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A 仏にあう

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 地獄で仏にあったよう。

 しんどい思いをしているときほど、心にずしんと来るものがある表現だな。

 もし平穏そのもので過ごし続けていたら、このギャップ差による幸せをかみしめることは、まずあるまい。トランポリンのごとく、一度深くまで落ち込まなくては、はずみをつけて飛び上がれる要素もないからな。


 では、なにをもって深い落ち込み、すなわち「地獄」とみなすのか。

 多くは環境だと思う。もし事故とか偶然とかの単発的、短期的なものならば不幸の分類だ。出来事にでくわしたことそのものは大きい落ち込みではあるが、地獄を味わうのとは少しニュアンスが違う。

 環境とは味わう長さ。先の事故などでいえば、その後に尾を引くケガなどの長期的なものを指すだろう。避けたいと思っても容易には行えず、また一時的に和らげることができてもすぐには根本治療ができず、しんどい目に遭い続ける。

 長引けば、受けるダメージの総量は日に日に増していき、その場限りや一回こっきりではとても味わえない苦痛を負う羽目にもなるだろう。頑健だった心もやがては弱り、ゆがみもするさ。

 そこで仏に出会うから喜びもまたひとしおなのだけど……いくら心身が望んでいたとはいえ、急に注ぐのはいろいろとまずいことからもしれないな。

 以前に私が出会ったことなのだけど、聞いてみないかい?


 今でこそ、長時間運動の際に水分補給をするのが大事とされているが、私のころはまだまだ水分補給禁止が主流だった。

 何時間も炎天下で水抜きの部活動を行い、ぶっ倒れる者もそこそこいた。それは根性が足りていないからと一喝され、無理やり立たされたっけな。

 根性論は傾倒したくはないが、軽視しすぎもよくないな。いざ勝負が競ったときは、根性のあるほうが流れを引き寄せやすいと感じる。プレッシャーに押されてへばっちゃうようでは、勝てるものも勝てずに負け癖がつくからな。


 と、まあ根性で部活動を耐え抜いた後の水分補給タイムというのは、私たちの中では格別の意味合いを持つ。

 なかば一発芸かと思うほどの大型ペットボトルや、水筒の中身を一気飲み。私たちの間じゃ名物扱いで、みんなで誰が先にあけるかで競争していたっけ。

 食い倒れならぬ、飲み倒れもおおいにけっこう。入りきらないぶんの水を口や鼻からあふれさせながら、その場にダウンするというのも勢いあってのしろもの。「よっぽど、のど乾いていたんだなあ」と、みんなで介抱こそすれ、うっとおしがることはしなかった。地獄のような環境を一緒に頑張りぬいたからこその、妙な連帯感があったんだよ。


 その日もまた、飲み倒れがあった。

 学校から徒歩数分圏内にある公園。学校内だと先生に注意される恐れがあったから、部活動終了後にどうにかここまで持ちこたえ、集まりきるや各々でラッパ飲みを開始する。

 数を重ねているから、自分の体がどれほど水を欲しているかはおおよそ見当がついていて、私は1.5リットル飲んだ。さすがに一気は苦しくて、1リットル前後を飲み下してからは口をはなし、ちびちびと飲みなおしてクリアする。

 ちょっと動けば、お腹がタプつくのが音と感覚で分かった。これから大仕事をする胃腸と、うるおい巡らす血管には頭を下げなくてはならないだろう。「いつもご面倒掛けてすいません」とばかりに。


 その中にあって……うん、例の彼を仮にAとしておくか。

 Aは私の倍は、水を用意していた。1リットル入る水筒を三本。文字通り、浴びるように中身をかっくらっていった。

 そうして、ぶっ倒れる。一本目、二本目と、ほとんど息もつかせぬ飲みっぷりは、すでにみんなで何度も見ていたし、ここまではさほど珍しいこととは思わなかった。

 が、三本目。これもまたいつもであれば、あっという間に飲み干して、超絶でかいげっぷを漏らしているところ。

 それが半分ほど中身を残して、ふらりと半回転。あおむけにぶっ倒れたときには、意外な光景にみんなして一瞬、固まってしまったものだ。

 手にしたままのスクイズボトルの口からは、とくとくと中身があふれ出して公園の地面へ水たまりを作っていく。あおむけになったAの口の両端から漏れる飲み物も同じくだ。

 即席のまくらでもこしらえる勢いでもって、耳下から後頭部へかけてを広く覆っていく構えを見せる。

 それだけなら、何度か見た飲み倒れのかっこうに似ているけれど、ひと目で異様だと分かったのはAが完全に白目をむいていて、ぴくりとも動こうとしないことだったのさ。普通の飲み倒れなら、うめきなり泣き言なりが漏れてきそうなところなのに。

 水中毒、というワードは当時の私たちの頭になく。ただ一大事であることを察して、彼の身体を起こそうとしたんだが。


 出し抜けに、彼の全身が「たわんだ」。

 畳んだアコーディオンカーテンのごとく、ぐっとAの足元へ溜まった皮は、ぞぞぞっと頭へ目がけて駆けあがっていく。

 その動いていく「たわみ」を見て、私たちは目を見張った。

 その中を、確かに水槽やアクアリウムをのぞくがごとき青い水と、熱帯魚らしきものが泳ぐ様が映し出されたからだ。

 そうして「たわみ」がAの口元まで移動したとき、その口から映し出された熱帯魚そっくりのものが数匹飛び出し、地面へ落ちて苦しげに跳ね回ったんだ。


 A本人はほどなく意識を回復するが、熱帯魚がどうして出てきたかなど知る由もない。彼らを口に入れるどころか、Aの家は水槽などひとつも用意していないのだから。

 このことがあってから、運動が終わってからのがぶ飲みを私たちは少し控えるようになったよ。急に体へ水を注ぐことは、いずこかと思わぬつながりを生むかもしれないから、とね。

 地獄で仏に会い、天国へ向かうがごとき、すさまじい差が一気に埋まるのかもね。

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三途の川を渡りかけたのかなと思ったり…魚がいるのかは分かりませんが。何はともあれ意識が戻って何より。 今は知識など広まっていますが、分かっていても暑いなか冷たい水があればついがぶ飲みしちゃう時もあるか…
地獄でフラ〇ス書院 失われし昭和の芸能「人間ポンプ」。 口から金魚を呑み込んでは出すという、今ではコンプライアンス的に絶対無理な芸が人気を集めた時代がありました。 達人級になると色違いの金魚を呑み込…
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