表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/29

富樫君編 7




待ちに待った金曜日。



ラッキーなことに、退社してきた笹原を無事に拉致することに成功した。

彼女の話によれば、これから馴染みの店にラーメンを食べに行くらしい。


来週は、恋人達の一大イベント『クリスマス・イヴ』がある。

24日はなんとしてでも笹原と一緒に過ごしたい。

杉田情報では彼女は毎年1人ケンタッキー・クリスマスを楽しんでいるらしいし、きっと今年も予定はないだろう。

意を決してクリスマスディナーにでも誘おうと思っているのだが。


毎年誘われることはあっても誘うことなどなかったから、どうしていいのか正直よくわからない。

だが…ラーメン屋で誘うってのは、ありなのか?

はっきり言って、色気もそっけもないシュチュエーションだ。



………。


とにかく、やるだけやってみよう。




考えてみれば、ラーメン屋なんて大学の頃以来だ。

俺は大いに興味をそそられて、ふらふらと彼女のあとについていった。



そして、ラーメン店だと紹介された、倒壊寸前のバラック小屋のような建物にあんぐりした。




………。


…マジかよ。

普通だったら入んないぞ?

一体どういう心境でこの店に入ろうと決意したのだろうか?

…って、こんな店でディナーに誘うって…どうなんだ?


俺は頭を抱えて座り込みたくなった。





驚かされてばかりの俺を馬鹿にしているのか、笹原はニヤニヤと笑っている。

…コイツ…ワザとか?

ワザとこういう系の店を選んで、俺の反応を楽しんでるのか?



あんまりにもムカっときたので、あらゆる場面で威嚇する時に使う声で「何笑ってんだよ」と素で睨みつけてやった。

もちろん、いつもより8割ほどやさしく、だ。

”可愛さあまってにくさ百倍”の心境だが、やっぱり可愛いものは可愛いということだろう。


こんなごく甘のちっぽけな脅しでいつもの怯える小動物に逆戻りした笹原に満足し、まるで俺が常連かのように先に店に入ってやった。

少し拗ねたような顔で慌てて後をちょこちょこ付いてくる姿が、また何ともいえず心をくすぐられる。





店内を見回してみると、”ラーメン好きです”という看板をつけて歩いてそうなやつらが、ただ黙々とラーメンをすすっていた。

きっと誰も見ていないであろうテレビは、今人気のバラエティ番組。

壁に貼られたポスターやメニューも茶色く色あせ、油染みが出来ているし、床はラーメン屋や中華料理店によくあるようにぬるぬるして滑りやすい。

絵に描いたような、ひなびたラーメン店だ。

それでも結構繁盛しているようだし、客は皆満足そうな顔をしているし、味は期待できそうだ。



店の切り盛りは恰幅のいい店主とアルバイトらしき若い男の2人。

一見全く似てないけれど店主と男の目がそっくりなので、きっと近親者なのだろう。

2人して頑固なラーメン職人ってとこか?



笹原の姿が見えた途端厳しい店主の目が柔らかく笑んだところをみると、笹原は店主に相当可愛がられているようだ。

こいつ、年上キラーか?

おそらくこの鈍そうで騙されやすそうで、人の保護欲を刺激する人となりのなせる業だろう。

そのお陰で、不躾にならない程度だが、店主は俺をじろじろ観察している。

お気に入りの客が変な男に引っかかったら大変だと思っているのか、それとも…。


おそらく店主の隣で俺に人でも殺しそうな視線を投げてくる、この油断ならない人間のためだったりするんだろうなぁ。



アルバイトの男の態度は、あからさまな敵意と嫉妬だ。

笹原に対して明らかに好意を持っているのは間違いない。

そして、鈍感・笹原は彼の気持ちに全く気付いていないのだろう。

気付いていて天然行動に走っているのなら、こいつは相当な悪女ってことになる。


樋口先輩といいこの男といい、一体どれだけ悩みの種を撒き散らせば気が済むんだろう?



頭を抱えていると、店主がさりげなく俺が彼女の恋人かどうか聞いてきた。

笹原は顔を真っ赤にして、顔を横にぶんぶん振りながら「違う違う!彼、富樫君って言ってね、私の幼馴染、なの。ね?」と力説した。

そんなに強く否定しなくてもいいではないか?

俺はみっともないぐらいにショックを受けた。



笹原の言葉に店主はニヤニヤ笑い、アルバイトの男もふふん、と鼻で笑いやがった。

ムカつく…。


何でコイツはこんなにも鈍くて天然で、すれたところがなさすぎるんだ?

ここまで清純派じゃなければもう少し男を寄せ付けない術を身に付けられるだろうし、俺との関係にも前向きになってくれるだろう。

けれど、そうすればこれまでに付き合っている男が1人や2人ぐらい作ってそうだ。

…はっきり言って、ここまでくると俺が勝手に頭の中で捏造した過去であっても、そんな経歴は許せない。


いや、まてよ。

もしかしたらコイツ、今になって俺のことが迷惑なだけの存在になったとか?

今の俺を見て、昔好きだったヤツのイメージに幻滅して、いらだってはいるが面と向かって何も言えず行動で…って、ありそうな無さそうな微妙な説だ。

一体こいつは何を考えているんだろう?


