【番外編】ペンタス〜運命の灯火
「今日は遅くなるから泊まっていって?」
「そうだな‥」
窓の外へと視線を向けたアスレットは、小さく頷いた。外は真っ暗だ。プリムス領やレガー領は、自然の多い場所だ。勿論、森の中に夜道を照らす街灯などはない。月の明かりを頼りに山道を進むしかないので、夜間は事故も多発する。
ふたりを乗せた馬車が、プリムス家の屋敷に到着する頃には、夜の帳が下りていた。
「アルバート、今夜は客間を使って頂戴?」
馬車を降りる時に御者台に声を掛けると、窓ガラスに映った人影は、小さく頷いた。
「お心遣いに感謝いたします。私には、使用人区域の空き部屋をひとつ貸していただけないでしょうか?」
執事見習いの青年に客間を充てがうと、寧ろ気を遣ってしまうのだろうか。アスレットに視線で尋ねると彼は、小さく頷き理解を示した。
「執事のエバンスに案内させます。付いてきてください」
馬車の車輪の音を聞きつけた御者見習いのリュークが、駆けてきて引き馬を預かる。彼に御者台を譲ったアルバートが、そのまま付いてくるのを確認したアルメリアは、玄関へと向かった。
ノッカーを叩いて合図を出すと、玄関の片側のドアが開いて、執事のエバンスが顔を出した。
「お帰りなさいませ。アルフェルト様、お部屋の用意はできております。どうぞ、ごゆっくりとお寛ぎください」
丁寧に頭を下げて出迎えたエバンスの言葉を合図に両脇に並んでいた侍従と侍女が揃ってお辞儀をする。
「ありがとう、エバンス」
「お帰りなさい、アルメリア」
「只今戻りました」
居間から玄関にやってきたアナベルとジョナサンが、優しい微笑を向けてくれる。
「アルフェルト、娘を送り届けてくれてありがとう」
「お世話になります」
「楽しい食事になりそうだ」
アスレット事アルフェルトを実の息子のように可愛がっている両親は、久しぶりの賑やかな夕食を期待しているようだった。前世の記憶があるアスレットにも気心の知れた相手になる。和やかな雰囲気に、にっこりと笑んだアルメリアは、エバンスにアルバートを託し、着替えのために自室へと向かった。
入浴をし侍女の手を借り着替えを済ませたアルメリアが、自室の窓から外を見ると、別館の灯りが見えた。
(そうだわ、お祖母様も夕飯の席にご招待しよう)
思い立ったが吉日とも言う。着替えの手を貸してくれた侍女にランプを用意してもらったアルメリアは、彼女と一緒に別館へと移動した。
プリムス家の屋敷の周辺は森だ。梟の鳴き声が何処からともなく木霊する。常緑樹の葉を揺する風が冷たい。枯葉が擦れる乾いた音が、物悲しく聞こえてくる。そんな真っ暗な闇をランプの明かりで照らす侍女とふたりでゆっくり歩いていくと、別館の庭に人影が見えてきた。
それは、数人いて、何か慌ただしい動きをしている。そう気が付き、人が集まる輪の中心に視線を向けて、侍女とふたりでハッと息を呑む。
祖母のフィカスが倒れている。地面にランプを置いて、フィカスの頬を軽く叩き安否確認しているのは、若い侍従であった。
「お祖母様っ!」
「お嬢様っ」
堪らずに駆け寄ったアルメリアに、そばにいた侍従や侍女が振り向いた。不安顔を向ける彼らは、浮き足立っているようだった。アルメリアは、倒れた祖母のフィカスの容態を確かめている侍従に声を掛けた。この中では、彼が一番落ち着いているように見える。
「お祖母様は、どうなさったの?」
「本館に向かおうとなされて、玄関を出て直ぐに倒れられました。今、お医者様を呼びに向かっております」
「直ぐに寝室まで運んで頂戴っ」
指示を出したアルメリアに従って膝を突いていた侍従が、フィカスを横抱きに持ち上げようと、首の後ろに手を添える。
「お祖母様っしっかりしてっ?」
「無闇に動かしてはいけないよ?」
聞き慣れない声にアルメリア達は、振り向いた。しかし、顔を見ても誰なのか、はっきりしない。
「え?‥あなたは?」
「‥ミデル様」
掠れるような小さな声を発したのは、薄目を開けるフィカスだった。
「久しぶりだねフィカス。あんたも年を取ったね」
横たわるフィカスのそばにしゃがみ込んだ女性は、優しげな目を細めて胸元に片手を翳す。
「心の臓が弱っているようだね。これを煎じて飲むといい。誰か‥手を貸しておくれっ?」
白いローブを纏う彼女が、懐から取り出したのは、小さな紙袋だった。恐らく茶葉だ。
(ミデル‥?この人が、お祖母様の師匠ミデル・ウェルシナなの?)
