189-ある虫の追憶
“蒼蝿宮”の統括者、虫の特徴を持つベルゼー星人の王。暗黒王域の十二将星の一座を担う、最強の虫使い。
それがムイア。“大連蠱毒”の名を冠する、虫の王。
ハエの頭部のような被り物が特徴的な、異形の美青年。青々とした軽鎧に身を包み、細身ながら引き締まった身体を持つ男。
「虫王様〜!」
「ムー様ぁー!」
「ハッハッハッ!なんだなんだ、子供たち。いいだろう、このオレが話し相手してやる。さぁ、要望を言え。全てを聞いてやろう!」
「ナメクジに寄生されてたって本当?」
「待ってくれなんの話だ」
「? この前の奇行」
「あれは踊りだ!伝・統・舞・踊!!なんだオマエたち、知らなかったのか。ならオレが教えてやる。着いてこい!勉強の時間だ!」
「わー!」
「えー!」
彼は、陽気な王だった。
民に敬われ、慕われ、時に叱られ───誰もが認める、人格者であった。事ある毎に城を抜け出し、城下の小さな子どもたちと遊んだり、学ばせたり、鍛えたり。時には、性別や年齢、職業を問わず、多くの同胞と直接話をしたりなど、積極的に己の民と関わる、人徳ある男であった。
無論、妬みも恨みも、人並み以上には浴びていたが…
その全てを受け止めても、胸が温かいまま、快活に笑うことができる王だった。
「次」
“大連蠱毒”。
ここで言う“大連”とは、古墳時代におけるヤマト王権の最高位の官職、大王の補佐役であった“大連”と似たような称号であると考えていい。
つまり、その名を冠するムイアは、皇帝ニフラクトゥの補佐官であったというわけだ。
将星入りした後も、その名を名乗ることを許される程、ムイアの皇帝への忠誠心は高く、ニフラクトゥからの覚えもよかった。
「陛下!」
「なんだ、ムイア」
「古書館捜索チーム代表、リブラお嬢から入電が。どうも火急の要件があるようで…」
「わかった」
当時は、秘書となる天秤もおらず。
直属の臣下の一人として、“星喰い”の暗黒王域の統治を補佐していた。基本的に自分の好きなように動く皇帝の、代役として表に出ることも多く、多忙を極めていたが……彼は、その役割を是としていた。
かつて、ついでとはいえ、己の小さな命を救ってくれた蛇に恩義を感じ、そのカリスマ性に惹かれ、圧倒的な力に焦がれ、その背中についていくことを誓った。
ムイアは、模範的な忠臣であった。
あの自由奔放な蛇の王が、用事があれば必ず呼び付け、言伝を伝えるぐらいには、信頼されていた。それはそれは大事にされていた。
「ふむ……これほどの成果を上げるとは。やはり、新たな将星には、リブラを推薦しよう」
「あぁ〜、ちょうど今、空き、できましたもんねぇ」
「宇宙海賊、か。面白い。勧誘できないモノか…」
「艦隊枠はカンセールがいるでしょう。これ以上変なのを増やさないでくだせぇ」
「自分語りか?」
「オレそんな変スか???」
「それなりには」
「えーん」
「ハハッ」
それこそ、臣下に有るまじき発言をしても、王に笑って許されるぐらいには、関係が深かった。
皇帝の右腕である天魚、アルフェルに次ぐ最高戦力。
左腕と言ってもいい忠臣。全てを肯定するだけの脳無しではなく、適度に物申すことができる皇帝贔屓なだけではない男であった。
「次」
好きな女のタイプは───…
「どうでもいい、次」
“星喰い”の左腕であるムイアは、妬みや恨みから誰かに襲われることは日常茶飯事であった。
その度に対処し、殺し、命を取り合ってきた。
「戦蟲魔法!我が虫たちよ!王に仇なす不届き者に、死をくれてやれッ!!」
「おいおい、仲間の命が惜しくないのかよ」
「そんなわけなかろう───貴様を葬ってから、ゆっくり手を差し伸べるさ」
