【番外編】ペンタス〜占いの館
「現在、人生最大のモテ期到来。早期結婚に賭けるべしか」
「俺は晩婚が人生大安への秘訣だとよ」
海の街にある占いの館という響きは良かった。しかし、現実は甘くない。占い師は、ミデルと弟子の二人だけのようである。暗幕を垂らす真っ暗な部屋は、日光が入らず崩れたキャンドルの灯りだけで照らされていた。誰が買うのか。商品棚には、動物の骸骨に金の葉を絡めたオブジェや巨大蜘蛛の剥製が並べられている。とても不気味だ。今日は偶々占い師がいないだけだとしてもお香を焚いた空間は、何処かエキゾチックで慣れない。しかし、それらを吹っ飛ばすような結果にアルメリアは、唇を尖らせた。今はそんなこと些事だ。
「ちょっと、私に合わせなさいよねっ?料金、誰か出したと思っているのっ?」
「あのなっ?」
「いい?女の子はね、若い時にウェディングドレスを着たいものなのっ」
「そうですか‥」
アルメリアの渾身の説得にアスレット事アルフェルトが、呆れたような返事をした。しかし、自分だって若く綺麗な女性とバージンロードを歩きたい筈だ。アルメリアだけの我儘ではない。
「あの‥ウェルシナさん、僕も占っていただけないでしょうか?」
「天音くん?」
垂れ下がる暗幕を片手暖簾のように押し上げて占いの館に入ってきたのは、天音秀事アスレットであった。
「いいだろう。そこにお座り‥」
今のミデル・ウェルシナは、別人のような容姿で水晶の前に座っている。何を思ってか、王宮を出たミデルの容姿が、目の前で変化したのだ。銀髪は真っ黒に染まり、瞳が赤くなる。ローブを纏っていても魅惑的な体のラインは隠せない。中性的な儚さは消えて妖艶な女性に変化していた。
「投獄中の詛呪術師カエサルの心を開かせる方法を教えていただけないでしょうか?」
お札を机の端に置いた天音秀事アスレットが着席するとミデルは、水晶を撫でるように片手を翳した。
「ふーん、アレは厄介だね。主人格は、まだ幼い子供だ」
「子供?」
意外な言葉についうっかり尋ね返してしまった。しかし、アルメリアは部外者だ。片手を出して催促するミデルに根負けしたアルメリアは、自分のお財布からお札を数枚引き抜いて手渡した。立ち聞きにもお代は必要だ。
「つまりね、彼の人生は、凄絶だったってことだよ。生贄の方がマシだったかもしれないね。親の信仰に巻き込まれて物心が付く頃からとある教団で働いていたらしい。彼は、周りより成長が遅れていた。それを両親に疎まれ捨てられたようだね」
恐らくそこで、心の成長が止まってしまったのだろう。
「生贄の世話や死体を洗うような仕事をしていた彼は、愛を知らずに育った。日の明かりも届かないような場所で、一日中寒さに震えてるのが見えるよ」
「カエサルが生まれたのはいつでしょうか?」
「‥‥」
そこで、ミデルは水晶から視線を外して微笑んだ。
「ほら、これで足りるだろう?」
ミデルの弟子と思われる黒いローブを纏う痩せた男性の案内で入ってきたリズリーが、札束を水晶の横に置く。あまりの分厚さに凝視してしまう。
「これで見えるのは‥十歳前後だね。その前からある程度の人格がいたようだ。無意識に寂しさを紛らわしていたんだろうね。十五の頃には、カエサルが主導権を握り、術師として腕を磨くようになった。そして、両親を生贄にして、とある儀式を成功に導いたらしい」
「それが評価されてある程度の地位を確立したのね。そして、ステファニアまでやってきた」
「お前たちと同じような人間がそばにいたみたいだね。カエサルは、その人物を慕っていたみたいだよ」
「その人を捕まえて供述を促すしかないのかしら?」
「渡り人、伝説の人‥そういう不確かな人間は、世界に排除されやすいものさ。探すなら早くすることだね」
「ある日、突然消えてしまうってことね?」
「私でも居ない人間を探すことは不可能だからね」
「時空を越えられるのに?」
「私はね?」
背後から物音がして振り向くと、弟子の男性が商品棚の中を整理していた。聞かれてしまってはいけないのではないだろうかと不安が過る。
「大丈夫。アレは稀なる人間だから」
「つまり、旅に同行しているってことですか?」
「俺に話を振らないでくださいね。誰にも関わらずに生きていく方が楽なので‥」
無難とても言うように答えた男性は、こちらを振り向くこともしない。
「彼なりの秘策らしいよ。ふふふ、おかしな人間だろう?」
(ミデルさんに惹かれて旅に同行したのよね。つまり、ミデルさんが好きなのかしら?)
