270-蒼き月の目覚め
───蒼い月が見下ろす、塔の上の世界。石畳ではなく、月光に照らされた花畑が人工物を侵食するように、幅広く広がっている。花と言っても、全て青い花。ネモフィラ、リンドウ、ワスレナグサといった、美しい花々が夜の下で咲き誇っていた。
そんな青に満ちた空間、その奥に。
岩によたれかかった探し人───ムーンラピスその人を発見する。
「うーちゃん!!」
真っ先に駆け出したのは、他ならぬリリーライト。
危険を顧みず、目を瞑ったまま動かない……久しぶりに見る寝顔に安堵しながら、無防備なその肩に掴みかかる。咄嗟に激しく揺すろうと思ったが、変に刺激するのは逆によくないかもと思い至り、やさしく肩を揺する。
だが、そんな生半可な起こし方で起きるわけもなく。
エーテが頬を突っついたり、ハット・アクゥームが頭に被さったり、ぽふるんが顔面に飛びついて窒息させたり、リデルが膝に寝転んでゴロゴロしたりしても……ラピスは一向に目を覚まさず。
呼吸は深く、目は覚めず。
もうこうなったら、と意を決して、ライトは、無防備なその唇に…
「えっ!ちょっ!!」
赤面した妹が制止するよりも早く、勇者の接吻で魔王を起こそうとした───…
その時。
「…ふがっ!?」
ライトの顔が、手袋をしていない、手に覆われて───力強く、顔全体を掴まれた。何事かと驚いているうちに、その手はライトの身体を持ち上げて……放り投げた。
勇者は顔面から花畑にダイブした。
突然の暴行に全員の意識が停止して───手の持ち主に視線が集まる。
「ふぅ───はァ……じゃじゃ馬め…」
目を擦り、ぐっと伸びをする───寝起きのラピスが、そこにいた。
寝起きの涙を下瞼に溜めて、手の甲で拭い取る。
見覚えのある本来の目の色へと戻ったラピスが、欠伸を噛み殺して起床した。
「あっ」
「あっ…」
夢の中とはいえ、動くラピスを見て。少女たちは一斉に飛び付いた。
「お姉さんッ!!」
「うるるー!」
「っ〜!らぴす〜っ!!」
【ハットス!!】
「あ?あー、あ?ちょ、わかった。わかったから。潰れ、本当に潰れるからやめろっ!」
「私も混ぜて〜」
「こっち来んな!!」
「はー!?」
当然のようにわちゃわちゃと団子になった一同を見て、マッドハッターはこれもまた彼女たちらしいと思いながら静かに見守る。
揉み合いの末に押し倒されたラピスが、満更でも無い顔であるのも大きい。簡単に振り解ける手を跳ね除けない。されるがままであることを受け入れ、抵抗せず、怒りやら悲しみやらを受け止める。
悪夢に呑まれず、人間のままであるというのならば。
その“やさしさ”ことが。“温もり”こそが、健全なる悪夢の王に必要なのだ。
「おはよう!!」
「……まだ夢の中だけど…はァ……はいはい…おはよう。それと、ありがとね」
「うん!」
「どういたしまして!」
「うむうむ」
泣きべそを掻く妹分の頭を撫でて、礼を告げる、が。
「……オマエらにまでそう言われる筋合いはないんだが。なぁ、元凶と実行犯…」
「ひょえっ」
「アッアッ」
便乗して頷いた2人───自分がこうなった原因である戦犯共に、ラピスは侮蔑の視線を突き刺す。冷たい目線に身体を跳ねさせたライトとリデルは、本能的に正座をして小さく縮こまった。
立ち上がったラピスに見下ろされ、冷や汗がダラダラ。
八つ当たりにも似た説教が、余裕を噛ましていた2人に炸裂する。
「僕がどうこう言える立場じゃないのは百も承知だけど、それはそれとして文句を言わせてもらう。何を考えてんだこのクソガキが。もっぺん浄化魔法ぶち込んでこの世から退陣させてやろうかやるぞ僕は。テメェも不安ならもっと対策講じてから僕の顔面に悪夢inさせろや馬鹿野郎」
「サーセンっした!!」
「いやそしたらオマエも死ぬだろ!?私たち一心同体っ!みんな仲良く!!」
「将星と仲良くなってどうする」
「あっそれはその」
「知覚はできてるんだ。制御できないだけで、外の情報は全部把握できてる。それを踏まえた上で言う……あいつら仲良くなってるのなんで???」
「共通の敵がいたら、そうなるのも無くはないんじゃ…」
「だーれがレイドボスじゃ」
「……ところで、外の様子ってどうなってるの?まさか、全滅してたりする…?」
「……いや?」
