286-世界時計の時刻み
「───そう、か。成程……オマエたちの強さの一端が、少しはわかった気がするよ」
「あっそ」
口元を拭いたニフラクトゥは、魔法少女という生き物を改めて理解した。【悪夢】との戦いが齎した成長、そして変化は、暗黒銀河では手に入らないほど貴重で、少しだけ羨ましくなるような代物だった。
魔法少女の強さの一端を、更に理解することができた。
それだけでも、今回の会談、晩餐会には意味があったと確信する。
やさしい笑みを浮かべるニフラクトゥ。その表情に少し毒気の抜かれたラピスだったが、そういう一面もあるんだ程度に収め、取り敢えず脳内にメモした。
別に感心はしないが。
上位存在特有の機械的な感性ではなく、しっかりとした人間味のある感性も有しているとわかったのは、ある意味収穫があったと言えるだろうか。
話を締め括ったラピスは、紅茶の残りを啜り終える。
テーブルの上の料理は既にない。一つ一つが職人技で、少食のラピスでもペロリといける代物だった。格式か高いメニューで、一皿一皿の量が少なかった、というのも完食できた理由にはなるが。
ちなみに、ノワールは話の途中で飽きてその場に寝転んでいる。
「ご馳走様でした」
「ふむ、ここは……お粗末様、と言えばいいのか?」
「オマエが作ったわけじゃないだろ」
「なんだ、ダメなのか。日本語とは奥ゆかしいな。少々、覚えるのが面倒だが」
「正直でよろしい」
目的は達した。
最早、これ以上ここに留まる意味もない。
ノワールを置いていくのは心配だが、それを選んだのは彼女の意思。最終的には人間爆弾にでもして処分すれば、丸く収まるんじゃないか?と殺気立つ仲間たちの雰囲気を思い出しながら、今回も見捨てていく。
そも、本人が大分あちら側に馴染んでいるのだが。
仮に彼女が敵として立ちはだかっても、戦闘のスパイス程度にはなるだろう。
後に、この楽観的な思考が、ラピスの首を絞める……のかもしれない。
「帰る」
「そうか。手土産はいるか?」
「いらない」
椅子を引いて立ち上がり、ラピスは首に手を添える。
同じ体勢を取っていて身体が痛んだのか。悪夢でできた身体になっても、人体という構造物の関係上、同じような痛みは感じてしまう。
生理現象は無くなったが。
胃に取り込んだ食べ物は、有機物でなかろうと全てユメエネルギーに還元される。ある意味エコな……否、物質の循環から外れる為、どちらかというと反エコな存在なのが今のラピスといえる。
「あぁ、でも。その前に…」
……まぁ、今回首を触ったのは、痛みなど関係ないモノなのだが。
首を撫でたまま、後ろを振り向き、言葉を投げる。
「さっきからチクチクと……殺意が隠せてないよ、誰だか知らないけど」
「ッ!」
先程から感じていた、謎の視線───この時が止まった世界で動く者。ラピスの介入無しで、自力で灰色の世界で行動を可能にした何某は、気付かれたことに息を飲む。
状況的に、これ以上の潜伏は無理かと、彼女は“空間”をこじ開けて大広間に入る。
現れた先は、ちょうどラピスの真後ろ。
万が一皇帝が攻撃されれば即座に対処できるポイント。裏世界より監視していた彼女は、少しズレた頭の大拉翅を戻す。
「おぉ、無事だったのか。リブラ」
「はい。ご心配をおかけしました、陛下……時間の解除に手古摺りましたが、なんとか」
「へぇ?」
その正体は、将星が一座、リブラ・アストライヤー。
彼女もまた、ムーンラピスの時間停止の支配下に置かれていたのだが……リブラは暗黒銀河一の魔術師。時間魔法により全てが止まった世界を、彼女は知覚できた。
その原理は“魔術”。魔法とは異なる体系のユメの術理。
今や使える者も一握りで、魔法とほとんど変わりのない技術となった……魔法を使えないモノでも使えるように、先人が開発した力。それが魔術。
今回、常時展開している防御魔術が時間魔法に反応し、リブラの精神のみを魔法の効力から弾き出した。