「ケッ」
黒衣の何某。ズーマー星人と思われる襲撃者に、大量の国食い虫を向かわせる。国を一つ落としたという逸話から名付けられたその怪虫が、夜の宙を飛び回る。
皇帝の寝込みを襲おうとした男は、蟲の鉄壁に阻まれてそれ以上を進めない。
苛立ちに舌を打ちながら、不利を悟って逃げる。
無論、怪蟲たちは逃がさないと言わんばかりにその背。追いかけるが……
「執拗ェなァ───黄金魔法」
襲撃者の手が黄金色に輝いた瞬間───近くにいた怪蟲から、黄金に輝いて。伝播するように、後続の怪蟲たちが黄金へと染まっていく。
たった一手で黄金になった虫たちは、ボトボトと地面に落ち、二度と動かなくなった。
その魔法に、ムイアは見覚えがあった。
あまねく全てを黄金に変える力。その源流は、つい先日将星として名を上げた二人の男、その片割れ。
正体に気付き、虫は青筋を浮かべる。
「なっ、はっ?」
「あっ、やべっ」
「……き、貴様ッ、レオードぉぉぉ!また性懲りもなく!陛下の安眠を妨害しに来るとは……今度こそ許さんぞッ!その首、即刻オレに差し出せェ!!」
「なんのことだ?俺はしがない襲撃者。ズーマキングとは無関係だぜ」
「見え見えのシラを切るな貴様ァ!!」
「初めまして」
「ぶち殺す!」
結局、ムイアはまんまと(推定)獅子の王に逃げられて。後に問い詰めるも、証拠はあるのかと、自分以外にもいる黄金魔法、それと似た魔法の使い手たちを列挙してシラを切られ、怒髪衝天になるのを皇帝に慰められた。
無論、皇帝から獅子へのお叱りは当然あったが……
あの王が叛逆に肝要なのは、今更言うまでもなく。
それはもう素敵な笑顔で煽ってくる金獅子に、ムイアの血管がまたはち切れそうになったのは、言うまでもない。
通算六回目の襲撃の顛末は、またいつものように獅子の勝ち逃げだった。
「やんちゃ……次」
それは、ある日のことだった。
最近夢見が悪く、どうにかならないか薬師に頼み込み、薬を処方してもらったばかりのある日。なにか吉兆に悪い運勢が出ていたわけでも、前兆があったわけでもなく……まさに、唐突に。突然の悲劇であった。
いつも通り働いて。
いつも通りに飯を食べて。
いつも通り、王に似て自由に生きる獅子や蠍、カニ男や最強の天魚にグーパンを食らわせ、陛下をも唸らせるその美しさを誇示する水精霊を有り余る言語で褒め称え。
いつも通り、皇帝の後ろを追いかけて。
いつも通り、目を瞑って。
「ここは…?」
目を開けたムイアは、なにもない、真っ白な空間に己が立っていることに気付く。
転移魔法の痕跡を探るが、そんなものはなく。
何処となく安心感に包まれた、その世界で。ムイアは、無意識に足を進める。
そして、朧気な思考の中。白一色の世界に、不似合いな黒い塊を見つける。
「……なんだ?これは」
それは、煌々と輝きを放つ、黒い球体。
まるで、銀河の特級危険地帯、ブラックホールのように丸くぽっかりと空いた穴が、球体という形となって世界に現出したような、漆黒のナニカ。或いは、皆既日食などの外環に表出するコロナやプロミネンスとも取れる、何処か形容し難い、黒い光。
理解されず、証明されず、不安定なナニカ。
漠然と、その輝きがいけないモノであると悟るが───ムイアの意識は、その光から目を離せない。
無意識に、その手を伸ばしてしまう。
誘われるように。導かれるように。おぞましい極光が、虫を呼ぶ。
「───ぁ」
まさに、夢心地の中。上手く働かない思考は、脳からの危険信号を受信できず……誘われた指が、黒い光の、輪郭をなぞった。
瞬間。
ムイア・ドゥアーダァドの意識は、【悪夢】に呑まれて消えていった。
「ここか」
真っ暗闇の思考。