ミデル・ウェルシナの旅に同行する彼は、新しい繋がりを徹底的に排除する方針のようだった。彼なりに考えた精神を守る術なのだろう。そうまでして付いて行くと決めた彼の覚悟の裏には、秘めた恋心があるのだろうか。少しロマンチックだ。
「カエサルの慕っていた人物の名前を教えていただけませんか?」
パキッという音と共に水晶玉に大きな亀裂が入ったのは、その時だ。
「‥‥不可侵領域らしいね。もう、この世界には存在しないのかもしれない」
皆の視線が割れた水晶に集まる。
「顔を映すことならできるよ。一瞬だけね」
片手で頬杖を突いたミデルが手を差し伸べた。その手に追加料金を乗せたのは、天音秀事アスレットだった。
「お願いします」
弟子が新しい水晶玉と交換するのを待ってミデル・ウェルシナは、両手を翳した。すると、透明な水晶の中が濁り始めて人形を形成し始める。皆が水晶に近づき覗き込む。
「セーラー服にセミロング。中学生か高校生だね」
「すれてなさそうな雰囲気だな」
「うんうん。異世界に召喚された聖女って感じよね」
「その下にモンペでも履いていたら時代を特定できるのにな」
「そうか。時代か」
アスレット事アルフェルトの言い分は尤もだ。もっとよく見ようと顔を近づけた。その時、ミデルの表情が、険しいものに変化した。
「離れておいでっ」
ミデルが目を見開き力を注ぐ。抑え込むような動きを見せたと同時に水晶玉が粉々に割れて飛散した。悲鳴を上げる暇もない。その破片を風で包んだのは、ピョンチキ事精霊王ピッピだ。商品棚に並べられた奇妙なモノが気になっていた様子だった精霊王ピッピは、入店後自分も商品の一部のように棚の上にいた。こちらを気にしていない素振りでも注意を向けていたらしい。
『無茶をするなっ神々の怒りに触れるぞっ?』
「そんなに心が狭いとは知らなかったね」
机を登り天音秀事アスレットの前に出て強く叱るピッピに目を丸くしたミデルは、懲りた様子がない。
瞬時にアルメリアを身を挺して庇ってくれたアスレット事アルフェルトが、こちらを気遣うような視線を向けたあとにそっと離れて足元の飛散した水晶を気にした。何かカエサルの心を揺さぶる糸口はないだろうか。その時、水晶の破片がキラリと光ったように見えた。
(水晶に映っていた女の子は‥)
「私と彼女は友達よ。そう、カエサルに言ってみて?私は豊城澪香。ホウショウちゃんって呼ばれていたわ」
「同じ学校に通っていた友達。そういう設定にしましょう?」
「彼女のあだ名は‥‥デコちゃん。私は、少し意地悪な同級生ってことにすればなんとかなるわよ」
「ああ〜たまにいるな。あだ名を付けたがる嫌味な女子」
嫌気が差したように反応したのは、與田理人事リズリーだった。嫌な過去でもあるのだろうか。
「そうそう、それ。友達だから許されるって高を括ってる雰囲気にしてね?」
「それと、この中で絵が上手い人が、彼女の似顔絵を制作して、持っていけば完璧ね。私の記憶をもとにして描かれたと言えば、きっと信じるわ」
「デコというのは?」
眉を下げる天音秀事アスレットにアルメリアは、自分のおでこを指先でペチペチと叩いて見せた。仲が良い人ならあだ名で呼び合うのも許される。
「見た目であだ名をつけるのは良くないけれど、名前が分からないのだから仕方ないわ」
「首に痣があるのよね。彼女も酷い幼少期を過ごしたのかしら?」
(だから、カエサルは心を開いたのかしら?)
