246-殺されてくれない仇
精霊スライム。オーシェネリア星人という肉体の一部が液体という異星人、その隣人として宝瓶宮周辺に生息していた魔獣であり、清らかな水と浄化の化身として、小規模ながらも祀り上げられる生き物である。
世界一美しく、清らかで、清浄に満ちていた宝瓶宮。
無限に清水が湧き出る泉を使った水産業、文字通り水の輸出を行うことで暗黒銀河に潤いを齎していた星だが……それも過去の話。
今や漆黒の呪詛に沈み、二度と人の立ち寄れない地獄に変貌した。
オーネシュリアのほぼ全ての民が死滅した。生き残りも極僅かであり、滅びの一途を辿っている。
そして、精霊スライムもまた、呪詛に飲み込まれて…
聖水の気配など欠けらも無い、呪詛塗れのスライムへと進化した。
何故適合できたのか。敢えて語るとするならば……水は染まるものだ。呪詛という環境汚染に侵されても、水は水である。精霊スライムは組成の約八割が水。そして魔力で構成されている。
本来ならば消滅するところを、適合して乗り越えた。
そして───支配権を持つ湖の精霊、将星メーデリアの殺意に呼応した。
「チッ!俺の知ってるより気性が荒くなってやがるな……こいつ、さては統括個体か?」
「その根拠は!?」
「状況証拠」
カリプスの予想通り、今彼ら3人が戦っているのは精霊スライムを指揮する統括個体、アルバリ。メードやビルはわかっていないが、意思伝達によって他の個体に指示していることをカリプスは見抜き、面倒だと顔を顰める。
増殖を続けるスライムは、全滅という概念を知らない。
無限稼働と形容してもいいぐらい、増殖と融合、分離を繰り返す。
【ギュルル───ッ!】
そして、統括個体のアルバリは触手を鞭のように素早く振るったり、飛ぶ斬撃のように液体を飛ばしたり、呪詛を込めた液体を弾丸にしたり……
スライムという特性を活かした多彩な攻撃を繰り出し、カリプスたちを急かす。
触れれば呪われ、触れねば倒せず。
被弾覚悟で突っ込まない限り、アルバリを討伐するなどできやしない。
「キリがねェな」
「こりゃ、メーデリアが負けるまでジリ貧か?」
「……消し飛ばしましょう。大部分を消し飛ばせば、まだマシになる筈です」
苛立ちを見せたメードが、埒が明かないと魔法を使う。いつも使っている虚無魔法ではなく、この辺り一帯を吹き飛ばせる魔法を。
右手を軸に魔砲を構築して、前方に向ける。
兵仗魔法で形を作り、その中に別の方法───プラズマ魔法の魔法陣を展開して、出力を高めて、破壊光線を放ち全てを消し去ろうとした、その時。
突如、大地が大きく揺れる。
「ッ!?」
「地震か?」
「……いや、これは…ッ、そうか!あのアマ、ここに来てやがるんだな!?」
「なに?」
立っていることすらままならない大地震に、嫌な予感を抱いたカリプス。その視線の先には、温泉とは別の熱気が立ち昇る震源があって。
舌打ちを堪えて、カリプスはメードを捕まえて背負う。
「あの!?」
「だぁってろ!!全員地面に注意!!───噴火するぞ!気を付けろ!!」
「!?」
その警笛が合図となったのか。
カリプスたちがいた地面が、大きく膨れ上がって───轟音と共に、溶岩が噴き出てきた。星のあちこちから火が溢れて、鮮血のようにマグマが流れ出る。
空を跳び続けるカリプスとメード、素直に従ったビル、直感に従ってリデルとアリエスを抱えたまま飛んだリリーライトは無事退避に成功。
大地を彩る赫赫しい地獄から退避する。
……噴火に巻き込まれた精霊スライムは、その大部分が焼失したが。特大サイズの統括個体、アルバリは未だ健在───それどころか、噴き出た溶岩すらも取り込んで己の質量を跳ね上げていた。
「そこは燃えとけや───呪え!!」
青黒い姿に赤も混ぜながら、徐々に形容し難い存在へと昇華しようとしているアルバリに、カリプスは怒りの魔法を炸裂させる。
無詠唱で大地に落とされた黒堊の魔法。
本来は移動した軌跡などに生える死の森を、出力を少し落とし、呪いの塊へと変換する形で精霊スライムの頭部に叩き込む。
【■?】
「あ?」
だが、灼熱すらも呑み込んで……そも、地球最凶最悪の歪の呪詛すらも呑み込んだ精霊スライムに、死の森という脅威が呑み込まれないわけもなく。