もう、そこに理性は介在せず。
【悪夢】に呑まれた意識は、汚染され、ただ、暴力的に全てを貪り喰らう。
【アア、ァァ───腹が、減った】
夢から覚めた先。腐泥に呑まれた怪物が、侵攻する。
「虫王様!?」
「閣下!目をお覚ましください!閣下ァ!!」
「ひっ……いやだ、たす、助けっ…」
「ああああっ、ああああああああああああああ!?」
「止めろっ!閣下を、止めろぉぉぉ!!」
「うわー!?」
悲鳴も、怒号も、耳には届かず。
原形を失うまでに暴走したムイアは、悪夢に耐えきれず肉体を自壊させながら。己の母郷である蒼蝿宮を泥塗れのめちゃくちゃにして、無数の肉塊を踏み越えて……
王が住まう極黒恒星にまで、踏み込んで。
意志のないまま、ほんのちょっとの負の感情を、強引に爆発させられる。
───もっと、王らしくあってほしい。
───何故、配下の叛逆を許すというのか。
───もっと、オレのことを見てほしい。
───もっと、オレを褒めて欲しい。
───オレを、オレは、オレに、オレと───もう、何を考えていたのかも、わからなくなるまで。
ぐちゃぐちゃ。
ぬちゃぬちゃ。
「目ェ醒ませや虫公がァ!!」
「これは、悪夢…?なんで、ムイア氏に…チッ!」
「防衛網構築完了!全員、下がりながら魔法を一斉掃射!暴走を止めなさいッ!」
───黄金魔法<ミダス・マリーゴールド>
───死蠍魔法<デスアラクラン・ショット>
───精霊魔法<マナ・ストリーム>
場に居合わせた将星たちも、【悪夢】を乗せた一振りで跳ね除けて。
一切合切を踏み倒して。
突き進む。
【終わりを!終わりを!貴方に、終わりを───!!】
目に付いた全てに歯を立てて、喰らい、終わりを忘れた不届き者に、牙を剥く。
「ムイア……?」
家臣の突然の暴走に、あの“星喰い”でさえ、思考停止に陥った。理知的で、誰よりも自分に宙を尽した男の、一切前触れのない凶行に、帝国は荒れる。
一瞬、攻撃を躊躇って。
一瞬の命取りで、皇帝の眼前に、悪夢の尖兵の戦蟲腕が放たれた。
「黒堊の魔法───ったく、俺は観光に来ただけのに……なんなんだよ、この騒ぎは…」
【グゥ、ッ、アアア───!?】
「ッ! よくやった、黒山羊の子よッ!!」
「へ?」
その手を止めたのが、当時、星々を転々としていたある黒山羊の青年で。
彼が持つ呪いの力で、一瞬ムイアは弱り。
荒ぶる怨蟲を、気を取り直したニフラクトゥが鎮めて、拘束した。
───それからの話をしよう。
【悪夢】に精神を乗っ取られたムイアを、皇帝は隔離。安全を期す為、帝都からは離れた小惑星に住まわせ、悪夢から解放する為の治療を進められた。
だが、状況は芳しくなく。
なにをどうしても、悪夢の被害者を元の姿に戻すことは叶わず。
「聴こえるか、ムイア」
【アァ、ァァァ…ィ、ァ、アア…】
「……オマエの為に、“薬草院”なる施設を設立した。必ずそこで、オマエを元に戻してやる……今から移送する故、暫し大人しくせよ」
療養を勧めるニフラクトゥは、正気を失った忠臣を元に戻さんと、様々な手を尽くすが……結果は著しくなく。
【悪夢】から解放することは叶わず。
そして。
「……ムイア、オマエを将星から除名する」
幾ばくか時が過ぎて───苦渋の決断を、皇帝は下す。
【───ァ?】
その言葉に反応して、汚泥の底に埋まっていた思考が、動き出す。
何故?オレは貴方の忠臣である筈。
何故?オレを置いていくというのか。
何故?オレは、もう。いらないのか。
オレを、捨てるのか?
何故。何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故───ッ!!
