325-大っ嫌いなあなたへ
鏡音晶は凡庸だ。
その逆、宵戸潤空は異彩を放ち、どんな分野においても周りを置いて、前を進んでいく。その足取りはいつだって軽く、どんな障害も軽々と乗り越えて、絶対に挫けない。
魔法少女になる前から。
同じ街に生まれ、同じ学校に通い、近くも遠くもない、そんな関係だった頃から。
晶にとって、宵戸潤空という人間は、雲の上にいる存在だった。
「ほーら!」
「あそぼ!」
「逃げるだけじゃ」
「避けるだけじゃ」
「こっから出れないよ?」
「終わっちゃうよ?」
「それとも───寿命のあるこの世界で、ワタシと一緒に踊り続ける?」
努力じゃ追いつかない。
だから、努力する気にもならず。ただ見上げて、ただ、理由もなく嫌いになっただけ。自分の手が届かない孤高の天才に、晶は唾を吐いた。
性格が悪い。ただの八つ当たりだ。
それでも、お高くとまったその在り方が、無性に嫌で、憎たらしくて。
ただのクラスメイトであった時も、遠くから見るだけで関わらなかった。
───魔法少女に、なるまでは。
「執拗いッ!」
「なら殺せよ!ワタシを生き返らせたのは、オマエだッ!オマエが撒いた種だ!!」
「チッ!」
それは蛇。
白と黒が螺旋を描く、小さな蛇が絡み付いた鏡。それが彼女が契約した、妖精の姿。
晶と同じで、他の妖精と違い、性格の悪い男の子。
好きな人に嫌いと叫び、物を奪って、壊して、無意味に悲しませる。そんな妖精との出会いによって、晶は戦場に飛び出た。
“ガミっち”なる妖精との悪夢との戦い。鏡の魔法少女に生まれ変わった晶は、これからの人生に希望を見出した。例え、それが多くの魔法少女が抱く妄想だとしても。
これで、自分も特別に。
そう思って、期待して───あの大っ嫌いな同級生も、魔法少女になったことを知った。
あの蒼い光が、少女の目を焼く。
脳を焼く。焼いて、溶かして……ジッと離さず、返してくれやしない。
ウザかった。
殺意が湧いた。
歯切りは酷く、脳が軋み上げ、吐き気を催すその光を、ミロロノワールは侮蔑した。
───やっほ。教室ぶり♪
───っ、君は……斜め後ろの席からいつも睨んでくる、なんか怖い同級生!!
───おっとぉ…
その敵意を悟られぬよう、猫を被って。
ニコニコ、ニヤニヤ、ただ性格の悪い女の子を装って、いつでも相手を貶せるように、潰せるように……そして、殺せるように。
悪意を胸に。
殺意を胸に。
叛意を胸に。
嫌いだから、憎いから、ただ、それだけの幼稚な理由で付き纏う。
全然隠せていなかったのは……ご愛嬌というヤツだ。
……その黒々とした感情に、一筋の光が入ったのは……きっと、些細なことだった。
別にどうってことない、ありふれた悲劇。
救いはなくて、力はなくて、どうしようもなくて。ただ悲しいだけの、終わり。
「なぁ!」
「オマエにとって!」
「ワタシは」
「ワタシは───なんだった!?」
「どんな人間だった!?」
「どんな相手だった!?」
「ねぇ!」
「ねぇ!」
「「「───教えてよ!ムーンラピス!!宵戸潤空ッ!!ワタシの、天敵!!」」」
「あぁん!?」
同期がいた。
悪くはない仲の間柄で、まぁ、ノワールであっても別に嫌いにはならない、そんな女の子だった。
その魔法少女か死んだ。
怪人との戦いで、命を落とした。その最期は惨たらしいモノで、生きたまま食われて死んだ。配信魔法にもそれは載せられず、視聴者たちの預かり知らぬところで、彼女は悪夢の餌になった。
衝撃だった。死がこんなにも身近にあることに。彼女は楽観視していた。その事実を、晶は漸く理解したのだ。
あまりにも場違いだった。
魔法少女という優越感に浸っていた幻想は、唐突に辛い現実に引き戻されたのだ。
その死は、晶という悪意を茫然とさせるには……十分な情報量だった。
「ぐっ……何が言いたいわけ。そんなこと、聞きたい為にここにいるわけ?」
「理由の一つ、って言ったら、どうする!?」
「馬鹿だなって嗤ってやるよ!このボンクラが!クソほどどうでもいい!!」
「あぁん!?」
怖かった。
泣きたくなった。
身体が震えて、歯がガチガチと鳴って……とんでもない時代に生まれてしまったと、意味のない後悔をして。己の末路を察して、ただ、震えることしかできず。
