傘の向こうの世界。
じめじめするのがキライ。
湿気がキライ。
バスで登校しなきゃいけないのがキライ。
とにかく、雨がキライ。
それでいて梅雨はもっとキライ。
「はーあ」
雨の日って憂鬱。
髪もうねうねするし、ベタベタするし。
服濡れるし。
地面の水を蹴りながら、空を見上げる。
なんて可愛げもない灰色。
これが一週間も続くと思うと。
梅雨なんか、なくなればいいのに。
「……ん?」
ふっ。と視界に映るモノ。
「田口じゃん」
見慣れた制服を着た、見慣れたクラスメート。
……でも、全身びっしょびしょ。
なんで傘、もってないの?
田口は雨なんて気にしてなくて(というか気にしても遅いけど)ただずっと花壇の前に座っている。
そこまで親しいわけじゃないけど、知っている人があんなにびしょぬれなのをさすがに無視はできない。
ちらっと鞄の中身を確認すると、折りたたみが一本。
「……しゃーないか」
気は進まないけど、このまま帰るのはもっと気が進まないし。
ゆっくり田口のもとまで歩いていって、ひょっこり後ろからのぞいてみる。
瞬間、シャッター音が耳を通り過ぎた。
……カメラ?
みると田口はデジタルカメラ片手に熱心に写真を撮っていた。
デジカメには気持ちだけかハンカチがかぶせてある。
すっごい、真剣。
後ろにあたしがいることにも気付かないくらい、田口は一点を凝視していた。
その目に一瞬心が奪われて、かける言葉を失う。
ささやかながら田口も傘の中にいれてみる。が、視線をこっちに向けようともしない。
どうしようか思案していると、突然田口が顔をあげた。
「うおっっ!」
目をまんまるにして、あとずさる。
その反動で水滴があたしに飛んできたので顔をしかめてしまった。
「みみみやざきっ。おまっ、なにやってんだ」
動揺しまくりの田口に楽しくて頬が緩む。
あほだこいつ。
「あんたこそなにやってんの? そんなずぶぬれで。傘は?」
「忘れたんだよっ」
「降水確率百パーセントだったのに?」
「そんなん知らん! 俺は自分の目で判断する」
「あんたあほね」
「うっさい! 宮崎はなにやってたんだよっ」
「あほなクラスメートがずぶぬれになってたから、傘でも貸してあげようかと」
ほれっ。と折りたたみを指しだす。
田口はぐにゃっと顔を歪ませて指をふった。
「今更だろ。濡れて帰るよ」
「風邪引くよ?」
「今から歩いていったほうが、風邪ひくわ」
ごもっとも。
かばんに折りたたみを戻す。
「ところで、それデジカメだよね? 濡れてもいいの?」
「防水だし、そんなに長いこと使ってないし、拭けば大丈夫だろ」
そういってタオルをとりだして軽く拭いている。
それも濡れたら意味ないのに。と思いながら、傘をさしてあげる。
田口はサンキュ。とやわらかく笑った。
……田口ってこんな風に笑うんだ。
どちらかといえば田口はあほなことしている部類の一人だし、さっきみたいにあんな真剣だったりとかやわらかく笑うとか意外すぎだ。
そんな普段とは違う田口をみたせいか、好奇心が湧いた。
「なに撮ってたの?」
「……いろいろだよ」
「田口写真好きだっけ?」
「悪いかよ。宮崎には関係ないだろ」
ぷいっとそっぽを向く田口に少し腹がたつ。
なによ。そんなにとげとげしなくてもいいじゃん。
「そうだね。ごめん」
つっけんどんな言い方になり、田口も居心地悪そうに目配せした。
「ごめん。俺、感じ悪いよな」
がしがし頭をかいて、んー。と腕を組む。
その髪やら顔やら腕やらから滝のように滴り落ちる水をまずはどうにしかしたほうがいい。
「……早く帰らないと、ほんとに風邪引くよ?」
あたしの一言で田口ははっ。と自分を見つめ直す。
「まじだっ。俺、風邪ひくわっ」
あほすぎる。
「……宮崎、ちょっとここで待っててくんない?」
「え?」
「二十分もあれば帰ってくるから。待っててな」
「えっちょっ」
有無をいわず、あっという間に走っていって田口に肩を落とす。
なにあれ。
一方的にいってどこかへ行っちゃった。
幸い今日は何も予定はないけど、さ。
二十分も、なにしろと?
