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隣国の聖女に攻略方法はありません  作者: 藍麗
カキツバタ(幸せはあなたのもの)
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【番外編】ペンタス〜転機

「こんにちは。これをどうぞ」


「なんだ‥これは?」


「ぬいぐるみだよ?」


眉を顰めたカエサルに首を傾げる。何の変哲もないただのぬいぐるみだ。体には、ふわふわの綿が詰まっている。今日はうさぎにしてみた。カエサルの独居房の中は、可愛いぬいぐるみや人形が壁伝かべづたいに並べられていてとてもファンシーだ。全て持ってきたのは、天音秀事アスレットである。


「っ馬鹿にしているのかっ?」


「大きな声を出すなっ拘束具をつけるぞっ!」


差し入れに苛立つカエサルが、怒鳴り声を上げるのはいつものことだ。それを威圧的な声で落ち着かせる看守の対応も慣れたものだった。


「君にではないよ。分かるよね?」


「‥‥アレの利用価値は皆無だ」


「そうかもしれない。でも、一度話してみたいんだ」


「此処へは、二度と来るなっ!」


「殿下お下がりくださいっ鞭を持って来いっ!」


「待ってください。僕は大丈夫です」


「し、しかしっ‥‥畏まりました」


ちっと、舌打ちした看守が離れ際に小さく呟いた。


『末の王子殿下は優しすぎる‥』


小さな声だったが、彼の憤りは理解できていた。看守の立場もある。彼が、誰にでも優しく親切にできたならこの仕事は熟せないのだ。時には、心を鬼にして囚人と接しなくては、秩序が守られない。


(彼らの不満は当然なんだ。囚人への僕の態度は、示しがつかないというところだろうな)


溜息が出てしまう。宰相のシリウス・レイスターにも度々注意を受けているのだ。


「アスレット王子殿下、お時間です。公務へお戻りください」


「‥‥また、来ますね。今度は焼き菓子を持ってきます」


にっこりと笑んだ天音秀事アスレットの発言に看守達が動揺したのが伝わってくる。肝心のカエサルは、睨んでくるばかりだ。全くもって上手くいかない。


「彼は罪人です。事情は理解していますが、要求は毅然とした態度でお示しください」


自分を呼びに来たシリウスの部下に当たる青年が、恐れもなく忠言を口にした。


お言葉を返すようだが、毅然とした態度でぬいぐるみを届けるのは難しい。兄のルーカスなら「持ってきたぞ」と格好よくキメられるだろうか。


(もし、お兄様達なら誰に物を言っているんだ‥てくらいは言うんだろうな‥)


脅すように時には叱るように、部下を窘めることができるようにともシリウスからは、言われている。王族としての威厳を損なえば、支持してくれる貴族が離れていく。それは、危険なことだ。自分の身を守る為にも高等な存在として振る舞わなければならない。分かっている。けれど、前世で庶民として暮らしていた天音秀には、難しいものだった。


大きな溜息のような呼吸を肩でした青年は「私も持ち場に戻ります」と、そのまま背を向けて歩いて行ってしまう。悪い人ではないのだ。ただ、上司に咎められても仕える価値がないと露骨な態度を改めないプライドの高さがある。彼自身も苦労しているのだろうか。


天音秀事アスレットも王子として割り振られた仕事がある。仕方なく独居房の柵の前で立ち上がると、入り口に向かって歩き出した。


「あ、アスレット王子殿下‥差し出がましいようですが、囚人に膝を突くのはおやめください」


「目を合わせて話したいのです」


「は、はぁ‥」


「囚人への飲食物の差し入れもできればご容赦いただけますと‥」


彼らの言い分も分かっている。空腹に追い込むことも尋問には、必要な場合がある。


「国王陛下と宰相の許可は取れています。全ては僕に一任する。ふたりはそう決めています。何かあっても貴方方に責任の追究が向かないようにします。安心してください」


視線を交わし合い戸惑う看守達に天音秀事アスレットは、にっこりと笑んだ。これ以上は時間の無駄だ。どれだけ彼らと押し問答を続けても自分は、態度を変えるつもりがない。


「失礼します」


「待てっ!アレを見せるのではないのか?」


「カエサル、君が素直になれば毎日だって見られますよ?」


「っくそっ!」


カエサルの求めているものは、異世界からの転移者である綿貫依莉の似顔絵だ。カエサルは、彼女の似顔絵を見せてから姿を現すようになった。


(彼にとって依莉よりさんは大切な人みたいだな‥)


