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年取ったら時間の流れが必要以上に速くなるというのは実感済だけどさ…。
私は今、樋口さんの誘われた東洋印刷主催の飲み会に来ている。
まだ二日あるしぃ~、とか思ってたのに。
事前に真世に連絡して、樋口さんの話通りさして肩肘張るような会合ではない事は確認済みだったから、気持ちは若干上向き。
いつも飲み会に参加する時みたいな嫌ぁ~な気分よりも、楽しみって思う気持ちが勝っている。
部署が変わったといっても樋口さんは同じ会社内にいるわけだし、ごくごく親しい関係者、若い世代の人たちと内輪だけで…ってことになったらしい。
そのせいか借り切った個室は盛り上がり、活気がある。
気持ちは分かるよね~。
上司なんざ呼ぶ人間間違えたら、一体誰の、何のための飲み会かわからなくなるもの。
長いスピーチ。
くっだらない説教。
本当か分かったもんじゃない、とってもうそ臭い武勇伝。
女子社員を無料ホステスかなんかと勘違いしてるんじゃないか?と思われる、その態度。
金払え、金!…とまでは言わないけどさ。
セクハラ寸前の行為は本気で止めよ!
あの、クソ部長めっ!!
…いや、違う。
あいつは来ないし。
うちの会社のヤツだし。
とりあえず気持ちを落ち着けて、深呼吸…。
「あれ、笹原さん、どしたの?空気悪い?」
「あ、樋口さん」
トリップしている間に、ビール瓶片手に樋口さんがお酌に来てくれたようだ。
さっきまで隣には独身の真世ちゃんと私のため(?)、田口さんが”妊婦の苦労”について講義してくれてたのに。
いつの間にかそれぞれ別席に移動してるし…。
宴会開始からもうすぐ2時間。
さすがに出来上がりつつあるな…私も。
「今日は誘ってくださって、ありがとうございます」
「いえいえ」
そろそろ顔が火照ってきたので丁重にビールをお断りし、手元にあった烏龍茶で乾杯。
いつも会社で会うときよりも気さくな様子の樋口さんに、ちょっとだけ親近感を持ったりして。
いい人だなぁ~、ほんと。
「こんな機会じゃないと笹原さんと仕事以外のお話できないでしょ?
だから今日は、ちょっと強引かなぁ~と思いつつも、
杉田と田口ダシに使って誘ってみました」
イタズラっぽく笑うと、とっても幼く見えるのね~。
ちょっと新鮮な感じ。
「あんまり飲み会って好きじゃないからどうかなぁ?て思ってたんですけど、
とっても楽しいですよ?
田口さんのお話もたっぷり聞けたし」
「じゃ、これからは、僕とたっぷり話しない?
…例えば、恋の話とか」
「恋…ですかぁ?」
きっと今の私、あからさまに眉間に皺寄ったぞ。
声だって、すんごく低かったし。
酔っ払いって怖いな。
度胸満点って感じだ、私。
樋口さん、引いちゃってるよ…
「え?なに?気に障った?」
「や、今、そーゆー話、禁句なんですよ」
「なになに?…ひょっとすると、彼氏がいたりして、現在喧嘩中…とか?」
「彼なんてもんは、いませんけどね…ちょっと…過去の思い出が
汚点へと変身してしまったというか、なんというか…」
「過去が汚点へと変身…?」
点目のまま、不思議そうに首を捻る樋口さん。
そりゃわかんないだろうさ。
酔っ払いの私に具体的解説を求めるのは、無駄ってもんですよ。
「係ちょぉ~!瞳はねぇ~、昔~の初恋の彼を未だに引きずってんのっ!
だ・か・ら、中途半端にくどいても空しいだけよぉ~??」
「ちょっとぉっ!!真世っ!変なこと言うなぁっ!!」
「なになに?面白そうだから聞かせて?」
私以上に出来上がり、今や完成の域にまで達している真世が突然抱きついてきた。
げ!いつの間に舞い戻ってきた!?
