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隣国の聖女に攻略方法はありません  作者: 藍麗
カキツバタ(幸せはあなたのもの)
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【番外編】ペンタス〜少女の願い

地下の空気はひんやりとしていて、ドレスを纏うのアルメリアには、肌寒く感じさせた。地下へ続く階段を下りると、幾つもの入り口が、口を開けていた。その整然と並ぶ入り口の一つに天音秀事アスレットは、案内してくれる。空の独居房が続きカエサルの独居房の前に立つ。囚人同士話すことはないのかもしれないが、少し寂しい空間だと思う。薄茶色の囚人服を纏うカエサルは、予想していたよりも健康そうに見えた。足枷や手枷も見られない。恐らく、幼い主人格を刺激しないための措置だろう。


「アルメリア・プリムス。お前が‥ヨリと同じ時代を生きた転生者だと言うのか?」


檻の柵の前でしゃがみ込んだカエサルは、疑うような眼差しを向けてきた。


「私は豊城澪香。彼女とは、それほど親しくなかったけれど‥同じ学校に通っていたわ」


「ヨリは、学校に通っていなかったと言っていたが‥?」


カエサルの言葉は、揺さ振りなのか真実なのか。判然としない。けれど、動揺を気取られてはお終いである。


「日本という国では、小学校と中学校は義務教育なの。だから、何らかしらの理由で存在と居場所を特定できない場合を除いて強制的に在籍するわ」


日本の義務教育の制度について詳しい方ではないが、胸を張っていればそう見えるだろう。


「‥‥そうか。ヨリが、時空を超えた可能性があるとアスレット・レグザは言った。間違いないか?」


「ええ、転生者の私は、時空を越えることができるわ。国は、転移者の彼女も時空を越えることはできると結論付けたの」


「‥ヨリを追うな。自由にしてやれ」


「彼女は危険な思想の集団を自分の意思で助けていた。犯罪者として指名手配されても不思議ではないと思うけどっ?」


「ヨリは純粋なだけだ。自分を助けてくれたと盲目的に信じていた。詛呪術師の隠れ家を自分の家だと、喜んでいたんだ」


柵を両手で掴んだカエサルが俯きながら告げた。まるで縋るようなカエサルを見ていれば分かる。突然、指名手配され逃げ惑う最中かもしれない綿貫依莉の身を心から案じているのだろう。


(やっぱり依莉さんにも何か暗い過去があるのね)


「貴方が証明して見せればいいんじゃないかしら?改心する詛呪術師もいるって。そうすれば、即刻処刑ということにはならない筈よ?」


腰に片手を当てて堂々と提案したアルメリアに視線を上げたカエサルは、薄ら笑いを返した。


「‥‥ふっ馬鹿馬鹿しい」


挑発的な表情を浮かべるカエサルが、未だに信じきれてないことを察した。綿貫依莉は、この世界にいないかもしれない。アルメリアの言葉は虚言。そう迷うから踏み出せないのだ。


「そんな手に乗ると本気で思っているのか?」


「なら、私が言ってることは正しいって証明してあげる。看守さん、ベットを運んで頂戴」


「ベットですか?」


振り向いて指示を出したアルメリアに一人の看守が、戸惑い聞き返してきた。


「アメリアっお前まさか‥」


驚いた様子でこちらを見るアスレット事アルフェルトは、時空を越えることを危惧していた。今回は、無茶だと止めるだろう。説得するしかない。


「そうよ。目の前で時空を越えるの。そして、前々世の何かを持って帰ってくるわ。いいことカエサル。目の前で起こる現象に納得できたら、天音くんには、正直に話して欲しいの。貴方も分かっているでしょう?この人は信用するに値する人だって」


