第4話:四天王、襲来。あるいは「魂の契約」
お腹が空いた。
……あの日、木の枝を振ったら世界樹が生えてきたあたりから、僕の胃はキリキリと痛み続けている。
(……なんで? なんでクラリスさんは、僕が枝を捨てるたびに『また新たな生命の種を……!』って涙を流して拝んでるの?
怖いよ。この門の周り、もう完全に植物園だよ。これじゃ隠居じゃなくて園芸だよ)
精神的な疲労は食欲に直結する。
僕は震える手で、リュックの奥底から「自作のクッキー」を取り出した。
王都を出る前、節約のために大量に焼き上げたものだが、料理下手な僕が作ったせいで見た目は真っ黒。炭のような代物だ。
(……これ、食べられるのかな。
でも今は、この焦げた苦味が僕の人生の苦しさにちょうどいい気がする……)
その時だった。
周囲の空気が、凍りつくような冷気に包まれた。
「……見つけたぞ。我が忠実なる影を、塵も残さず消し去った怪物を」
(ひっ……!? 冷たい! 怖い! 誰!?)
背後の「影」から、一人の少女が音もなく現れた。
漆黒のドレスに、血のような赤い瞳。頭上には魔族の証である小ぶりな角。
彼女こそが、魔王軍四天王の一人——「影深きリル」である。
リルの内心は、実は恐怖で支配されていた。
彼女は見たのだ。目の前の男が、何気ない動作で「天を割り」、適当に捨てた枝で「世界樹」を顕現させたのを。
(……この男、隙がない。
座っているだけなのに、周囲の因果律が彼を中心にして捻じ曲がっている。
私のような暗殺者が、この距離まで近づいても無反応……。
いや、無反応なのではない。『近づくことなど許可していない』と、その背中が拒絶しているのだ……!)
実際は、ゼノンは腰が抜けて振り向けないだけなのだが、リルには「深淵のような静寂」に見えていた。
「我が名はリル。魔王軍四天王が一人……。
貴殿の命、我が『影の刃』にて……っ!?」
(ひいいいいっ! 四天王!? 本物!?
死ぬ! 確実に死ぬ! せめて、せめて『毒でも食べて死ね!』って呪うしかない!)
パニックに陥った僕は、手に持っていた「真っ黒な焦げクッキー」を、後ろも見ずに背後へ突き出した。
「た、食べろ……っ(※訳:これを食べて、お腹壊して帰ってください! お願いします!)」
リルの動きが止まる。
彼女の目の前に差し出されたのは、見たこともないほど濃密な「負のエネルギー(=単なる焦げ)」を放つ、謎の黒色物質だった。
(……なっ!?
私の『影の刃』を出す前に、私の『本質』を見抜き、この黒い供物を差し出したというのか!?
これは……魔界の深淵ですら見たことがないほどの魔力の凝縮体。
『食べろ』だと? 毒か……? いや、これは試練か!?
『私の配下になりたければ、この深淵を飲み干してみせろ』という、絶対者からの勧告か……!)
リルのプライドが、恐怖を上回った。
彼女は震える手でその「黒い塊」を受け取り、覚悟を決めて口に運んだ。
「……っ!? ぐ、ああああああああっ!!」
食べた瞬間、ゼノンの無自覚な規格外魔力が、彼女の細い体の中で爆発した。
あまりに魔力が濃すぎたため、リルの魔力回路が一度崩壊し、即座に「神話級」の強度で再構築されていく。
(わあああああ!? 叫んだ!
やっぱり不味かったんだ! ごめんなさい、お腹壊したんだね!
そんなに苦しまないで! 吐いて! 今すぐ吐いて!)
ゼノンは慌てて、近くにあった「聖水(※実は昨日、彼が汲んできたただの湧き水だが、彼の魔力が漏れ出して聖なる霊水に変化していたもの)」を彼女に差し出した。
「こ、これも飲め……っ(※訳:これで流し込んで! 死なないで!)」
「……はぁ、はぁ……っ!
魔力の再構築……そして、仕上げにこの『神の涙』で魂を固定するのか……。
……負けた。身も心も、完敗だ」
リルは突如としてその場に平伏した。
彼女の体からは、以前のような禍々しい気配は消え、代わりに神々しいまでの闇のオーラが溢れ出していた。
彼女は、ゼノンに「わからされた(再教育された)」のだと確信した。
「……私の負けだ、主よ。
毒を以て私を造り替え、水を以て私を救う……。
これほど圧倒的な慈悲と支配、経験したことがない。
今日から、私は貴殿の『影』。魔王を捨て、貴殿の犬として生きよう」
「……え(※訳:え、今なんて?)」
(なんか四天王が土下座してる……。
『犬として生きる』? 飼うの? 四天王を?
嫌だよ! 餌代高そうだし、そもそも怖くて夜も眠れないよ!)
その光景を見ていたクラリスが、背後から感動の面持ちで駆け寄ってきた。
「流石です、師匠! まさか四天王の一人を、おやつ(聖餐)一つで改心させてしまうとは!
これぞ真の覇道……武力を使わず、魂の格の違いで見せつける。勉強になります!」
「……あ、あー。あー……(※訳:もう、どうにでもなれ……)」
(……もうだめだ。
聖騎士と四天王が、僕の門の前で仲良くお茶を飲み始めた。
僕の『静かな隠居生活』は、もう物理的に修復不可能なレベルで壊れてしまったらしい……)
ゼノンは遠く、夕焼けに染まる王都の空を見上げた。
そこには、彼の活躍を聞きつけて「伝説の英雄を王都に迎えよう」と、大行列を作ってこちらへ向かってくる国王軍の姿があったのだが……。
彼がそれを知って絶叫するのは、もう少し後の話である。
第4話までお付き合いいただき、ありがとうございます!
蒼井テンマです。
「焦げたクッキー」が魔族を救世する——。
これぞ、ゼノン流の(無自覚な)人心掌握術ですね。
リルが仲間に加わり、ナラクの門はますます「ただの門番所」ではなくなってきました。
さて、次回はついに国王の視察団が登場!?
ゼノンの「帰りたい」という悲痛な叫びは、果たして王の心にどう響くのか(どう勘違いされるのか)。
「ゼノン、強く生きろ……(笑)」と思った方は、
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