樋口さんが身を乗り出して、目をキラキラさせている。
話、聞く気満々だ。
なんだよっ!みんなしてっ!!
酒の肴じゃないんだよっ!!!
「やめてってばっ!恥ずかしいっ!!」
「恥ずかしいって思ってんだったら、男の1人や2人作ってみろってんだ!!
まんが界の住人め!」
「なにおうっ!!」
「え?笹原さん、彼いないの?まんが界の住人って、何ソレ?」
酔っ払い真世が背中から羽交い絞めにした挙句、私の口を両手で塞いできた。
抵抗するも、空手有段者の彼女からは逃げられない。
…くっそぉーっ!私よりも細っこいくせにっ!!
胸だって小さいくせにーっ!!
「あのですね~、瞳は未だに中学校の時に好きだった男のことが忘れられないんですよ。
で、誰と付き合っても、付き合おうとしても、あ~っという間にさよ~ならぁ~。
今まで何人の男が泣いたことか…私、男友達に恨まれまくってますもん!」
「へぇ~…なんか、純情というかなんというか…」
「だから、まんが界の住人!夢見すぎ!!現実見なさすぎ!!」
「なるほどねぇ~」
何とかもがいて真世の手を跳ね除け、戦闘中のウルトラマンのように身構える。
「いいじゃないよっ!ほっといてよっ!ふんっだっ!!」
笑いたければ笑えばいいじゃないっ!
…私が一番、乙女な私を笑い倒してやりたいんだからっ!!
にやにやチェシャ猫みたいな真世とくすくす笑う樋口さんを睨みつけた。
「じゃあさ、笹原さん?」
「…なんですか?」
「僕もまんが界の住人になったら、もうちょっとお近づきになれたりしない?」
「はい?」
「だから、僕、笹原さんの世界を共有してみたいんだけど…仕事じゃなくて」
「…お笑いのネタかなんかにするんですか?」
思ったことを口にすると、途端に樋口さんの目が点になった。
「空気読めよ、ぶぁ~かっ!!」と真世が後頭部をがつん、と殴ってきた。
痛いよっ!
睨みつけようと振り向いたら、めちゃくちゃ怖い顔で真世が睨んできた。
「おめ、どれだけ鈍かったら気が済むんだよっ!!ぶぁ~かっ!!!
だぁかぁらぁ~、ね~っ!!!樋口さんはぁ~!!」
男ばかりの道場で15年間みっちり鍛えられた真世は、素が出ると半端なくコワイ。
頭を隠してビクビクと真世の怒鳴り声を聞いている時だった。
個室の襖がガラリと開いて、誰かが入ってきたのは。
「富樫しゅにぃ~ん!おそぉぉいっ!!」
人影が見えたと同時に、甘えてくねくねした女の子の声が上がった。
しん、となった座が、ざわざわと活気付く。
「遅くなって申し訳ありませんでした」
低すぎない、よく響く色気のある声。
最近聞いた覚えのあるこの声。
まさか…まさか……まさかだよね?
おそるおそる声の主を見た。
「もぅっ!主任が来ないと、全然盛り上がりませんよぉ~!」
「富樫さぁん、お疲れさまぁっ!」
神様。
あなたは鬼ですか?
私の願いも空しく、入ってきた”富樫主任”は富樫雄大、その人だった。
絶望的な気持ちで彼を見ていると、彼も私に気付いたようで一瞬驚いたように目を見開いた。
「…すみません。樋口さん。お祝いの席に遅れてしまって」
「こちらこそ、すまんな。残りの仕事、全部請け負ってもらって。
お疲れさん」
富樫君は一緒に飲もうと誘う同僚達を笑顔でかわしながら、ごく自然な足取りでこちらに向かってやってくる。
来るな!来るな!!と念を送っても、届くはずもない。
だってこの会の主役が私の隣にいるんだもん。
自然な感じで私の斜め前の席に座った富樫君は、私を見てゆったりと笑った。
「…君とは随分めずらしいところでばかり会うね、笹原さん」
背中に冷たい汗が流れた。