人差し指を立ててしっかりとカエサルの目を見て話すアルメリアより、気になることがあるようだ。眉を顰めたカエサルが不可解そうに「アマネ?」と口にした。


「僕です」


「天音秀くんも前世の記憶がある転生者なのよ」


この紹介に天音秀事アスレットは、瞳で頷いた。


「いいことっ?こんなチャンスもう二度とないわよっ?」


腰を曲げて前屈みになって主張するアルメリアに視線を戻したカエサルは、神妙そうな顔をしていた。


「‥‥いいだろう。但し‥もし、出任せだった時は、俺を解放しろ」


カエサルも本気の賭けをするつもりのようだった。しかし、この要求をアルメリアや天音秀事アスレットが、承諾することはできない。許可する権限がないのだ。


「よかろう」


あっさりと答えた声に振り向くとルーカス国王陛下と宰相のシリウス・レイスターが、こちらへ近づいてくるところだった。


「ルーカス国王陛下っ」


国王自らが認める。事の重大さに驚いてしまう。


「聖女は、以前も異世界の品を持って帰って来た。この賭けに乗ることで停滞した調査が進展するなら安いものだ」


こちらには、優しげな眼差しを向けてきたルーカスは、一瞬で表情を変えた。口角は上げたままで獰猛な光を宿した瞳が、カエサルに向けられる。


「但し、俺も優しくないからな。貴様たちの首を何処までも追いかけるぞ?何処まで逃げられるか、見ものだな」


「ベットを運び込みなさい」


「は、はい。宰相閣下っ!」


宰相シリウスの指示に看守達が慌てて駆けて行く。


「アルメリア・プリムス‥」


口調の変化で命令を出す瞬間だと察した。感情のない視線を向けてきたルーカスに、アルメリアは自信を持って答える。


「大丈夫です。私、疲れていて既に眠いので見られていても眠れますっ!」


乙女の恥じらいなどはない。安心してほしい。


「はははは。そーか、そーか。俺の前でイビキはかくなよ?」


「アメリアっ危険だっ分かっているだろうっ?」


「アスレット、思い出して?私が前世で最後に時空を越えた時、よくよく思い返してみればその前兆は確かにあったの。私はまだいけると思うわ。ねぇ?信じてっ」


豊城澪香が息を引き取るのは、冬だ。最後に時空を越えた時、まだ冬ではなかった。今世では練習などは一切しなかった。猶予はあるはずなのだ。


「‥‥」


言葉が出ないのだろう。案じ顔を浮かべたアスレットは無言で頷いた。




直ぐ様、地下牢の通路に簡易ベットは運び込まれて、カエサルの独居房の前に設置された。ドレスのまま眠る経験はない。しかし、ベットで仰向けになり、目を閉じたアルメリアは、深い呼吸を繰り返しながら病院のベットを思い浮かべてみる。


日差しが眩しいと感じる。白く薄い膜が張ったような視界で目を凝らすと、そばに人影を確認した。


(この匂い覚えている。消毒の匂いだ)


窓の外には粉雪が舞っていた。


(まずいわね。呼吸も苦しいし時間がない)


最悪、何かを持っていくことはできないかもしれない。兎に角、周囲に手を伸ばして掴めそうな物を探す。痩せたガリガリの手には、太い点滴の管が見えた。カテーテルに繋がれている皮膚が張ると、針が刺されている違和感を伝えてきた。


(苦しい‥苦しい‥)


「‥お、お母さん‥っ」


「澪香ちゃん?」


直ぐにナースコールに手を伸ばした母の佐代子に視線を向けて気が付いた。誰か隣のベットを使っているようだ。その視線に気が付いた母の佐代子が「ああ」と返事をした。


「昨日、緊急で入って来た患者さんよ。大橋依莉ちゃんを覚えている?ほら、小学生の時一緒だった依莉ちゃんよ。中学に上がる頃に転校して‥」


「さっきまで親戚の方が見えていたのよ。ご両親が離婚して綿貫になったんですって」


(え?‥転校?)


『モブ姫っ!』


不意に嘲笑う声と歪んだ笑顔を思い出した豊城澪香は、ハッと息を呑む。


「‥火事だって‥彼女だけが助かったみたい」


(やめてよっ死ぬ間際に最悪の再会だわっ隣のベットだけは嫌っ!)


