6
「あれ?瞳、富樫君と知り合いなの?」
真世が不思議そうに聞いた。
そりゃそうだろう。
私だってこんな大都会で、子供の頃の知り合いに出会うなんて思ってもいなかったんだもん。
ましてや、彼なんて…。
「え…と、あの…」
「幼馴染」
樋口さんがぽかんと口を開けた。
「え?笹原さんって、杉田さんと同郷じゃなかったっけ?」
「あ、違いますよ、樋口さん。
瞳は高校入学時にお父さんの転勤で静岡に来たんですよ。
もともとは神奈川県、だよね?」
「あ、うん」
「じゃ、2人は小学校の同級生とか?」
「家は近くなかったんですけど、幼稚園から中学校まで一緒だったんですよ。
な?笹原さん?」
富樫君に話しかけられ、緊張のあまり声が出ない。
肯定の意を表現したくて、必死になって頭を上下に振った。
…若干酔いが加速する。
そんな私の馬鹿なひとコマに気付かなかった樋口さんと真世は、しきりに「そんな偶然ってあるんだね~」と頷きあっていた。
そして、穏やかに微笑んでる富樫君。
…大人になったなぁ~。
あの頃から変わらず素敵な彼をぽぉ…と見つめていると、真世の「あ!!!」という叫び声が。
確実に当たる、嫌な予感。
にやりと笑った真世はテーブルに両肘を突いて身を乗り出し、富樫君に聞いた。
「…ひょっとしてさぁ~、中学校で富樫って名前の男の子、あんただけだった?」
「………。
…いや、もう一人いたよ。
確か3年の時、笹原さんと同じクラスだったヤツだよな?
笹原さん、アイツと仲良かったし。」
「…はぇ?」
…いいえ、あなたのお兄様が卒業して以後、富樫なんて名前は3年間通してあなた一人しか知りませんですよ。
彼の意図が見えない嘘のせいで真っ白い頭のままでたそがれていると、真世が爆弾を投下した。
「じゃぁ、そっちの富樫だ~!
瞳の青春、知らずに踏みにじってる”初恋の君”は!!」
「…っとぉっ!!!!!」
酔って赤い顔が火を噴いた。
本人を目の前にして…目の前にして…目の………
くらり。
一瞬気が遠くなった。
騒がしい宴会場の中で、し~んと静まり返るこの一角。
興奮してるのは真世だけで、富樫君はびっくり顔だし、樋口さんは目が点だし。
さっきの話とのリンクが完了したのか、樋口さんはポン、と手を叩いて言った。
「…って事は、その”富樫君”ってのが、さっき話していた笹原さんの初恋の人?」
「そうなんですよっ!そいつのせいで、真世は現在彼氏いない歴更新中~」
「……もう、やめようよ、その話は……お願いだから」
もうここまできたら、何もかもばればれ。
昔から脳細胞の活性がよかった彼のこと、きっとパズルのピースはあらかた埋まったことだろう。
取り繕う場所など、あろうはずもない。
息も絶え絶え、ショックすぎてもう声にも力入りません…ってなもんだ。
これ以上はもう…企業秘密ってことで。
本人目の前にして、アンタ、晒したくない心の傷を親友にカミング・アウトされるって…これ以上の
罰ゲーム、必要ないでしょうよ!
帰りたい。
お家に帰って布団に慰めてもらいたい。
そして永遠にそのまま……異空間へ旅立ちたい。
誰に引き止められようが振り切ってでもお暇しようとバッグに手を掛けた時、驚いて言葉を失くしていたはずの富樫君が口を開いた。
「…へぇ、笹原さんって、あいつのこと好きだったんだ~?」
ニヤニヤ笑ってる。
…知ってんじゃんっ!!
告白したんだからさっ!!!
「そうだ!ねぇ、”富樫”ってどんなヤツ?アンタ知り合いじゃないの?