その結果、意識だけがある状態で一切身動きを取れず、リブラは困惑でいっぱいだったのだが……すぐに気を取り直して、精神世界で対抗魔術の開発を実行。数分かけて、時間魔法を解除することに成功した。
そうして今、皇帝の元に馳せ参じたのだ。
……何故かいた魔法少女と、寝ている魔法少女の存在にびっくりして、咄嗟に裏世界に潜ったが。
すぐに切り替えて警戒態勢に入れただけマシだろう。
敬愛する王が許しているのならば、真の臣下たる自分が手を出すのは不敬でしかない。
王の機嫌を損ねない為にも、リブラは黙っていた。
……流石に、殺意までを抑えることはできなかったが。気が付かれるかもしれないとは思っていたが、こうも易々と当てられては溜まったものじゃない。どうにか、意表を突きたいところだが。
それよりも先ずは挨拶を。
何気に、初期メン将星たちの中で唯一、ラピスと面識のないのがリブラだ。
「初めまして、ムーンラピス……私はリブラと申します。気は進みませんが、以後お見知りおきを」
「噂には聞いてるよ、天秤の人」
「そうですか」
双眸の奥にある恐れを気取られてはいないか、リブラは内心戦々恐々しながら王の元へ。なにせ、相手は大規模な時間停止という桁外れの神業を見せつけてきたのだ。
世界そのものへの干渉。それも、長時間。
短時間であればリブラでも可能だが、それでもあまりに膨大な魔力が必要だ。浪費も激しく、時間を止めた“次”を考えれば悪手でしかない。だが、目の前にいる魔法少女は
平然とそれを使った。馬鹿にならない魔力消費、今も尚、魔力は減り続けているというのに。息切れもせず、彼女は至って普通の顔をしている。それがおかしい。リブラとはまた違った魔法の境地。数と質では説明つかない特異性がそこにある。
肌身で感じる異常性に冷や汗を垂らしながら、なんとか姿勢を正す。
「どうだ?我が秘書は」
「すごいと思うよ。時間魔法を自力でどうにかできるのは滅多にいないよ。それこそ、僕だって……時間魔法を習得できるまで、手も足も出なかったんだから」
「……あなたの魂の拡張術、常軌を逸していましたが……実に勉強になりました」
「あぁ、カンセールにやったのオマエ?よくできたね」
「私ですから」
かつてはペローンの七秒間に苦しめられ、全力防御以外手も足も出なかった。だが、時間魔法を解析して、ジブのモノにすることで乗り越えた。
ラピスが初めて討伐した幹部怪人。
そんな魔法を二十四時間以上まで継続使用できるように改造したのが、今のラピスの時間魔法。
……その一端に手を触れたのが、今のリブラだ。
心からの拍手を送るのは、ラピスの本心。それぐらい、相手のことを認めている。
「よろしいのですか、陛下」
「ん?あぁ、構わない。有意義な時間だったからな」
「そ、そうですか。いや、よくはないとは思うのですが。いいんでしょうか……」
「オマエも大変だね」
「わかるのならやめて貰えませんか?」
「ごめーんね」
有意義でなければ戦闘していたと言外に宣う蛇の王に、揃いも揃って困り顔。将星としての対応ができないことにリブラはキレ気味だが、最早どうしようもない。
皇帝の決定は絶対。帰すと言うなら帰さねばならない。
真面目な人は可哀想だなぁ…といったラピスの視線から逃げるように、リブラは足元でぐーすか寝こけている捕虜だった鏡を見下ろす。
この状況下でも呑気に寝れる胆力は、素直に評価すべきかもしれない。
「踏んづけていいですかね」
「いいよ。てか、本当にそいつが将星で大丈夫?言っちゃなんだけど、そいつと僕繋がってるんだよ?」
「問題はありません。えぇ。きっと」
「確証ないんかい……あぁ、そうだ。そいつを動かしてる魔法式、調べたんだって?どうだった?」
「頭おかしいんですか?」
「傷ついちゃったや…」
「ハハハ!」
本当にドン引きされると流石のラピスでも傷つく様だ。そんなリブラとの掛け合いを見て、我慢できずに爆笑しているニフラクトゥ。ラピスからの殺意が6上がった。
ついでにノワールの制裁も決定した。何回目?