「お、母さん‥ベットを‥」


「そうそう、大安堂のカステラを買って来たのよ?澪香ちゃん好きだものね。大きいのにしたわよ」


そう言いながら背を向けた母は、床頭台しょうとうだいの上に置かれた白い箱を見せてくれる。ケーキ箱のような白い箱に特徴はない。しかし、それが和菓子屋、大安堂の箱なのだ。大安吉日という意味らしい。


(もっと早く戻ってくればよかったっ!食べたいよぉ〜)


息も絶え絶えの今の体に食欲なんてない。なのにあの味を味わいたいと思ってしまう。魔性のカステラだ。


「もう、凄い行列で‥あそこはいつも並ぶのよね」


閉じ切れていないコントラクトカーテンに気が付いた佐代子が、床頭台の上に箱を戻して、隣のベット際へと向かって手を伸ばした。そこで何かに気が付いて口を開く。


「あら、ごめんなさい。煩かった?」


「‥んでも‥」


「え?」


「死んでも死にきれないっ!」


(私もよっ!)


こちらのコントラクトカーテンを無理開いたのは、隣のベットで体を起こした人物だった。豊城澪香は、できる限りの力を込めて睨み付けてやった。


「‥モブ‥違う。ごめんなさいっ澪香ちゃん。健斗くんが、澪香ちゃんを好きだって言うからっ私の方が健斗くんを好きなのに‥」


(‥けんとくんって誰ですか?)


全く顔が浮かばない。同じクラスでは、なかったのではないだろうか。


「意地悪してごめんなさい。きっと、天罰が下ったんだね。安心して?健斗くんには、引っ越す前に、告白して振られているの。意地悪な子は嫌いだって」


(‥振られたとかそう言うのどうでもいいよ‥)


「自業自得だよねっ?」


涙を浮かべた彼女は、包帯を全身に巻かれた痛々しい姿だった。動くのも辛い筈である。更に土下座。そのままの体勢でばたりと力尽き倒れた彼女に母佐代子が、悲鳴を上げる。


「きゃあーっ!誰かっ誰か来てくださいっ!」


ナースコールを押しながら声を張り上げる母佐代子の足元で薄目を開けている依莉は、意識が朦朧としているようだった。本気の謝罪を見た気がする。


《貴女の謝罪の言葉に何の価値があるのよっ何様だと思っているのっいつまでも傲慢なんだからっ》


前々世では、大橋依莉の謝罪の言葉は些か違ったものだった。ベットに横たわったままこちらに力のない瞳を向けてか細く「ごめん」それだけだったと思うのだ。何故か謝罪の言葉が変わっている。二度目の転生で変化した流れが影響を与えているのだろうか。過去を思い出すと、様々な感情が甦ってしまう。前々世の豊城澪香は、その様子に憤慨したのだ。息も絶え絶えの状態では、言葉に出して罵ることもできず、辛い時間となった。


(そうだ。前々世では、彼女の謝罪が受け入れられなくって、とても怒っていたんだわ)


豊城澪香事アルメリアは、嫌なことは寝て忘れるタイプなのだ。だから、態々自分から蒸し返すこともしない。あの時、もし‥。時空を越えて戻った時にアスレットに蟠りを吐き出していれば、察しの良い彼は、綿貫依莉と大橋依莉を結び付けていた可能性もある。現実にも何か変化があったのだろうか。


(二回目だからかな。今は静かに受け入れられるわ)


アルメリアとして転生した二度目の人生では、多くの友人を得た。人付き合いの難しさも学習中だ。だが、その経験は確実に自信へと変換されていた。人目を気にして俯いていた小さな女の子はもういない。


(アスレットに愛されていることも大きいのかもしれない)


