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第2話 しかし ぼうけんは つづく!▼

――本来ならば、勇者エリス・サンライトは、今頃、世界各地を巡り、仲間たちとの絆を深め、魔王軍との戦いに備えているはずだった。俺が寝食を忘れ、青春の全てを捧げたRPG「ブレイブ・クロニクル」では、それがお決まりの展開だった。


「ブレイブ・クロニクル」――通称「ブレクロ」は、当時としては画期的な自由度の高さを誇るゲームだった。広大な世界を自由に冒険し、無数のクエストをこなし、個性豊かなキャラクターたちを仲間に加えることができる。その中でも特に人気だったのが、ほぼ全てのNPCを仲間にできるスカウト機能だ。屈強な騎士団長から、酒場の看板娘、果ては街角で花を売る少女まで、プレイヤーの選択次第で、誰とでも共に冒険することができた。もちろん、俺のような、街道沿いの街で薬草を売るだけの、地味なサブキャラでさえも。


しかし、そんな自由度の高さとは裏腹に、メインストーリーは王道中の王道だった。聖王国の王女エリスは、光明神の神託を受け、勇者として覚醒する。そして、幼馴染の騎士レオナルトを始め、各地で出会う仲間たちと共に、魔王討伐の旅に出る。それが、プレイヤーが体験するはずの物語だった。


正史での勇者パーティーは、聖王国セレスティアを出発し、アルカディア王国で騎士レオナルトを仲間に加え、商業都市同盟「リベルタス」で魔術師カサンドラと出会い、エルフの森「エルフィニア」で……と、順調に仲間を増やし、力をつけていく。


そして、この世界でも、つい最近まで、その流れは順調に進んでいるように見えた。エリスは、各地で人々を助け、魔物を討伐し、勇者としての名声を高めていた。その活躍は、吟遊詩人によって歌われ、遠く離れたこのエルムントの村にも届いていたほどだ。

 だが、今、ベッドの上で苦しげに眠るエリスの姿は、そんな輝かしい勇者のイメージとはかけ離れていた。


 薄暗い小屋の中、焚き火の明かりが揺らめく。古びた木組みが風に軋み、隙間から入り込む冷気が肌を刺す。ギデオンは、粗末なベッドに横たわる金髪の少女――エリスを見つめ、深く息を吐き出した。埃っぽい匂いと、微かな血の匂い、そして、どこか懐かしい聖なる香りが混ざり合い、独特の雰囲気を醸し出している。


――拾ってきてしまった。よりにもよって、世界の命運を握る勇者様を。


 額に浮かんだ汗を布きれで拭い、ギデオンは改めてエリスの容体を確認する。血と泥にまみれた服は応急処置として切り裂き、代わりに清潔な布を巻き付けてある。消毒と傷口の止血が最優先だ。腕に残る痛々しい紫のアザは、毒がまだ完全に抜けきっていないことを示していた。

 その傷は深い。冒険者として数多の死線を見てきたギデオンから見ても危険な状態だということが理解できた。


 ――何があったんだ? まさか、本当に魔王軍に寝返ったのか……? いや、そんなはずはない。俺の知っているエリスは、そんなことをするような奴じゃなかった。


 ――しかし、俺の知っているエリスじゃないとしたら?


 混乱する思考の中、ギデオンは必死に冷静さを保とうとする。

 しかし、もし彼女が本当に裏切ったのだとしたら。聖王国は、彼女を追っているはずだ。そんな危険人物を匿えば、自分もただでは済まない。最悪の場合、処刑される可能性だってある。


 ギデオンは、小屋の隅に置いてある木箱を開けた。中には、冒険者時代から集めてきたポーションや錬金素材がぎっしりと詰まっている。色とりどりの液体が入った小瓶、乾燥させた薬草、怪しげな光を放つ鉱石。まるで魔法使いの工房のような品揃えだ。

 

