234-死天使の祈り
───私は、ここを旅立とうと思います。
150年以上昔。聖女のベールを脱ぎ捨てた姉の言葉に、少女は声を失った。
理解ができなかった。
少女にとって、そこ以上に安全な場所はなかった。
飢えに苦しむことも、何かを恐れることもない、絶対的信仰に守られた世界一安全な場所。戦うことが赦されない真の聖域。
何故、ここを出ていこうとするのか。
少女……デミア・ウィル・ゴーにとって、姉・スピカの思考は異端も異端。異質にも程がある、不明瞭で理解できない代物だった。
不安を押し殺したその目を、表情を覚えている。
覚悟を決めて、今ある全てを捨て去ろうとしているのがわかって、止めたくて。
それでも、姉の手を引くことは……できなかった。
大人の言いなりであることを辞めた姉を、止める気にはなれなかった。
「ポリマ、デミア。あなた達も…」
「……んー、わたしはいーや。ねぇねが何を思って、その決断をしたのかは知らないけど。別に、いーんじゃない?わたしはここ、手放す気はないけどね!」
「右に同じくよ。行きたきゃ勝手に行けばいいわ」
「デミちゃん冷たーい!もっとやさしく!心を込めて!」
「いやよ!」
「えぇ〜?」
もう一人の姉、ポリマ・ウィル・ゴーが呑気に笑うのに追従してデミアも素っ気なく返す。ふわふわのピンク色が肩に寄りかかってきて邪魔だが、次女が馴れ馴れしいのはいつものことだと無視を決め込む。
無知で無関心。現状維持で満足するポリマは、不安気な姉の目線など気にもしない。
デミアもまた、姉のこれからなど興味もない。
生まれた時から感じている劣等感。その矢印が向く先が自らいなくなってくれるなど、これ以上に喜ばしいことはない。
「野垂れ死なないといいわね」
「そうそう!嫌になったら帰ってきてね!」
「……えぇ。あなた達も。いつでも私は、迎えに行きますから」
いらぬお世話よと跳ね除けて、憎々しい姉の一人立ちを見送った。彼女たち以外に、見送りはいなかった。何故。曲がりなりにもスピカは聖座に就く一族なのに。誰一人とその旅立ちを見届けなかった。
最後まで表情に影を落とした姉の姿が脳裏を過ぎる。
なにかあったのか。いけないことでもあったのか。
……その日から、デミアは胸の内にあった小さな小さな不信感の芽を育てていく。
スピカが殺戮星団を壊滅させた。
ポリマが星教会の聖座に選ばれた。
スピカが皇帝の配下になって、功績を認められて将星の座についた。
ポリマが突然部屋に押し掛けてきて、無言で抱き着いて来た。人目を気にするように震えて、怯えたように震えてデミアの肩に顔を埋めた。
スピカが“怨蟲の亡霊”を殺し損ねた。
ポリマが気丈に振舞って、無知を選び、見て見ぬふりを選んだのを感じ取った。
スピカは二度と家に帰ってこなかった。
ポリマは帝都の教会に移り住み、こここそが総本山だと主張を始めた。
その間、デミアには何もなかった。
変化などない、平穏無事な、うたた寝のような百年間。敬遠な信徒として日々を過ごし、偉大なるステリアルへの信仰を捧げていた。
……今思えば。
突然姉が信徒であることを辞めたのも。もう一人の姉が不安そうに呻いて、執拗に抱き着いて来たのも……なにかよからぬモノを見たからではないのか。
叔父であるアドゥーに連れられて、気味の悪い儀式への賛同を求められた時、デミアは理解した。
姉二人が何を見たのか。
……スピカは拒絶を選び、ポリマは沈黙を選んだ。
その結果がこれなのだろう。外部に伝える手段はない。言葉巧みに黙秘の契約を結ばれた以上、流布すれば自分の命が危うい。
「それで。お前はどうする」