自分を愛してくれる思いが、辛く悲しい過去を受け入れる勇気をくれる。


「ゆ‥ゆるす‥」


乾いた唇を動かして弱々しい声を発すると依莉は、視線だけを向けてきた。そして、何故かこちらを見て薄ら笑んだのだ。


「綿貫さん、貴女は絶対安静だと言われているのよっ⁉︎まだ、危機的な状況を脱していないんだからっ」


駆け付けた看護師も綿貫依莉が床に倒れている光景を見て驚いたようである。火傷の所為で身体中痛い筈だ。そんな状況で土下座なんて無茶苦茶である。何かが床に落ちていると気が付いた。しかし、豊城澪香は、視線を向けるので精一杯である。その視線に気が付いた佐代子が腰を曲げて、それに手を伸ばした。


「お、母さん‥わ、たし、カステ‥ラを」


「食べたいのね?」


「持ち‥たい」


「持つの?もう何でも良いわ。これは、澪香ちゃんのだから好きにしなさい」


澪香の要求に呆気に取られたように母、佐代子は眉を下げる。いつも想像の斜め上をいく娘なのだろう。この表情がとても懐かしい。


「お、母さん、産んで‥くれて、ありがとう。お母さん‥の、子供で、幸せ‥だった‥よ?」


何とか感謝を伝えたい。途絶え途絶えで弱々しい言葉を発する。


「私は、ずっと女の子が欲しかったの。澪香ちゃんが産まれて来てくれて幸せだったわ」


涙を流しながら、母佐代子がカステラの箱をお腹の上に乗せてくれる。その時、何かが触れた気がした。


(良かった‥)



光が辺りを包んでいるのは、見えていた。眩しい視界の中で懸命にお腹の上を確認する。白い箱に入れられたカステラを崩さないように両手で押さえる。


「わっ」 


「アメリアっ」


光の中心にアルメリアは、横たわっている。片手を伸ばして懸命に声を張るアスレット事アルフェルトは、視界の端に捉えていた。しかし、アルメリアの視線は下がる。


「私のカステラっ!」


「カ、カステラ?」


体の自由が効くと同時に上体を起こしたアルメリアは、ホールケーキの箱と同じカステラの箱を開けてみる。箱の中には、スフレケーキのようにふわふわな黄色い生地が確認できた。


「うわっ一番大きなやつだっ私が大好きな大安堂のカステラっお母さん大好き〜っ」


冥土の土産として文句のない品である。


「‥‥タイアンドウにカステラだと」


意外そうな声を出したのは、カエサルだった。とても意表を突かれたようだ。


「そうよ。大安堂のカステラ。私の好物なの。みんなで食べましょう?」


アルメリアが、箱を抱えてにっこり笑い掛けると、アスレットが横から抱き締めてきた。


「もう、使うなよ?」


「うん。今回が最後みたいよ」


アスレットの腕に手を添えようとして違和感に気が付いた。何かがベットの上を転がり床に落ちた。軽い音が響いて皆の視線が向かう。


「ん?何だこれ?」


リズリーが、拾い上げたのは、使い古されたように見えるロケット鉛筆だった。苺柄だから女の子の物だと分かるが、豊城澪香の物ではない。


「それが何故此処に‥っいや、そういうことなんだろうな‥」


ひとりで驚きひとりで納得した様子のカエサルは、一度下げた視線をロケット鉛筆に定めた。


「何だこれは?」


「子供の文房具です。鉛筆なのですが、芯を取り替えながら使うので、削る必要がないのです」


「ほお〜なかなか面白い発想だな。周りに使われている素材も実に興味深い。一度分解して調べてみるか」


視線で宰相のシリウスに命じたルーカスに歯噛みしたシリウスが叫んだ。


「それを壊すなっ!それはヨリの物だっヨリは、ケントから貰った宝物だと言っていた」


「それ、依莉ちゃんのだったのね。あの時、お母さんが拾って返す前に私にカステラを乗せてくれたから」


「綿貫依莉と会ったのかっ?」


何故と言いだけな表情を向けてくるアスレット事アルフェルトに頷くしかない。アルメリアも先程まで、知り合いだと思わずにいたのだ。皆が驚くのも無理はない。


「ええ、全身大火傷で緊急搬送されたみたいだったけど‥。偶然にもベットが隣だったの」


「火傷‥」


天音秀事アスレットが考え込む。そうなのだ。水晶の中で見た綿貫依莉は、既に火傷を負っていた。


(順番が前後しているのよね)