相手のオーラを見て感情を特定する方法が取れるのも精霊王に願いを叶えてもらうまでだ。初代聖女の願いの改変。更に協力者ミデル・ウェルシナの願いを叶えること。それで、今世の聖女たちと聖人の願いは全て使い果たされてしまう。


転移者がいるという事実だけでも、この世界に大きな衝撃を与えた。彼女は、保護されるべきという意見も未だに根強い。しかし、詛呪術師としての知識を持つ人間たちと行動を共にしていた危険人物だ。兄のルーカスとソーマは、他国より早く彼女を捕まえて罪人として処罰することを決めている。


(異世界で頼れる人がいない依莉さんには、選択する余地がなかったんじゃないのかな‥)


見知らぬ土地で途方に暮れた綿貫依莉を思うと気の毒になる。カエサルの話だと、彼女は異世界の文化を仲間たちに伝え、予言めいたことを言っていたという。彼女の予言でステファニア王国は、生贄の土地として狙われ、戦車を作る事態に発展した。少し風変わりな彼女は、拘束されていた訳でも脅されていた訳でもないらしい。


(理人は性悪女だと言っていたけど、助けてくれた人に恩返しがしたいと思うのは当然じゃないかな?)


そこに戦車は必要なのか。考えても答えは見つからなかった。過激な人間たちへの恩返しの品。自分なら何を選ぶだろうか。


地下の階段を上がると衛兵達が鉄の扉を開く。その先には、婚約者のリズリー・アデレードと宰相のシリウス・レイスターがいた。陽の光が眩しくって目を眇める天音秀事アスレットに険しい表情のシリウスが、一歩足を前に踏み出した。


「少しお話しするお時間をいただけないでしょうか?」


「リバティーのこと?」


「あの男は即刻解雇いたします」


苦笑いしか出てこない。このやり取りは数え切れない程してきた。


「彼も彼なりの考えがあるんだよ。彼の言ってることが間違っていないことも理解している。でも、今は形振なりふりを気にしていられない」


「カエサルは、綿貫依莉が目の前で消えたって言ったんだろう?アルメリアが、言ってることと一致する。残念だけど、彼女はもうこの世界にはいない。そう結論付けた方がいい」


「リズ、そうとも言えないよ。ミデル・ウェルシナのように時空を越える人もいる。豊城澪香さんがそうだったように。依莉さんも何かしらの条件が合えば時空を行き来できるのかもしれない」


「俺達は無理だったけどな?」


アルメリア・プリムスから聞いた方法を帰国後ふたりで試してみたが、何も起こらなかったのだ。その事をあとから知ったシリウスに「無謀な行動は控えてください」と、厳しく叱られた。


「危険な行動はお控えください。魔女ミデル・ウェルシナとは、一度話してみたいと思っております」


「うん。ライラック学園の夏休みにアルメリアとアズールが連れて来るはずだから、その時に紹介するね」


「その時は俺も呼んでくれよ?」


「お兄様」


実は、ミデル・ウェルシナの占いの館には、帰国前に知らせを受けて迎えに来たルーカスを連れて向かったのだ。しかし、その土地には、何もなかった。痕跡まで跡形もなく消えていたのだ。街には、占い師達を知っている者たちもいなかった。記憶を消す力があるのだろうか。


