富樫君編 12
海が見える広場には、人の気配がほとんどなかった。
話し合いには丁度いい。
俺は闘志を胸に綾に向き合った。
が、俺が口を開こうとするよりも早く、綾が機関銃のように瞳を攻撃始めた。
「…あなたの目当てはなんなの?
財産?
それとも、雄大君の容姿に釣られたの?
善人面で私は何も知りませんって態度で、ほんっと、頭にくるわ!
いやらしい、最低の女ね!」
いやらしい最低女はお前だろうがっ!
俺はいい加減にしろ、と怒鳴りつけた。
なのに、この厚かましい女はまだ自論をぶちかましている。
「だってっ!私、雄大君だけなのに…っ!
絶対にこの女、雄大君のおうちがお金持ちだから近づいただけの女よ?
これまでずっとそんな女を軽蔑して、距離を置いたり
切ったりしてきたじゃないの!」
…だからそれは瞳じゃなくて、…。
オレの中でかろうじて残っていた紳士な一面が崩壊した。
こんな人間でも幼馴染だし、瞳にあまり黒い自分を見せたくないという計算も働いていたのだが、もうどうでもよくなった。
頭の中が冴え渡り、残虐で冷酷な部分が支配権を広げていく。
大きな相手との交渉の時にしか現れることがない、情に惑わされることなく的確に追い詰めていく俺の一面。
過去、腹割って話せる連れからも恐れられた極悪モード。
もう、容赦しない。
まずは心の中で両親と綾の親父さんに詫びを入れた。
「…だから、君とも距離を置いたんじゃないか」
「…なんて…?」
綾が再び呆然と見つめてきた。
俺の口角は、自然と上がった。
「だから、俺が何も知らないと思ったら大間違いだってことだよ。
君の交友関係についてはおおよそ把握しているつもりだし?」
「…何のこと?」
「俺の両親や親戚が持っている財産や地位を狙っている女をリストアップしろと
言われたら、俺は真っ先に君の名前を書くよ。
それについては、反論の余地なし、だろ?」
「そんなっ!」
焦ってるな。
うぬぼれるあまり自分がぼろ出してるなんて、考えもしてなかったんだろうな。
実は、こいつが見知らぬ男とホテルに入っていく姿、過去3回は目撃しているのだが。
盛りの付いた犬のようにやりまくってるの、マジで知らないと思ってたんだな。
俺の財産狙ってることを知らない、手玉に取りやすい男だと。
中学の頃と変わらず、綾を崇拝している安全パイだと。
そう考えていたわけだ。
…むかつく。
「それに、俺が結婚を急ぎたいと思うほどに惚れ込んでいるのは、
君じゃなくて瞳だ。
俺が選んだ相手に何故ケチをつける?君に決定権などないのに」
「私はっ!雄大君のことを考えて…っ」
うぜえ。
俺のためとか言えば、何しても許されると思っていること自体うざい。
猿みたいな綾の叫び声を片手で制し、きっぱり言いきった。
「俺の気持ちを考えてくれると言うなら…今すぐどこかに行ってくれ。
そしてもう二度とこんなことで俺たちを煩わせないでくれ。
俺が穏やかに話をしているのは、単に家族や瞳のことを考えてのことだ。
くだらない自分本位な理由でオレの大切な人たちを苦しめるのであれば、
誰であろうと許さない。
親父と君の父親の関係がなければ、俺はこれまで言い寄ってきた女たちと
同じように君を切ると断言するよ。
これ以上、どういえばわかってもらえるんだ?」
ちょっと困ったように芝居丸出しに眉を上げてやると、ショックと怒りのせいか綾の顔は青ざめていった。
よろよろと後ずさりしたところを見ると相当のダメージを受けたかと思いきや、バッグで街灯を殴りつけるところが彼女らしい。