転移者は様々な時代からやってくる。綿貫依莉も豊城澪香に謝罪をした後に転移者としてやってきただけなのだろう。前世の記憶がない天音秀には、理解が追いつかなくっても不思議ではない。


「順番が入れ替わることはあるわ。でも、綿貫依莉は、過去にも火事を経験している。それが、引っ越す理由になったんのでしょう?」


「誰だ?誰が話している?」


ルーカス達が周囲を気にして確認し合うが、姿が見える筈はない。


「‥リラです」


「リラ?」


アスレット事アルフェルトの言葉にシリウスが眉を顰めた。


「彼女は神様だと名乗りました。今は、アスレットの宝石からこの世界を見ているのだと思います」


アルフェルトの胸に輝くレッドトパーズの中の橙色が混じり星が煌めいたように輝き出す。その星が少し動いているようだった。一目見ればただの宝石ではないことが分かるだろう。


「神になろうとする者がいれば、自らを神だと名乗る者まで現れるとは‥はははははっ案外、神になるのは難しいことではないのかもしれないと思えるな」


身近すぎると錯覚してしまうのは理解できる。


「リラ‥綿貫依莉さんは今、何処にいるの?」


「彼女は何処にもいないわ。満足したからね」


「原理は前世と同じね。伝説の人は、心残りが払拭されれば消えてしまう。彼女も例外ではないということね?」


「私が言えるのは、貴女に関わったから彼女はこの世界に渡ることが許された。稀な人間よ」


アルメリアの推測をリラは否定も肯定もしなかった。神々が定めた不可侵領域なのだろうか。


「私に関わったから?過去に私を虐めたからなの?」


「着想は悪くないわ。‥彼女は、この世界に必要とされた存在なの」


「虐め?」


話を聞いていたアスレット事アルフェルトが、眉を顰めて尋ね返す。一見、不愉快そうなアルフェルトは、案じてくれているのだ。隠すことでもない。アルメリアは小さく頷いた。


「うん。モブ姫と最初にあだ名を付けたのは彼女だったのよ」


「ヨリは後悔していた。軽い悪ふざけのつもりが、同調する子供たちが増えて手に負えなくなってしまったと‥」


柵に掴み掛かり項垂れているカエサルに皆の視線は向かう。


「誰かが言ったそうだ。虐めの主犯はヨリだと。それから彼女の人生は狂い出した。ヨリの母親は、欠陥品としてヨリを扱うようになった。虐めが発覚したことで左遷されたヨリの父親は、ヨリを無視するようになった」


「家が何者かによって放火されてヨリの一家は、逃げるように引っ越した。ヨリの母親は、益々弟ばかりを贔屓するようになり‥ヨリの弟は、後に非行に走ったと‥」


「そうだったの」


豊城澪香の時代では聞いた覚えのない顛末だった。ただ、進級した際に担任になった先生が、熱心に虐め問題を解決してくれたのは覚えている。虐めに関わった生徒たちが家まで謝罪にきて、一件落着として締め括られたのだ。謝罪に参加していない生徒も勿論いた。心からの謝罪ではないと知っている。みんな面白がっていたのだから。親に叱られて怖くなっただけだ。


(あの中で虐めに関わったことを後悔していても傷つけたことを反省した人はいなかったわ。どれだけの人が、自分のした行いだと認めていたのかも分からないし)


虐めに関わった大半が誰かの所為にして逃げる。自分は悪くないと開き直り、強要されたのだと被害者面をするのだ。あの時もそうだった。


「‥叶恵は、嫌だったのよね?」


母親に促された少女は、うんと頷いていた。しかし、操られていた訳じゃない。潔白ということにはならないのだ。自分で考えて行動していたのだから。あの子たちは卑怯なだけだ。

