実例④ 佐桑葉重介の場合
「お兄さんかいな、十万円で個人情報何でも売ってくれるっちゅうのは」
「その通りです。十万円で一人分です」
「お兄さん、今後通わせて貰うんで、今回だけ色つけてくれんか」
「いいえ。できません」
僕は努めて笑顔を浮かべていた。対して、目の前のスーツ集団は険しい顔をしている。佐桑葉重介と名乗った目の前の男と、両脇に控える男二名、後ろで立っている男三名。スーツこそ若干色や模様の差異があるものの、共通して小さなバッジをつけている。三枚の桑の葉が重なったマークが刻まれたバッジ――佐桑葉組のエンブレムである。
「お兄さん、ポイントカードとか無いんか」
「ありません」
「割引は」
「ありません」
「んー、さよか」
「ええ」
暫しの沈黙。
考えたって無駄だよ、と僕は思った。
* * *
佐桑葉組組長を名乗る男性から電話が掛かってきたのは、先週の木曜日。やや嗄れた声だったが、口調は穏やかながらも毅然としていて、嫌が応にも背筋を正さずにいられない。
『貴方は、「Info inc.」の社長さんかね』
「はい。正確には、僕一人の自営業です」
『おお、さいでっか。ならば、他の人に聞かれる心配はありまへんな』
少々咳き込む男性。
『失礼致した。私は佐桑葉組組長・佐桑葉不知火と申します。貴方に忠告をと思いまして』
「忠告? はい、何でしょうか」
さくわば・しらぬい。この辺りでその名を知らない者はいない。暴対法成立前から「いつか極道が迫害される時が来る」と見越し、シノギを的屋一本にして平和路線へいち早く舵を切った男。法施行後急速に勢力を衰退させていった他の組と違い、唯一往時よりも勢力を増している佐桑葉組は、『嵐の前の静けさでは?』と警戒されている。
『社長さん、悪いことは言わへん。来週は、何処か旅行でも行くと宜しい』
「どうしてでしょうか?」
『倅が、来週そちらに行こうとしとるようです。どの日に行くかは分かりまへんが』
「ご子息が、ですか?」
『はい』
「個人情報を買いに、ですか」
『そうです』
「それなら、留守にする訳には……」
『社長さん。この辺りに住んでるんなら、倅のことはご存じでしょう』
佐桑葉組組長の一人息子、佐桑葉重介。読みは「さくわば・じゅうすけ」。良い噂は聞かない。隣の学校に殴り込んで数人病院に送り込んだとか、小学生女子をバイクで何度も轢いたとか、コンビニ店員の普通の接客に逆上し貴族として扱うよう土下座させた上で靴底を舐めさせたとか。凶悪の極みである。
「お名前は、存じ上げております」
それだけ答えると、不知火氏は溜息をついた。
『倅は暴力を擬人化したような存在です。私が甘やかしすぎたんやと思とります。母のいないあの子が寂しい思いをせんようにと……あんな存在にしてもうた以上、被害者を増やすわけにはいかへんのです。どうか社長さん、何処かにお逃げなさい』
「ご忠告ありがとうございます」
『……そろそろ倅が戻る。失礼します』
それで電話は終わってしまった。
とはいえ、そんな『暴力の擬人化』が来ると分かってて留守にすることはできない。本心では話したくも会いたくもないが、僕のいない事務所に佐桑葉重介が来れば、何をするかも想像がつく。
「床下丸ごとタダで持ってかれたらコトだよ、全く」
僕は不知火氏よりも深く、深く溜息をついた。
* * *
「お兄さん、社員は」
「いません。僕一人です」
「雇う気はあらへんか。こういう商売や、怖い奴も来るやろうて」
「お申し出は嬉しいですが、商品が商品なので、関わる人は少ない方が都合が良いのです」
「そうか。まあ欲しくなったら言うてや」
「ご提案ありがとうございます」
重介氏が息継ぎをしたタイミングで、彼の右に控える男が身を少し乗り出した。
「社長さん、こんなことは言いたくないが、私らがどういう集まりか、知っててそんなこと言うんか」