「どうでしょうか。僕には火傷の痕のように見えました。事故による後遺症という可能性もあります」
椅子から立ち上がった天音秀事アスレットは、両手でピョンチキを抱え上げると、決意を宿した瞳をこちらに向けてきた。
「これから彼女のことは、事件の重要参考人として捜索するつもりです」
「指名手配ですね?」
大国レグザが動けば捜索は大掛かりなものになる。逃げ切るのは不可能だろう。
「あいつに鎌をかける時は俺も付いて行く。ひとりで先走るなよ?」
「ありがとう、リズ」
この時は誰も知らない。天音秀事アスレットの心優しい献身がカエサルの心を開き何れ、主人格の心の成長を促すことを。天音秀事アスレットの力添えで神殿で暮らせるようになったカエサルが、アサンの陰謀を語り、詛呪の解除方法を伝えたことで、アサンの脅威は地に落ちるのだ。
「カエサルのことは天音くんとリズリーさんにお任せするとして、問題は私たちね。どんなに早くても渡航は、来年の夏休みになるかしら?」
「そうだな。少し早めの卒業祝いとして許可してもらうしかないだろうな」
「異国にばかり行ってる聖女って財政面でお荷物よね‥プリムス領の人たちに怒られそうだわ」
「そこは、リゼル・ステファニアの力を借りるのが手っ取り早いだろうな。王命として下してもらえば誰も文句はないだろう?」
「うーん、そうね」
リズリーの案は悪くない。王子のリゼルからエンリック国王陛下に口利きをしてもらえば、政として国全体に知れ渡る。胸を張れる大義名分が出来上がるのだ。
「僕から話してみましょうか?」
「ありがとうございますっ」
天音秀事アスレットが、渡し船を引き受けてくれるなら助かる。王子同士で取り決められた渡航なら例え、為政者に事情が知られても嫌な顔はできない。
「王命が下るなら私にも分かりやすいね。さあ、店仕舞いだ。外に出ておくれ」
机に手を突いて立ち上がったミデルにアルメリアは、眉を下げた。
「また、旅に出るんですか?」
「そうだね。会わなければならない弟子がいるからね」
遠い目をしたミデルの横顔は、何処か淋しそうにも見えた。
(‥‥見送る弟子がいるのね)
「お元気で、またお会いしましょう?」
『やれやれ‥忙しくなりそうだな』
「?」
そこで何故、ピッピが口を挟むのか謎だ。
「君たちの願いと私の願いを叶えたら精霊王は、力を使い果たしてしまうだろう。それだけ大きな力なのさ」
「えっ?ピッピ消えちゃうのっ?」
「深い眠りに就くだけさ。ただ、力を補い目を覚ますまで待つのは退屈だからね。私は、時空を越えて新たな精霊王に願いを叶えてもらう機会を窺うのさ」
手のひらのビヨンチキを見て悲しげな表情を浮かべていた天音秀事アスレットに両手で顔を洗いながら、鼻先をヒクヒク動かして精霊王は告げた。
『力を失っても数年で目を覚ます。但し、失われた力を取り戻すには、何千年と待たねばならないがな』
「では、また一緒にお茶を楽しめますね」
『ふむ、本来なら願いを叶え終えたと同時にそばから離れるべきなのだが‥』
「話し相手だ。何も特別な力を貸してくれって言ってる訳じゃないんだから良いだろう?」
不快を謀らずに不満を口したリズリーにピョンチキが、俯き顔を丁寧に洗う。
『ふむ‥そうなるだろうな』
心からホッとした。
「良かった‥」
思わず声が揃って天音秀事アスレットとアルメリアは、目を丸くすると、ピョンチキを見て微笑んだ。
「あのお嬢様たち凄かったですね。結婚したら尻に敷かれるしかないですよ?」
店の立て看板を店の入り口に運んできた弟子の男性が、口を開くと魔女ミデルは、小さく笑んだ。大袈裟ではないかもしれない。
「そうだね。もとは双子の神テルとテラの箱庭の住人さ。夢見がちなあの子は、天界で失敗続きだった。そこでテルとテラは、自分たちの箱庭の管理人としての役目を与えたの」
「天の使い?それが何故人間に?」
片付けの手を止めた弟子が、興味深そうに顔を向けている。
「テルとテラ同様に彼女も人間が好きだったのよ。そして、人間を愛し恋をした。引き離すこともできた。でも、神々は彼女を天界から追放したの」
「離れ難いテルとテラは、彼女を見守り続けた。そして、エニスの箱庭に移したのよ。呪いの蔓延する世界で脆弱なステファニーを守るようにと願いを込めて‥」
「そして我が師アーヴェルとステファニーは、建国の際に助力をしたリシュリーにも加護を与えた。だから、幾度となく愛する人と幸せになれる世界への転生が成されたのよ」
「不器用な彼女はこの世界で漸く幸せを手に入れたの。めでたし、めでたし‥」