「回復次第、再びオマエを我が城に招く。そこで、新たな地位を与えよう。将星では比にならない地位を、格を……我の忠実なる下僕たるオマエには、悪夢に染まっても尚、我を思う心があるオマエには、より相応しい地位を、我がこの手で与えよう」
ニフラクトゥは、本心で、自分の為に働き続けた忠臣を思って、これからの話を続ける。
正常な意思の元であれば、聞き届けられていた声。
しかし。
今のムイアには届かない───彼にとって、将星という地位を損なう。その言葉は、微かにあった、残りの正気を失う程の、喪失感を。絶望を与えた。
悪夢に染まった思考は、必要以上の言葉を聞かせない。
不要だと。それ以上の思考は許さないと。悪夢の干渉で思考を制限されて。
【───ウソだ。ウソだ、ウソだ!!】
裏切られたと、認識させられたムイアが、異形の瞳へと変質した目を、大きく見開いて。
泣き叫び。
拘束されていたムイアが、突然、大きく暴れ出し───ニフラクトゥが止める間もなく、隔離施設の役割を担った惑星ごと、爆破した。
木端微塵に、何も残さず。
「……」
空間転移で外に逃れたニフラクトゥが、なにがなんだかわかっていない顔で、粉塵が好き荒ぶ星の跡地を、呆然と眺める。
「……ままならないものだな」
その日から、暫くして。
行方不明になっていたムイア・ドゥアーダァドが、己の統括する惑星、“蒼蝿宮”を破壊。彼を信望する配下たちを引き連れて、皇帝への叛逆を再開。
二度に渡る攻防で、肉体の大部分を失い。
失意の底で、【悪夢】に侵された、間違った思考のままその身を溶かして。
生きる厄災となって、機構となって、暗黒銀河を混沌へ落としていく───…
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───なんて顛末を、泡沫の記憶から読み取った。
「くだらない」
僕が求める情報は、【悪夢】についてであって、将星の生きた歴史などではない。悪夢の力に侵され、それからの反応を見たいわけじゃあない。
見たかったのは、宇宙の悪夢。
地球由来の悪夢は、リデルっていう意志の象徴がいる。なら、宇宙はどうなのか。それを確かめたかったのに……黒い球体ってなんだよ。
もっと詳細寄越せ。
「基本形態だな。確か、夢の国に現れた【悪夢】の塊も、最初はそのような球体だった筈だ。まぁ、人の視覚に最も映りやすい形状だからな」
「ふぇぇ…怖っ、怖かったぁ…」
「……確かに、記憶越しに恨み辛みをぶちけてくるのは、気味が悪かったね」
「えっ、感想それだけですか?」
「悪夢には慣れてるから」
「めぇ〜…」
でも、まぁ……収穫無しってわけでもなかったし、別にいいかな。つーか、あんなに人相変わるんだ。面影なんもないじゃん。可哀想。メアリーもだけど、本当【悪夢】はロクなもんじゃないな……
でも、まぁ。無いなら無いで、“夢”が正常に機能しないとかいうバグが生まれるみたいだし。
折り合いつけなきゃだね。
そう結論付けて、用もないから、精神世界からお邪魔しようとした、その時。
【オオオオオオオオオオォォォ───!!】
どこからともなく、汚泥が溢れ出てきて……夢の世界に異形を形作る。
間欠泉のように、吹き出た悪夢が。
現出する。
「……なんだ、セーフティか?だとしたら、出てくるのが遅すぎだと思うけど」
「そう呑気に見てられるか?」
「平気だろ」
仕方ない。表でも、みんなが頑張ってるところだし……もういいだろう。解析も終わった。片手間の記憶閲覧も、もう十分だ。
後は、帰るだけ。
でも、その前に。
いい加減、楽にしてあげよう。この僕の手で。悪夢の王代理の名をもって。
君を殺す。
悪夢の球体
───生まれたばかりの悪夢の根源。妖精の国を悪夢へと呑み込んだ【地球の悪夢】とは別個体。偶然将星ムイアと波長があってしまい、運良く取り込めてしまった。
【悪夢】としてはまだ成長途中。




