219-ムカチャッカドリーマー
リシアン・キャレコーダ。
このシャム猫は、プレセルペ蟹紅艦隊とは別の組織……暗黒王域軍直下処刑部隊の小隊長。今回、裏切り者の座を蹴落として、将星の枠組みに名を連ねる為に、彼は単身、この艦隊に同乗していた。
建前では、裏切り者を弑する為に。
実際は、裏切り者を嬲り殺した上で───新たな将星になりたいだけの、野心家。皇帝への忠誠心や、帰属意識は全くないが。上に上に上り詰めて、自分以外の有象無象を見下ろしたい。とはいえ身の程は弁えている為、それ以上高みを目指すことはないが。
裏切り者の4人、その内の誰か一人でも落とせれば。
現在手を組んでいる将星カンセールからの推薦で、彼は将星の座に内定するだろう。
……カンセールからは、にこやかな表情の下で、こいついきなり推薦してくださいとかバカじゃねぇーの?そんな実力ねェだろカス!とか思われてたりすることは、当人が知ることは二度とないが。
その悪辣さから、逆に好かれている方が少ない彼。
リシアンにとって、 処刑部隊という掃き溜めもかくやの組織に属していることは、最大の屈辱である。いつの日か見返してやると、今の将星連中よりも自分に価値があると見せつけることで、上回ってやろうと考えている。
その為に、わざわざ皇帝という恐ろしい存在に謁見し、決意表明をしたぐらいだ。
だが。
───そうか。好きにしろ。
あの蛇は、リシアンに欠片も期待を向けなかった。
どうでもいいと言わんばかりに、退室を促して玉座から追い出した。
その屈辱をリシアンは忘れない。
絶対に見返してやると、ハングリー精神をフルに使って藻掻いてきた。
「ぁ、が…」
「テメェらみてぇのがいるから、俺がのし上がれねェ……ハハッ!こうなることなら、さっさと二人殺しておきゃあ良かったなァ!」
「ッ、アリエス!」
時は戦場に戻り───崩壊に崩壊を重ね、もう原型一つ留めていない鉄の星、ネオ・エネルギープラントにて。
リシアンは、その手に掴んだ将星の首を、力強く握る。
苦痛に悶える美しい顔に、愉快だとほくそ笑みながら。不愉快な裏切り者の中で、一番弱い女の首を……その手でへし折る。
「がッ」
一丁前に怒気を漏らして襲いかかってきた割には、少し攻防を重ねた程度でへばった弱者。軍学校では、一時期の間だけの同期だったが……関係性としてはそれだけ。
カリプスが皇帝推薦で一年入り、その後すぐ将星として名を連ねた時の苛立ちは、今でも忘れない。その後遅れて入校したこの女との対比で、一抜けしたあの男に、余計に惨めな思いを抱いたことも忘れない。
故に、リシアンは容赦しない。
弱いのが罪なのだと、そう豪語して。アリエスという、自分の足元にも遠く及ばない雑魚は、あっという間にその命を散らす。
悲痛な色を浮かべて死んだその最期を見て、リシアンは愉悦の色を抱く。
愉快だった。
滑稽だった。
屈辱だった。この程度の女が自分の上にいたと思うと、もう耐えられない。だが、その鬱屈とした思いも、今日で終わる。
「なァ、呪いカス……大した実力もねェ、呪い一点張りのテメェなんざ、俺の敵じゃねェんだよ。ククッ……今すぐ泣いて媚びるんだったら、赦してやってもいいぜ?」
「バカ言ってんじゃねェよ……死ね」
「ハッ!」
───黒堊の魔法<オールド・スィオン・ルボワ>
破壊を齎す死の森の呪いが、目前まで迫ってくるが。
リシアンにとって、その程度の呪いタカがしれており。見下すように鼻で笑って、勢いよく生えていく死の森へと右手を伸ばす。
「反転魔法ッ!」
そう叫んだ瞬間───肉薄していた死の森が、反転してカリプスの方へと襲いかかる。自分の呪詛が向かってくるありえない光景を前に、カリプスはポカンとしてしまい。
断末魔を上げる暇もなく、死の森に肉体を呑まれた。
一掃───たった数手で、リシアンは裏切りの将星から勝ち星を奪い取った。