「……いいわよ。アナタにつくわ。好きに捧げて、好きに祈ればいい」
皮肉げに笑って、デミアは従属を選んだ。
外での生き方などわからない。
祭典などでもアルタードームから出たことはなく、全て聖座のポリマが担っていたから。引きこもって、信者から悩みを聞いたり、解決したり。それ以外にすることなく、逆らうことも悩むこともなく生きてきた。
枢機卿たちの不穏な動きなど、気にもしなかった。
不信感を抱いておいて、この有様。
その報いが来たのだろう。
叔父にとって、姉二人の能力は魅力的ではない。だが、自分は違う。最初から目をつけられていた。姉たちを見る目と、自分を見る目は明確に違ったから。
だから、選んだ。
従うふりをして、全てをぶち壊そうと───平和なんてクソ喰らえと、憎悪を燃やし続ける。
最後は生贄として捧げられるとわかっていながら。
デミアなりに、全てをぶち壊そうと決めて、アドゥーの支配下に堕ちた。
だが。
「嘘はよくないぞ」
「ガッ、ァ、ゥ…」
……結局、目論見がバレて監禁生活になったが。真偽を見破る魔法でも使ったのか。いや、そういえばアドゥーの魔法は心を読める魔法だったか。
あっさり従属のフリをしたのがバレたのはお笑い草だ。
だが、デミアもただでやられる女ではない。
監禁されている間、漸く感じ取れるようになった人工の怪物、造竜個体というユメを食らう以外の機能を根こそぎ削ぎ落とされた生き物に干渉できた。
意思すらも剥奪された彼らの死を祈って。
死ぬことを望まれている彼らの運命に、小細工を仕込み利用した。利用することへの申し訳なさはあるが……もうどうでもよかった。
……その結果が、アルタードーム地上部での大虐殺。
生贄に選ばれた信徒たちが、必要以上に傷つき、苦しむ羽目になってしまった。思いもよらぬ想定外だったが……悔やんでいる暇はなかった。
反発が露見して背中をズタズタにされたが、死の恐怖を植え付けられたワイバーンたちの暴動によって、枢機卿の計画は難航した。
お陰で時間は稼げた。
後は最終盤。儀式を悪用して、アルタードームの全てを滅ぼすだけ。ユメの根源をデミアの力で弄れば、望む形にすることはできる筈だったから。
死を齎すことは、簡単だ。
そこに行き着くまで、デミアが能力を使えるまで身体を回復させていなければならないが……例え無理でも、全て巻き込んで死ぬ覚悟をしていた。
気に食わないから。
気持ちが悪いから。
姉二人が逃避を選ぶなら、伝える手段を失い、心の内に淀みとして溜め込むのならば。
「ワタシが壊す。ワタシが殺す。ワタシが滅ぼす」
それが、自分に手一杯な愚図の妹、姉たちに遠く及ばぬ失敗作ができる最大の姉孝行。生まれ持ったこの悪性を、この世の全てを嫌いと宣い、憎む特性を、かわいい末妹の個性だと受け入れてくれた2人へ。嫌いだけど、生まれた時から憎いけど。まだ、大好きだから。
世界を呪う。世界を壊す。
楽園なんかには行かせない。この宇宙諸共、全て塵へと消し飛ばす。
……そんな浅知恵、自分が知らない間に塵となったが。
聖櫃魔法という白い守りの中で、デミアは茫然と儀式の末路を眺める。
知らない光景だった。
あんなにも恐ろしかった枢機卿たちが、操られて、すぐ鎮圧されて。星天の神殿騎士団もあっさり壊滅、あんなに強かった聖騎士たちが、あっという間に瓦解した。
それを成し遂げたのは、偶然味方につけられた異邦人ほ集団。
「これが、魔法少女…」
打算だった。
最悪見殺しにしてでも、この儀式諸共全てを闇に葬って消し去ろうと。暗黒銀河も全部含めて、暴れるユメに押し潰されてしまえと思っていた。
だが、だが……これは、なんだ。
