Side:歪夢 -悪夢に溺れて-
───私の悪夢は、███の形をしている。
勉強、勉強、勉強、勉強……勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強……
それが私の今まで。それ以外を許されなかった幼年期。
知恵なき者に意味はなし。知識なき者に価値はなし。
貪欲に叡智を貪り、どこまでも真面目で正しい、清純な学徒であれ。
学歴信仰、偏食家地味た学力への傾倒と押し付け。
私を産んだ両親はそんな人だった。勉強に熱意を注いでそれ以外は疎かにする愚か者。口だけは達者で、すべてを娘に押しつけるゴミ。
自分ができなかったことを、見れなかった高みを……
私というお人形を通して成し遂げる、見る、己の理想を追求する人たち。
不愉快で、不気味な、気持ちの悪い大人たちだった。
運悪く私の頭がよかったから。飲み込みが早い、天才と持て囃される下地のある子供だったから。欲に目が眩んだ両親は、執拗に私を追い詰める形で勉学を強いた。
解答がわからなければ水桶に顔を沈められ。
テストで満点以外を取れば暴力を振るわれ。
周囲の評価にさえも気をして、少しでも悪くなれば全部私のせいにする。
ご飯を抜かれたこともある。ベランダの見えない位置で拘束されて、冬空の下反省させられたこともある。なにも悪くないのに悪者扱いされて、死にかけたこともある。
外面だけはいい人たちだったから、助けは呼べなくて。
呼んでも信じてくれなくて、迷惑をかけた罰だと身体を痛めつけられる。
そんな日々が幼稚園に入る前から毎日続いていた。
「……しにたい」
何処で買ったのか、鞭なんて使って痛めつけられた日。深夜なのに出かけて行った親の目がないのをいいことに、私は久しぶりに涙を流した。
生理的欲求さえも禁じられて、管理されていたから。
我慢できずに泣いてしまえば、堰を切ったように溢れて止まらなくなる。
止めなきゃ怒られるのに。もっと辛い目に遭うのに。
……もう、なにもかもがどうでもよくなって、このまま死んでもいいかな、なんて思った。
学校の同級生は、誰も彼もが遊びに夢中で、私みたいに勉強だけを強いられている子はいなかった。いても私より生温くて、怪我もない、外面だけを整えたお人形とは違ういい子ばかりだった。
住む世界が違う。すぐにわかって、見るのをやめた。
気にしてしまえば、きっと私は戻れなくなる。またあの意味のない折檻を浴びてしまう。
なのに、意識しないようにしているのに、あの賑やかな光景が脳に焼き付いて離れない。
……いいな。いいなぁ。私と彼ら、なにが違うんだろ。
なんでこんなに私は苦しんでるのに。なんで?なんで?わからない。わかりたくない。わかるわけがない。だって私は知らないから。
これ以外の生き方を、知らないから。
諦めれば、なにも言われない。言われたことに集中して生きていれば、なにも。
私は、お父さんとお母さんの人形なのだから。
───こんばんは。吾輩はマッドハッター。遅くなったが君を迎えに来た。
そんな無知な私にやさしい手を差し伸べてくれたのが、帽子屋さんだった。
「これ……いいの?」
あの箱庭から連れ出されてから、帽子屋さんはたくさん自由をくれた。初めて勉強しない時間ができた。寝る時も英語のリスニングを聞かされて育った私に、ゲームとかのBGMを聴いて寝るなんて、新鮮で、おもしろくって。
漫画も読んだ。娯楽小説も読んだ。アニメも見た。
お菓子も食べれた。ケーキも、スナックも、なんでも。今まで味わえなかった全てを楽しむことができた。
おいしい。楽しい。わくわく。ドキドキ。きらきら。
知らなかった、わからなかった色々を、帽子屋さん達は教えてくれた。
「気にすることはない。好きなだけ楽しむといい」
帽子屋さんは色々なことを教えてくれた。私の頭脳には目も向けないで、ただ好きなことをさせて……いや、私が好きなことを見つけられるようにしてくれた。
初めてだった。だれかにやさしくされたのは。
胸がポカポカ、おかしくて。自分が自分じゃなくなったみたいな気分になった。
帽子屋さんが私を攫った理由は、正直よくわからない。悪夢を操る力があるだとか、適性があるからだとか、私の知らない専門用語で捲し立てて煙に巻かれる。
本当にそれだけなら、あの目の色はなんなのだろう。
私は知らない。あの目の意味を。なんだか暖かく感じたあの色を。知的好奇心に従って聴いても、はぐらかされて袖にされるのみ。
……お母さん、って呼んだら、ダメなのかな。
「魔法少女……」
お城の一室でパソコンと睨めっこ。そこで初めて見る、魔法少女と悪夢の戦い。今、私が身を寄せている組織との最後の戦い。教育に悪いからと見せてもらえなかったその映像は、狭い箱庭しか知らない私の心を刺激する。
知らなかった。こんなことが起きていたなんて。
当時は危ないからと地下室に閉じ込められて、勉強しかやらせてもらえなかったから。
なにも、なにも───あ、違う。一つだけ覚えている。そうだ、私は、一度。
───塾帰りかな。早く帰るといい。ここは危ないから、すぐに……あぁ、いや。ちょっと話そうか。どうせ今日も僕たちが勝つんだ。少しの寄り道は許されるだろう?