「どういう集まり、と言いますと?」
「……そりゃ、多少手広い自由業というか」
「そうなんですか。業務が多そうで、大変でしょう」
「あー……そうだな、いや、へへ、社長さんもお一人で大変やね」
互いに作り笑いを浮かべる。
あくまでも僕からは言わない。彼らが言うように仕向ける。勿論、彼らもそこは分かっていて、だから僕が言うように圧を掛けているのだ。暴対法施行以降、組員は組の名前を出した瞬間に脅迫罪が成立する。
そんな睨み合いが三十分程続いただろうか。
「お前ら、外見張っといてくれんか」
重介氏が、他の五人に扉の外を示した。
「若」
「この人は一人で話しとる。なら俺も一人で話すんが筋ってもんや。お前ら、外行け」
「ですが」
「ゴタゴタ言うな、徒党組んで堅気一人脅して恥ずかしないんか!」
重介氏の一喝に、五人はすごすごと退散する。
階段を降りきったか、足音がしなくなったところで重介氏は静かに立ち上がり、そっと窓に近づき下を見やった。
「よし、おるな」
五人はビルの外にいるのだろう。重介氏は再度僕の前に座り直すと、突如テーブルに両手を付いて頭を下げた。
「兄さん……いや、往谷さん。大変申し訳ありまへんでした」
『暴力の擬人化』が謝罪をしている。僕は内心驚きながらも、緊張を崩さずに返事をした。
「何のことでしょう」
「あいつらは親父の手先です。私が個人情報を買いに行くと知って、親父に付けられたんです。往谷さんが個人情報を持っていることは佐桑葉のもんも知ってます。それであいつら、上手いこと傘下に収められたらええなってあんな態度に」
再度頭を下げる重介氏。
「あいつらの前で弱気見せるわけにはいかへんのです。親父に何言うか分かったもんじゃありまへん。だからあいつらを追い出す口実ができるまで偉そうにしとったんです。ほんまにすんまへんでした」
なるほど、重介氏の状況を垣間見た。そして僕が持ち合わせている不知火氏の情報と合わせて考えると……、これは慎重にやり取りしよう。
重介氏はまだ頭を下げている。
「取り敢えず何か飲みましょう。淹れてきますよ。依頼もまだ聞けていませんから」
静かに体を起こした重介氏は、玄米茶があると嬉しい、と小声で言いつつ微笑んだ。
重介氏の依頼は、内容だけ見ればシンプルである。名も知らぬ母を捜したいというのだ。
佐桑葉組がその稼業を的屋にシフトした後に生まれた重介氏だが、物心ついた時には既に母親がいなかった。どうやら出先にいた女性だったらしいことは組員から教わった。幾ら的屋という暴力・犯罪に依らないシノギを行っているとしてもヤクザはヤクザ。愛した女の人生を狂わせぬよう、子供が産まれるとすぐに不知火氏は引き取ったという。
愛の結晶たる子供を取るなと女性は抵抗したそうだが、不知火氏は涙を呑んで女性を叱り飛ばした。
「馬鹿アマ! 何処の誰のとも分かんねえガキを抱えた女が、堅気の世界に受け入れられると思うのか!」
当時、女性の社会進出する機会など今より少ない時代。しかも田舎。行政の福祉サービスも不十分。未婚の女性が婚前交渉した挙げ句男に逃げられたと知られれば、一体どんな目で見られ、どんな目に遭うか。なおかつその男がヤクザ風情だと判明したら、それこそ社会的に終わる。
不知火氏は女性と別れ、子供に重介と名付けて養育した。今や立派な大人、そろそろ重介氏に組を引き継ごうと不知火氏は考えているらしい。
「往谷さん、どう思います」
「うぅん、そうですね……」
「正直に言うて下さい。私はこの話聞いて、おかしいと思うとります」
重介氏自らそう言うなら、僕も言わせてもらおう。
「子供が産まれてからお母様の立場を気遣っているのが、何とも不自然に感じます。そもそもそう思うなら避妊をすれば良かっただけです。暴対法のボの字も無い時代に現在の稼業に切り替えた不知火氏の先見と、イメージが一致しません」