意味深に目を逸らしたラピスに、ライトとエーテが掴みかかった。
「何かあったの!?」
「いや本当に誰も死んでない。大小怪我はあるが、それは許容範囲だろう?」
「じゃあ何言い淀んでるの!」
「いや別に?」
ガクガクと激しく肩を揺すられても、当人は不快そうに目を逸らすだけ。こちょこちょでもして無理に聞き出そうとするライトだったが、それよりも早く、見兼ねたマッドハッターが手を挙げて答えた。
現実世界を知覚できる、夢の中の観測者として。
【どうやら今は、将星サジタリウスの連続射撃で一方的に嬲られているようだね。他の子たちは一様に怪我塗れで、戦線復帰の時間稼ぎを担っているようだ】
「あー、成程。フルボッコされてるの恥ずかしいね?」
「オマエだって初撃に気付けなかったろうが。あの馬男は後で絶対に殺す…」
外の戦況は最悪だった。
戦争屋と天使は頭を吹き飛ばされ、車掌は押し潰され、歌姫は喉を裂かれ、呪い師は呪詛返しと物理技で念入りに身体を分割され……集中的に狙われた後輩二人を、必死に庇った結果、全員戦線離脱。コメットとデイズも強制的に魔力切れを起こされた為、動こうにも動けない状態。
アリスメアーの幹部たちも魔法乱舞で全員気絶。
黒山羊は召使いと妹分を庇って瀕死の重傷……守られた彼女たちも深手を負い、夢羊に至っては集中砲火を浴びて全身黒焦げ。
双子も死に体で、天女が結界を張ることで重傷者たちに突き刺さる攻撃の全てを防ぐが……それで手一杯。
揃いも揃って重傷という、絶望的な中。
唯一動ける人馬が、「これはヤバいなぁ〜」と苦笑いで全力で迎撃をしていた。
絶体絶命である。
それだというのに、トドメを刺せず一方的に狙撃される自分を恥ずかしく思って、ラピスは口を噤んだのだが……あっさりバラされて不満そう。
ちなみに、まだ肉体の制御権は取り返せていない。
「ヤバいじゃん!?」
「ヤバいねぇ……で、よくもバラしてくれたなクソ老人。そして久しぶり。何勝手に人の精神領域に間借りしてんだ追い出すぞ」
【ハハハ、口の悪さは健在だな、ムーンラピス……記憶も戻ったのか。また会えて何よりだよ】
「ふんっ」
いつの間にか自分の領域にいた帽子頭に悪態をついて、久しぶりに見るその巨体を見上げる。忘れていたラピスにとっては、寝耳に水な話だったが……思い出した今でも、なんでここにいるんだという結論に至る。
世界を滅ぼせる存在が、残滓とはいえ体の中にいるのは普通に怖すぎる。
……とはいえ、マッドハッターのお陰でスムーズに事が進んだのもまた事実。無碍にすることもできずに、渋々とその存在を受け入れた。
諦めたとも言う。
「で?」
「で、ってなに…」
「あっ、起きなくていい感じ?」
「起きて。今すぐに」
「圧がすごい…」
今すぐにでも身体の主導権を取り戻せば、この総力戦も幕閉じとなる。だから早く起きてとライトが掴みかかり、ラピスは面倒いなぁと思いながら溜息を吐く。
……本音を言えば、このまま将星だけ殺したいが。
それをする不義理によって、己が被る被害を考慮して、その手は使えず。仕方ないなと鏖殺を諦めて、文字通りの全員生還を約束する。
───ぷるぷる
そうして立ち上がると、ラピスの肩に黒紫色の丸っこい液体が落ちてきた。
「えっ?」
「それって…」
「……あぁ、ずっとここにいたよ。あの時、まだ手持ちに持ってたからね。一緒に連れてきちゃってたみたい。ま、お陰で色々と省けたけど」
「んえ?」
将星ムイアを破滅に追いやった、悪夢の卵。何故だか、以前見た時よりも力が強まっているような気がして……
気付いたライトが、目でそう訴えると。
ラピスは、なんてことないように。研究所にあった悪夢全てを吸収したと語る。
「僕を覚醒させる為に使った【悪夢】以外にも、研究所の各所で研究対象になっていた小さいの、人工的に造られた悪夢まで、全部取り込んだからね……そいつを、こいつにパクパク食べさせた。もう羽化するよ」
「なに脅威増やしてくれちゃってるの?いや減らしたの?もうわかんないや…」
「他にもあったんだ…」
「ね」
ラピスの最終目標は、この世にある全ての【悪夢】を、自分のモノとして支配すること。
その第一歩として、この研究所から根こそぎ奪った。
そして、奪った悪夢の一部をこの幼体に、自分に懐いた悪夢に分け与えた。
───ねむねむ?
