第十一話「ベアテの人々」
「じゃんけんぽん」
「勝ったー。私が勝ちました。私がベッドーです。にやり」
「畜生。チョキなんて出すんじゃねえよ。ていうか、三回勝負だろ。普通」
「私の勝ちです。ではおやすみなさい」
「おい。こら。待て」
マキナは勝手にベッドに潜り込んだ。駆け寄るともうすでに眠りに入っていた。なんて寝付きのいいヤツだ。これからの運命を決めるじゃんけんで敗れたアレスは泣く泣くソファーで寝ることになった。アレスはあまり寝心地がいいとは言えないが仕方がないのでやけに柔らかいソファーで我慢することにした。屋根がある所で寝られるだけで十分だ。贅沢など言っていられない。
アレスはソファーに寝そべりながら考えていた。成り行きでここまできたが大変なことになった。マリーはこの国から簡単には出られないと言っていたが、本当なのだろうか。まあしかし、アレスは国を追われた身なので今更帰る場所などない。まあなんとかなるだろうと思っているといつの間にかに睡魔に襲われていた。
◇
「やっぱり少し体が痛いな」
「起きたか。早いな」
朝、アレスが眠気覚ましに外に出てみると、マリーがいた。
「昨日はよく眠れたか」
「ああ、十分だ。野宿に比べたらどうってこともない」
「そうか……確かにそれはそうだな」
そう言うとマリーはしばらくロゼッタウォールの方を見つめていた。ストレガに居た頃はあまり意識していなかったが、こう改めて見ると何ともいえない気持ちになる。ロゼッタの住人は鳥かごに入れられた鳥だと言われているらしいが確かにその通りだ。多くの人がここで生まれここから一歩も出ることが無く、亡くなるらしい。それはどういう気持ちなのだろうか。マリーのあまり表情の少ない横顔を見ながらそんなことを思った。
「悪いが、ちょっと散歩に付き合ってくれないか」
「構わないけどどこまで行くんだ?」
「ちょっとそこまでだ」
マリーが指を指した方向はロゼッタウォールしかなかった。アレスは黙って着いて行くことにした。
◇
アレスはマリーに連れられてロゼッタウォールのすぐ目の前まで来ていた。近くに寄るとその大きさがよく分かる。本当に立ちはだかるような壁だ。あまりの巨大さにアレスは圧倒されていた。これを乗り越えようと思っているマリー達の心の強さはものすごいものあると思った。
ここにくるまでにロゼッタのことをマリーに簡単に教えてもらった。
ロゼッタはかつて、大陸一の騎士団を持っていた。軍事力で一番の国家であり、それに慢心した王は国に壁を建設し、全てをコントロールしようとした。食料は週一回の配給のみとし、国外にはよほどの理由が無い限りでることはできなくなったこと。それに不満を持った革命団を初めとするレジスタンスが数多くでき、抵抗し、亡命を企てたが、誰一人として成功するものはいなかったことをマリーから聞いた。
「それにあれを見てくれ」
マリーが示した先には建設中の壁があった。まだロゼッタウォールを作っているようだ。
「ここはだな。貧民街と貴族街との境目なんだ。やつらは貧民街と貴族街との境目にも壁を作り、さらに我々を囲おうとしているんだ」
悲痛な顔のマリー。アレスは何も言うことができなかった。
「勝手に店を出してんじゃねえぞ。おい!」
「や、やめてください」
そこにヴェヒターと見られる制服の男が、花屋の露天を蹴り飛ばしていた。アレスは助けに出ようと身を乗り出しかけたが、マリーに止められた。
「手をだすな。面倒なことになる」
「こんなこといつもあるのか」
「ああ。あいつらは私たちのことは何とも思っていない。だからああいう真似ができるんだ」
申し訳なくは思ったが、アレスとマリーは巻き込まれないようにそこから距離を取るために移動した。
「遅くなったが助けてくれてありがとう」
「いや。俺達も行く所が無かったから。こちらこそ礼を言うよ」
手を差し出すアレスだったが、思わぬことに顔を赤くするマリーは手を取ることに躊躇していた。
「どうした?」
「い……いや。こちらこそありがとう」
マリーはアレスの手を両手で包んで、顔を赤らめながらアレスを見つめた。アレスは急に気恥ずかしくなって目を逸らした。
「そ、そろそろ戻ろうか」
「そ、そうだな」
戻るとにやにやしているエルナに出くわした。
「逢引ですか?」
「ち、違うぞ。断じて違うぞ。この国がどんな国なのか案内していただけだ」
「ほんとーですか?」
「ほ、本当だ。なあアレス?」
「残念なことに本当なんだ」
「それでどちらから誘ったんですか?」
「私からだが、それが何か」
「ほおー。へえー」
何か思うことがあるのかエルナはマリーの顔をじろじろと見始めた。
「な、なんだ」