連絡取れるんだったら、文句の一つ言ってやりたいんだけどっ!!」
「…それはまた、なんで?」
「ちょっとっ!真世っ!!やめてっ!!!」
一体私のどこにこの瞬発力があったんだ?というほどのスピードで、真世を後ろから羽交い絞めにして口を塞いだ。
渾身の力を込めて封じ込めるも、酔っ払いモードの真世にあえ無く押さえた手を引き剥がされた。
「だって、瞳ったらまだ片想いの彼に未練タラタラで、
彼氏の一人作らないんだよ?
勝手にやってろ!って優しく見守ってやってんのに、
この前偶然の再会して彼女連れてらぶらぶモードで歩いてるとこ
見たって落ち込んで大泣きしてるしっ!
こんなに可愛い子がどこの馬の骨か知らん男に今だ縛られてるなんて、
あったまくるじゃないっ!!」
……言っちゃったよ。
全部ゲロったよ。
私のではない口が。
私のことを思ってくれる真世。
だからこそ、私が悲しんでいる事はまるで自分のことのように心の底から怒り、泣いてくれる。
真世はいいヤツ。
大切なヤツ。
大好き。
でも……
お酒の席で、しかも真世は思いっきり出来上がった酔っ払い。
わかってるけど、やっぱりこの状況でこれはきつ過ぎる。
ぽろぽろぽろぽろ。
人前でなんて泣かないんだ!ってがんばってたんだけどなぁ。
涙が止まらない。
「……かえる」
しゃくりあげそうになるのを堪えて呟いてから、バッグを持って会場を飛び出した。
さっきの驚くべき瞬発力の効果は、ありがたいことにまだ残っていたようだ。
後ろで三人が引きとめたような気がしたけど、振り返らなかった。
振り返れるわけがない。
幹事さんの「そろそろお開きに~」なんてお決まりの台詞が聞こえたし、きっと彼らも追ってこないだろう。
ひたすら走って、明るい街に飛び出して、偶然目の前に止まっていた空車のタクシーに飛び乗った。
タクシーが走り出した瞬間、目にハンカチを強く押しあて、もう一度気力を呼び戻そうと何度も深呼吸した。
じゃないと、ここで号泣して立ち上がれなくなりそうだから。
少しだけ気持ちが落ち着いて、私にちゃあ一生に一度の大事件が起こった直後だというのに頭に浮かんだ言葉は『会費前払い制でよかった』だった。
案外と図太いじゃん、私!…と感心してみたり。
家の前についてお金を払って、引きつる笑顔で「どうもありがとう!」と言って。
たんたんたん…と慣れたマンションの階段を自宅のある3階まで上った。
バッグから鍵を取り出して、がちゃりと音がしたらノブを回して家の中に入って。
そしたら速攻施錠。
もちろん、チェーンも忘れずに。
一人暮らしを始めてから、自然に身に付いた習慣だ。
いつもいつも繰り返される動作の一つ。
3歩歩けば、10畳のリビングダイニングキッチンに到着。
真っ暗闇の部屋をぼんやりと眺めた。
見慣れた部屋の風景。
カーテンを閉めて出るのを忘れた窓には、暗いけど明るさの消えない都会の夜が見えた。
やっぱり、うちはいいなぁ~。
しみじみと感じで、ほっとため息を吐く。
強がりは、ここでおしまいみたい。
気付けば、どこにこんな水分があるんだ?と不思議になるほどの涙が、あとからあとから流れ落ちてきた。
幼稚園の頃からずっと富樫君が好きで。
一度失恋したのに、やっぱりずっと恋し続けてきて。
乙女チックに夢見ていた再会、同時に再び失恋。
これほどまでに追い詰められた状態で、未だにしつこく恋し続ける気持ちを当の本人に知られるなんて。
「…わっ…わたっ…私の…っ、ばかぁーーっ!!呪われてしまえーっ!!!」
意味不明な叫びだと、自分の中の冷静な部分が鼻で笑ってる。
でも、いいのだ。
今日ぐらいは。
ぐちゃぐちゃにみっともなく泣きながら、タバコと揚げ物の匂いが染み込んだスーツを脱ぎ散らし、下着姿のまま柔らかい布団の中にもぐりこんだ。
涙と酔いで火照った体に、冷えた布団だけがやさしかった。