富樫君編 3
予感的中。
彼女との2度目の再会はそれから間もなくのことだった。
12月に大きな人事移動があり、俺は25歳にして営業主任の座を手に入れることになった。
もちろん、身内による特殊なスパルタ教育と過酷な条件をクリアし続ける中、勝ち取った成果だ。
…などと大きく出てみたが、実際は運を味方につけられたおかげだ。
それに、高校生の頃から経営ノウハウを伝授され、大学生の頃には既に現場に出ていたのだから、同期と比べて何歩も先をいっていなければよっぽど”出来ないやつ”だということになる。
俺がこの会社を経営する一族の親戚に当たることはもちろん一部の人間にしか知らされていないが、だからこそ人一倍努力が必要だし、人以上に厳しい基準をクリアしなければ期待してくれた人たちに合わせる顔がない。
誰もが認めてくれるほどの努力と結果を出し続けることが、厳しいことではあるが俺が続けるべきことなのだ。
今回のラッキーに浮かれている場合ではない。
2ヶ月ほど前、営業業務の係長だった西村さんの父親が倒れ、会社を辞めて故郷で家業を継ぐことになった。
そこで、営業部のホープである樋口さんが営業業務係長に昇進し、さらに1人営業3年目の若手が辞職したため総務から一人営業に回し、営業を2年ほど経験後約1年役員秘書をしていた俺が、営業主任として営業を束ねることになったのだ。
学生の頃から秘書という立場の陰で、伯父に叩きに叩かれて数年。
待ちに待った、チャンス到来だ。
しかし、辞めていった若手営業はとにかくすちゃらかなヤツで、取引先へのフォローもロクにやっていなかったようだ。
たまりたまった苦情にさじを投げ、逃げ出すように辞めたんだからそれもまた計算内だが。
後を引継がねばならないこちらとしては、ウザイことこのうえない。
必要な書類は不備だらけだし、過去のデータもところどころ抜け落ちていて要領も得ない。
樋口係長がとにかく出来る人なので、取引先とも安定した関係が築けているため、全く問題なく引継ぎが出来る状態なのは大きな救いだった。
状況としてはましな方なのだろう。
大きな取引先以外はそろそろ単独で仕事させたい今期入社の新人達を担当に指名し、何かあれば俺がバックアップに回るように全体の手綱を握ることにした。
俺も一緒に責任を持つことで、新人がのびのびと仕事に取り組んでくれればいい。
樋口さんも協力してくれるし、新人達もかなりよく教育されている、将来のホープたちだ。
思った以上にスムーズに事は進んでいる。
とはいえ、すちゃらか元営業のケツ拭きが思った以上に難航しているのは事実。
得意先へはなんとかフォローすることが出来ているが、めちゃくちゃな社内用の書類の整理から始めなければ業務自体がどん詰まってしまう。
年末近いというのに、経費伝票などもほったらかしの状態。
よくもここまで乱雑にしてくれたもんだ、と頭の一発でも殴りたい気分だ。
…ってか、ケツ拭ってから出ていけっつーの!
お陰で今日は樋口さんの”昇進祝い”という名の若手だけの飲み会があるというのに、残業を余儀なくされた。
宴会が始まって、既に1時間30分は過ぎただろうか?