「いやー。珍しいこともあるもんだなと思ってね」
「どうだっていいだろう。私は先に入る。アレス付き合ってくれてありがとう」
「あ、ああ」
どかどかと入っていったマリー。
「ねえ。マリー本当の所どうなの?」
「ああ、何か疲れた。もう一回寝よう」
◇
そのころストレガ国内。
「ソフィア様報告があります」
オットーが珍しく慌てていた。
「何! 忙しいんだけど」
クロスティーニからの再三のアレスとマキナの引渡し要請にほとほとソフィアは参っていた。
国外追放にしたのだがいつまで誤魔化せるか分からない。
「アレスとマキナの消息が不明になりました」
「え? もう一回言って」
「ごほん。アレスとマキナがロゼッタ入国を最後に消息が不明になりました。ロゼッタ国内の組織に追われてその後、見失ったそうです」
「だから言ったのよ。ロゼッタは止めなさいってどうするのよ!」
「ロゼッタの国内情勢を考えますととても探索が難しく……」
「そんなこと聞いてないわよ!」
思わず、怒りでソフィアは机を叩いていた。
「ソフィアちゃん何を怒ってるの?」
姉のクレア大臣がいつの間にか部屋に入ってきていた。ソフィアは姉の顔を見て、嫌な気分になっていた。マキナがロゼッタに送られたのはそもそもは姉さんが作ったあのオモチャが原因だとソフィアは思っていた。姉さんは最近あのオモチャにご執心で、しょっちゅうマルサラに出かけてはあのオモチャの改良をしている。それがソフィアにとっては気に入らなかった。
「私探しに行くわ」
「お止めください」
「アレスはどうでもいいけど、マキナは私にとっては家族同然な子なの。探しに行くわ」
「そんなことより、アマーロとマルサラが戦争を始めたよ」
「まさか?」
「本当だよ。ストレガも中立だとはいえ、油断できないよ」
姉のクレア大臣は笑ってはいるが目は笑ってはいなかった。今気がついたが、姉さんが何も用が無いのにソフィアの部屋に来るわけが無かった。何か重大な話があるに違いない。
「ストレガもいつまでも国王不在の訳に行かないね。ここでお父様の遺言を読み上げることにするよ」
「やはりあったのですか。ジェラルド国王の遺言が」
「姉さんなぜ隠していたのですか?」
「この遺言の意味するところが今分かったの。ごめんね。今まで隠していて」
クレア大臣はスカートのポケットから一枚の白い紙を取り出すと静かに読み始めた。
「全ては……」
◇
ソフィア達がそんなことになっているとは思わず、アレスはカールと戯れていた。
「新入りの兄ちゃん勝負だ」
アレスはベアテの力仕事担当であり、筋肉自慢のカールに朝の水汲み勝負を持ちかけられていた。
「兄ちゃんよ。俺と水汲みで勝負しな」
「なんで俺がこんなことを」
「するのか、しねえのか! どっちだよ!」
アレスの耳元で叫んだので、アレスの鼓膜が破れそうになった。
「わ、わかった。するよ」
「よーし。それでこそ男だ」
「いくぞ。うおおおおおおおお!」
カールはものすごい勢いで坂を駆け上がっていった。水汲みのタンクも持たずに。
「あいつ何しにいくんだ」
「さあな」
近くで様子を見ていたさすがのマリーも呆れていた。
◇
一方マキナはエルナの洗濯手伝いをしていた。今や野良メイドになってしまったが、掃除洗濯、アレスを罠にはめることだけはプロ級のマキナは何やら揉めていた。
「私に箒を持たせたら私の右に出るものはいない」
「ふふふ。まさか私にそんなことを言う人が居るなんてね」
エルナは自慢の栗色の髪を掻きあげた。
「どちらがこの廊下をよりきれいにするか勝負よ」
「望むところです」
鼻がくっつきそうなほどの至近距離で見つめ合った。このロゼッタで最強掃除人対決が今始まろうとしていた。変な戦いが始まったが、アレスは興味がなかったので、即座に去った。勝手にやってくれ。
◇
やることが無くなったアレスはアパートの裏の畑に行って見ることにした。昨日リリーに良かったら畑に遊びに来て欲しいと言っていたので、せっかくなので覗いて見ることにした。
アレスが裏手の畑に回ると、銀色の髪を揺らしてリリーはせっせと畑仕事をしていた。
「リリーちゃん来たよ」
こちらに気づくとリリーはうれしそうに微笑むと、とてとてとこちらにやってきた。
「アレス兄さん来てくれたんですか? ありがとうございます」
「何育ててるの?」
「大豆です。やっとさやが大きくなって、秋には収穫できますよ」
大豆か。畑の牛肉とよばれているが、この国の人達の肉に関する執着は並々ならぬものがあるなとアレスはふと思った。本当の肉を見たらどう思うのか恐ろしくも思った。そんなことを思っていると隣でリリーは歌い出した。
「なにしてるんだ?」
