132-望んだ平穏、夢見る理想
「ありがとうございました〜」
胸中を過ぎる苦しさ、悲しさに、次第に慣れ始めた頃。コンビニでジュースを買い、お菓子を買い、多目にお金を払って小銭を獲得。退店して、まだそこまで暑くはない外を散歩する。まだ集合時間までは早い為、ふらふら目的もなく夢ヶ丘を歩く。
いつもの見慣れた住宅街から、少し寂れた商店街、まだ人も疎らな駅、中学校までの通り、高校の前。
夢ヶ丘の街並みは、新しくも古くもなく、ちょうど中間辺りの平凡なモノである。都心よりも栄えておらず、まだそこそこ利便性のいい、その程度の、普通の街。
それでも、穂花はこの街が大好きだった。
破壊痕もない、苦しみも悲しみもなにもない、穏やかな平和に満ち溢れた故郷が。
「ここも、全然変わってないな〜。うわっ、懐かし!」
短時間の移動で、ありえないぐらいの建物の横を通る。
その違和感に気付かないまま、穂花は歩いて、長閑で、やさしさに満ち溢れた夢ヶ丘を歩いて。
河川敷に辿り着く。
「ふぅい〜……おっ、まだ全然時間ある。なんか、今日は時間の進みが遅いなぁ。そんなもんかな?」
スマホの時計を確認して、まだまだ余裕があるからと、穂花は河川に沿って土手を歩く。
風に乗って香る草の匂いと、川の水が鼻をくすぐる。
道行く歩行者とすれ違い、挨拶をして、挨拶を返して、余暇を謳歌する。
「……うん?」
その道中、土手の坂、草の上で体育座りをする、一人の女性を見つけた。後ろ姿でしかわからないが……青い髪のその女性は、見覚えがあるもの。
見知った美大生が黄昏ている姿に、穂花は元気よく声をかける。
「芽衣さん!」
「……穂花さん」
顔見知りである、透明感のある女性───梔子芽衣が、穂花の呼び声にゆっくりと振り向く。お洒落なワンピースを着ている彼女は、短く切り揃えた青い髪につけた、花のバレッタを身につけていた。
二年前、道に迷っているのを助けてから、ちょくちょく会う機会が増えた、おっちょこちょいなとこのあるドジなお姉さん。
それが芽衣である。
「なにしてたんです?」
「芸術意欲か湧かなくて…」
「……また絵の先生に怒られたんです?こう、アトリエを絵の具塗れにするなー、とか」
「何故わかったのです」
「やってそうだなって」
芽衣は絵画専攻で、主に絵の具を使って幾つもの作品を描いており、既に賞を受賞している優れた学生だ。美貌も相まって人気が高く、新進気鋭の画家として良いスタートを切っている。
……が、生活能力が無いのと、絵を描く際にアトリエの壁から天井まで大惨事になり、作品一つ描くごとに清掃の業者を複数呼ばなければならなくなるのが欠点だ。
あんまりな残念美人だが、画家とはそんな変人の集まりだと勘違いしている穂花は気にならない。というか、もう慣れた。
「最近は、特にインスピレーションがあまり湧かなくて。業界の興味関心も、取られちゃいましたからね……ほら、この写真の。高校生画家だそうで」
「へぇ……芸術界の新たな神童、凪染虹奈……あっ!この虹の絵見たことある!」
「綺麗ですよね」
スマホから特設サイトに載せられた神秘的な芸術作品を見せられて、これは自信を無くしてしまうのも無理はないと納得してしまう。
それぐらいすごいのだ。
色彩も、構図も、ただ虹を描いているだけなのに、全然普通じゃない。
「で、でもほら!芽衣さんの絵は、キャンパス飛び越えてすごいの描いてるじゃん!負けてないって!元気だそっ!ねっ、ほら元気だしてって!」
「施しの一つや二つはくれてもいいんですよ」
「強欲ッ!」
伸ばされた手のひらに買ったばかりのひとくちチョコを素直に置いてやる。
芽衣はパクっとチョコを一口。満足気に咀嚼している。
「でも、まぁ……頑張ってみますよ。暇ですし。それでもダメだったら、すっぱりやめます」
「……そう、ですか」
「若しくはこの子に弟子入りしましょうかね」
「プライドとかないんですか???」
「それなら犬に食べられました」
「あげたんじゃないんだ…」
「えぇ」
何処となく前向きな芽衣は立ち上がって、ワンピースについた草を手で払う。ぐ〜っ、と腕を頭の上で伸ばして、少し固まった身体を伸ばす。
悩みは吹っ切れた。
