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富樫君編 9




忙しい!なんでこんなに忙しいんだよっ!!



きっと今、俺の目は血走り、毛穴の一つ一つから殺気を噴出しているに違いない。

ここのところ笹原に会いたくて、かなり仕事を後回しにしてしまった。

そのツケが今になって回ってきたって感じだ。

あのクリスマスを過ごすためだったらこんな犠牲もいとわないとは思うのだが、やっぱり辛いものは辛い。

身体はひとつしかないんだから。


その上、自分の仕事だけならなんとかなったはずなのに、年末で焦っていたせいか、営業たちのミスが重なった。

後始末にまで追われ、外勤がぐんと多くなった。


必死になって働いて、半ば足を引きずるように家に帰って、泥みたいに眠って…地獄のような毎日だった。

少しでも時間を稼ぎ出して笹原に会いたいと思っていたのに、外せない用事のために実家に帰らねばならなくなったり。

帰ったら帰ったで綾の総攻撃が待っていて、イライラも最高潮に達していた。



しかもせっかくメアドをゲットしたのに、笹原にメールの一つも送ってねぇし。

子供っぽい悪態を心の中で吐きつつ、不貞腐れていた。


本当はメールでも送ろうと思って、何度となく携帯から彼女のアドレスを呼び出したのだ。

なのに携帯を握るたびに、妙なためらいが頭を掠めるのだ。


『仕事、がんばってるか?』…思いっきりオトモダチ過ぎるメールって、どうよ?もっと気持ちを込めて…。

『お前に会えなくて、寂しいよ』…どん引きされたらどうすんだよ?もっとさっぱりしたものはないのか?

『元気か?』…なんじゃそりゃ。


結局悩みに悩んで、一通も送れなかった。

馬鹿だろ、俺。

ありえねぇよ。





そんなこんなでずるずると、年末まできてしまった。

世間では、今日は大晦日と呼ばれている。

笹原と一緒に年末年始を過ごせると当て込んで、昨日も一昨日も我慢して親戚筋の所用を手伝うために実家に泊まっていたのだが。

さすがに今日は家に帰りたかった。


もう綾のお守はゴメンだ。



昨日深夜まで仕事をして、ようやく家に辿り着いたと思った瞬間、スーツのままベッドに倒れこむようにして眠っていた。

朝起きた時、よれよれのスーツとぼさぼさの髪、情けなく伸びた無精ひげがいかにも惨めだった。

けれど、これでようやく年明け3日まで時間が出来たのだ。

笹原に連絡して今からあいつの実家に向かえば、大晦日から正月にかけて初詣にかこつけて一緒に過ごせるかもしれない。

母方の本家への挨拶は年末の手伝いをしたことだし、パスしても平気だろう。

笹原の実家は静岡と聞いてるし、京都にある父方の実家へは笹原と別れてから車を飛ばして行けばいいだろう。

一緒に連れていけたら、なおいいのだが。


せっかく笹原の中ではラーメン男はただの友達という事が分かったんだ。

樋口さんもここのところ忙しくて笹原にちょっかいかけられる状況じゃないし、杉田は俺に全面協力することを約束してくれている。

だからここは押して押して押し捲るしかない。

仕事に奔走するばかりで何のアプローチも出来なかったことが悔やまれてならない。


俺は携帯をじっとにらみつけた。



………。

…わかってる。


忙しかったとはいえ、堂々と連絡を取れるようになったのに何も出来ないでいるなど俺らしくない振る舞いだった。

恥ずかしい話、何故か笹原に連絡を取ろうとすると、まるで初恋に浮つく子供のように緊張してしまうのだ。


何の用事もなく電話するのもなぁ、とか。

メール、何書いていいのかわかんねぇ、とか。

理由がないとかっこ悪くて出来ない…って、やっぱりまるっきり中学生レベルだ。


俺は頭を抱えたくなった。



自分からアプローチしたことなど、俺の人生では本気でありえなかったのだ。

女の方から勝手に電話してきたり、押しかけてきたり、はたまた頼みもしないのに服を脱ぎ出したり押し倒してきたり…女に関して努力という言葉は、俺には一切なかった。

要は経験不足なのだ。

やることはちゃっかりやって25年も生きてきて、恋愛経験が薄いというのはかなり恥ずかしい話だが、事実は事実として認めよう。



ここでずっと携帯を睨みつけていても始まらないことぐらい分かっている。

覚悟を決めて電話をかけるべく、深呼吸数回で気持ちを落ち着けてから、俺はアドレスから笹原の名前を探し出した。


携帯を握る手に汗が滲んできた。

俺はゆっくりと強く押し込むように、ダイヤルボタンを押した。


なのに、携帯は無情にも電波の届かない地域にいるか、電源が入っていないか…と機械的な声が返って来ただけだった。

あれだけ力が入っていただけに、拍子抜けだった。


今度は一回目よりも楽な気持ちでダイヤルした。

やっぱり出ない。

時間を置いて掛けなおすが、全く繋がる気配すら見せない。



さすがの俺も焦り始めた。

もしかしたら何か事件か事故に巻き込まれたんじゃないか、とか。

病気でもしてるんじゃないか、とか。

メールも何通も出した。

けれど、何の音沙汰もなかった。


半日ちょっとで痺れを切らし、恥を忍んで杉田に電話をしてみた。

が、こちらも繋がらず。

年末年始、一体何やってんだ?