それでも、猫を被って。嘘を取り繕って。
いつでも笑顔で悪辣なミロロノワールを演じて、眼前の死を見て見ぬふりして。自分は大丈夫だと、思い込んで、必死に願って。
そうして、無為に時間が過ぎ去ったある日。ノワールは見てしまった。
───路地裏の壁に頭を預け、天を仰ぐ蒼月を。
同期が死んだ、その場所で。追悼を、憐憫を、哀悼を、謝罪を捧げる、その姿を。
あまりにも小さな、横から見た彼女の顔。
今すぐにでも壊れてしまいそうな程、悲しさで空っぽになった、彼女を。
幸い、自分がそこに居たことは気付かれなかったが……あの瞬間からだ。
あの日から、晶は潤空への殺意を消した。
だって。
理解ってしまったから。彼女も、自分と同じ、悩んで、恐れて、血の滲むような努力をしても、手の届かない闇に手を伸ばしていると、知ってしまったから。
あぁ、同じだと。
似ているようで似ていない。ただ、潤空もまた、自分と同じで……ちょっとだけ、高いところに立ってるだけの、普通の人間だと理解してしまって。
おかしなことに。不思議なことに。
あんなにも燻っていた火は、気付いた時にはあっさりと消えていた。
「対等?」
「んなわけあるか」
「信頼できる?」
「裏切ってる分際で言うことかよ」
「大好き?」
「別に」
嫌いではある。
好きではない。
どうでもいい。
だが、それでも───それ以上、嫌いになることはできなくなった。
相も変わらず、煽って貶して、ぶちのめされて。
ただの同級生だった頃とは考えられない、そんな関係になった。
「でも、強いて言うのなら───オマエの死は、僕という魔法少女に一つの瑕を付けた」
「!」
そんな自分も、この世を去った。
罠にまんまと嵌って、一人になったところを襲われて。何もできず、何も成せず。どれだけ抗っても無駄だと……強く突き付けられて、晶は命を落とした。
首が斬られて。
空を舞う視界。
最期に、彼女が見たのは───今更必死に手を伸ばす、蒼い月の姿で。
傑作だった。
失笑物の……なんともまぁ、つまらない。どうでもいい悲劇であったと結論付ける。意味も、価値も、面白みすらない、くだらない話。
救いなんて無かった。
バッドエンド。ハッピーなんて欠けらも無い、鏡音晶の幕閉じ。
それを目にした彼女の顔は───今、思い出しても。
清々しい思いが、腹から込み上げる笑いが……なんて。なんてものは、無かった。
無かったのだ。
「巫山戯るなと思ったよ」
「あっさり殺したアイツに。あっさり死んだオマエにも。それでも、起きたことは覆せない。どうしようもないって諦めて、受け入れて、呑み込んで……改めて、悪夢なんてゴミを終わらせる覚悟を、決めたよ」
「今じゃ、こんなんだけどね」
「オマエは僕のこと、嫌いだったみたいだから……まぁ、お望みなら。殺してやるぐらいには。僕もオマエのこと、嫌いだけど」
後悔した。
絶望した。
泣き喚いて、否定して、そんな顔するなと、声を大きく叫びたくなった。でも、暗くなっていく視界が、霞がかる意識が、それを許してくれなくて。
自分の死で、あんなに悲しむとは思っていなくて。
だからこそ晶は疑問に思う。死んだあの瞬間、そして、蘇ってからの今この時まで。
ラピスの、あの表情は───死ぬ間際の幻覚、妄想なのではないかと。
信じれなくて。
証明したくて。
そんなことないと、そんなわけがないと。そうだったらどうしようと、知りたくなって。知りたくなくて。でも、違うとは言えなくて。断言できなくて。
絶望的で、退廃的な問い。
自分の終わりを前に、あの嫌いな女が、本当は、どんな顔をしていたのか。
やっぱり…
───鏡音晶という凡人が、宵戸潤空という非凡人に、どう思われているのかを。
知りたくて。
「それでも───死んで欲しくなんて、なかったよ」
形だけの裏切り。
ただの、お遊び。
鏡の中での殺し合い。その果てで。ノワールとなった、晶と対峙する、憎くて嫌いで、どうしようもないぐらいに恨めしい、その青い瞳は。
どこまでも、どこまでも───澄んでいた。
青空のように。
深海のように。