麦わら帽子を被ったリリーが首をかしげている。
「知らないんですか? 歌を聴かせるとよく育つんですよ」
ロゼッタの民族音楽なのかわからないがやたらとハードな曲調で結構リズムが早かった。踊るような勢いで気がつくとリリーは踊っていた。
「大豆に聴かせるには結構激しいんだな……」
「こういう曲調の方が強い子に育ちそうじゃないですか」
逆に毒を持って育つか、逆に腐ってしまのでは無いかと思った。
「大きくなーれ。大きくなーれ。さあアレス兄さんも一緒に」
「あ、ああ。オオキクナーレ。オオキクナーレ」
「アレス兄さん声が小さいです。もって気持ちを込めてください」
「お、おう」
リリーのあまりの迫力にアレスは圧倒されていた。相変わらずアレスのことを兄さんと呼んでいた。実は昨日こんなやりとりがあった。
◇
昨日の夕食中。
「あの……」
リリーがおずおずと話しかけてきた。リリーは引っ込み思案に見えて実は人懐っこいようだ。
「どうした?」
「大変、恐縮ですが、アレス兄さんとお呼びしてもよろしいですか?」
ちょっとどうかと思ったが、別に嫌ではなかったので了承することにした。
「ああ、構わない。好きに呼んでくれ」
「ありがとうです。兄さんはカール兄さんしかいなかったので、うれしいです」
「マキナちゃんもよろしくね」
「なぜ、私だけちゃん付け!?」
「リリーよりも年下ですよね?」
「私は兄さんより一つ下だ!
「ごめんなさいです。リリーとあまり身長が変わらないので同い年か下くらいかと思いました。残念です。妹ができるかと思いましたです」
泣きそうなリリー。アレスから見ればどちらも変わりがないような気がする。
「おい。何泣かしてんだよ」
「わ、私はそんなつもりじゃ」
「リリーちゃん。大丈夫だ。こいつは精神年齢が五歳くらいだから、妹と思っても構わないぞ」
アレスは思わず頭を撫でてやっていた。
「ぐすん。ありがとうございます。優しいアレスさんは好きです。いじわるなマキナちゃんは嫌いです」
「え、ちょ、ちょっと」
「マキナちゃんって呼んでもいいですか?」
「仕方がないですね。特別ですよ」
「マキナちゃん、よろしくね」
「は、はい。宜しくお願いします」
どうも腑に落ちないマキナであった。
◇
そんなことがあってアレスはアレス兄さん。マキナはマキナちゃんと呼ばれることになった。ちなみにマリーはマリー姉さん。エルナはエルナ姉さん、カールはカール兄さんと呼ばれている。リリーは兄さん、姉さんと呼びたいようだ。マキナは例外のようだったが。リリーは不思議な踊りを踊りながらその合間に大豆に向かってお辞儀をしていた。何かの儀式ななのだろうか。傍から見ると異様な光景だ。
「ま、まあ頑張れよ」
「はい! 頑張るです」
アレスはリリーの歌を聞きながら畑の側に寝っ転がって寝ることにした。
◇
いつの間にか夕方にさしかろうとしていた。飛び起きたアレスはアパートに戻ることにした。
「どう! この輝き私の勝ちに決まったわね」
「エルナさん甘いですね。輝きにこだわっているようではまだまだですね。私は完全に抗菌と防臭をしました。顕微鏡で見ればはっきりと分かるでしょう。雑菌の少なさにです」
「まさか。そんな」
エルナとマキナはまだほんとうにどうでもいい勝負をしていた。まあ友達が少なそうなマキナに仲の良い友達ができて、仮とはいえ、兄として少し微笑ましかった。夕食まで少し時間がありそうなので再び外に出ることにした。
外に出ると、マリーが素振りをしている横で、知らない人物と話をしていた。全身黒ずくめでフードを深々と被っている怪しい男だか、女だか分からない人物だった。
「ありゃありゃ。珍しいわね。外部から人間がやってくるなんて。あらあなたまさかね」
こちらに気がつくとその声からして女だと思われるフードの人物はアレスの方をじっと見つめてきた。
「またくるわ。毎度」
しばらく見つめるとその人物はあっさりと去っていった。
「なんだあいつは」
「武器商人です。ベアテの武器は全部彼女から購入しています」
「へー。なんだか変わったやつだな」
「アレス程では無いですよ。はっはは」
「そこ笑う所では無いだろ」
「失礼。悪気は無かったんだが、気を悪くしたか」
「いや、別にそれより……」
そこに慌ててカールが飛び込んできた。余程慌てていたのか、両手にバケツを持っている。もう水汲み勝負は終っただろうに。
「みんな大変だ! 食堂に集合してくれ!」
カールに押されるように食堂に集合すると、みんな食堂に集まっていた。いったい何があったのだろうか。緊張した面持ちのみんなの前でカールは呟いた。
「食料が底をついた……」
「「「ええ!」」」