 「もう使う場面もないと思ってたが、ラストエリクサー症候群もいいとこあるのかもな」


 自嘲気味に笑い、ギデオンは迷わず最高級のポーションを取り出した。淡い光を放つ液体は、どんな傷や病気も癒すと言われる、希少なエリクサーだ。熟練の錬金術師でも、数ヶ月に一つ作れるかどうかという代物。かつて、ギデオンはこれを、自分の命を守るために大切に保管していた。

 

 裏切ったとされる勇者を治療することにどれだけのリスクがあるのか、考えなかったわけではない。国に目を付けられるのはもちろん、彼女が目を覚ました瞬間に首を刎ねられることだってあり得る。それでもエリクサーを使うのは、この世界で冒険者になると決めたときのことを思い出したからだ。 


 ――なぜ俺がこの世界で冒険者になったのか。


 脳裏に、ファルコを庇って右腕に重傷を負った、あの日の光景が蘇る。ファルコの悲鳴、飛び散る血しぶき、痛みで歪む視界、セレナの絶望的な叫び声……。


 ――それでも。


 子供の頃、万年Eランクの冒険者にゴブリンから助けられて。ゲームじゃないと思って。

 たしかにこの世界の人々は生きているんだ、と感じたあの日から。




 ――目の前で苦しんでいる人を、見捨てることなどできなかった。



治療は長丁場になりそうだった。パンをむりやり口に詰め込み、なりふり構わずに体力を振り絞る。


――街でリーシャが持たせてくれたパン、まだ温かいな。後で礼を言わないと。


 ギデオンは震える手でエリクサーの封を開け、エリスの口元に運ぶ。甘く、どこか懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。ゆっくりと、一滴ずつ、エリスの喉に流し込んでいく。

 それだけではない。ギデオンは毒消し効果のあるエルムントハーブ、魔力を回復させるマナの結晶……。その全てを、惜しげもなく、次々とエリスに与えていく。その手つきはどこかぎこちない。冒険者を引退してから、久しく他人を治療することなどなかったからだ。


「頼む……効いてくれ……!」


それでも祈るような気持ちで治療を続け、ことあるごとにエリスの様子を見る。ふと、エリスの首元に、小さな銀のロケットペンダントが下がっているのに気づいた。聖王国の紋章が刻まれている。そっと手に取ると、微かに温かい。


(これは彼女の大切なものなのか?)


 ロケットをそっと開くと、中には聖王国の家族と思しき小さな肖像画が入っている。よく見れば、肖像画の裏に小さな文字で何かが書かれている。


《エリス、我が愛し子に》


 父からのメッセージだろうか? ギデオンは、ロケットペンダントをそっとエリスの胸元に戻した。

 エリスが小さくうめき声を上げる。


「魔王……いや……!やめてください……私は……!」

「おい、しっかりしろ――!大丈夫、大丈夫だ。きっと助けるから」


 勇者エリスは苦しそうに顔を歪め、うわ言を呟く。その言葉は、途切れ途切れで、はっきりとは聞き取れない。しかし、その声には、深い悲しみと絶望、そして、かすかな抵抗の意思が滲んでいた。

 雪のように白い肌が今は熱に浮かされて赤く染まっている。彼女の額に次々と浮かぶ汗のしずくを、冷たい水で洗った布で拭きとり続ける。効果があるかないかもわからないまま、ひたすらエリスの名前を呼んだ。


 綺麗事かもしれない。それでも、今度こそ誰かを守れるかもしれないと思ったんだ。

 ゲームの中の知識だけじゃない。この世界に生きてきた経験と力で、今度こそ――


(何があったんだ?原作にないはずのイベントか?成長しきっていない勇者に目をつけて早期に襲撃をかけたのかもしれない。群魔暴走(スタンピード)か?……くそっ、不確定要素が多すぎる)