「私もそう思います。跡継ぎが欲しかっただけのように思えるんです」
暫しの沈黙。重介氏は玄米茶を啜った。僕も静かに一口玄米茶を飲む。湯飲みを茶托に戻したその手で、重介氏はジャケットの内ポケットを探り出し、そして何かを取り出した。
「今日私は百万持ってきました」
現生、帯封付き。テーブルにそっと置かれたそれは皺一つ無い。
個人情報十人分――一体、誰の分を買う気なのか。僕は何も言わず重介氏の出方を待った。
「往谷さん、父・佐桑葉不知火の個人情報を売ったって下さい」
続きを待つが、重介氏はそれきり僕を真剣に見つめるだけだ。
「……お父様のだけですか?」
「はい」
「お一人分だけ?」
「はい」
「それでしたら、十万円です」
僕はあくまでも事実を述べた。重介氏が『暴力の擬人化』とはほど遠い印象であったとはいえ、暴力団の一員であることには変わりない。余計な金を貰うのだけは避けなければならない。
しかし重介氏は何を思ったか、黙って百万円を僕の方にスライドさせただけだった。
「佐桑葉さん、十万円です。それ以上は受け取りません。置いていくようなら九十万円は忘れ物として警察に届けます」
「いや、すんまへん。買いたいのは一人分ですが、オプションを頼みたいんです」
ほらほらほら、嫌な展開になってきた。僕はできる限り平静を装い、気を引き締めた。
「オプションはありません。一人十万円です」
「聞くだけ聞いたって下さい。頼みたいんは、『佐桑葉不知火の個人情報だと分からなくすること』です」
「どういう意味でしょうか」
「私がこのまま個人情報を買って持ち帰るとしましょう。間違いなく親父やあいつらに聞かれます。場合によっちゃ『見せろ』と言われます。その時に、親父のやとバレないようにして欲しいんです」
そういうことか。僕は奥歯を少し噛み締めた。
誓約書には「提供された個人情報について、一切外部に漏らしません」という項目がある。この「外部」とは、提供を受けた本人以外の全てを指している。だから提供された個人情報を家族や友達に見せた場合、同じく誓約書に書かれている「本誓約書内の同意事項に違反した場合、それに伴う不利益を受け入れます」が発動する。要は個人情報を買ったと知った相手との間で痴話喧嘩が起きようが殺人が起きようが僕は知りません、勝手にやり合って下さいという内容だ。
だが、それを知った相手まで誓約書の効果が及ぶところではない。「個人情報の提供を受けたことによる一切の肉体的・精神的被害について、『Info inc.』及び往谷光に責任を問いません」の文言は通じない。相手が「何売ってんだ!」と殴り込んできた場合、対抗手段が無いのだ。
だからこその「提供された個人情報について、一切外部に漏らしません」=僕に火の粉が降りかからないように黙っておいてというわけだが、これがヤクザだと話が別だ。どんな難癖を付けてでも見ようとしてくるだろう。そして襲ってくる可能性が高い。
どうする。既に重介氏が個人情報を買いに来ていることは不知火氏も知っている。一番良いのは「買ってないテイにすること」だが、重介氏が何処まで隠し通せるか分からない。それに、僕が持っている不知火氏の情報から考えると、もうそこに来ていてもおかしくない。
ドカドカドカと階段を上がる音が大きくなってくる。重介氏は一転、鋭い目つきになり入り口の扉を見やった。
ガチャッ、と大きめの音を立てて扉が開く。
「社長さん、だから言うたのに……」
不知火氏だ。
「倅にエラい難癖つけられて苦労かけますな。今日の所は引き上げますわ。重介、何をしとんか。社長さん困らせたらあかんで」
「親父……」
重介氏は動かない。そりゃそうだ。『倅にエラい難癖つけられて』、つまり今までの会話を全部聞かれていたのだ。不知火氏の情報を買おうとしていて、しかもそれを隠そうとしていたことまでも。
