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心も体も空っぽになるって、こういうことを言うんだなぁ~…と思った。
予定よりも早く実家に帰って、それからはひたすら引きこもっていた。
携帯は、木本さんからの電話を切った後、すぐに富樫君のアドレスを着信拒否設定にした。
…本当は消さなきゃいけないんだろうけど…それだけは出来なかった。
後ろめたさが消えなくて、実家に帰ってからすぐに電源をオフにしてしまった。
電源が入っていなければ、富樫君からの連絡を無条件に切って捨てるという、上から目線な行為に対する罪悪感が薄らぐような気がして。
意味のない行動だって事は分かってたけど、少しの間だけでも現実から逃れるにはいい手段だと思った。
メールが来るのは真世ぐらいだろうし、真世は年末年始空手の冬合宿で電波の届かない山奥に行くから
連絡はこないはずだし、困ったことにはならないんだけど。
私の気持ちの上では、大いに問題だったりする。
なんにせよ、誰とも会いたくないし、何もしたくないのは確か。
もちろん、富樫君の顔だって……と考えて、がっくりと肩が落ちる。
会いたくない分けないに決まってる。
学習が出来ない、超お手軽脳め!!
真世は今頃、彼女に影響されて空手を始めた彼と、稽古に打ち込んでいるに違いない。
白帯の彼は真世に相当手ひどくやられているそうだけど…彼はぼこぼこにされても一緒に居られるだけで幸せなのだと言っていた。
ちょっと変わってるけど、一途な彼だ。
二人の関係が羨ましくて、余計に惨めな気分になった。
胸が焼けそうに痛むたび、私がどれほど富樫君に恋焦がれているかわかる。
けど、相手には伝わってくれない。
そりゃそうだ。
彼は私のことなんて、恋愛対象にしていないんだから。
今も、昔も、ただの幼馴染のまま。
これまで感じていた以上に真世と彼のことが羨ましくて仕方がない。
大好きな相手に同じぐらい大好きになってもらえる幸せ。
これ以上の喜びなんて、きっとない。
携帯が眼に入るたびに、誘惑に負けてしまいそうになる。
…富樫君と、一度だけ電話で話をしてみるのがいいかもしれない。
これまで迷惑かけてきたことを機械越しにでも謝れば、少しは前向きに進めるかもしれない。
気付かなかったとはいえ、私が富樫君に迷惑を掛けていたのは事実だ。
そのことについては、彼と木本さんに誠心誠意謝りたい。
かといって、会って話をするほどの度胸はないし。
怒りから冷たくなってしまった眼で見られたら…もう、立ち直れそうにないし。
けど。
木本さんのことを考えたら、それがとても独りよがりなものに思えてくる。
私がのこのこ出て行ったら結局富樫君に気を使わせ、彼女を苦しめるだけなんだ。
このまま連絡もせず、過去に居た嫌なやつの一人として忘れ去られた方が、誰にとってもプラスになるはず。
……私以外は。
それにどんな理由をつけても、実際は私が富樫君の声を聞きたいから電話したいんだってことに私は気付いている。
そう熱望する心を知らん振りして電話をかけられる度胸は、残念ながら持ってない。
欲張りなくせに、意気地なしなのだ。
小心者。
中学を卒業して再会する日までずっと会ってなかった。
彼が居ない事が当たり前の日常生活の中で彼との思い出をふと頭に浮かべても、ちくりと胸が痛んでため息が出るだけだった。
痛い初恋の思い出を胸にしまって、現実の中で笑い、楽しみ、悩み、悲しみ…ごく普通に生活してきたのだ。
富樫君に会えなくなったところで、彼と再会する前と全く変わらない当たり前の生活が待っている。
たいした事ではないはずだ。
うまくやってこれてたんだから。
なのに。
大人になった富樫君と会った瞬間、懐かしさと幼い恋心が硬い殻を割って伸び上がる種のように急速に育ち始めてしまった。
こんな私には馴染み深い感情以外のものが、わっと心の中に一斉に芽吹いたような気がする。
つまり。
きっと。
私は、性懲りもなく、再び富樫君に恋をしてしまったって事なのだと思う。
しかもあの頃よりももっともっと強くて、もっとうねるような激しい心で。
自分の中にこんなにも激しい気質があったなんて、今まで思いもよらなかった。
恋焦がれて焼け死んでしまいそうなほど心がよじれてしまう恋なんて、知らなかった。
そうだ。
これでよかったんだ。
嫌われたままで。
だって、どうせ無理だったんだもん。
ただの幼馴染の友達のままでいるなんて。
遅かれ早かれ私は自分の心を持て余すことになっただろう。
報われることのない恋心のために。
私は、まるで獣が叫ぶかのように泣いた。
家に居たお母さんが驚いて部屋に飛び込んできた。
最初はしきりに理由を聞き出そうとしていたけれど、私は答えられなかった。
首を横に振っては泣き続ける私の隣に座ったお母さんは子供の頃と同じようにそっと抱き寄せ、背中を撫でてくれた。
一体どれだけの時間そうしていたのか分からないけど。
気付いたらお母さんはいなくて、ベッドで目覚めた。
辺りは真っ暗だった。
高校の入学祝にもらった大好きなキャラクターのデジタルウォッチを見ると、”21:09”の数字が光っていた。
今日は大晦日。
みんな年越しそば、食べ終わってるかなぁ?