ミデル・ウェルシナの似顔絵は制作したが、精霊王ピッピの話では、彼女は姿を自在に変えられるという。次、現れる時には、全く異なる容姿をしている可能性がある。


「実に興味深い女だ。神になるために時空を越える人間とはな」


「欲の深い人間との接触には何卒なにとぞご注意ください」


「ああ、分かっている」


「アスレット様、囚人への施しを嘆く者達がおります。彼は、命を奪う術に長け、常に行使できる可能性がある危険人物だということを決して忘れてはいけません」


「本来なら処刑せねばならない極悪人だ。それに優しくしてやるばかりでは、周りも戸惑うだろう」


「ミデル・ウェルシナの話では、カエサルの主人格は、まだ幼い子供だというのです」


「ふむ‥子供か。養護院で遊ばせてみるか?」


「国王陛下っこれ以上囚人を甘やかせば示しがつきません。アスレット様を危険に晒すことになりますっ」


「お前がアスレットを大切にしていることはよく分かっている。しかし、現状では何も手がないのだぞ?あやつは詛呪に関することを供述しようとしない。頑なに拒んでいるアレを改心させるのは至難の業だ」


「しかし、俺はアスレットならできると信じている。だから、任せたのだ。お前もそうだろう?」


「‥‥」


こちらに気遣うような視線を向けたシリウスもルーカスの言葉を否定しなかった。


「ありがとうございます。ご期待に応えられるように精一杯努力いたします」


ふたりの期待に応えたい。弱音など吐けない天音秀事アスレットは、にっこりと笑んで答えた。




「努力しすぎじゃねぇ〜」


思わずぼやいてしまう。折角、婚約者に会いに来ても肝心の相手は、囚人のカエサルに夢中で自分を放ったらかしにして今は滞った公務に掛かりっ切りだ。


天音秀事アスレットが、使っている刺繍入りのハンカチを見ていなければ、不満が口から出てしまうだろう。バレンタインデーに與田理人事リズリーが手渡した藍色のハンカチ。天音秀事アスレットは、それを今も大切に使ってくれている。


精霊王に願いを叶えてもらうこと。これは、聖女と聖人が健全な状態で揃ていないといけない。婚約者として気遣うべき立場である自分が、我儘は言えない。


両国での協議の結果、リゼル・ステファニアの留学より天音秀事アスレットの留学が前倒しされることになった。リゼルは、一年の留学を終えてステファニアへ帰国し、ライラック学園で卒業試験を受けることになる。冬の終わりに一時帰国したリズリー達は、レグザで春を迎えていた。もう直き夏が来る。


(初代聖女の願いを改変すれば、秀はまたステファニアへ行ってしまう)


本音を言えば、リズリーも付いて行きたい。でも、王子の婚約者として社交界に顔を出し人脈作りに勤しみ、新しい情勢に注視し、様々な噂話に耳を傾けていなければならない。王子として生きる天音秀を支えていくと決めている。


花の香りに何気なく視線を上げてウスベニタチアオイの花々を見詰める。ビロードアオイとも言われている薄桃色の花が可愛らしい。藍色のハンカチに刺繍したのもこの花だ。花言葉は、「恩恵」や「慈善」だという。レグザの国花であるタチアオイより聖人の天音秀には似合うと思った。


タチアオイの庭園の前で佇むのは、聖女クレマチスとその護衛騎士エリオットだった。何か話しているらしい。

クレマチスの暗い表情に気が付いたリズリーは、そっと二人に近づいて行く。


「おかしいわよね。振り向いてももらえない人を慕い続けるなんて‥」


クレマチスが話し掛けているのは、綺麗な花を風に揺らすウスベニタチアオイである。クレマチスが、溢した弱音と溜息をそよ風が運んでいく。


「‥‥」


何も言わずにクレマチスを見詰めているエリオットの表情にも影がある。


「貴女を見ている人はいると思いますよ?」


(とても近くに‥)


「え?」


意外そうに振り向いたクレマチスは、気が付いていない。


「当たり前だと思うから見えないのです。常に貴女に寄り添う優しい人が去っていく前に今を見つめ直した方がいいと思うわ」


「つまり、聖女クレマチス。貴女は、理想に恋しているのよ?でも、添い遂げる人というのは、心と心で惹かれ合う。そんな関係が理想ではないかしら?」


「‥‥」


目を丸くしたクレマチスが視線を向けたのは、背後に立つエリオットだった。その戸惑う視線にエリオットは、大人の余裕を見えせて優しく微笑んでいた。


「私を好きになる人なんていないって思っていたんでしょう?自分を卑下するのは、慎重になれていいとも思うけれど、恋のチャンスを逃すわよ?」


茶化すように悪戯に笑ったリズリーに頬を染めたクレマチスが顔を伏せた。彼女にしては珍しく初々しい反応だ。もとからふたりは相性がいい。これからも慈善活動を協力的に熟すだろう。いいパートナーだと思う。