年が明けると、もう約束出来なかったことはどうでもよくなり、心配で心配で仕方がなかった。

何とか連絡を、と、正月3日間、隙を見ては電話をかけ続けた。

けれどやっぱり繋がらない。


一体何が起こったのだろう?


毎年恒例の親族との新年の挨拶に回っている間も、焦りでイライラしていた。

もう、何もかも投げ捨てて笹原の元に向かいたい。

死ぬ気で探せばみつかるかもしれないし。

それにしても、何で実家の住所ぐらい聞かなかったんだろう?

笹原のことでは、呆れるぐらい全てが後手に回っている。



ついにお手上げ状態になった俺は、結局再び杉田の携帯にかけてみた。

繋がった…っ!

俺の心は期待で跳ね上がった。



10回コールぐらいでようやく出た杉田は、けだるそうな声で『あけおめぇ~…』と言った。

衣擦れの音や男の囁き声が雑音のように入ってくるのが腹立たしい。

全くもって、結構なご身分だ。

こっちは干からびそうなぐらいだってのに。



「新年早々すまないが、笹原を捕まえてくれないか?」

『…あんた、メアドと携番聞いたんじゃなかったの?』

「つながんねーんだよ。年末からずっと」

『おかしいわねぇ…考えてみたら、毎年合宿から帰って来た頃にメールくれてたのに。

 …って、どうしよう!何かあたんだ、絶対!!』

「落ち着け、杉田。とにかくあいつに連絡とってみてくれよ。頼む!」

『悪いけど、すぐ切るね?瞳の実家に電話するから』

「りょーかい。俺、今日休日出勤するし、会社に出てるから。

 携帯が繋がらなかったら、そっちに連絡くれ」

『これ、高くつくからね~、覚悟しといてよね』



言いたいだけ言って、ぶつんと電話を切られた。

小声で悪態を吐きつつも、これで笹原の様子がわかればよしとしようと矛先を収めた。


これで必ず連絡は取れるはず。

そう考えただけで気持ちが少しだけ軽くなった。






今日はまだ業務は休みなので、早めの昼メシ食ってから出社した。

昼からは樋口さんと新年早々提出予定の営業計画について詰める予定だ。

その前に片付けたい書類が2~3あったので、ちゃっちゃとやってしまうことにした。


丁度作業が終わりファイリングしている時、樋口さんが出社した。

休日出勤なのでスーツではなく、ラフな私服だ。


こうして改めて見てみると、彼はセンスがよく、大人の落ち着きがあり、男の目から見ても格好よかった。

なにより、性格がいい。

何事にも一生懸命で、思いやりのある頼りになる先輩だ。


そんな彼が笹原を狙ってるなんて…そして俺は全力で勝負をかけようとしているのだ。

あれこれ考えていると感情が複雑に絡み合う。

だからあえて考えない。

どっちにしろ譲れないことだから、何も言えることなどないのだ。

そのためには、どんなことでも樋口さんには負けられない。



そういった覚悟を自分自身に知らしめる意味でも、今日はこれまで以上に真剣に仕事に取り組んだ。

ちょっとした食い違いでも放っておいたりせず、意見をぶつけ合った。

お陰で樋口さんとの距離が近くなり、彼のことを改めて見直した。

そして相手も俺を認めてくれているからこそ、こうして対等に向き合えたことがうれしかった。




調子よく仕事が進み、終わりも見えた頃。

フロアへと続く廊下から、足音が響いてきた。

明らかに怒っているような、焦っているような音だ。


休日なのに誰か出社したのだろうか?こんな時間に?

首を傾げつつも書類をまとめ始めた時、肩をぽんぽんと叩かれた。


ぞわっと殺気を感じたが、反射的に振り返ってしまった。

と、その瞬間、右頬にもの凄い衝撃を受け、椅子に座った体が左へとよろめいた。

樋口さんは目を見開き、口をあんぐりと開けたまま硬直している。



そりゃびっくりするだろうよ。

心の中に枯れた笑いが込み上げ、今殴りつけてきた相手の方をゆっくりと見た。


予想通り、そこにはまるで仁王のように怒りの炎に包まれた杉田がいた。

すっぴんの彼女はたいそう迫力満点で、怒りで釣りあがった目に既に3回は殺されたような気分だった。

振り上げた姿を見るに、どうやら裏拳を繰り出したらしい。

頬がじんじんして、口の中に血のサビ臭い味が広がった。

歯が折れなかっただけラッキーだったが、ほっといたら明日腫れ上がるに違いない。



…笹原に一体何があったんだ?











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