時計を見ると、確実に過ぎているようだ。
樋口さんにはお世話になったし、必ず顔を出してお祝いの一言ぐらいは言いたい。
…本音を言えば、うるさい女に付きまとわれるだけの飲み会と言われる類のものには一切顔を出したくないが。
しかも遅れれば遅れた分だけやれ二次会だ、三次会だと長い時間拘束される可能性が高くなる。
罠を仕掛けて俺を喰らい尽くそうとする、女たちに。
うんざりだ。
この分だと終わりの挨拶から二次会へと引っ張っていかれること間違いなし、だ。
数人でけん制しあいながらも俺を取り囲み、べたべたくっついてきたかと思うと再び牙をむき合って互いをけん制する女の姿は、見苦しいの一言に尽きる。
”俺の意思や希望”という当たり前の事柄にさえ注意を払ってくれない。
周りを蹴落とせば俺を獲得できるという自信と発想は一体どこから生まれてくるのか…解明してみたい気もしないでもないが、切実に関わりたくない。
ほんっと、うんざりだ。
かなり気が重かったが、仕事を何とかキリのいいところまで片付け、慌てて会場に向かった。
店員に案内されて通された個室の襖からは、かなり賑やかな声が響いていた。
もう盛り上がりつくして、席もぐちゃぐちゃになって楽しんでいるのだろう。
「こちらです」
店員がにこりと愛想良く微笑んで下がっていった。
俺は深呼吸を一つして心を落ち着け、感情を押し殺し、襖を引いた。
案の定、一斉に向けられたたくさんの顔。
そのうちの一人、この会社で一番の厚化粧女がいつものように反射的に叫んだ。
「富樫しゅにぃ~ん!おそぉぉいっ!!」
「遅くなって申し訳ありませんでした」
…俺は真面目に仕事してんだよっ!
心の中でイライラしつつ、出来るだけ感情の出ない落ち着いた声で言った。
「もぅっ!主任が来ないと、全然盛り上がりませんよぉ~!」
「富樫さぁん、お疲れさまぁっ!」
やばい。
このままでは俺はやつらのえさだ。
ストレスによる頭痛でずきずきする頭に手を伸ばしたい気持ちを抑えて、何気なく会場をゆったりと見回した。
…と、その時。
馴染み深いがこの場には違和感のある顔が見えた。
一瞬錯覚か?と思い、もう一度見直す。
間違いなかった。
そこには酔って頬を赤らめ、潤んでキラキラした大きなびっくり眼でこちらを見ている、笹原瞳がいた。
真っ黒い大きな瞳に吸い寄せられるように、ふらふらと彼女に向かって自然と足が動いた。
が、近づくに連れて、ようやく彼女周辺の状況を把握した。
彼女の背にへばりつくように座っている食えない同期の女・杉田と、隣には本日の主役・樋口さん。
しかも樋口さんはかなり彼女と親しげな位置に座っている。
よく見ると、表面上穏やかだが、俺には笹原を確保しているようにしか見えない。
…かなりむかつく。
気に入らない。
はっきりいえば、杉田が貼り付いているのも許せない。
相手は尊敬に値する先輩である樋口さんだというのに、今すぐ引き剥がして外に放り出してやりたいと本気で思った。
杉田はさておき、彼女の隣に俺以外の男が座るなど許されるわけがない。
「何故?」と聞かれれば困るが。
「…すみません。樋口さん。お祝いの席に遅れてしまって」
彼女の側に行くのが当たり前のように、樋口さんに声をかけた。
もちろん、彼がそこにいることに気付いたのは一瞬前だという事も、彼がそこにいる事が気に入らないという事実も秘密事項だ。
彼は爽やかで誠実な男の象徴であるかのような笑顔で、俺に礼とねぎらいの言葉をかけてくれた。
俺は彼らが座っていたテーブルの端、3人の顔が見渡せる位置に座った。
正座した膝が笹原の足に当たるのはなんだかうれしかった。
…まるで変態のようだという心の声は一切無視だ。
がしかし、笹原が俺よりも樋口さんの近くに座っているという事実は、やっぱり気に入らない。
さらに近くで3人を観察し、樋口さんが笹原に多大なる好意を抱いていること、そして杉田が樋口さんを後押ししていること瞬時で察したがため、不快感は増すばかりだ。
俺の中で狩猟本能が目覚めた。
「…君とは随分めずらしいところでばかり会うね、笹原さん」
きっとかなりいやらしい笑顔だったに違いない。
表情豊かな彼女の感情は、全て顔に出るのだ。
あの怯えきった瞳…若干胸は痛むものの、それ以上にそそられた。
喰いたい。
…ってか、ぜってーに喰ってやる。
俺の心に、営業目標よりも明確な目標が刻まれた。