これが怖かったから、僕はオプションの依頼に対し碌な返事をしなかったのだ。
「社長さんが迷惑しとるやろ。とっとと立たんかい。嫌言うても連れてくで」
そう言い終わると同時に、例の五人が上がってきた。きちんと靴を脱いでいる辺り、「堅気には一切迷惑掛けませんよ、だから通報しないでね」という言外の圧力を感じた。僕は敢えて何も言わず、困惑しているかのような演技に徹した。
「往谷さん」
五人に固められた重介氏が呼んでくるが、助けられるはずもない。だが、そんなことは重介氏も分かっている。
「往谷さん。すんまへんでした」
それが重介氏の声を聞いた最後だった。
「騒々しいやっちゃな」
不知火氏はそれだけ呟くと、僕に向き直って深く頭を下げた。
「ほんま、申し訳ありまへん」
僕は何も言わず、動かなかった。ややあって不知火氏は顔を上げると、置き去りになっている百万円の中から二十万円を抜き取り、僕の目の前に広げた。
「社長さん。佐桑葉不知火と佐桑葉重介のを貰てええかな」
そしてニヤリと笑う不知火氏。
やはりか。やはりそう来たか。
「お二人分、二十万円です」
「はい。確認したって下さい。ああ、偽札じゃないか見た方がええですよ」
二十万円は全て本物だった。
不知火氏の前で床下収納を開け、クリアファイルを取り出す。すぐに収納を閉めたが、不知火氏はリラックスしたように動かなかった。
誓約書の内容をじっくりと確認し、不知火氏は微笑んで署名した。控えを受け取ると、
「追加は郵便でも電話でもええですからね」
と言い置いて立ち去っていった。
僕が把握していた二人の情報について、皆様が佐桑葉組に狙われないレベル、つまり知ったところで佐桑葉組にとっては痛くも痒くもない話を伝えておく。
まず重介氏の母親は死んでいる。佐桑葉組の敵対勢力・快運屋に襲撃されたのだ。
重介氏が不自然に思っていた通り、不知火氏は跡継ぎが儲けられればよいと考えていたようだ。というのも、的屋にシフトしたのは全国の祭事を巡る過程で女性を引っ掛けるためであり、それが結果的に平和路線になっているだけだから。
ぶっちゃけ女に困らない環境ならシノギが麻薬だろうが売春だろうが何でも良かったと思われる。しかしそれを、かねてから警戒していた『極道の取り締まり』に併せて上手く理由の筋道を立てたのである。
だから、ちょいワルに憧れてすぐ股を開くような行きずりの田舎娘が死のうが落ちぶれようがどうでもいいというものである。
次に、不知火氏は現在佐桑葉組の組長だが、組長よりも権力の強い立場がある。会長だ。不知火氏は一組長から会長にグレードアップを図り、なおかつ組長の座を息子に譲ることで周囲に佐桑葉組の強さを誇示するつもりなのだ。
暴対法で他の組がどんどん衰弱し、他ならぬ快運屋もシノギを違法な貸金業にしていたものだから萎びつつある中、勢力を広げている佐桑葉組。その組長が会長になり、しかも後釜が他ならぬ息子。とんでもない存在感だろう。
最後に重介氏の悪評だが、これは嘘である可能性が濃厚だ。繰り返しになるが重介氏を養育した目的は『跡継ぎ』でしかないので、仮に重介氏が堅気になってしまうと計画が瓦解する。だから、恐らくは不知火氏とその腰巾着達が吹聴して回ったのだ。これは、重介氏の個人情報に事件や前歴・前科が無く警察にもマークされていないことと、被害者とされる『隣の学校の生徒複数人』『小学生女子』『コンビニ店員』の個人情報にそんな話は一切無いことから薄々分かっていた(尤も噂話は聞いているので、一応警戒していたが)。
つまるところ、不知火氏の立ち回りが上手いのである。そして不知火氏は『自分と息子の、今後も追加されるであろう個人情報』、即ち『自分への敵対・友好なる者』『息子の行動』を掌握する算段も整えた。
哀れなり、重介氏。恐らくは……死ぬまで自由になれない。