ただの強制終了。だから、豊城澪香の心に残った傷は、蟠りとしていつまでも残ってしまった。


「アルメリア・プリムス。お前の願いはなんだ?」


「戦争のない平和な世界でみんなと穏やかに生きることよ」


何故、囚人のカエサルが、アルメリアの願いを聞くのか不思議だが、答えを渋る必要もない。恥ずかしい願いだと思っていないのだ。


「‥‥大きな願いだ。いいだろう。アスレット・レグザ、お前に全てを打ち明けよう」


その場の皆が目を丸くして息を止めた。それほど驚いたのだ。


「詛呪の解除方法を教えてください。貴方方が何処で何をしていたのか、包み隠さずに話してください。その代わり貴方の身の安全は保証します」


「‥‥理解した」


力なく肩を落としたカエサルは、敗北した人のようにも見えた。


「しかし、その宝石は興味深いな。アルフェルト、俺に預けてみるつもりはないか?」


やはり興味を覚えた様子のルーカスが、ニヤリと笑って尋ねるが、前世の兄だ。アスレット事アルフェルトは、怯むことなく告げた。


「リラは、旅を好みます。様々な場所を見たいようなのです」


「ふむ、成る程‥玉座を離れられない俺には不向きな条件だな」


顎に手を添えて考える素振りをしたルーカスにシリウスが厳しい眼差しを向けて自制を促すと彼は「はははは」と笑って誤魔化す。良くない考えでも巡らせていたのだろうか。力なく放心してしまったようなカエサルに天音秀事アスレットは、一枚の肖像画を差し向けた。柵の間から無言で受け取ったカエサルは、それを静かに見詰めていた。




「トントン拍子で話がまとまったな」


「正直、こんなに上手くいくとは思っていませんでした」


「ええっと。カステラは?」


ルーカスの指示で宰相のシリウスが、調査の一環として押収したカステラの行方が気になる。一口も食べられずに捨てられてしまうのか。箱だけ綺麗に戻ってきても無意味だ。


『‥‥‥‥』


気不味い沈黙を咳払いで散らしたのは、リズリーだった。目を閉じて眉間に皺を寄せたリズリーは、腕を組んだ姿でため息混じりに口を開いた。


「毒味を済ませたら返してくれるんじゃないのか?」


「本当っ?良かったっ一口でいいから食べたかったの」


「大安堂のカステラは美味しいですよね」


「まあ、老舗だからな」


天音秀も與田理人も食べたことがあるのだろう。好きなものを認めてもらえると、とても嬉しい。


「アスレットも絶対気に入るわよっ?」


「‥‥明日は妖精の森に行くんだろう?ミデル・ウェルシナは間に合うのか?」


上の空で何かしらを考えているのは、分かっていたが、真面目な内容である。


「妖精の森で暫く待ってみましょう?彼女のお弟子さんは、賑やかな場所は敬遠しそうな雰囲気でしたから、今回のパレードや晩餐会には、近づいてこなかっただけで、同じ船に乗っていた可能性は大いにあります」


天音秀事アスレットの言う通り、あれだけ賑やかだったのだ。引き篭もりのような弟子が、警戒するのも頷ける。


「姿形を変えられるんだったな。二人組の乗船は珍しくもないし、客室に籠もっていれば目立つこともない」


リズリーの言うことも尤もだ。


「そうだな。‥アルメリア、早朝の食事会には、遅れないように早起きしろよ?」


「うん。頑張る」


とても疲れている。正直不安だ。しかし、女性の身支度には時間がかかるのだ。ギリギリに布団から飛び出して五分で部屋を出るようなことはできない。


「はぁ〜、起こしに行くからな」


「ありがとうっ助かるわ」


全てを察してくれているようなアスレット事アルフェルトの言葉に心からホッとする。朝に強いアスレットなら必ず余裕を持って起こしてくれると信じられる。自然と足取りも軽くなる。