寝こけている間に何度目かの死が決定したノワールは、そんな未来露知らず。同期を堂々と見捨て、ラピスは帰り支度を整えた。
……だが、ラピスが転移魔法を発動する前に。
「少し待て」
「あん?」
「陛下?……ッ、まさか…」
「ふふっ」
帰ろうとするその動作を、ニフラクトゥが手で制した。疑問符を浮かべたラピスを他所に、ニフラクトゥは部下の思いを汲み取り、見せつける機会をくれてやろうと笑う。
王の思惑を、リブラは正確に読み取る。
そして、驚きに目を見開く。
第一の驚きは、それができると“思われている”大前提であること。第二の驚きは───それだけの期待を、王から向けられていること。
「リブラ」
「陛下…」
「見せつけてやれ」
「……御意!」
「あ?」
唐突な以心伝心にラピスが首を傾げるが……感極まった様子のリブラを見て、余計に首を傾げるしかなく。蒼月の疑問を他所に、リブラは魔力を脈動させる。
胸の前で手を組み、祈るように、願うように……
即興で構築したばかりの魔術式に、膨大な魔力を通す。改良は二の次。今はただ、王の期待に応えんと、あまりに複雑な魔術式を成立させていく。
詠唱もして、丁寧に。
「───“真昼の衛星”・“黄昏の宙”・“夜明けの太陽”」
胸の前にできていく、複雑怪奇な球体魔法陣。
リブラの詠唱に従うように、球体は回転と膨張を幾度となく繰り返す。
そんな紫色の魔法陣を見て、ラピスは目を見開いた。
瞬時にその構築式が何を意味するのか、理解したのだ。熱を帯びて、まるでタービンが回転するような甲高い音を奏でながら……リブラの魔術は光を発していく。
大広間が、煌々とした光に照らされる。
「まさか…」
「手土産だ、ラピス。帰る前に、我が秘書の真価を、その蒼い瞳に焼き付けていけ」
「…成程ねぇ?」
要は自慢に付き合って欲しいのだ。
そう理解したラピスは、いい度胸だと目を瞑るリブラを観察する。
「“理を刻みし唄”・“星々を巡りて、秒針は廻る”───」
脂汗を垂らすリブラ。
よく見れば、その手に浮かぶ魔法陣には───時計盤のような模様が完成していた。チクタクと、音の聴こえない世界に異音が響く。
詠唱は佳境に入る。
熱を帯びた魔法陣は、今か今かとその時を待つ。
暴発寸前、されど、あともう少し。
待って。
待って。
待って。
待って。
───漸く、その時が来る。
「───“時よ、動け”ッッ!!」
魔術式、起動。
将星リブラ・アストライヤーの大魔術。名も無きそれはラピスの時間魔法に干渉して、彼女たちがいる大広間を、そして、魔城の内部、外部へと、魔法少女から放出された魔力が世界に広がっていく。
灰色の世界に、時を進める魔術の力が。
世界中に浸透していく魔力が、灰色に染まった世界を、艶やかに色付けていく。
建物に色が着く。
人々に色が戻る。
止まった時計の針が、回り出す。
風が吹き。
水が滴り。
炎が揺れる。
生命の息吹を取り戻した大地が、静かに脈動を始めて、正常さを取り戻す。
人々のざわめきが。
止まっていた世界が。
動き出す。