彼女の知らない新勢力。魔法少女という集団は、恐怖の象徴だった全てを薙ぎ払った。文字通り、全て。デミアの預かり知らぬところで意思も肉体を乗っ取られた、奇怪なフラミンゴを残して。
『ギィヤゥゴォォ───ッ!!』
奇声を上げるアドゥーだったナニカは、正にドラゴンと形容すべき怪物となった。
コーカスドムスなる怪物に、悪夢のそれに。
自分が何をせずとも、ああなったのか。それとも、死を介入させたことでこうなったのか。デミアの視点でも何もわからない。
ただ、一つだけわかることは。
「はァッ!!」
「チッ……さっさと、死ね!」
「重力魔法っ…!」
「うわーっ!?」
彼女たちの想定よりも、あのドラゴンは硬く、しぶとい難敵であること。
煌めく希望の光も、おそろしい青い輝きも、重力にも。
怪物は耐え忍び、それどころか食らいつく始末。依然、戦いに終わりは見えず。コーカスドムスは喜悦を浮かべて暴れ狂う。
その光景を、デミアはただ、見ているだけ。
「わわっ!」
「ッ、毒!毒毒!」
「下がってろ!」
見覚えのある異星人たちも、鉄の防壁や螺旋を描く拳、呪いの樹海をもってドラゴンを阻むが……その攻撃すらも龍には届かない。
咆哮をもって全てを砕き、爪が、龍尾が破壊する。
あの皇帝の命すらも奪う黒死の呪い。将星の攻撃すらも通用しない怪物。
「ッ、ヤバっ!」
「チェルちゃん!避けて!!」
「ん!」
ユメの波動も、花の導きも、夢幻の虚ろな干渉も、全て届かない。凄まじい破壊力が祭儀場を震わし、柱を崩し、魔法少女たちに大きな傷を与える。
悲鳴が上がるも、魔法少女たちは歩みを止めない。
次々に魔法を放ち、武器を振るい……着々と龍の体力を削っていくが、コーカスドムスの動きに淀みはなく、依然強さに翳りはない。
今まで食らってきた魔法、そこに月魄魔法も足して龍は猛威を振るう。
「っ…」
自分のような弱者は立ち入れない、本当の殺し合い。
その光景にデミアは息を飲む。こんな戦いを、スピカもやっているのか。話を聞いた限り、彼女たちは姉とも戦い勝利している。どんな思いで姉は魔法少女と戦ったのか。
改めて、己の無力さを垣間見る。
デミアという脆弱な天使では太刀打ちできない、強者の殺し合い。ただ、見て理解することはできる。この戦いの足りないモノを理解することが。
……そう、決定打がない。
コーカスドムスなる怪物は、聖印を刻まれた信徒たちの犠牲、ユメの根源を全て取り込んだことで覚醒した。
終わらない破滅そのもの、生きる厄災。
聖なる力の全てを取り込み、コーカスドムスはそんじょそこらでは死なない最強となった。耐久力も、持久力も、回復力も、攻撃力も、全て、全て強化された新形態。
最強の龍がそこにいる。
そう、悪夢の大王の攻撃を浴びても、聖剣の勇者の光をもってしても敗れない。弱音を吐かず特攻を仕掛け、常に暴威を浴びせ続ける。
旧世代の三銃士、アリスメアー最強格の名を魔法少女に叩き付ける。
強い魂の輝きが、コーカスドムスを際限なく強くする。
「……魂…」
デミアは視ることができる。
生き物の根源───“魂”そのものを、輝きとして見れる特異的な存在。
だからこそ、わかる。
───これ、なんとかできるの…ワタシだ。
その自信は、彼女の魔法に起因する。
別に、ムーンラピスが形振り構わず攻撃すればコーカスドムスを葬ることはできる。ただ、その代償としてこの場にいる魔法少女たちは大半が死ぬ上、アルタードームなど欠片も残さない。
地下祭儀場という地下空間。破壊するわけにもいかない狭い戦場は、これでもかと魔法少女たちから手段を奪う。そんな苦境を強いてくる。
だが。
「ねぇ、メードさん」