(聖女と騎士なんて前世の漫画の世界だな)


「あ、アルメリア達は、夏休みにレグザに訪れるのですか?」


頬を染めたクレマチスが、話を逸そうとしているのは、分かっている。これ以上の野暮は控えるべきだろう。


「そうらしいわね。レグザに親善大使としての入国許可の申請が届いて先日、受理されたみたいだわ。そのうち近況報告の手紙を出してくれるだろうと思うわよ?」


もし、アルメリアが忘れていてもアルフェルトが注告してくれるだろう。


「親善大使なら宮殿に滞在しますね。その間、フローラは、どうなるのでしょうか?」


真剣な眼差しを向けてくるクレマチスが、問題の姉妹の接触を案じているのは理解している。罪人として宮殿で暮らすフローラは、嫉妬深い性格をしている。まだ、アルフェルト・レガーへの恋心を引き摺っているような言動も報告されていた。今までの改心が無駄になるような事態は、極力避けなければならない。それは、宰相のシリウスも重々に承知しているだろう。


「恐らく、近々神殿に移されると思うわ」


リズリーにも悩みの種がある。笑い話として提供するのもいいだろうか。


「噂の聖女と懇意になる機会だと父が鼻息荒くしているのよね。権力に目がない人だから‥。アデレード家でも持て成しのパーティーを開くつもりだから、貴女達も是非参加してね?」


「はい。謹んでお受けします」


板についた淑女の礼をしたクレマチスは、穏やかな微笑みを浮かべていた。その隣で胸に片手を添えたエリオットが軽く頭を下げる。




そんな会話が為された数ヶ月後、首都に隣接するソリエ町の船着場に聖女アルメリアと、その婚約者アルフェルト・レガーが降り立った。燦燦さんさんと降り注ぐ太陽の日差しに眩しそうにしたアルメリアは、大きな帽子を持ち上げて辺りを見渡すと、こちらに大きく手を振り微笑んだ。


「おふたりの親善大使をお迎えできて嬉しいです」


代表者として埠頭に迎えに行った天音秀事アスレットとその婚約者のリズリー・アデレードが、ふたりに立派な花束を差し出す。王都でパレードを執り行うことは聞かされているのだろう。アルメリアとアスレットは、聖女クレマチスと一緒に馬車のカブリオレに乗り込み歩道に集まった人々に手を振る。その後ろを天音秀事アスレットとリズリーを乗せた馬車が追尾する流れだった。多くの喝采が響く。色取り取りの花びらや紙吹雪が、籠を持つ人々や家々の窓から降ってくる。かなり長い道のりだ。それでも、明るい笑顔を絶やさないアルメリアは、本物の聖女だと思えた。


「彼女は不思議だね。ゲームの中でも聖女で主人公だったけれど、彼女の周りでは不思議なことが起こる」


「‥‥そうだな」


「カエサルは、神語が読めるようなんだ」


全ての人格が読める訳じゃないのは救いだ。カエサルが、綿貫依莉の漢字を書いた時から嫌な雲行きを察していたのだろう。與田理人事リズリーは、驚いた様子を見せなかった。


「綿貫依莉が教えたのか?」


「そうとしか考えられない」


根気強くカエサルのもとに通い続けたことは無駄ではなかった。その証拠に彼は、少しずつ会話をするようになっていた。暇つぶしという感じではあるけれど‥。


「アルメリアとカエサルを会わせようと思う。カエサルは、アルメリアに興味を抱いているし彼女は、心を開くきっかけになってくれるような気がするんだ」


視線を正面に向けたまま話を聞くリズリーの表情は、何処となく暗い。今後の展開に不安を抱いているのだろうか。


「その時は、リズもそばにいて欲しい。いいかな?」


「‥‥うん」


ふいっと顔を逸らしたリズリーは、目元を拭う素振りをしたように見えた。與田理人は独占欲が強い。それは転生しても変わらなかった。淋しい思いをさせていたのだろうか。


カエサルはよく怒鳴る。リズリーに嫌な思いをして欲しくなかった天音秀事アスレットは、敢えて地下への立ち入りを制限していた。だから、帰国後ふたりは離れて過ごすことが多かった。