「ハハッ!どうだ!これが俺だ!テメェらなんざ、俺の、障害にもなれねェ雑魚だったっつーわけだ!ハハハッ……こんな雑魚共に二の足を踏んでた昔の俺がバカみてぇじゃねェか!ハハハハッ!!」
「ざまぁねぇなァ!!ハッハッハッハッハッ───!!」
二つの死体を足蹴に、ゲラゲラと心の底から湧き上がる愉悦に浸りながら。
リシアン・キャレコーダは、覚めない悪夢に落ちる。
───…
──…
─…
…
「無様ですね」
「滑稽ですね」
「愉快ですか」
「最悪ですか」
「───笑止千万。愚かなりにも考えはあると、期待していたのですが」
そこに敵はいなかった。
いるのは、つい数秒前までシャム猫がいた場所を、黒く染まった目で睥睨する、一人の夢羊と、その豹変に戸惑う女王と、黒山羊のみ。
不安定なオーラを纏い、不気味にフラフラと揺れる。
いつもと全然違う義妹の姿に、カリプスは、ほんの少し汗を垂らす。
戦いは成立しなかった。
始まりすらしなかった。
気付いた時には、対峙していたリシアンの身体は忽然と消えていて。
「な、なんだ、今のは」
「……アリエスの夢繋ぎの魔法だ」
「? あやつの能力は夢を渡る力だろう?」
「そんなんだけで将星に名を連ねられるわけねェだろ……あーやってな、対象を夢の中に落とすんだよ。アリエスが引き揚げない限り、一生戻って来れない夢の世界に」
「ほお?」
夢繋ぎの魔法───その本懐は、決して“夢渡り”にあるわけではない。夢渡りは、夢羊一族の秘儀であり、今ではアリエス以外に使いの手のいない力であるだけ。
故に、その本質は。
敵対者を夢の中に落とすこと。つまりは、現実と夢とを繋げて、生身のまま夢の世界に突き落とす……アリエスがいなければ現実に帰ることもままならない、絶殺の魔法。
いつまでも夢の中にいては、現実に住まう生き物は器を保てなくなる。
そして、その夢が【悪夢】の世界であるならば、最早、結末を語る意味もなく。
身動ぎ一つせず、アリエスはかつての同胞を消した。
死体は揚がらない。
そこが夢の世界であると気付けぬまま、認識を侵されて二度と目覚めぬまま。
敵を殺す。
……ムーンラピスと接触前のアリエスの魔法であれば、そこが夢の世界だと気付けていた。ほんの少しの違和感に気付けるぐらいには、夢と現実には差異があるからだ。
気付けたところで脱出できるかどうかは別として。
その時点で脅威に満ち溢れていたアリエスの魔法だが。
【悪夢】との出会い、同調によって───もう、夢だと気付くことができないぐらい、自意識を真っ黒に塗り潰す殺意の塊となった。
今のアリエスと対峙するには、夢に強制ボッシュート、悪夢誘引、精神干渉への強い耐性、若しくは解除ができる力が大前提として必須となる。
敵対すれば最後、気付かぬ間に敗北する。
それがアリエス・ブラーエであり、地球の悪夢に全てを強化された今、更なる進化を遂げた【悪夢】の適合者……殺戮者なのである。
「………」
愚かにもリデルを掴んだ敵を葬って尚、アリエスは一切微動だにせずそこにいる。その不気味さに、リデルたちはどうにかこうにか怯えないように心をしっかりと保つ。
保った上で、どうしようと目配せし合う。
だって怖い。
無言で無表情で、ずーっとそこに突っ立っているのだ。後ろ姿しか見ていないカリプスとリデルは、可視化できるオーラに慄いている。
それに。
下手に触れてしまえば、壊れてしまいそうな……そんな危うさまである。
「おい」
「無茶言うな貴様」
「お守りしろよ。上司だろうが!」
「その前に兄だろオマエ!」
「あーゆーのは同性でなんとかした方がいいって宇宙法が成立する前から決まってんだよ!俺みたいな野蛮なヤギが立ち入っていい状況じゃねェ!」
「クソっ!」
一度距離を取って、小声で擦り付け合った2人は、その相場にどんな価値があるんだと怒鳴るリデルが、渋々暴走するアリエスを止めに行った。