多分、どうにかなるのだろうと。穂花に言いたいことを吐き出せたから、満足いったようだ。先程よりも穏やかになったその表情に、心做しか穂花も安堵する。
笑顔を見れただけで、安心だから。
「……そういえば、時間は大丈夫なので?なにか、予定かあったのでは?」
「…………あっ、ヤバい!忘れてた!!」
遊びの約束が、頭の中からすっぽ抜けてしまっていた。
慌てて時間を確認すれば、まだ過ぎてはいない。急いで駆ければ間に合うだろう。
「ごめん芽衣さん!またね!」
遅刻すればドヤされると、穂花は慌ただしく河川敷から駆け出す。その慌てようを微笑ましく思いながら、芽衣は軽く手を振って見送った。
別れを惜しむように。
「行ってらっしゃいませ」
そのかんばせに、一瞬、憂いが過ぎったが……きっと、気の所為だろう。
夢中になって公園を目指す穂花は、少し時間をかけて、それでも体感時間は短いまま、なんとか集合時間前に無事公園に辿り着けた。
荒れる息を整えて、呼吸を繰り返す。
冷たいドリンクで喉を潤わせて、走った後の疲労を多少誤魔化す。
「穂花ー!」
そうしている間に、人の気配が集まってきて。前もって予定していた遊びの時間が、やってくる。
やることは、特に決まっていないが。
内容自体は、集まってから考えるのもまた、友だち達と休日を楽しむ醍醐味なのだ。
「どこいくー?」
「プリクラ撮れるとこ行こ」
「ファミレスがいい?それともファーストフード?みんなどっちがいい?」
どういうわけか、集まった友人の何人かを見て、漠然と懐かしさが込み上げてきたが……またかと自分のおかしさを笑って、穂花は無視する。
楽しいのだから、それでいいじゃないか。
なにも悪くない。
この痛みも、きっと気の所為。自分の不調が招く、その違和感に蓋をする。
「この前ショッピングモールできたじゃん?色々あって、まだ行けてなかったし……行かない?」
「いいねー!なに買う?いいのあるかな…」
「行けば見つかるでしょ」
「……あっ!ホノちゃん!このお店、歌姫ひかりのコラボグッズ売ってるって!個数制限あるから、わんちゃん残り少ないかも!!」
「! 行こう!!」
「ちよっ」
先日世界的知名度を手に入れたアイドル、詩嶺ひかりのファンとして、グッズは買わなければ話にならない。いつまでもベンチに座って駄弁る面々を急かして、いの一番に穂花駆け出す。
やれやれと首を振る友人たちも追いかけて、一緒に店へ突撃した。
「あった!ゲット!」
「ナイスー!おめでと!!」
「早く買いましょ」
「たっか」
「すご…」
残り最後の一品を無事確保。
ご満悦な穂花の、楽しい以外にない素敵な休日は、まだ始まったばかりである。
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それから時間が経って、夕方。
ショッピングモールからの帰り道、楽しい気分を色濃く残したまま、るんるん気分で歩いていた穂花。そんな女子中学生の前に、ある異物が現れる。
住宅街に相応しくない、それ。
視界に入れた途端、驚きから硬直してしまうのは、まあ無理もない。
「えっ、えぇ…?」
恐る恐る、視線を送る───それの正体は。
【ハット…】
黒いシルクハットに、蜘蛛の足を生やした……というか三白眼とギザギザの歯がついているという、欠片も意味のわからない造形の帽子。
家の隣、宵戸家の門扉の前でウロウロしている珍生物に視線は釘付けとなる。
だってなんか喋ってる。
いや、鳴いてる。
不気味な見た目だが……僅かに感じる愛嬌に、あるべき警戒心は湧いてこず。
思わず凝視していると、視線に気付いた帽子が、穂花を視認する。
【! ハットス!!】
「うっ、うわぁ!?こっち来ないで!?」
【─!?】
見知った顔に飛びつこうとするも、すぐに拒絶され。
あまりの衝撃にショックを受ける可哀想な帽子頭───ハット・アクゥームとの出会いで。
穂花の頭は、また頭痛を訴えた。
一方その頃。
「ここどこー!?」
「夢の世界、無駄に広いわねっ…」
「ほーのーか、ちゃーんっ!!この世界にいるのーっ!?いないのーっ!?」
二つの光が、未だ夢の世界に囚われた仲間を起こしに、夢の世界を転々としていた。
先は、まだ長い。