着弾すぐは、液体の上に毒々しい木々が生えたものの。
液体は水音を立てて呪木を吸い込んで。自身の養分へと変換した。
「……」
「……」
「……ズ、ズルだろそれは…」
「かか、カリ兄さん…」
「ドンマイ!」
ガックシと肩を落とすカリプスに、外野からの励ましと嘲りが飛んできたが、想定外に頭を抱えた黒山羊には対して届かない。
そも、想定して然るべきであったのだ。
死の森と拮抗できる、マレディフルーフの呪いを食んだ相手に何処まで力が通用するのか。逆に取り込まれて余計力を蓄えられる可能性を、考慮すべきであったのだ。
すまんと小声で謝るカリプスを慰めて、未だ赤赤と輝く大地に降りる。
「で、どうする?」
「やるしかないでしょうね」
「あぁ……んまぁ、死ななきゃ勝ちなんだ。こうなったら気楽に行こうぜ」
「おう」
口々に言いながら、もう一度アルバリと向かい合う。
【ゴッキュ、ゴキュ!ギュルル…】
冷たく、熱く、毒々しい───限度を知らず、あらゆる全てを呑み込み平らげる怪物は、同胞を増やしながら敵の命を食まんと大地を侵す。
無数の触手を伸ばしたアルバリは、更なる脅威となって立ちはだかる。
꧁:✦✧✦:꧂
そして。
灼熱地獄と化した小惑星プラネット・ラグーン、最大の激戦区。恨み辛みを募らせた、将星メーデリアの復讐戦が繰り広げられているその場所で。
殺意を向けられているムーンラピスは、今。
「やっべやらかした」
なんと、壁に磔にされていた。
両手足を液体で雁字搦めに覆われて、黒い呪詛に激しく侵されていた。身動きのできない状況下。力任せに拘束を引きちぎろうにも、より強い力で締め付けられていた。
無論、ただ磔にされて終わりではなく。
殺意百億倍のメーデリアに、何度も何度も顔のない頭を殴られていた。
【シネ!シネッ!シネッッ!!】
「あはっ、ざーんねん。痛覚切ってるんで、実質ノーダメお疲れ様〜」
【■■■!!】
「おっと」
痛覚遮断という高度な謎技術を披露するが、そんなことお構い無しにメーデリアは殴りまくる。胴体付近の六本の腕を我武者羅に振るって、ラピスをタコ殴りにする。
……幾らノーダメージにしたって、肉体に負荷は重なるモノだが。忘れた頃にやってくるであろう痛みに今は見て見ぬフリをして、ラピスはどうするか悩む。
まんまと拘束されたが、何も油断したわけではない。
つい先程、大噴火があちこちで起こった時。遥か遠くで自分と同格の強者がいることに気付いたラピスは、あっち行きたいなー、でもなーと思考を僅かに逸らしていた。
なんと、その隙に。
メーデリアは自己改造を開始。速度、威力、耐久力などムーンラピスに劣る全てを上回れるように、肉体に過剰な信号を流して、流体を加速、より純化させて強化した。
ものの数秒で自己改造を終えたメーデリアは、ラピスへ更なる猛攻を開始。
その攻撃速度は数分前のそれを大きく上回っていた。
まず精霊魔法の威力と速度が向上。余裕で回避していたラピスが、内心焦りながら回避を選択しなければならない程強化された。攻撃規模も広がり、魔法の使えない状態で戦うにはハンデが大きすぎる状態に。
更にメーデリア自身の力が上昇して、跳んだラピスより早く落下地点に移動する、ラピスが捌けない速度で魔拳を繰り出す、強化で速度を上げたラピスに追い付く、など。
到底今までの“弱者”とは思えない動きで、あのラピスを翻弄した。
持ち前の“執念”で、ここまでやり遂げた。
そうして、ラピスが対応し切るよりも早く、その手足を液体で包み込んで。
近くにあった壁に叩き付けて、拘束した。
両手足を広げて磔にされたラピスは、力強く締め付ける液体から逃れられない。無防備を強要され、どうしようもない現状に仕方なく、ラピスは一方的に殴られていた。
甘んじて拳を受け入れているが……まぁ、打開策を考えないわけもなく。
「もういい?」
十分しこたま殴られただろうと首を傾げたラピス。
もしそこに顔があれば、今頃腫れ上がってすごいことになっていただろうが……生憎、ここにいるのはカオナシが2人。
【あト100発】