カリプスが行ったら接触=夢死の可能性もあったので。
恐る恐る、リデルはアリエスの背後に立つ。立ったが、反応はない。
「あ、アリエスー?」
呼びかけられても反応はない。
無理もない。今のアリエスは【悪夢】に精神を溶かして全てを解き放っているような状態だ。下手に触れれば全て悪夢に落とすぐらいの不安定な精神状態にある。
懸念であった悪夢の侵蝕が、一瞬でもリデルを奪われた不快感で限界突破したのだ。
それぐらい、アリエスは。
ラピスが守ろうとしているリデルのことを守ろうと……守ることで、自分には存在意義があるのだと、新たな主に突き付けたかった。
後は単純にリデルのことを大切に思って、どうでもいいヤツに奪われた苛立ちが、不甲斐なさが、アリエスの精神状態を狂わせた。
その程度の動揺で、人をおかしくする。
それが【悪夢】。
相変わらずタチの悪い悪夢に、面倒だなぁと鬱屈とした思いになりながら、リデルは暫し考え……
潤空にもやった方法で、宥めようと決意する。
「えいっ!」
足に力を込めて、跳躍力には自信があるからと、背中を飛び越えて。
「よいっ、と」
「うぐっ!?」
そのふわふわ髪の後頭部に掴まり、足を首に絡める。
後頭部からの衝撃で噎せたアリエスが、本能的に周囲の生き物を悪夢に閉ざそうとするが。
その前に、ヨシヨシとリデルが頭を撫でる。
「アリエス、アリエス」
「……」
「私の声が聴こえるか」
「……リデルさん」
「ありがとうな、私を助けようとしてくれて。まったく。ここまでできるとは思っていなかったぞ……もう、大丈夫だからな。落ち着いて構わん。リラックスせい」
「……大丈夫、ですか?」
「あぁ」
【悪夢】に染まって暴走しかける者───正気に戻ったあの日から、定期的にイライラと物に当たって、目に付く全てを葬らんと無意識下で思考していたムーンラピスを、打算込みとはいえ落ち着かせた経験。
それを活かして、一定のリズムで頭を撫でて、頭越しに鼓動を聞かせる。
生き物とは、案外簡単な生態をしていて。
一定のリズムで安らぎを与えられると、逸る心は自然と落ち着いてしまう。
深呼吸もさせて、リラックス。
大切なものを奪われるというアリエスにとっての地雷を埋め直して、自分はここにいるから奪われていない、もう怒る必要はないと安心させる。
もう恐れる必要はないと。
そう言い聞かせる。
「……」
「む?」
やさしく慰めるリデルに、アリエスは何を思ったのか。後頭部に張り付くその小さな身体を掴んで、器用に前面へ持っていき。
リデルのお腹に、顔を埋めた。
「すぅ〜………………」
唐突な腹吸いに宇宙猫を晒したリデルだったが、これで落ち着くなら安い犠牲だと納得して、そのままアリエスにされるがままになる。一応、安定を求めて、今度は顔面に張り付いてやった。
このまま昏倒させてやってもいいかとは思っていない。
一回気絶させてリセットするのも、有効な手の内の一つではあるが。
「……ぁ、あにょ、その……ご、ごめんなさい。ご心配をおかけしました…」
それから暫くして、漸くアリエスは落ち着いたのか……リデルの柔腹から顔を離して、申し訳なさそうな顔をして謝った。
「構わん」
「ったく、ビビったぜ……なぁ、アリエス」
「カリ兄さん?」
正気に戻って殺気もなにもなくなった、いつもの様子のアリエスに、やっと息が吸えると近付いたカリプスがその頭を撫でる。
昔の頃のようなやさしい撫で方に目を瞑る。
大事そうにリデルを抱いたアリエスに、カリプスは緩く笑った。
「成長したな」
「っ……はい!」
「……その一言で済ましていいことなのか?これ」
「今いい感じに締めてるんだから黙ってろ。諸悪の根源の近縁種を殴ったっていいんだぞ俺は」
「やめろ」
勝者
───アリエス・ブラーエ
次回
カンセールvsライトラピス
第一幕