けど、あれはかなりプライドが傷ついたな。
自業自得だ、少しは反省しろ。
これでよかったと思いつつ、正直、心は複雑だった。
子供の頃、純粋に思い続けていたあの少女は幻だったのだと思うと、やはりやるせない。
今の彼女の生き方に賛成も共感も出来ないが、彼女なりの幸せを掴んでくれたらと純粋に願っている。
これでも少しは敬虔さを持ち合わせているつもりだ。
綾の後ろ姿をぼんやりと見送っていたら、突然瞳がその場に座り込んだ。
慌てた俺は「おい!大丈夫か!?」と叫び、両手を彼女の頬に当てて顔を覗き込んだ。
真っ青だ。
こんな修羅場、精神的にもきつい年末年始を送っていたはずの彼女にはかなり辛かっただろう。
そんなことにも気付いてやれない俺のアホさ加減に嫌気が差した。
大きな目から大粒の涙が次々と溢れ出した。
苦しい。
また彼女にこんな顔をさせるなんて。
「…怖がらせて、悪かった。
こんなことになるなんて、思ってもみなかったんだ…許してくれ」
許しを請うように、額に小さなキスを落とした。
彼女が感じている苦しみを全て拭い去りたくて、流れ続ける涙を唇ですくい取る。
少し塩辛い涙の味が広がる舌先に、確かに彼女の温もりを感じた。
柔らかくて滑らかな彼女の頬を舌先に感じる度に罪悪感は薄れ、代わって心の奥底に閉じ込めていた欲望がむくむくと頭をもたげた。
瞳の涙が止まる頃、許しを求めるためのキスは、より情熱的な意味合いのものに完全に姿を変えていた。
最後に額に落としたキスは最初のキスとは似て非なるもの。
慰め、労わるのではなく、求め、奪いたいう宣言のキス。
瞳は、そのことを理解しているのだろうか?
きっと一つも理解していない無邪気な彼女が可愛くて、視線を合わせた途端笑ってしまった。
彼女は耳まで真っ赤に染めて、明らかに恥ずかしがり、戸惑っていた。
愛しさが後から後から湧きあがり、自然と笑みがこぼれる。
これを幸せと言わずして、なんと言えばいいんだ?
彼女と再会できて、本当に良かった。
運命の女神は俺に味方してくれたんだ。
陳腐な使い古された台詞が、今の俺にはぴったりだった。
コイツも俺の事、好きでいてくれてるんだよな?
結婚したいと思うぐらいに。
俺はお前のこと、心の底から愛してんだ。
この気持ちの全てを伝えたくて、俺は瞳の唇に唇でそっと触れた。
頬とはまた違った柔らかさに、俺の身体はたちまち反応した。
なのに瞳は、相変わらず無垢な瞳のまま。
…愛してるんだ!
俺の中に今だ住んでいる我侭なガキの部分が、飛び出してきた。
そして本能の赴くまま、想いの全てのままに、全てを奪い去るような濃厚なキスで瞳に突撃した。
全く不慣れな様子がさらに俺を煽る。
無防備に開かれた唇の間から自然を舌を差し込むと、心が求めるままに瞳の口内を暴れまわり、蹂躙した。
もちろん、愛をたっぷり込めて。
もっと欲しい。
もっと、もっとだ。
このまま2人一緒に融けてしまいたい。
瞳の小さな身体を硬く抱きしめていた両手で彼女の背中を撫で下ろし、丸みのあるヒップをぎゅっと掴んだ。
もう既に硬くなっている分身を押し付けたい欲望が体中を駆け抜ける。
だめだ、コントロールが効かない。
こんなことは初めてだった。
正直、こうなる予感があったとはいえ、この俺の反応には俺も戸惑った。
とその時、瞳が俺のワイシャツの背中をぎゅっと握り締めた。
ふるふると小刻みに震えている。
もしかして展開が早すぎてついていけないのか?
