322-嫌い嫌い、大っ嫌い
静寂が、古書館を支配する。
突如顕現した巨大鏡は、特大の悪夢を呑み込んでから、役目は終わったと言わんばかりに、その輝きを消し、すぐ霧散して。
残ったのは、困惑で固まった、リブラだけ。
「い、いまのは…」
魔力切れで一歩も動けず、悪夢に置換されたことで床が完全に剥げて、露出した岩肌の上にへたり込んだリブラ。見る影もない古書館の有り様を呆然と眺めながら、全身が傷だらけの彼女は、仰向けに倒れ込む。
荒い吐息も、鼓動も、流血も、まだ止まりそうにない。
なんともいえない空虚な倦怠感と、喪失感。突然横槍を入れられたとはいえ……確実に、自分は負けたのだという理解をする。
「……悔しい、ですね」
額に手を当てて、動悸する心を落ち着かせようと、深く息をする。それでもまだ、身体の痛みが存在を訴えてきて休めそうにはない。
悔し涙を堪えながら、リブラは自戒する。
彼女は負けた。
全力を出し切ったが……その上を上回れて、あっさりと乗り越えられた。自分よりも遥か歳下の、数十年足らずの人生しか生きていない、異邦の戦士に。
歯が立たず、最後は悪夢で無理強いされて。
敬愛する皇帝に申し訳が立たず、どう謝罪しようか悩む他ない。
こちら側についた魔法少女の手引きで、なんとか窮地は脱したが……
「ミロロノワール…」
悪夢に呑まれそうになった自分を助けたのか、それともただの自己満足か。はたまた、我慢できなくなったのか。理由は幾つも思い浮かぶが……助けられた身で、それ以上やましいことを考えるのは些か宜しくない。
心の中とはいえ、感謝の言葉を告げてから。
義務的に述べてから、一旦リブラはこの場を離れようと身体に力を入れる。魔力切れの倦怠感が凄まじいが、別に動けないわけではない。
だが。
「大事に至らなければ良いのですが……」
いつの間にか。
倒れるリブラの傍に───ボロボロのメードが、静かに立っていた。
その手には、落ちていたのを拾ったのであろう、袋型の魔導具が握られていた。
「……あなたはこちらにいたのですが」
「幸い、鏡魔法の範囲から外れていたので……ところで、何処に行こうとしていたので?」
「そりゃあ、逃げれるところにですよ……邪魔、しないでくれません?」
「無理かと」
メードの無表情な顔を、リブラは睨みつけるが……最早それは虚勢に過ぎず。メードは一切怯むことなく、彼女の身体に鎖を巻き付ける。
力の抜けたリブラには、抵抗する余裕などなく。
あっという間に身体を縛り上げられて……リブラは拘束されてしまった。
「くっ…」
「魔力と筋力を極限まで低下させる鎖です。縛れば最後、蒼月様でも無力となります。こちら、縛られた後のこちょこちょ動画で御座います」
「……自分の主の弱味を見せびらかすの、どうかと思うんですけど」
「あ」
いそいそとスマホを懐にしまったメードは、こほん、と息を整えてから。
何処か、自信に満ちた表情でリブラを見下ろす。
その表情に、なんとな〜く嫌な予感を覚えながら、一応聞く。
「あの、なにを」
「いえ、ただ───これは、ある意味。私の勝ち、ということにはなりませんか?」
「……はい???」
変なこと言い出した。
「あなたを追い込んだ蒼月様は不在。そして、捕縛という形であなたを無力化したのは、私……それ即ち、私こそが勝者であるということでは?」
「ぼ、暴論すぎる……!?あ、あなた、私にこてんぱんにボコされたでしょうがッ」
「それはそれ、これはこれ。最後に立っていた者の勝利、なのですよ」
「はァ!?」
暴論をもって勝利を横取りしたメードは、会話も程々にリブラを連れ去る。
「こ、殺して!こんなのに負けた扱いになるの、心ッッ底不愉快なんですけど!?だれか、だれかーッ!!」
「捕虜確保!褒められるのは私です!」
「なんでこんなテンション高いんですかこの人〜!ちょ、責任者ー!!」
更地になった古書館を飛び出して、メードは安全圏へと避難するのであった。
リブラの心労は、始まったばかりである。
꧁:✦✧✦:꧂
鏡は真実を映す。
