第7話 けいやくを むすびますか?▼
夜の闇を、炎が赤く塗りつぶしていた。
俺が指さした方角にあるのは、黒煙がもうもうと立ち昇るエルムントの街。不格好に崩れた建物のシルエットが炎の明滅に照らし出され、別世界のように揺らめいている。確かに同じ街だ。しかし、昨日昼間に見た煉瓦造りの穏やかな街とは、似ても似つかない光景が広がっていた。
「……お前、勇者なんだってな」
俺の問いに、エリスは静かに頷いた。さらさらとした金髪が俺の腕にかかる。青く美しい瞳が、どこか怯えたように遠く燃え盛る街を映していた。
「俺を連れて行ってくれ」
この言葉に、エリスの眉がかすかに寄った。俺を見下ろす瞳に宿るのは、明白な恐れと拒絶。
「……重傷のけが人が応援に駆け付けたところで、何ができるのですか」
「一発入れるぐらいはできるさ」
「あなたはッ……!グリフォンの一匹を引き付けて、人々を守ろうとした。それで十分ではないですか!」
エリスが声を荒げた。彼女が感情的になるところを始めて見るな、と思う。
自分でも無謀だということは分かっていた。エリスが俺を連れて行ったところで、何もできずに死ぬだけだろう。
――もちろん、死ぬほど怖い。行きたくない。森の小屋に引き返して、誰か英雄がグリフォンを倒してくれるのを待つことだってできる。
だが、あの街に人がいる。リーシャがいる。俺の飲み仲間が、街に行けば挨拶をしてくれた人々が、今この瞬間も死に瀕しているかもしれない。例え何もできないとしても、無様に負けて死ぬだけだとしても。ここで何もせずに生き延びることの方が、もっとずっと恐ろしい。
「わたくしは、あなたを失えない。失うわけにはいかないのです……!」
「それでも、だ。ここで行かなきゃ、死んでも後悔する」
痛みをこらえ、ゆっくりと息を吐きだす。何の打算もなくエルムントの街に行こうとしているわけじゃない。エルムントの街で聞いた話を思い返す。――勇者に発せられた追討令のことを。エリスは今、聖王国に追われる身となっている。
「……聖王国から、勇者様に追討令が出てるそうだ。魔王軍に寝返ったなんて言われてる」
「私が裏切ったとされている――と。……ええ。思うところはあります。けれど、察していました。この毒に侵された身では、むしろそれが最適解。……理解は、しています」
エリスの反応を伺う。その目は何とも言い難い感情を湛え、彼女はただ小さくその細い肩を震わせた。裏切りの汚名と呪いを押し付けられ、それを自ら理解し受け止めている。こんな少女が?
――なるほど、それは世界を救うためには仕方がないことなのかもしれない。
彼女は聖剣に選ばれたから。そういう運命だったから。エルムントの街は辺境だから。ギデオン・シルバーハートはサブキャラだから、あの街を襲うグリフォンを前に何もできずに死ぬのかもしれない。
何の理屈もない。合理的でも冷静でもない判断だ。ただ、魂の奥底で何かが叫んでいる。そんなことを認めてたまるかと。
だから、そう。これから行うのは一つの賭けだ。他人の力頼りというのが情けない限りだが。
「……なあエリス、俺に命を預けるって話まだ有効か?」
「あなたがそう望むなら」
「なら、もう一度頼む。俺を、エルムントに連れて行ってくれ。グリフォンを倒したお前が居れば、勝機はある」
エリスの青い瞳が揺れた。長い睫毛が微かに震え、桃色の口の端から吐息が漏れる。
「わたくしは聖王国に追われる身。もし私が街中で勇者の力を使えば、わたくしどころかあなたも――」
「それでも構わない。責任はとる」
「……わかりました。ですが、その前に一つだけ」
エリスは俺をそっと下ろし、懐から一振りの短剣を取り出した。銀細工の施された美しい短剣。柄には王家の紋章が刻まれていた。
「聖王国の王家に伝わる契約の魔法。この刃で誓いを立てた者は、誓いを破れば命を落とします」
「……厄介な代物を持ってるんだな」
「――本当に、構わないのですね?」
「もちろん」
それは聖王国の王家に伝わる契約の魔法。冒険者ギルドなどで行われる契約魔法の原型となった、神をも縛るともいわれる原初の魔法だった。
契約を結べば、もう戻れない。この森にも、エルムントの街にも、戻ってくることはないのかもしれない。右腕に受けた傷がひどく痛む。革鎧はボロボロで、ミスリルのダガーも、吹き矢も、満足に扱えはしないだろう。だが、俺の口を突いて出たのは、妙に不敵な言葉だった。
「俺と一緒に逃げてくれるか、エリス・サンライト?」
「……ッ、喜んで!」
俺の血が短剣を伝い、次いでエリスの真っ赤な血が白い肌を流れる。その瞬間、黒い森に神聖な空気が満ちた。エリスと俺を中心として、輝かしい純白に光る魔法陣が、複雑に絡み合って姿かたちを変えていく。
「わたくし、エリス・サンライトは誓います。ギデオン・シルバーハートをこの身にかけて守ることを。そして、誓約に背いたならば――その命を捧げることを」
「俺、ギデオン・シルバーハートは誓う。エリス・サンライトの潔白を証明し、死ぬまで共に在り続けることを。そして、誓約に背いたならば――その命を捧げることを」
エリスは歓喜に震えたような声色でそう言った瞬間、体の奥底から何かが引き抜かれるような感覚があった。俺を力強く胸元に抱きよせ、彼女が至近距離で微笑む。その顔は今までに見た彼女の表情の中で最も可憐で――何か底知れないものを感じた。絶対に逃がさない、そう言っているような。
次の瞬間、体を浮遊感が襲った。疾風のような速度で駆けるエリスと俺の姿勢は――もちろん、お姫様抱っこ。これが二度目ってのも笑えない冗談だ。全速力で駆ける。
「それにしてもあの契約!まるでプロポースのようでした。わたくし、思わず結婚するところだったのですよ?」
「お前、そういう性格だったか?」
飛ぶように森を駆け抜けながら、エリスが話す。顔だけは俺の方を見ながら枝葉を避けるなんて器用な真似をしながら。
「拾われた時は本気で落ち込んでいましたから。しおらしい方がお好みですか?」
「いや、いい」
目指すはエルムント。――炎に包まれる、懐かしの街へ。
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