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Info inc.  作者: 丹生庵蜻二
3/6

実例② 比企枝真綾の場合

『好きな人がいるんです!』

 ウェブサイトを見て電話したというその女性は、開口一番そう放ってきた。ああ、またこういう手合いか、と思った。

『その人の個人情報を下さい!』

「ちょっと、すみません、話を遮るようで申し訳ないんですが」

『お金は出します!』

「お客様、今何処から電話してるんですか? 周りに聞こえますよ」

 沈黙。

 十数秒程度経って、女性は話し始めた。

『今、大学です……』

 随分と小声になっていた。呆れる。


 日曜日にやって来たその女性は、比企枝真綾と名乗った。「ひきえだ・まあや」と読む。アルバイトが休みなのでゆっくり話せる、と彼女は言った。

「めっちゃ美味しいですね、このお茶」

 冷えたジャスミンティーにレモンを絞って飲むのが好きだというのでその通りに出したところ、スマートフォンで撮影してから飲み始めた。半分程飲んだところでようやく息をついたようだ。

「てか往谷さん、凄くいい人そうですねえ、誰かお付き合いしてる人とかいるんですか?」

「いないって言ったらどうしますか?」

「えー! じゃ私と付き合います? なんちゃって!」

 ケラケラと笑う比企枝氏。朗らかで結構であるが、話が進まないので促すことにする。

「比企枝さん、貴方そもそも好きな人いるんでしょう? 僕なんかに構ってる暇無いでしょうに」

「んー、まあね……」

 比企枝氏の依頼は至極単純、ほぼ電話で話されたそれである。つまり『告白の成功度を上げる為、相手の個人情報が欲しい』というもの。

「その方のお名前は?」

「真壁淳」

「『まかべ・じゅん』さんですね。では誓約書をお持ちしますので……」

 そう言って腰を上げたところで、彼女が急に両手を激しく振り出した。

「あ、あ、待って! 待って下さい~!」

 顔が赤い。これは長くなるぞ、と僕は内心苦笑した。

 こういうことを言ってくるのは、『一人分』は持ってきていて、でも欲しい個人情報が『二人分以上』ある人だ。

 果たして、比企枝氏が続けた言葉はこれだった。

「リン君もカッコイイし、ユーちゃんも可愛いし……でもキングもギャップ萌えだし……あーん、選べないよー!」

 リン君、ユーちゃん、キング? しかも真壁淳って、ああ、そうか。察しがついた。

「比企枝さん、僕の個人的興味でしかないんですが、貴方が個人情報を求めている方って『Your ADAMs』の皆様ですか?」

 彼女は耳まで赤くしながらも、僕の言葉に目を丸くした。

「えー! 往谷さん、アイドル分かるの!」

「詳しくはありませんが、テレビくらいは多少見ますので」

「ヤバーい!」

 比企枝氏の反応がヤバい。

 『Your ADAMs』。読みは「ユア・アダムズ」で、男性四人組アイドル。グループ名の由来は「ファンにとっての『夫』」という、彼らが今後結婚など発表した日には間違いなくファンがアンチファンに寝返ってしまいそうなものである。

 メンバーは、所謂俺様キャラ故に『キング』と呼ばれている春日井奏芽かすがい・かなめ、涼やかな一重瞼が印象的な『リン君』こと鈴井凛太郎すずい・りんたろう、メンバー最年少で五人兄弟の末っ子でもある『ユーちゃん』こと和久前優わくまえ・ゆう、そして比企枝氏が発言した真壁淳。

 真壁淳は『正統派イケメン』とか『アイドルになるために生まれてきた男』などと言われる程に容姿も言動も紳士的との評判で、ファンからの呼称は『ジェントル』。奇しくも下の名前が「じゅん」なので、もじって『ジュントル』と呼ぶ者もいると聞く。

 そしてこのアイドル、半年前に全国ネット番組に初出演したのを皮切りに、ぞくぞくと様々な公演が決まったらしい。テレビどころかインターネットでもラジオでも新聞でも、どのメディアにもほぼ確実に彼らにまつわる話が載っているという、飛ぶ鳥を落とす勢いなのだ。