 ギデオンは、エリスの過去に思いを馳せる。この世界はゲームとは違う。何が起こっても不思議ではない。

 あれからどれほどの時間が経っただろうか。気付けば彼女の苦しそうな声は収まり、ささやかな胸のふくらみを上下させて穏やかな寝息を立てている。峠は越えたようだ。


 「……よし」


 安堵の息を漏らしたその時、小さく何かが動く気配がした。視線を向けると、小屋の入り口付近、薄闇の中に二つの青い光が浮かんでいる。


 それは小さな獣だった。ふわふわとした灰色の毛並み、ピンと立った耳、そして、澄んだ青い瞳。


 俺の飼っている子オオカミ、シルヴァだ。

 警戒するようにエリスをじっと見つめている。その瞳には、野生動物特有の鋭さと、子犬のような無邪気さが同居していた。

 

 ギデオンは、そっと手を伸ばしてみる。指先から漂う薬草の香りにシルヴァは一瞬身を引いたが、すぐに小さな鼻をクンクンと鳴らし、ギデオンの手に擦り寄ってきた。 ふわふわと柔らかい毛並み。温かい体温。ギデオンは、その感触に心が安らぐのを感じた。


 「シルヴァ、森で怖い目にでもあったか?」


 子オオカミは、ギデオンの言葉が分かるのか、小さく「クゥーン」と鳴いた。まるで、肯定するような返事だった。

 

 「よしよし、怖かったな」

 

 ギデオンは、子オオカミの頭を優しく撫でる。その毛並みは、想像以上に柔らかく、温かい。まるで、上質な毛布に触れているような心地よさだ。

  

 ふと、エリスの方を見ると、子オオカミのシルヴァは興味深そうにエリスを見つめていた。微かに震えているようにも見える。 シルバーウルフは魔力に敏感な種族だ。エリスの持つ、微かだが確かに存在する光の魔力に引き寄せられているのかもしれない。


 「森で拾ってきてな。怪我してたから、手当てしてるんだ。昔のお前と同じだな」


 ギデオンがそう言うと、シルヴァはまるでエリスの魔力を確かめるかのように、そっとエリスに近づき、その顔を舐めた。

 

 「……ははっ。賢いなー、お前は」

 

 シルヴァは、ギデオンの言葉に反応するように、嬉しそうに尻尾を振った。まるで、子犬が飼い主に甘えるような仕草だ。その様子に、ギデオンの心は自然と落ち着きを取り戻していく。


 窓の外は、まだ深い闇に包まれていた。小屋の隙間から吹き込む冷たい空気がギデオンの頬を撫でる。外では焚き火の残り火がパチパチと音を立て、微かに周囲を照らしている。


「あー、安心したら眠たくなってきたな……悪いシルヴァ、この子のこと見張っててくれ」


 ギデオンは何とも言い難い表情で、ベッドの上に眠るエリスを見つめた。


 ――"ブレイブ・クロニクル"の主人公。世界を救う運命に会った少女がこの森で倒れていて、しかも彼女には追討令が出ている。


 ――この先世界はどうなっていくのだろう。そんなことを考えようと思ったが、疲労で頭がうまく働かない。エリスが裏切っていたら、俺は真っ先に殺されるかもしれない、とも思う。しかし眠気が抗いがたく襲ってきて、ギデオンは膝からベッドの横に敷いてあった毛皮に崩れ落ちた。


「わる……い……シ、ルヴァ、この……子の見張り……を……」


 眠気によって曇る頭で、エリスの容体が急変したときのためにどうにか愛狼に指示を出そうとする。そこでギデオンが目にしたのは、だらしなくよだれを垂らして幸せそうに眠る子オオカミと――




「――くっ、……こいつ、もう寝てんじゃねーか……!」





 ――勇者エリスの天使のような寝顔。その瞳が微かに開き、"ブレイブ・クロニクル"のオープニング記憶にあるような澄んだ青色ではなく、どろりとした暗い光が俺をじっと見つめているような気がした。


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