「全てが片付いたら僕たちの結婚式だね?」


「婚約式が先だろう?」


むくれた顔を見せたリズリーに天音秀事アスレットは、小さく笑う。


「僕、やっぱりセイントラル教会で式を挙げたいな」


「他国だからな。王子様には難しいんじゃないか?」


ステファニア王国は、隣国の王子が自国で婚約式を挙げることに反対しないだろう。しかし、眉を下げたリズリーの言う通り、レグザは黙っていない。アスレット・レグザを支持する貴族からも不平不満が出るだろう。王子が、自国愛を示すのは当然なのだ。でも、諦めきれない。


「リズも留学すればいいんじゃない?そうすれば、帰国前に婚約式くらいは挙げられるでしょう?」


些か強引でも段取りを組めば執り行えるだろう。新郎と新婦が揃えばもたつくこともない。


「‥‥そうかもな」


呆れたような顔を向けたリズリーが、隠していても長い付き合いだ。少し嬉しそうなのは伝わってくる。


宮殿に馬車が到着すると、宰相のシリウス・レイスターが、侍従たちと出迎えに出ていた。彼は視線で尋ねてくるが、お目当てのミデル・ウェルシナは、埠頭には来ていなかった。彼女を見つけたなら、リズリーに声を掛けてもらいアデレード家の馬車で、宮殿に案内してもらうつもりだったのだ。当てが外れた。


(姿を変えていたのかもしれない)


その夜、宮殿では歓迎の晩餐会が開かれた。多くの貴族達がこぞって参加したこともあり、大変賑やかな食事会となった。立食形式の料理のメニューを考案したのは、天音秀事アスレットだった。皆が舌鼓を打つ間、天音秀事アスレットは、小皿に料理を取り分けてから会場を出て、地下の独房へと向かった。夏の夜は涼やかだ。しかし、一年中、雪で覆われた異国で生きてきたカエサルには、暑いかもしれない。冷たいデザートを持って地下の階段を下りて行くと、カエサルは人形を抱えて何かしら話し込んでいた。ぶつぶつと言っているのではない。幼い口調で語り掛けている相手もぬいぐるみだった。


(遊んでいる‥?もしかしてっ)


「こんばんは。君の名前は?」


「え‥えっと‥おにいさんだぁれ?」


天音秀事アスレットを見てビクッと震えたカエサルは、人形を抱え込み、怯えたような眼差しを向けてきた。


「僕は、アスレット。カエサルの友達だよ?」


「‥ともだち?カエサルのともだちは、ぼくだよっ?」


少し不機嫌な口調に変わった。向けられる視線からも怒りが見て取れる。


「僕は君の友達にもなりたいんだ。よかったら名前を教えてもらえないかな?」


ひんやりとする床に小皿を置いて膝を突く。カチャという食器の音で机に座り居眠りをしていた看守が振り向いた。


「ライル‥ライルだよ?」


「ライル、冷たいお菓子を食べてみる?」


「‥おこられない?」


「大丈夫だよ?」


首を竦めたライルは、怯えたような目を動かした。背後の看守が怖いのだろう。


「彼がこうして人形で遊ぶのは初めてですか?」


「は、はい。そのっお許しくださいっ普段なら交代の者が来る時間なのですが、今日の日を迎えるに当たって囚人を移送したりと何かと手が足りず‥いえ、言い訳にもなりませんっ!」


立ち上がり姿勢を正した看守が、勢いよく頭を下げる。この動作にもライルは、怯えていた。なのに追撃のような大声の謝罪だ。勘弁してほしい。地下に響く声にライルが目を閉じたのを見た天音秀事アスレットは、弱り顔で人差し指を立てて指示を出す。