鏡は秘匿を許さず、正面に立った全ての嘘を暴き、その真実を明らかにする───嘘偽りのない、本当の姿を晒す世界。
それが、鏡魔法が作り出した異空間───鏡の世界。
白と黒の絵の具が半端に混ざり、マーブル模様を描いた不思議な空間に、幾つもの鏡が浮いている。その形も多種多様で、複数の鏡が見下ろしている。
その空間に、一人の招待客が舞い降りる。
揺らめいた鏡から現れたのは、ムーンラピス。頭の上にハット・アクゥームを乗せた彼女は、釈然としない顔で、異空間の底へ。
彼女の到来に伴い、決して混ざらないマーブル模様が、波紋のように揺らめいた。
一緒に封じ込まれたムーン・アリスメアーは、気付けばいなかった。漠然と、鏡を通過した時点で、ラピスの体内に戻ったことだけはわかる。
問題は、それが本人の預かり知らぬ話であること。
自分の意思ではなく、勝手に。鏡魔法によって強制的に排除された。
「いるんでしょ、ノワ」
その事実を即座に理解したラピスは、違和感を余所に、この空間の主の名を呼ぶ。
同期であり、死者であり、裏切り者である。
唯一無二の関係である魔法少女……ミロロノワールの、愛称を。
その呼び掛けに応えて、一枚の鏡が発光し……鏡から、彼女は現れる。
「やっほ〜、ラ〜ピピっ♪」
元気よく、敵意を感じさせない笑顔で、ノワールは手を挙げながら再会を喜ぶ。そこに敵意や悪意はなく、純粋に喜んでいるようにしか見えない。
そのまま彼女は遠慮なく、ラピスに飛び付く。
敵対関係にあるという事実を棚に上げ、抱き着くという奇行に、ラピスは無抵抗。手馴れたように抱擁や肩揉み、頬揉みを受け入れる。
「呑気だな」
「いーじゃんいーじゃん!休憩だよ休憩♪それにラピピと戦うつもりなんてないしー?」
「……今はまだ、の間違いだろ」
「アハッ」
やるとしても、手加減して欲しいなー、といった願望が大いに含まれた行動だった。情状酌量の余地を求めて軽くマッサージする姿は、何処か滑稽だ。
その様子を内心嘲笑いながら、ラピスは問う。
今、自分に起きている不可解な事象───悪夢に関する三つの疑問を。
「なにやった?」
「うん?」
「不思議がるな……悪夢の集合体の消滅と、僕のハットが息苦しそうにしている理由。それと……僕の身体がなんか戻ってるのは、何故?」
「あー、ね」
突然体内に戻った悪夢。ムーン・アリスメアーという、悪夢の純化に必要だった道具の消失。そして、一応片割れであるハット・アクゥームが、何故か頭の上に移動し……息苦しそうに、脱力していること。
ムーンラピスの頬から、ツギハギが無くなっていて。
血色のいい肌になっていること───それは、目の前のノワールも同じこと。
対面する二人の頬に、ツギハギはなく。生きた人間の、それと戻っていた。
「それはね、この鏡の世界が、悪夢の力を弱めてるから。合わせ鏡とかを想像してくれたら、ある程度はわかるかもだけど……たくさんの鏡に囲まれた悪夢は、ばーらばらになっちゃうんだ。いっぱい映って、移っちゃうの」
「……それだと、増幅しそうだけど」
「そーしないのがワタシの頑張りどころなの!霧散して、弱らせる!それ以外のメンドイ法則は、この鏡の世界では許可してないってわけ!」
「ふぅん」
無数の鏡が乱立する異空間において、悪夢はその総体を八つ裂きにされる。暴れようにも、鏡に映った時点で……もうおしまい。
討伐はできずとも、弱体化、無力化は可能。
鏡の中にアクゥームや怪人を封印できていたのも、その力が大きい。
悪夢の強制弱体化。それ故に、ムーン・アリスメアーは顕現を保てずラピスの体内に戻った。ラピスの半身であるハット・アクゥームは、辛うじて息ができている。
それぐらい、悪夢にとっては毒の世界。
故に、ラピスもノワールも、悪夢の力を行使することはできない。
「で、見た目は……ねぇ?死体模様は悪夢のそれじゃん?だから、そのままだとワタシもラピピも悪夢判定食らって弱っちゃうからさ。鏡は真を映すってことで、人間時代の姿に戻しちゃえば……その判定からも逃れられるしね!」