「いや、もう大丈夫だよ」
「……今乗って、この子の声?」
「! なに、聞こえたの?」
「わ、私も…」
「ふーん」
思念が伝わる範囲が広がったのか、それとも、ラピスの夢の中にいるからなのか。
判別はつかないが、どちらにしても成長したのは確実。
このまま順調に、自分の都合のいい駒になるよう幼体に言い聞かせて、ラピスはいい加減行こうかと腕を横薙ぎに払う。
すると───空間が裂けて、夢と現実の境界線が曖昧になっていく。
「先に出てて。多分、僕のすぐ傍に出現すると思うから、そのまま時間稼ぎで応戦しといて貰える?その間に肉体の主導権をシステムから取り返すから」
「わかった。何分でもいいよ。全部受け止めてあげる」
「気色悪いからやめろ……エーテ、悪いんだけど、君には戦ってくれた彼らの治療をお願いしたい。僕の空間収納の権限貸すから、そこにあるポーション使って。業腹だけど敵将星にも使っていいよ。ぽふるんもお願いね……それとハット・アクゥーム。オマエはエーテたちの護衛をしろ。僕から守れ。いいね?」
「うんっ、わかった!みんなのことは任せて!」
「頑張るぽふ!」
【ハットス!】
「……リデル、オマエは僕と一緒だ。まだ夢の中にいろ。さっきノワからの念話が繋がって、戦闘の趨勢に気付いた星喰いが全力でこっちに来ようとしているらしい。ノワが鏡の世界に閉じ込めて時間は稼いでるけど、万が一があるからな。マッドハッター、付き添い兼護衛を……ここから移動できないわけじゃないよな?」
【問題ないとも。護衛の任務、喜んでお受けしよう】
「あの蛇、来ようとしとるのか……なら、早く終わらせて逃げねばな」
「うーわ。ここで最終決戦しちゃう?」
「まだ早い」
それぞれに指示を出して計画を立てたラピスは、空間の裂け目へと魔法少女と妖精、片割れの帽子頭を送り込む。潜り抜ければ、すぐに夢の外。
現実世界に現出できる、直通の通り道だ。
ライトたちは警戒することなく、即座に空間の中へ……最後に、姉妹は振り返って。
「待ってるよ!」
「また、おはようって言うから!」
「お説教するぽふよ〜!」
「わかったわかった。あとぽふるんのはヤダよ。起きるのやめるぞ」
ケラケラと笑いあって、一同はラピスの悪夢の世界から飛び立った。
見慣れた後ろ姿を見送ってから、ラピスも動き出す。
「帰ったらお叱りかぁ……憂鬱だよ、本当に。最後の人間成分も消し飛んだわけだし」
「だが、これでよかっただろう?」
「オマエが言うな。ったく……さて、そろそろ過剰防衛なシステムくんを黙らせに行こっか。働きすぎだし、暫くは稼働させないでいいや」
【高性能過ぎるのもよくない、いい教訓になったな】
「そうかなぁ?」
最後にそう首を傾げて、まぁいいかと笑って───…
青い花が風に舞う月塔の頂上には、無人の虚無が静かに残るのだった。