カエサルは、冷たい床に座り込んでぼんやり過去の出来事を思い返していた。ワタヌキヨリは、自分のことを多く語ろうとはしない少女だった。

ただ、幸せそうな家族を見る度に羨むような眼差しを向け、ひとり悲しげに俯く少女だったのだ。その寂しげな横顔が今でも忘れられない。


そんな彼女が口していた後悔。


「虐めなんてしなければよかったってずっと後悔していたの。谷口健斗くんとは、幼稚園からずっと一緒で仲が良かったの。だから、取られるのが悔しくって淋しくって‥馬鹿なことしたわ」


「虐めをするつもりなんてなかったのだろう?」


優しく明るいヨリが、進んで虐めをするようには思えない。


「いくら言っても取り返しはつかないよ。彼女を困らせようとした悪意は本物だもの。あの子の驚いた顔が忘れられない。最初は、いい気味って思ってた。本当、最悪だった」


ヨリの話では、あだ名を付け揶揄ったあとからその少女は、同級生たちの標的となり、次第に露骨な嫌がらせを受けるようになったと言う。ヨリが指示を出す訳ではなかった。けれど、進級の際、学級を受け持った教師は、ヨリを虐めの主犯として呼び出し、叱ったのだと言う。カエサルには、理不尽だと思えてならない。


「この世界では、誰かに愛してもらえるように誰かの為になることをしようと思う」


「カエサルが教えてくれたんだよ。此処は、生きるか死ぬかの世界だって。私、みんなを助けたいっ」


「本当はね、グレてやろうって思ったことは沢山あったの。転校しても何処かで誰かの耳に入っちゃうんだよね。みんなでヒソヒソ、コソコソ噂を広めてさ。逃げ場なんてないんだよ、本当」


「家では、お母さんが弟に言うの。あんたは、お姉ちゃんみたいにならないでって。弟も愛想笑いすらしなくなってさ。あんなに優しかったお父さんも、私を居ないみたいに扱った」


「私が髪染める前に弟が染めて帰ってきたの。学校も勝手に辞めちゃって‥」


「もう何もかもぐちゃぐちゃ‥」


「謝りたいって思ってた。でも、何処に居るのか分からなくなってさ。偶然、再会した時は運命だって思えた。最後の神様の贈り物だって。だから、必死で謝ったんだ。そしたら、彼女‥」


「凄い顔で許すって‥。本当、嫌々なのが伝わってくるの。面白い子だったんだって。そう思ったら本当に勿体無いことしたんだなって‥。人生って上手くいかないね」


「あの子の母親から聞いたんだ。生前は、大安堂のカステラが好物だったんだって‥私は、断然メープル堂のスフレっ」


ヨリが言うにはこの二つの店は、隣り合い建っていたという。それを彼女は「偶然って凄いね」と、無邪気に笑う。メープルドウという建物は、絵本に出てくるような外観をしていて乙女心をくすぐるのだとも言った。


「カステラにスフレ‥?」


カエサルは現世のお菓子にも疎い。ヨリの世界のお菓子など想像することも困難だ。


「ああ、詳しい違いはよく分からないのよね。和菓子と洋菓子の違いなのかな?私、卵料理って卵かけご飯くらいしか作れないから」


この世界では、生卵を食べる文化はない。「出汁をかけて食べるのが好きだった」と、聞いても味を想像することはできない。


「もし、彼女にもう一度会えたら私、あの子のお願いを叶えてあげたいの。せめてもの罪滅ぼし?だから、その前にこの世界を平和にしようっ」


その言葉が最後だった。差し伸ばされた手に触れる前に彼女は、淡い光と共に消えてしまったのだ。


独居房の柵に寄りかかり換気用に開けられた天井の窓を見詰める。小さな窓から月が見えていた。


「‥‥ヨリ‥お前の願いを俺が叶える。だから、安心していい」


カエサルの願いは、ヨリの好物のスフレとやらを食べてみることだ。それも今なら難しい望みではないと分かる。恐らく、天音秀が叶えてくれるだろう。


「これでいいんだろう?」


カエサルは、手にしていたヨリの似顔絵に小さく呟いた。その声に返事をする者はいない。似顔絵のヨリは、優しげに見詰め返してくるだけだ。

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