と聞いても、「あんたに対しては怒ることなどこれっぽっちもない」ときっぱり返される。


何なんだ?


聞いたところで絶対に教えてくれない事は分かっていたので、おとなしく引き下がることにしたけど。

十分気になる。




そして迎えた、花の金曜日。


週末だし、久々にラーメンでも食べに行こうと歩いていると、後ろから肩を叩かれた。

驚いて振り返ると、なんと、富樫君だった。


全力疾走でもしたのか、息が上がり、おでこには汗がじっとりと滲んでいた。

両膝に両手を付いて数回深呼吸した後、起き上がってネクタイを緩めてからワイシャツの第一ボタンを乱暴に外した。


男らしい荒々しい仕草とふと目の前にさらけ出された喉仏に、一瞬ドキリと心臓が高鳴った。

頬に熱がこもるのが、妙に恥ずかしかった。


私の馬鹿!

意識しまくってるってこと、ばればれじゃんっ!

欲求不満丸出しじゃんっ!!



「…んで、今日はこれからどこへ?」


あわあわしている私に、富樫君が上目遣いで見てくる。

ため息のような息遣いに混ざる台詞が、非常に色っぽい。


男性に免疫のない私は、どぎまぎして、しどろもどろに答えた。


「…行きつけの、ラーメン屋さん」



そこはやっぱり学生の頃からお世話になっている、外見はボロ屋だけど味はピカ一のお店。

じっくりと煮込んだとんこつからとられた出汁と企業秘密である各種材料との調和は、少し太めの麺にはばっちり合っている。

だからこそ、定期的に思い出しては行きたくなるのだ。


そして、今日はラーメンの口になってしまったわけで。


正直にそう告げると、富樫君は呆れたようにため息をついてから「…じゃ、行こうか?」とさりげなく左手を差し伸べてくれた。

戸惑って空中をさまよっていた私の右手を痺れを切らしたとばかりに捕まえ、私から聞き出した場所に向かって歩いていった。


せかせかと歩く富樫君の背中を見つつ、私はきっとまたお店を見た瞬間に眉間に皺が寄るんだろうなぁと考えた。


何でそうなるのか、理由はトンとわからない。

でもなんだかそんな彼を見るのは新鮮で、心が浮き立つようだった。


例え友達以上になれなくても、こういう特典はとても美味しいと思う。

頭の中にある思い出の一ページにしっかりと貼り付けている。


これがただの思い出に変わる日が来る事は怖いけれど、でも大好きな彼と一緒にいる時間は大切にしたい。

そんな想いを胸に秘めて、私はとくとくと早まる心臓の音に気付かれませんようにと祈りながら、富樫君の大きくて頼りがいのありそうな背中を追いかけた。











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