あたりを見渡すと、コンビニくらいしかない。
……仕方ない。
帰るのも気が引けたので、コンビニに入って手近な雑誌を取って読み始める。
といっても、ぱらぱらめくってただけど。
十五分くらいして、田口が傘をさして帰ってきた。
……私服だ。
とても新鮮。
読んでいた雑誌を返して、外へ出る。
きょろきょろあたしの姿を探す田口に近づく。
田口はあたしの姿を見つけてにかっと笑った。
「待たせたな」
「てかあんた、いきなりなにもいわず行かないでよね」
「悪い悪い」
ちっとも悪いと思ってない声色でいって、
「――――!?」
いきなり手首を掴まれた。
すたすた歩いていく田口にひっぱられるあたし。
「ちょっっ。ちょっと田口!」
「いいからいいから。ちょっとこい」
全然よくないんですけどっっ!
そのままなんとなくひきずられること五分。
どこかの公園へ入った田口はようやく止まった。
「ほらっ」
目の前をふさいでいた田口の背中が消えて、目に飛び込んだものは。
大量の、青紫。
「ア、アジサイ……?」
「知ってる? アジサイにだっていろんな顔があるんだ」
「――え?」
意味をつかみそこねて聞き返すと、いきなりデジカメをかまえる。
あ。さっきの、あの目。
学校では見ることのできない、意外で真剣な瞳。
――ちょっと、かっこいいかも。
傘をもっているのもわずらわしそうな姿に無意識に手が伸びた。
すっ。ととりあげると田口がちらっとあたしを見た。
あの目が一瞬、あたしを捕らえた。
どくんっっ。
「サンキュ」
柔らかい、太陽みたいな笑顔。
自分の傘が邪魔でたたみ、しばらく相合傘状態になる。
といっても、田口はしゃがんでいたしちょこちょこ動くし、全然そんな雰囲気ではなかったけど。
気が済むまで取り終えたのか、田口はいきなりあたしに向き直った。
「うわっ。びっくりしたっ」
「失礼だな」
突然で驚いたあたしに、田口は怪訝な顔をして傘をとりあげた。
「ほいっ」
代わりに渡されたのは、デジカメだ。
「……え?」
「みてみ。俺も確認してないからうまく撮れたかはわからんけど」
「いいの?」
さっきはあんなに、つっぱなした言い方だったのに。
「いいよ。もう今更だしな」
それに。と田口が付け足す。
「たまには、他人の意見も聞きたいんだ」
その言葉だけで、田口がだれにもいわず写真を趣味にしていることがわかる。
田口の周りの面々を思い浮かべても、いえばばかにされるか面白がられそうだから、なんだろうなきっと。
デジカメの使い方は大体わかるので操作して、さっき撮られたアジサイを見る。
……きれい。
素直に思ったことは、そうゆうことだった。
アジサイがさまざまなアングルから撮られている。
水滴を堪えたもの。
耐え切れずおちていくもの。
青紫が連なっているもの。
どれもあたしの目には綺麗に見えたし、綺麗な見せ方を知っている田口を純粋にすごいと思った。
何気なく見えた、撮っている枚数の数に目を瞠る。
それは、軽く千を超えていた。
ほんとのほんとに、写真好きなんだ。
「あ、ちょい貸して」
一通り見終わったのか田口はひょいっとデジカメを奪って、操作している。
傘が傾きかけたので、あわてて支える。
しばらくしてから、もう一度デジカメを渡してくれた。
――アジサイだ。
でもそれはさっきと違う。
雨の日じゃなくて、晴れの日の。
こんなに、違うんだ。
同じアジサイのはずなのに、同じアジサイとは思えない。
言葉でうまく表せない自分がもどかしい。
明暗や水の有無、咲き具合があるから色んな顔が見える。
でも、アジサイは雨のほうが映えるな。
色が青紫だから?
梅雨の花だから?