今頃家族全員がリビングに集まって、テレビを見ているに違いない。
姪っ子や甥っ子はもう寝てるかも。
今日はお義姉さんたちと一緒に何とかレンジャーショーにおおはしゃぎで出かけて行ったし。
突然、暗闇にひとりぽつんとしているのが無性に寂しくて、怖くなった。
腫れぼったくて熱っぽい眼のままのろのろと起きて、そろりそろりと階段を降りていった。
リビングに続く扉のガラスからこぼれる光と賑やかなテレビの音を聞いたら、じわりと涙がにじんだ。
リビングの扉をそろりと開けると、そこに居たみんなの目が一斉に私に向いた。
案の定ちびちゃんたちはいなくて、お父さんとお母さん、だい兄ちゃんとちぃ兄ちゃん、お義姉さんの実夏さんと三波さんがコタツを囲んでいる。
いつもと変わらない、生活のひとコマ。
ぽたぽたと涙が零れ落ちた。
「…瞳、これからおそば食べるところだったの。あなたも食べなさい」
お母さんが何事もなかったかのように、でもちゃんとわかってるんだよって優しい声で言った。
涙で滲んだ先には見慣れた顔が優しげに微笑んでいて、ちゃんと私の場所を空けて待っていてくれた。
お父さんが「こっちに着て座りなさい。冷えるぞ」なんて咳払いしながら言った
私は飛び込むようにお決まりの場所を陣取り、コタツに顔を伏せた。
とたんにだい兄ちゃんとちぃ兄ちゃんの大きな手が、頭をグリグリと乱暴に撫でた。
誰も何も聞かない。
けど、私の心をちゃんと受け止め、理解してくれている。
改めて家族からどれほど愛されているのかを思い、また涙が溢れてきた。
15分後。
お笑い番組の笑い声に混じって私の鼻をすする音が響くリビングで、みんなで一緒に年越しそばを食べた。
富樫君のことを思い出すと苦しくてたまらないけど、家族の温もりを感じるだけで心があったかくなった。
泣きすぎて腫れぼったい眼のまま、新年を迎えた。
新しい年の初めとしてはどうかとも思うけど、長い人生の間こんな年の始まりもあるものかもしれない。
案外、去年末に全ての涙を流したから、今年はいい事がたくさん待ってるかもしれない。
そうだ!
きっとそうに違いない!
…とりあえず、そう思うことにした。
お正月は遅くに起きてきて、みんなでお節とお雑煮を食べた。
可愛い姪っ子甥っ子達にお年玉を上げると、おおはしゃぎで飛び回っていた。
ほほえましい光景に硬くなった心が柔らかくなる。
午後はだい兄ちゃん一家とちぃ兄ちゃん一家と一緒に、少し遠い神社に初詣に行ってきた。
たくさん出店が出ていて、参道はとても賑やかだった。
1時間近く並んだ後ようやくお参りを済ませ、子供たちと一緒にりんご飴を食べた。
迎春ムードが暗く翳った心を清めてくれたような気がした。
それ以外、三が日は家の中でテレビを見ながらごろごろしていた。
完全寝正月モードだ。
たまにお母さんに嫌みったらしくお尻をこつんと蹴られたりしたけれど、コタツに居座ったままぼんやりしていた。
いいんだ。
5日から仕事だし。
ここから離れたら、ちゃんと現実に立ち向かわなきゃいけないんだもん。
お正月休みぐらい、現実逃避していたい。
お母さんがブツブツ言いながらも入れてくれたコーヒーをすすりつつ、ため息をついた。