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翌朝、私は”何事もなかった、全てまるっきりいつも通りの私”に徹して出社した。



「おはようございます!昨日はご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」


恒例の朝の挨拶と一緒にお詫びの気持ちをこめて頭を下げれば、心優しいみんなは口々に「大丈夫?」

「体なんともない?」「無理するんじゃないよ?」…なんて、泣けてくるぐらいに温かな言葉をかけてくれた。


それはそれは、ズル休みしたことへの罪悪感が釘みたいにぶすぶす私の心を刺しまくってくれるほど。


罪悪感を脇に避けてみると、体を気遣って声をかけてもらったりあれこれサポートしてもらえるのは心からうれしい。

みんなの優しさが心や体に染み込んでいって、不覚にもじんわりと涙が浮かんでしまう。

思いっきり泣き叫んだりしてたから未だに身体がだるくて、気持ちもどんより曇り空。

たくさんの励ましの言葉を糧に、昨日の分を取り戻すべく仕事に専念することにした。


それに…忙しいほうが、思い出したくないものを思い出さなくなるから。




これから先、どうなるんだろう?

多分もう二度と富樫君と顔をあわせることもないと思うけど、でももし仕事上でどうしようもないトラブルが起きたら主任である彼が出てくるのは確実。

そんなことになったら…私、正気でいられるかな?


ここはひとつ、本山さんにがんばっていただかねば。

彼女、私なんかよりもずっとしっかりしてそうだし、きっと大丈夫だろう。

それに、真世だってついててくれるし。



…なんて。

結局、思考回路は全て彼とのことに繋がってしまうわけで。

ため息も出やしないよ…全く、私ってば馬鹿女!



「笹原さん、今、いいかな?」


課長の呼ぶ声で、はたとお悩みループから解き放たれた私は、「はい!」と慌てて立ち上がった。


仕事、仕事!

がんばらねば!!



私はもう一度、自分に喝を入れた。







ようやく仕事がひと段落。

1時間ほど残業しただけですんで、ちょっと幸せ気分。


今日は金曜日。

明日も明後日もお休み。

時間も早いし、今日は何か美味しいものでも食べに行こうかなぁ?

本当なら真世を誘いたいところだけど、今日は愛しの彼と濃厚な週末を過ごすんだと張り切ってたし。

寂しいけど、一人で楽しむことにしよう。


こういう時は、大学生の頃からお世話になっているお馴染みの小さな食堂が一番!

おばちゃんとあったかトークで胃も心も温めるぞ!



帰り支度も出来て、更衣室に残っている女子社員の皆様に挨拶をしてから玄関に向かって歩き出した。

…それにしても、真世の言うところの濃厚な週末って一体どんな週末なんだろうか…?等と考えつつ、12月の冷え切った空気の中に飛び出してみると。

見たことのある人がガードレールに寄りかかるようにして座り、携帯を操作していた。


「……へ?」



アレは…なんか…その…なんか…似てるん、だけ、ど…?

…いやいやいやいや。

いくらなんでも、それはないでしょうよ!

…ってことは、幻覚…?

私…幻覚見るほどにきちゃってるってわけ?



思考回路がフリーズする寸前、かの人物が携帯から顔を上げ、あろうことかまっすぐに私を見つめてきた。

途端、私の心臓がどごん!と大きな音を立てて、それからどっどっどっとありえないほどの速度で動き始めた。



幻じゃ、ないよね?

だったら何でまた、こんなところに……?



そんな疑問も声にならず、アホみたいにぽかんと口を開けて見つめていたら、私の目の前に彼の影が落ちた。


「よぉ」


随分とあっさりした挨拶をしたのは、間違いなく、夢でもなく、富樫君その人だった。



「あ…ども」



気の抜けた炭酸みたいな返答が気に入らなかったようで、富樫君はあからさまに不機嫌そうに眉を寄せた。



「あのなぁ、もうちょっとだなぁ………って、まぁ、いいけどさ。

 じゃ、行くぞ」

「は?」

「もう仕事は終わったんだろ?だったら、メシの時間だろ?」

「はぁ…」

「それとも、何か予定でもある?」

「えと…今日は一人ぼっちの金曜日だから、

 お馴染みのお店にご飯食べに行こうと…」

「だったら、そこでいいや。笹原、案内して」

「…へ?」

「ほれ、ぼやぼやすんな!」



反応の悪い私の腕をがしっと掴んだ富樫君は、そのまま駅に向かってすたすたと歩き始めた。


なんだなんだっ!?

このぶっきらぼうな野郎はっ!!


あの飲み会での大人な彼は一体どこに行ったんだろう?

ちょっと釈然としない。



でも考えてみれば、中学時代の彼は総じてぶっきらぼうだった。

言葉が足りなかったり、乱暴だったりして周りから誤解されることもあったけど、それは照れだったりもどかしさだったり、優しさだったりの裏返しだって、ずっと彼を見ていたら理解できた。


人を傷つける発言だと受け取られがちな容赦ない言葉が、実は相手の気持ちや先のことを考えた、心のこもったものであったり。

若さゆえの不器用さもあり、自ずと損な役割を演じる立場になってしまっていたけれど、平気そうな顔をしていたものの、彼もまた当時未熟な中学生だったわけで。

本当は相当傷ついていたことに、ただ見守ることしか出来なかった私だけど、気付いていた。


自分を良く見せることよりも相手のためになることを優先出来る彼は、本当に強くて優しい人だと中学生なりに感動していた。

そんな彼だったからこそ、今でもこんなにも好きなんだろう。



今の彼がどんな人か、哀しいことに私には分からないけど。

でも、あの中学生時代の彼が基盤となっているならば、きっと素敵な大人になっているに違いない。

木本さんが彼の心に気付いて二人が心を通わせるようになっても、全く不思議ではない。


考えてみれば、富樫君への片想いを続けていた中学時代と今でも全く状況は変わらないじゃないか。

だったら、中学生の頃のように、想いを秘めて生きる事だって、きっと出来るに違いない。


彼らの幸せに水を差すことにだけはしたくない。

だって、大好きな人には幸せになって欲しいもの。




だったら、いいじゃん。

彼とは友達で、大切な幼馴染ってことで。

胸が痛くなるのも次の恋にますます縁が遠くなるのもしかたないし。


どうせ富樫君と接触がなくても胸は痛いし、富樫君を忘れられないうちは次の恋なんて考えられないし。

せっかく今日こうして会うことが出来たんだし、美味しくご飯を食べて、迷惑かけたことをちゃんと謝って、元通りの生活に戻ろう。

そしたら次に会った時には、ビジネス上もちょこっと付き合いのある幼馴染というポジションに落ち着いているだろう。



そう思えたら、肩の力がふっと抜けた。


「と、富樫君、その食堂、私の家の最寄り駅で…各駅停車しか止まらない

 小さな駅なんだけど…それでも…大丈夫?」

「…大丈夫」



富樫君が私のテリトリーに入ってくるってのが、ちょっと不思議だった。

けど、あの大好きなおばちゃんの美味しいご飯を富樫君に食べてもらえるんだと思ったら、なんだかうれしかった。



にまにま笑う私を不思議そうな顔をして見ていた富樫君は、なぜかふっと笑顔を見せた。

私の記憶の中にある彼の笑顔のどれとも違う、優しさの滲み出た、温かくて印象的な笑顔。



あまりに素敵な笑顔すぎて、私はまるで中学生の頃に戻ったように赤らんでいるであろう頬を隠すように俯いた。









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