水滴に反射して輝いているアジサイは、なんて綺麗。
「……田口、すごいね」
ぽつりとでたのは、そんなありふれた答えで。
「あたし、写真にこんな感動したの初めてだよ」
田口は照れくさそうに頬をかきながら、笑う。
「田口は……ずっと写真を撮り続けてるの?」
「そんな長くないよ。二年くらい。ほんとは一眼レフがいいんだけど、お金がな」
「初めて知った。田口に、こんな趣味があるなんて」
「他人に初めて見られたよ。さすがに傘ささずに写真を撮るなんて行為は、目立ったよな」
「だいぶね」
くすくすと笑う。
そっか。あたしが初めて知ったんだ。こんな田口を。
訳もなく優越感。
「学校の連中にいってみろよ。笑われるのがオチだ」
「そうかも」
「……宮崎さ、雨の日、嫌いだろ?」
「え? なんで?」
突然さされた図星にあせる。
眉間を、柔らかい感触が押した。
「いつも、寄ってる」
どくんっ。
――なんで、知ってるんだろう。
「窓の外と、いっつもにらめっこ。俺の位置から、宮崎見えるんだよね」
……なんだ、そういうこと。ってなんでがっかり?
一瞬期待してしまった自分がわかって、ちょっとはずかしい。
「で、宮崎に雨のよさ、わかってもらおうと思ってつれてきた」
強引だったのは、そういうこと。
「一口に雨っていっても、色んな雨がある。音にしちゃえばざあざあとかぽつぽつとか、そんなん。それによっても、景色って変わるんだ」
「景色?」
「明日も明後日も、同じ景色なんてないんだ。晴れだったり曇りだったり雨だったり。雨で生まれる独特の景色だってたくさんある」
田口はどんより灰色空を見つめて、小さく笑う。
「携帯ばっか眺めてるなんて面白くないじゃん? もっと周りの景色見たら、楽しいと思う。俺が保障する」
灰色も青も、空はころころ表情を変えて。
それによって変わる世界は、なんて空に支配されてるんだろう。
傘の奥の、世界。
あたし、そんなの知らない。
雨の日なんていつも、携帯とにらめっこか友達とおしゃべり。
ただ、うざったい。なんて思いながら。
そっ。と世界をのぞいてみる。
さっきより違った風景が、そこにある気がした。
「あ」
田口がいきなり目を輝かせて、あたしがもってたデジカメをひったくった。
「えっ」
次の瞬間にはカシャカシャ音をたてている。
その被写体は――かたつむり。
かたつむりなんて何年ぶりかなあ。
小学校以来かもしれない。
かたつむりで喜んでいる田口の顔は、子どもそのもので。
なんかかわいい。
弟にもこんな時期、あったな。今じゃ生意気なガキだけどさ。
一通り撮ってから、田口はハッと我に返ったようだ。
「あ。ごめん。俺、つい夢中になんだよな」
「いや、いいよ。面白かったし」
「見るのが?」
「うん。新鮮だった」
「ま、かたつむりなんてここらへんあんまいないもんな」
ううん。田口が新鮮だったんだけどね。
誤解してるみたいだったけど、まいっか。とそのままにしておく。
「そろそろ帰るか」
田口は小さく笑って、ゆっくりと歩き出す。
ちょっと帰りたくないかも。とは思いながらも、いえずについていく。
雨の日に帰りたくないなんて。
田口のおかげかな。
ぽつぽつ話しながら会った道まで戻った。
「んじゃ」
「あ、うん。じゃね」
あっさりしながら、田口は帰ろうとする。
「あ、あのさ……!」
なんとなくそれが名残惜しくて、止めてしまう。
不思議そうに振り返る田口に、早口でいった。
「今日、ありがとう! 田口のおかげで少しだけ、雨好きになれそう」
「――まじか。それ、めっちゃうれしい!」
にっと笑う田口は無邪気で、あたしの心臓がぎゅっと握りつぶされる感じがした。
――どくんっ。どくんっ。
体の熱まであがって動揺しまくりのあたしに、田口は気付かないでまた明日な。と帰っていった。
それを見送ってから、傘をもってるのも忘れて自分の頬をぺちぺちたたく。
傘はあたしの頭に落ちてきたけど、そんなこと気にする余裕もない。
「……熱い」
なんだこれなんだこれ。
理解できずにあたしはしばらくそこに立ち尽くしていた。
じめじめするのがキライ。
湿気がキライ。
バスで登校しなきゃいけないのがキライ。
雨はあんまりスキじゃない。
でも傘の奥の景色は、少しだけスキ。
fin.