「じゃあ、今の僕たちは……本当に、生存のそれだと」
「イグザクトリ〜!悪夢でも死体でもない、正真正銘生身だからね!め〜っちゃくちゃ頑張ったんだよぁ、ワタシ!褒めてくれてもいんだよ?」
「バカも大概にしろ」
「あだッ」
鏡の世界限定ではあるものの……ラピスとノワールは、死ぬ前の、生前の姿に存在を書き換えられる。鏡の世界の法則によって、生前の姿であり、真の姿を映し出される。
今のラピスの魂は、かなり歪んでいるが……
大元が人間であること。その事実は、今も変わらない。微々たる違いな故に、現在の姿とあまり変わらないが……そういうシステムなのだから、仕方ない。
ラピスは渋々受け入れる。
魔法少女として死ぬ前の身体とはいうものの、あんまり実感は無いが……
「取り敢えず!難しいことは抜きにして!ここでは全部、ワタシが上!ラピピは弱体化しまくってて、悪夢なんかは使えない状態にある。つーまーりっ!ワタシの勝ち筋が、ちょーっとだけ見えてるってこと!」
「自信無さそうだな。やめる?」
「やめないよ?やめたいけどさ〜、それじゃあぶっちゃけツマンナイしー?」
意気揚々と握り拳を作ったノワールは、ラピスと繋いだ手を離す。
そもそもの話。
魔法少女を、地球を裏切り、将星の地位を受け入れて、好きにしているのは。
全ては、この瞬間の為───大っ嫌いなラピスへ、己の自己満足を突きつける為だけに。
大義も恐れも何も無い。
ただ、自分のやりたいことをやる為に。どちらにせよ、メリットがあるのであればと、ノワールは“星喰い”の傘下となったのだ。
「ラピピに嫌がらせするのとかぁ、ワタシ、だーいすき♡だ・か・ら・さ♪」
「遊べってか?」
「そゆことー♪」
ノワールの目的は、勝つことに在らず。
ムーンラピスという絶対的強者に、無謀にも挑み、愚策でもって打ち負け、そして。ミロロノワールという救いのないバカがいたという事実を、その記憶に刻む。
もう一度、自分を殺させて。
その殺したという実感を、ラピスの手に覚えさせて……忘れさせない。
そんなことしなくてもいいのに───ただ、やりたい。やりたいから。ただそれだけの、愉快犯。それが、将星の座を一席占有する、ノワールという女なのだ。
手の込んだ嫌がらせは、ただの自己満足。
お遊びで敵対して、適当なところで斬られて、ポイッと捨てられる。
自己否定と自己嫌悪、他者への嫉妬と承認欲求を、変に拗らせた魔法少女。
何処か壊れた鏡の魔法少女に、ラピスは嘆息を一つ。
「面倒くさい女だな、ホント……なんでこんな拗れたんだオマエマジで」
「うーん、端的に言って……同期のせい☆?」
「おk、ほーちゃんぶっ殺すわ」
「目ぇ逸らすのやめなよ〜。こっち見な?ヤンに囲まれて嬉しかろ?」
自分が病んでる自覚があるタイプの同期からの熱視線。いつもは愉快げな笑みの下に隠されていたそれが、欠片も秘匿されることなくラピスに突き刺さる。
気まずいやら、やりづらいやら、面倒くさいやら。
色々な感情を綯い交ぜにした苦い表情を浮かべてから、ラピスは杖を握る。
「つまり、殺しておkってこと?」
「オケオケのオケっ!なんだったら、ワタシの生命活動が停止しない限り、鏡の世界からは脱出できないよう事前に仕組んであるよ!役得だね!」
「用意周到だなバカ野郎が……チッ、本当に、人が嫌がることをするな、君は」
「らしいっしょ?」
ラピスは慣れていない。
自分の手で、仲間を殺すという実感を───決戦の時、リリーライトをこの手にかけた時。結局、自力で復活して逆転されたとはいえ……
その感触は、まだ彼女の手の中にある。
その二番煎じをやろうと言うのが、ノワールという女の悪癖であった。
苦虫を千匹噛み潰したような顔のまま、ラピスは同期のお誘いを受け入れて。
「秒で終わらせてやる…」
「秒で終わってあげる♪」
ケラケラと笑い、己の命をチップに友人を曇らせる……最悪の敵と対峙する。
「ところで、あのドラゴンになれる弱いヤツとかはどこに行ってるわけ?」
「あ、地球行ったよ」
「は?」