「……オマエ、とっくのとうに言語機能回復してんだろ。いい加減普通に喋れや」
【…あら、バレました?】
呆れた物言いのラピスに対して、聞きやすい声調の声を取り戻したメーデリアは、笑う。自己改造の末言語機能の大部分を回復させた青い復讐者は、殺意を滲ませた壮絶な笑みを浮かべる。
そう、今まで無かったつるりとした無貌の顔面に、顔が浮かび上がっていた。
見覚えのある顔面が、至近距離に迫る。
煮詰められた殺意しかない笑みが、無貌の月に突き付けられた。
【殺すわ。絶対に殺すわ。あの日から、運悪く生き残ったあの日から、ずーっとずっと……この胸のイラつきが取れないのよ。だから、晴らさせなさい。ムーンラピス】
「お熱い申し出ありがとう。でも、残念。情報集めぐらいちゃんとやりなよねぇ」
【……何が言いたいわけ?】
「アイム不老不死。死なない。残念でした!オマエ如きの実力じゃ殺せないってわけ。おわかり?」
【ッ】
そう、そもそもの話。ムーンラピスは死なない。殺せる生き物ではない、殺せない存在。リデル・アリスメアーという外付けの生命装置がある限り、死ぬことはない。
故に、メーデリアではムーンラピスを殺せない。
リデルを殺せれば、或いは……だが、最強の護衛として聖剣使いが立ち塞がることとなる。メーデリアでは、到底できっこない未来であり。
現実が、そこにある。
「オマエができることはただ一つ……気が済むまで誰かに当たり散らして、復讐が叶わない現実に歯噛みすること。それだけなんだぜ!?」
【ッ、ッ…………ふざ、ける…なァッ!!】
「!」
煽り口調で、オマエではできっこないと嘲笑されて。
感情抑制が上手く働かないメーデリアは、衝動に任せてラピスの首を絞める。二度と息ができないように、どうか死んでくれと祈りながら。
それでも、ラピスは死なない。
もし仮に顔があっても、呼吸を必要としないラピスには意味の無い殺意であり。酸素の代わりに魔力を求め、魔力呼吸で活動するラピスに、絞死も扼死もまず存在しない。
ありえない。
故に、余裕綽々の雰囲気を纏って、ラピスはケラケラと声を作る。
「もう一度聴くね───もういい?」
慈悲の欠片もない、もう児戯は終わりだと告げる月は、その静かな殺気をメーデリアに突き刺す。
全身を粟立たせる殺意に怯み、メーデリアは硬直する。
そして。
メーデリアの了承を受ける間もなく、ラピスは全身から魔力を発露させて。
起爆。
【!?】
ラピスに絡みついていた液体が、魔力爆発によって霧散する。弾け飛んだ死の液体諸共、メーデリアはラピスから遠ざけられる。
魔力操作の要領、自壊覚悟での拘束解除。
解放されたラピスは、ぐちゃぐちゃに折れ曲がった腕を腕力で正常に戻して、絞殺で痛みつけられた首をコキコキ鳴らして再生する。
呪詛に侵された手足や身体は後でどうにかするとして。
これといったダメージを無視したラピスは、完全復活と嘯き、言葉を紡ぐ。
「速くなったのは認める。力が強くなったのも認める……でも、そこまでやって僕を拘束できるだけじゃあ、うん。話にならないよ?」
【ッ、それでも、私は…!】
「復讐したいなら勝手にすればいい。勝手に挑んで、僕を殺しに来ればいい。そして負けろ。負けて、自分の弱さを理解しろ。そして挫折しろ。ちゃんと理解できるまで……徹底的にオマエを虐め抜いてあげるからさぁ」
【……何を言うかと思えば。私がやることは、ただ一つ。オマエが死なせてくださいと言うまで、徹底的にその命を啄むのみ…】
「へぇ?」
例え殺せずとも。
死にたくなるぐらい痛みつけて、苦しめて、絶望させて破滅させて。二度と生意気なことが言えないように、その命を終わりに近付ける。
戦意の途切れぬ復讐者に、ラピスは笑う。
潰し甲斐のある敵。弱者でありながら、執念でここまで食らいつくその精神を、ラピスは称賛する。心ない拍手で復讐を祝福する。
「叶うといいねぇ、その悪夢」
殺意に液体を震わせる怪物が、また表情を消した無貌の液体となって襲いかかる。その悪意に応えんと、ラピスは落とされていた仕込み杖を拾い直す。
カチカチと鍔を鳴らして、また液体を切って。
ケラケラと、メーデリアの復讐を。正面から打ち破りに行く。