 さて、比企枝氏はそんな彼らの個人情報が欲しいと言う。

「往谷さん、あの……割引とかって……」

「気持ちはとても分かりますが、一切承れません」

「ですよね……」

 目を潤ませている。

「でも、言うだけ言わせて下さーい」

「どうぞ」

「四人分となると四十万円ですよね? バイト生には高過ぎます……でも誰かを選ぶなんて無理ぃ~! 私のアダムぅ~!」

 テーブルに伏せて頭を左右にグリグリと振っている。

「恋多きイヴを許してえー!」

 駄目だこりゃ。暫く放っておこう。

「幾らでもお悩み下さい。貴方のお時間が許す限り」

「むーん、そうします~」

 伏せたまま返事をした比企枝氏は、ブツブツ呟きだした。メンバーそれぞれへの想いでも整理しているんだろう。

 僕は一旦席を外し、自分の分のジャスミンティーを持って窓際に向かった。事務所の扉に相対するように大きく造られた窓からは、柔らかくも鮮やかな日光が差し込む。

『アイドルねえ……』

 僕はちらりと比企枝氏を見た。時々頭をまたグリグリしている。

『夢を与える職とはいえ、個人情報を欲しがる狂ったファンまで相手にしなきゃいけないなんて、可哀想に』

 そう、比企枝氏のやろうとしていることは、常識的に考えて相当恐ろしい。

 アイドルの個人情報なんて知ったが最後、ファンは家の前で出待ちしたり贈り物を郵送したりと、アピールを始めるのだろう。ファンレターも大量に送るのだろう。僕の扱う個人情報は『その人の個人情報たり得るもの全て』だから、当然メールアドレスやSNSのIDも入る。現実でもインターネットでもつきまとうことが可能になるのだ。

 もし、ここまでした人間が、アイドルから拒否されたら――。

『帰ってくれないかなあ』

 僕は心底そう思った。

 誓約書にあるのは、個人情報を外部に流出しないこと、一人分につき十万円支払うこと、起きた結果について何も互いに責任を持たないこと、僕がその使い道についてとやかく言えないということ。

 狂った人間が、果たしてそれに律儀に従うだろうか?

『どうやって追い返すかな……』


 リリリリリ


 入り口近くの壁に設置してある、ボタン式の白い電話機が鳴った。

「失礼。電話に出させて頂きますよ」

「んー、大丈夫ですー」

 ジャスミンティーをテーブルに戻し、受話機を取る。

「はい、『Info inc.』の往谷です」

 挨拶を言い終わるか終わらないかの内に、

『そこに比企枝真綾が来てませんか』

 落ち着いた女性の声が耳に刺さってきた。

「失礼ですが、お客様は」

『大変失礼致しました。私は「Your ADAMs」のチーフマネージャーを務めております、カルティアコーポレーションの遠藤と申します』

 普段の電話ならここで、「『えんどう』さん、ですね。今日はどうされましたか?」と続ける。

 だが、最初にこの女性は何と言った?

『比企枝真綾の度重なる迷惑行為について、接近禁止命令が出ております。しかし比企枝真綾は性懲りも無く事務所に電話を掛け、「いつか家まで会いに行くから」と宣告していました。御社は個人情報を売ると伺ったため、比企枝真綾が出現している可能性を鑑みて、この度連絡致しました』

「分かりました。しかし()()()、それにはお答えできません。あくまでも私は『個人情報』を売るだけでございます。その他の依頼は承れません。ご了承下さい」

『そこに比企枝真綾が来ていて、「Your ADAMs」のメンバーの個人情報を購入しようとしているのであれば、それを拒否して頂きたいのです』

「お客様、繰り返しますがその他のご依頼は承れません」

『貴方はアイドルの個人情報を何だと思っているのですか? それは違法ではありませんか? それに伴う民事・刑事責任についてどのようにお考えですか?』

「お客様、依頼に関するお電話でないのでしたら切らせて頂きます」

『これはカルティアコーポレーションからの依頼です。比企枝真綾に「Your ADAMs」の個人情報を売らないで下さい』

「何度も申し上げておりますが、貴方の求める『個人情報』を売ること以外のご依頼は承れません。電話を切らせて頂きます」

『ならば掛け直すだけです。分かりました、命令だと言えば聞き入れて下さいますか? 比企枝真綾に個人情報を売るな。如何ですか?』


「往谷さん、替わって」


 僕は受話器を耳から外し、なるべく刺激しないようにゆっくりと振り返った。

 比企枝真綾が立っている。

「往谷さん、ごめんね。ウザい電話でしょ」

「ただの外線です。お客様に出てもらうわけには」

「ううん。出させて。今日、買ってくから。タダで邪魔することはしないから」

 口調は優しいが、僕には拒否できなかった。

 彼女の目は、病んだ女のそれだ。

 黙ったままの僕の手からそっと受話器を取ると、比企枝氏はたった一言、満面の笑みで放った。

「決めたわ、誰のを買うか」

 受話器がそっと戻された。


 気付けば日が傾いている。

「ごめんなさい、往谷さん。結局何時間もいちゃった」

「いいんですよ。正直、居心地よかったでしょう?」

「めっちゃよかったー! 何か、青山のカフェって感じ? お茶も美味しいし、いっそやっちゃえばいいのに」

「ご満足頂けて何よりです。ただ、僕は接客が苦手なので」

「えー、そんなこと無いと思うけどな。てか、本当に十万円だけでいいんですか? めっちゃジャスミンティーおかわりしちゃったけど」

「勿論です。一人分は十万円です」

 比企枝氏は照れるような、はにかむような笑顔を浮かべた。

「ありがとう、往谷さん。誓約書のことは、ちゃんと守るからね」

 右手で僕の手を握ると、上下に弾むように振った。

 左腕には無色透明なビニールのトートバッグを提げている。そこに入っているクリアファイルの表紙には、こう書かれている。

 遠藤麻実、昭和六十三年十二月二十日生、千葉県松戸市大金平二丁目五十五番四号、女性。

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