「はい、なんでしょうか」
「この結界、解いて貰える?もう、アイツラの空間魔法で傷ついた身体も、だいぶ癒えたし……それに、ちょっと。やりたいことがあるの」
「……やりたいこと、ですか」
「えぇ」
デミアを守り、厄介な空間魔法が解けると同時に重傷を治療してくれたメードに頼み込む。信じて貰えるとは到底思っていない。
自分もまた、あの枢機卿たちの仲間のようなモノ。
何も知らずにいたとはいえ、死体の上でぬくぬくといた愚か者だ。例え拒まれても、仕方ないと割り切る。でも、なにもしないでいられるほど、デミアの心は強くない。
心を込めて、力強く見上げる。
そして、相も変わらず無表情のメードは、暫しデミアと見つめ合って。
「かしこまりました。では、魔法を解きます……なにか、手伝うことはございますか?」
「! そ、それじゃあ……支えて欲しいの」
快諾したメードは聖櫃を解いて、まだ覚束無い足取りのデミアの肩を持つ。メードという支えを得て、そう易々と崩れない体幹を得たデミアは、深呼吸。
何度か繰り返して、すっ、と前を見据える。
傷だらけのコーカスドムスを。その魂の輝きを、ジッと見つめる。
「ワタシができるのは、剥がすことだけ。それでも……」
贖罪の一歩目ぐらいには、なるだろうか。
そう笑って、デミアは。己の魔法を。その目に宿る力を行使する。正直言って、身体はキツいが……ここで万事を尽くさないでどうするのと、笑う。
藁にも縋る思いで、片目に手を添え、開き。
「“恋、狂え”───ワタシを視ろッッ!!」
───死告魔法。
魔法の発動と同時に、コーカスドムスの視線はデミアに固定される。それ以外には見向きもできず、しっかりと、龍の双眸に彼女を映す。
その瞳を媒介に、デミアの“死”が魂に這い寄る。
より具体的に言えば……魂と同化していた、ユメの根源そのものに。
『ギョエ!?』
「いやアンタ、普通に喋れるでしょうに───それじゃ、お別れの時間よ!」
死を告げる。
終わりを拒むユメに、怨嗟の声を響かせる魂の集合体に力を込めて。
「ッ!?」
「───<アズライール>!!」
“死天使”の名の所以を。
ユメの根源を、内包された全ての魂を、一つ残らず更に死滅させて。もう一度死を与え、コーカスドムスの魂から無理くり引っペがして。
ユメそのものを霧散させる。
両目から大量の血を流して、傷つきながら。“死”という救いを司る天使は笑う。一つ一つの繋がりを殺して、もう一度結合しようとするユメ同士を絶って、殺し尽くして。
視覚情報から殺す対象を選び、目が合っていれば絶対に死に至らせる魔法。片手間に学んだ魅了をかけ、こうして視線を固定してしまえば。
あっという間に。
魂を剥離できる。
『ギッ、ガッ!グアァァァァァァァ───ッ!?』
空間を劈く悲鳴が、咆哮が、痛みに悶絶する龍の口から放たれて。
その存在基盤を。
崩す。
「ッ、元に…」
三百年の計画が、あっという間に泡となる。純化させたユメの根源は、悪夢に塗れたまま、完全に死滅する。
そして、最後に残ったのは。
身体を元のそれへ。ワイバーンの体に戻した、死に体の竜へと逆戻り。
「ごほっ、ぅ…」
「! 大丈夫ですか!」
「平気よ、これぐらい……反動がすごいから、あんまり、使いたかないけどね」
充血した目、止まらない吐血。胸を掻き毟って呼吸するデミアだが、後悔していない。
それどころか、清々しい気持ちで、前を向く。
苛立ち混じりにこちらを睨むコーカスドムスに、笑って中指を突き立てる。
「乗っ取ってんじゃないわよ、バーカ!」
復讐計画を邪魔された死天使のお告げは、竜と言えども逆らえない。