───さて、お姉さんとお話しようか、囚われの君。
───僕は魔法少女。お困り事をなんとかするのが、仕事だからね。
スカートとマントを翻した、魔法少女を名乗った人と、会ったことがある。あの時、確か近くで騒ぎがあって……近場にいたのを理由に、閉じ込められた、その始まり。
そうだ、私は会ったことがあったんだ。
なんで、忘れていたんだろう。拙い自分語りを聴いて、おまじないをかけるだけかけて去っていったあの人。
わからない。私はなにも知らない。
その魔法少女と出会った日を境に、ご飯抜きとか暴力を振るわれることがなかった、不思議なことも。干渉だってそこまでなくて、だいぶ静かだったことも。
お姉さんのおまじない?のお陰なのか、なんなのか。
……結局そのおまじないは切れちゃったけど、こうして帽子屋さんに拾われて、今がある。
───おいで!
───おいで。
……ん、似てる。なんでだろ。服装、いや帽子屋さんはいつもズボンだけど……
一度そう思ってからは、あの人のことを目で追いかけるようになった。なにも知らないから、知りたくなって……迷惑にならない程度に、あの帽子頭の背を追った。
転移魔法で何処かに消えるまで。最高幹部と幹部補佐、女王以外に立ち入ることが許されない扉の向こう側にまで消えるまで。
「なにをしている?」
「探偵ごっこしてる」
「……?」
まるで人間のように首を傾げるその動きをおかしく思いながらも、やはり既視感は増すばかりで。
わざわざ口に出すことは……嫌な予感がして、やめた。
関係が壊れるのも、ここで捨てられるのも、死ぬのも、怖くて、いやだったから。
娯楽を知ってから、魔法少女のことをいっぱい調べた。あの日、私に話しかけてくれた人を中心に……情報収集や学習の為と嘯いて確認した。
蒼月と呼ばれるあの人は、魔法が好きなのだと知った。
たくさんの魔法を使えること。たくさんの悪夢を晴らし世界を救ったこと。
───魔法少女として、女王様と戦って、死んだこと。
「ねぇねぇ」
「なにかね」
「死ぬってどんな気分?」
「さぁ?」
結局教えてくれなかったけど、多分、そういうこと……なんだと思う。
勝手な憶測、身勝手な妄想。
こうだったらいいな、なんて域のお話だけど。それでも私はいいんだと、心から言える。
「はふ……んんっ、帽子屋さん…私、頑張るね」
新たな生活で見つけた、人生の醍醐味。それは睡眠欲。他の何よりも尊ぶべき私の在るべき姿。魔法の代償だとか知らないけど、それが無くても私はこうなっていた筈だ。
心地よい夢の世界。幸せな悪夢に、私は微睡む。
怪人細胞を埋め込まれたことで生えた猫耳をぴこぴこ、猫の尻尾をゆらゆら揺らして、帽子屋さんの膝の上を占領する。
寝過ぎてるから怒られちゃうけど、そういう怒られ方はなんだか新鮮で、全然嫌じゃなかった。だから、許されている間は、まだ微睡むことにする。
帽子屋さんはやさしいから……私が寝てる時、油断して頭を撫でてくれるのを知っている。
期待されていることも。
信じられていることも。
同情されていることも。
色々な気持ちを大事に想って、私は、私の為に悪の道を駆け抜けることに決めた。
多分、帽子屋さんに会わなかったら、こんなことをする未来はなかったんだろうけど。
選んでもらったことを、後悔されちゃわないように。
私は魔法少女の敵になる───恩を返す、その為に。
「はふ……幸せな夢も、楽しい夢も、希望に満ちた夢も。ぜーんぶぜんぶ、悪夢に歪んで終わっちゃえ。
───《夢放閉心》、おいで、アクゥーム……」
私はチェルシー。三銃士が一人、“歪夢”のチェルシー。
この世界を悪夢に閉ざす、三度の飯より寝るのが好きな中学生。
私、頑張るから。見ててね───蒼月の王子様。
要約:
チェルシー「あなた魔法少女?魔法少女だよね?違うの?そっ、か……違くてもいいから、あなたの為に頑張るね。だから、私のこと、捨てないでね」
幸せな悪夢を良しとして、壊れた少女は夢に誘う。