そう考えた途端、杉田が教えてくれた言葉が蘇った。
『おかしのおなら』
一瞬で気持ちが萎え、正気が戻ってきた。
俺は離したくない気持ちを宥め透かし、しぶしぶ彼女の唇から撤退した。
んだよ!
二つの”お”が守れないのは、お前のせいじゃねーか、杉田っ!!
頭の中に浮かんだ憎ったらしいチェシャ猫のように笑う杉田の幻影に向かって悪態をついた。
初めての経験だったのだろう、瞳は膝を震わせ、身体中で緊張していた。
そっと抱き寄せてやると俺の胸に頬を摺り寄せ、体中の力を抜いた。
安心してくれているんだ。
彼女からの無条件の信頼がうれしくて、心が躍った。
「…なぁ、瞳、結婚しよ?」
自然に口を付いて出てきた言葉だった。
驚いて、大きな目を一杯に見開いた瞳と目が合った。
「俺、やっぱりオマエと居るとすっげぇくつろげる。
素のままの俺を見ても本音言っても、自然に受け入れてくれる
お前が生涯必要だって、わかったんだ。
中学校の頃から俺を見捨てず、想っていてくれてたことがうれしかった。
…それが分かった時、もう気持ちが止まらなくなったんだよ」
ふわっと改めて彼女の頬が赤く染まった。
「でも、結婚って…富樫君、後悔しないの?」
「あぁ、全然。
俺だって人生の中でいろいろなことを学んできたんだ。
だからこそ、お前が必要なんだと確信したんだ。
お前だって俺のこと想ってくれてるって言ってただろ?」
必死になって思いを伝えようとしてるのに、瞳はどんどんイライラして、最後には泣きそうな顔になっていた。
なんで?
俺はなぜ彼女がこんな風に反応するのか、全く理解できなかった。
「けど!けど…全然違うじゃない…」
話せば話すほど、彼女は目は戸惑いに揺れ、唇を怒ったように尖らせる。
ほんと、何が悪かったのだろう?
思いが伝わらなくて地団太踏む子供みたいな彼女を見ているうちに、俺はようやく思い至った。
そうか、俺は大切なことをまだ伝えてなかったんだ。
「だって、結婚するって事はお互いに…」
「ストップ!」
「でも、これは…っ!」
「だから聞けって!」
興奮して話し続けようとする瞳の注意を俺に向けさせた。
大切な気持ちだから、言わされるみたいなんじゃだめだ。
俺が自分の意思で伝えるんだ。
中学生だったあの日。
彼女がありったけの勇気を振り絞ってしてくれた、告白のように。
「打算や妥協で結婚するんじゃないんだ。
…俺はお前が好きだ。愛してる。
これからは毎日一緒に夜を過ごし、朝を迎えよう」
くにゃり、と瞳の顔が歪んだ。
と同時に、彼女の目から新しい涙が滝のように溢れ出した。
想いが通じた。
そう実感したとき、心に温かな風が吹き抜けたようだった。
その事がただただ、うれしかった。
「…泣きすぎ」
照れくさくて、恥ずかしくて、愛しくて。
俺は潰さない程度に力を込めて、瞳を抱きしめた。
身体だけじゃなくて彼女の心も過去も未来も現在も全て、この腕に閉じ込めるつもりで。
心臓がバコバコ鳴っている。
どれほど大きな取引が成功しても、これほど興奮することはない。
瞳だから、だから俺はこんなにも翻弄されるんだ。
このまま離したくない。
癖になるな、コイツって。
俺は瞳の頭に、音を立ててキスをした。
すると、キラキラした目をうれしそうに細め、どこまでも澄んだ笑顔を見せてくれた。
「私もね、富樫君のこと、愛してるの!」
あまりにも無邪気な告白に、幸せな気持ちが温かな風になって俺たちの周りを包んでいるようだった。
「知ってる」
中学生に戻ったように意地悪く言ってみても、やっぱり彼女の笑顔は変わらなかった。