手が届かなくて、魅入ったら、二度と地上には戻れない神秘性を秘めた、美しい青。
ムーンラピスの瞳に映る自分は。
惚けた顔をして。妄想だと信じたかったそれが、やはり現実であると、突きつけられて。
バカみたいに、口を開けて。
アホみたいに、目を開いて。
何処か、笑ってしまうような……マヌケ具合いを、瞳に映していた。
「……アハッ」
笑みが零れる。
どうしようもないぐらいに、おかしくて。意味もなく、腹の底から笑いたくなって。
波紋の広がるマーブル模様の上で、ただ微笑む。
分身はもういない。空間を埋め尽くしていた鏡は、全て魔法によって遠ざけられた。鏡の撹乱も、反射も、全て、届かなかった。
届くわけもなかった。なかったが───それでも。
彼女からの答えが、それであるのなら。最早、それ以上なんて、いらない。いらないのだ。
疑問は溶けた。
疑念は薄れた。
妄執は晴れた。
残ったのは、ただ───大っ嫌いな、悪友への思いが、胸を締め付ける。くだらない、一生胸に閉まっておいた、その想いが。
溢れ出る。
「…そっか、そっか……」
頬を伝うそれに、気付かないフリをして。ノワールは、胸を締め付け、フラつく身体に、喝を入れる。
ここで倒れるのは、最後の時だけだ。
嬉しさも。
苦しさも。
悔しさも。
全部、全部、全部───終わった後まで、取っておく。今はただ、それでいい。
それでいいのだ。
「……」
「……」
言葉はいらない。
二人は再び、向かい合う。
今はまだ、殺し合いの最中───裏切った女の、禊ぎの時間だ。
心を落ち着かせる静寂が、無音の鏡世界に流れて……
「ねぇ、うるちゃん」
「なぁに、あきら」
「……今まで、ごめんね。あと、これからも。今の内に、ごめんって言っとくね」
「ふざけんな」
お互いに、示し合わせることもなく───最後の魔法を展開する。
「終わりにしよっか」
「言われるまでもね」
魔力が限界まで高まると共に、ノワールは後ろに跳んで距離を取る。
これで最後。最後だから、好きなように。
今まで溜まった恨み辛みも、意味のない鬱憤も、こんな感情も、全て。
この魔法に、込める。
「ラピピ!楽しかったよ!アナタとの、お友達ごっこ!!次のワタシとも、仲良くしてよ、ねっ!!」
「───鏡魔法!<ミラードジャマード・カオス>!!」
鏡が浮かぶ。
鏡が煌めく。
無数の鏡が空間全体に出現して───黒く、その鏡面を渦巻かせて。
廃線車両が、鉄管が、風力発電機が、標識が、大木が、電波塔が、線路が、木造家屋が、陸橋が、廃ビルが、船の残骸が、ミサイルが、星屑が、剣が、槍が、斧が。
いらないモノを、鏡の中から引っ張り出して。
圧倒的物量が、ノワールの方へと歩き出したラピスへと炸裂する。
「よくもまぁ、こんなに溜め込んだね」
月の歩みを阻むように。マーブル模様の床を突き刺し、砕け散り、破壊し、業火が空間を焼く。
それでも、ラピスは止まらず。
自らに突き刺さらんとする無機物を、掌底で一つ一つ、丁寧に吹き飛ばして。進路を邪魔する障害物は、力任せに切り拓く。
絶え間のない物量攻撃の数々を、正面から打ち砕く。
廃線車両の突撃を砕き。
鉄管の突き刺しをへし折り。
風力発電機の回転を止め。
標識の貫通を避けて。
大木の横転を跳ね除け。
電波塔の瓦解を防ぎ。
線路の雨を掌底で吹き飛ばし。
木造家屋の落下を突っ切って。
陸橋の通過を乗り越え。
廃ビルの壁を突き破り。
船の残骸を虚空へと捨てて。
ミサイルを誘爆させ。
星屑を蒸発させ。
剣を折り。
槍を穿ち。
斧を砕く。
その間も、決して、右手に込めた魔力を散らさぬよう、維持したまま。
「あぁ、僕も楽しかったよ。本当に。ありえないぐらい、退屈しなかった。だから、いいよ。三度目。道理もなにも無視した、ゾンビ生活の再開を」
「裏切りの禊ぎを終えた後に、赦してあげる」
───月魄魔法<ルナ・ブロークンハート>
手に込めた魔力を、一切散らすことなく。指先の芯まで行き渡らせて。
一息に、ノワールとの距離を詰めて。
それ以上の抵抗も。
それ以上の反抗も。
許さずに。
「「 またね 」」
ノワールの胸に、ラピスの手が突き刺さり───貫いた彼女の体内を、心臓を。
爆破した。