…だめだ…こと笹原のことになると頭が回らないし、悲観的になりすぎるきらいがあるようだ。


いつもの俺らしくないうろたえっぷりにイライラが倍増し、頭が痛くなった。

笹原が怯えているのは分かっていたが眉間に皺を寄せ、腹いせにアルバイトの男を威嚇するべく睨みつけた。

出来る事からコツコツと。

欲しいもんを手に入れようと思ったら、まずは行動することからはじめなければならないのは人生の定石だ。


男も負けずに睨み返してくる。

笹原以外の人間には、2人の間にパチパチと生じた火花が見えているに違いない。



俺から発せられる不穏な空気を本能的に察知したのだろうか。

笹原はとにかく必死になって楽しい話題を探しているようだ。



そのせいか旨そうなラーメンと餃子がカウンターテーブルに置かれた時、笹原は安堵した、それでいておいしそうな食べ物を目にした時の幸せそうな恍惚とした笑顔を見せた。


「とにかく、大将のラーメンはすっごくおいしいの!熱いうちに食べよ?ね?」


確かに、旨い。

こんなに旨いラーメンは久しぶりだ。

何年も通いたくなる理由が、一口食べただけでよくわかった。


ラーメンそのものの味だけじゃない。

きっと笹原がめちゃくちゃおいしそうに幸せそうに食べるから、余計に旨く感じるんだろう。

気取った店じゃなくて、等身大の笹原の世界に温かく迎えてもらったような気がして、じわじわと喜びが湧き上がってきた。


うっとり笹原を見つめる。


『食事をするという行為は性行為を連想させる』と、大学の悪友が馬鹿丸出しで力説していたのを思い出した。

その時は「アホか」と一蹴したが、口に入れる寸前にちろりと見える赤い舌先とか油でてらっと光った唇をなめる仕草とか、観察しているとぐっとくるものがあった。

そして、ありえないことに股間とともに頬がどんどん熱くなっていく。


…俺は中坊かっ!

もしかしたら、笹原の清純派お色気オーラの影響を受けてしまったのかもしれない。



コイツが相手だとどうも調子が狂う。

言葉遣いも態度も、何もかもがガキっぽくなってしまうのだ。

照れるというか、なんというか…。


湯気の向こうから、アイツの視線がちらちらこちらにもかっているのが分かる。





今笹原と向き合っているのは誰でもない、この俺だ。

俺の方がいけ好かないあのラーメン大将よりも優勢、なはず。


食後”こっちに構うな”とあの男を睨みつけてから、俺は思い切って24日を笹原に聞いてみようと気持ちを固めた。


それなのにあの男は眉を吊り上げてこっちにやってきたかと思ったら、笹原に親しげに声をかけながらキムチの盛り合わせをカウンターに置いた。

「いつもありがとう~!」等といってるぐらいだから、笹原のヤツ、コイツにしっかり餌付けされているようだ。

それはそれは幸せそうな顔をして食べ始めている。

男は満足そうに目を細めてから、俺を馬鹿にしたように鼻を鳴らした。



…およびじゃねーとでも言いたいのか?

俺はこのとき確信した。

結局、こいつも24日の笹原を独占しようと目論んでいる。

上等だ。



俺はガキ根性全開で、さらに残ったキムチをひとまとめにして、全部まとめて口に入れてやった。

俺の心の片隅には子供の心がちゃんと息づいていたらしい。


驚いた笹原と逆上して目をギラギラさせた男の顔が俺に注目してる。

何となく、気分がいい。

ふふん。ざまーみろ。


ラーメンと餃子同様うまいキムチをじっくりと租借した。

…ちょっと辛いけど。



しかし、この作戦には穴があった。


「…ところでよ、瞳、おまえさぁ、来週のの木曜日、会社帰りにこれねぇ?」


俺は一瞬口いっぱいのキムチを噴出しそうになった。

男がしてやったりと言わんばかりに、にやりと笑う。

くそぉっ!

飲み込まなければ話もできねぇ!


調子付いた男は嬉々として笹原に向かい合った。


「え?木曜日…って、24日?」

「おぉ!どうせ予定なんてないんだろ?な?いいだろ?」


隠しきれない熱心さで笹原を誘う男。

俺は気が気じゃなかった。


なのに…


「ごめん。

 12月23日は両親の誕生日で、22日会社終わったらすぐに実家に帰るんだ。

 24日は朝かなり早くに実家から出勤することになるし、

 夜は家に帰って休みたいの」


……笑顔でばっさりだな。



男の顔には明らかな落胆が見て取れた。

笹原はそれはそれは申し訳無さそうな顔をしているが…きっとコイツが伝えたかった感情になど全く気付いていないだろう。

人間の裏表にあまり縁のない人生を送ってるって事かもしれないが、全然空気が読めないヤツだ。


どっちにしろ、この回答は俺にとってもありがたくない訳で。

親の誕生日を出された日には、今後を考えても強引に誘うわけには行かない。


けれど、会社が終わってから軽く夕食に…ならいいんじゃないか?

きっとどの店も予約で一杯なんだろうが、ありがたいことに何件か融通を利かせてくれそうな店はある。

夕方帰宅する笹原を捕まえて、無理やり24日食事に連れ出そう。




男が店主に怒鳴られて仕事に戻った後、ミルクを飲んだ後の子猫みたいに満足そうにしている笹原。

自分が数多の男を引っ掛けて、一喜一憂させてるなんて事に、全く気付いてないんだろうな。

幸せそうな顔を見ると、人の苦労も知らないで…と愚痴らずにはいられない。


仕方ないこととはいえ、何でコイツはこんなに男を夢中にさせるんだろう?

しかも鈍いし。

見てるこっちはヒヤヒヤさせられる。


どっちにしろ危険人物を排除して、笹原を完全に手にするまで気を抜けない。

今のところ、このラーメン屋の男と樋口さんか…。


障害が多いほど燃えるタイプだし、諦めるつもりなど毛頭ない。

笹原に関しては、誰かに譲ってやるような気持ちには到底なれない。


さぁ、どうしてやろうか?

俺の脳みそはフルパワーで回転し始めた。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