「しーっ大きな声を出さないでください。貴方のことは見なかったことにします。それで、どうなのですか?」


「そうですね。ぬいぐるみを抱える仕草はご報告した通りですが、遊ぶという行動をしたのは初めてです」


「ライルは夜が好きなの?」


「カエサルが‥あかるいときは、あぶないからでてはだめだって」


「そうだったの。桃のシャーベットを食べてみて?きっと美味しいよ?」


柵の下の空いている入り口からそっと小皿を向けてみる。


「‥ユキみたい」


不器用な仕草で木のスプーンを使いシャーベットを口に運んだライルは、嬉しそうに笑う。


「あまーい。あまいユキだ」


「ユキウサギというお菓子も作ったんだよ?今度食べてくれる?」


正式名称は、まんまるうさぎだ。雪兎の葉っぱの耳を思い浮かべて作られたような形をしているパイ生地。体はふわふわの白いスポンジ。中にはチョコレートがソース状で入っている。子供向けのお菓子だ。


「いいよっあっおおきなこえをだしてはいけないんだった‥」


今、気が付いたというように驚いた表情をしたライルは、罰が悪そうに首を下げた。


「ふふふ、ライルは何が好き?」


無邪気な仕草につい笑ってしまう。


「魔法をつかう魔道士」


「‥マホウ?」


看守が怪訝そうな顔で首を傾げる。


(アサンでは、術師を魔道士と呼んでいたのかな?魔法という概念がある国なんだ)


「ライルは魔法が使えるの?」


「ううん。こうとうな術師しだけが魔法をつかうことがゆるされるんだって」


「誰に?」


「神さまじゃないかな?」


ライルは、視線を高くし考えるようにして答えた。自分の考えではないのだ。


(幾つかの単語はしっかり意味が分かっているみたいだ。もしかしたら、洗脳教育があったのかな)


アサンは、平民も武装する国だ。詛呪術師を育成する機関があっても不思議ではない。


「ライルは、どんなところでお勉強するの?」


「遺跡だよ?魔道士の弟子がおしえてくれるんだ。アサンは尊い国。アサンを悪くいう民は卑しく神に見放されし存在。そのたましいは、ゲヘナより下に落ちるだろう」


「ヘゲナ?」


「煉獄のことです」


煉獄は、地獄より天国よりだ。神の許しを得るために煉獄で清められた魂は、天国へ向かうと信じられている。しかし、これは前世の知識である。アサンには、仏教が根付いているのだろうか。


「あのね、ライル」


「いい加減にしろっこんな時間に何をしに来たっ?帰れっ!」


異変を察した看守が、咄嗟に警棒を手放し柵の下に開けられた小さな入り口に手を伸ばし入れ、這うようにして小皿を取り出した。


「カエサル、聖女アルメリアが、宮殿に来ている。会いたくはない?」


「‥‥ヨリの友人と名乗った少女だな?」


天音秀事アスレットが頷きで答えると、疑うような眼差しを向けていたカエサルが、不気味に口角を上げた。挑発的な態度に看守が、拾い上げた警棒を掴む力を強くしたことが分かる。


「いいだろうっ連れて来い」


「貴様っ!」


看守が威圧的に怒鳴ってもカエサルは、不機嫌そうな顔をするだけだ。幼いライルは、もういない。


「カエサル、その前に約束して欲しいんだ。彼女達はか弱い女性だ。無闇に怒鳴り付けたり脅すような振る舞いは、慎んでほしい」


会場に向かうために地下の階段を上がっていくと、入り口に人影が見えた。月明かりに照らされたプラチナブロンドの髪が風に靡いて揺れている。


「天音くんっリズリーさんから聞いたわよっ?今、行くわ」


無邪気な振る舞いで階段をリズミカルに下りてくるアルメリアの背後には、ミルクティー色の髪を緩く束ねているリズリー・アデレードとライラック色の髪を片手で押さえているアルフェルト・レガーが佇んでいる。


「晩餐会は?」


「ルーカス国王陛下が、聖女一行は、旅の疲れもあるだろうからと、予定より早く切り上げたの」


リズリーの説明に納得がいった。親善大使の滞在期間はそう長くない。有効活用する為に無駄を省くやり方が、実にらしいと思えてしまう。


「さあ、カエサルとご対面よっ」


聖女アルメリア・プリムスは、無邪気に微笑んだ。その瞳は、挑むように輝く。

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