彼女の容姿は若い。二十代前後だろう。艶やかな青みがかった銀髪を白いローブで隠した彼女は、美しい女性だった。
「はいっ私が淹れてきます。セレーナ、手を貸して頂戴」
「畏まりました」
本館から付いてきた侍女に声を掛けてから、両手で紙袋を受け取った。
「お預かりします」
「珍の木はあるかい?茶葉を入れた水を一気に温めるんだ」
「分かりました。お祖母様をお願いします」
本館で暮らすアルメリアが、別館の調理場に立ち入ることは殆どない。預かった紙袋を両手で包み込んだアルメリアが向かった先は、茶葉を製法する部屋である。暗い部屋の燭台にランプの火を移して、作業場を見渡す。
「セレーナ、白湯と吸い飲み。それと、氷水を用意して頂戴」
背後で控えていた侍女が、駆けるような足取りで部屋を出ていく。アルメリアは、鉄の薬缶に預かった茶葉と水を適量加えて珍の木をオーブンの火床に投げ入れ火をつける。珍の木は、燃えやすい性質があり、一気に加熱するのに適していのだ。
(お祖母様を助けて‥)
両手を組んだアルメリアが、心の中で祈りを捧げる。薬缶の中で茶葉が踊り、口から湯気を出すのに時間はかからなかった。布巾で取っ手を包んで薬缶を火から下ろす。その頃合いで、用事を言付けた侍女が戻ってきた。
「直ぐにお祖母様のところへ向かいましょう」
ティーポットにお茶を移してフィカスの寝室へと向かったアルメリアは、ベット横のナイトテーブルにトレイを置いて指示を待つ。
寝室には、ベットに横たわるフィカスに付き添う侍女と侍従、そしてミデル・ウェルシナがいた。彼女は、ティーポットの蓋を外し中を確認しすると、満足そうな顔をした。
「いいだろう。飲ませておあげ」
「氷水を持ってきて頂戴」
氷の浮かんだ銀のボールを抱えている侍女が、ナイトテーブルに置いた頃合いで、直接ティーポットを入れて温度を冷ます。濡れたティーポットの雫を布巾で拭い、手のひらで表面の温度を確認する。
(適温だと思うわ)
冷ましたお茶を吸い飲みに移し替えて、祖母のフィカスの口元に寄せてみる。苦しそうに口呼吸を繰り返すフィカスは、息も絶え絶えだ。
「お祖母様、お薬です」
アルメリアの声に反応して薄目を開いたフィカスが、僅かに口を開ける。吸い飲みからお茶を飲んだフィカスが、深く息を吐く。
「ミデル様‥ありがとうございます」
「明日には動けるだろう。でも、効果は一時的なものだよ」
ベットに腰を下ろしたミデルは、フィカスの胸元に手を当てて優しげに微笑んだ。
「孫娘、人払いをお願いするよ」
「はい。みんな外に出て頂戴」
戸惑う侍女と侍従を誘導しながら、アルメリアも退室しようとドアへ向かった。
「孫娘、あんたはこの部屋に居ていいよ」
「‥‥」
静かにドアを閉じたアルメリアは、その場から様子を窺うことにした。
「フィカス。私はね、弟子たちの見送りをするのよ」
「つまり‥私は長くないと言うことですね」
「そうだね。本来ならあんたの寿命の蝋燭は、何年も前に燃え尽きている。でも、あの孫娘がそれを変えてしまった。そうなるように仕向けたのは私だけどね」
継ぎ足しのようなものだろうか。前世の記憶があるアルメリアは、フィカスの運命を変えている。
「孫娘、あんたにこの茶葉の作り方を教えてあげるよ。毎日、フィカスに飲ませておあげ。そうすれば、あと二、三年は生きられるばすだ」
「その時、あんたが気になっている話を聞かせてあげよう。どうする?」
「ご存知だったのですね」
「王家の騎士まで私を探し回っているからね」
そう肩を竦めたミデルは、目を閉じて口角を上げる。まるで困っているようにも見える振る舞いたが、彼女は尻尾を掴まれた訳じゃない。今を逃すと、もう二度会えないような気がした。
「お祖母様、よろしいでしょうか?」
延命を望むのか。フィカスの意志確認も必要になる。小さく頷いたフィカスに瞳で頷いたアルメリアが、部屋のドアに手を伸ばす。
「別館の客間をご用意いたします。暫くこちらでお待ちください」
開いたドアのそばにいた侍女たちが、慌てた足取りで、その場から離れていく。アルメリアは、正面を向いて一礼してから部屋のドアを閉じた。
「セレーナ、お医者様は、まだお見えにならないのかしら?」
「はい。急ぎ、確認してみます」
ミデル・ウェルシナは、フィカスの倒れた原因を寿命だと言ったが、何かしらの診断がつくかもしれない。そうすれば、まだ望みがあるように思う。
しかし、医師を乗せた馬車が、別館の庭に到着したのは、それから一時間もあとのことだった。普通な既に手遅れになっているだろう。
(まるで運命だと言っているみたい)
もう、フィカスの死を防ぐ手はない。だから、ミデル・ウェルシナは、この世界から送り出すためにやってきた。残酷な話のような気がする。
(お祖母様は、あんなに会いたがっていたのに‥)
その日が人生の終わりだと知らずに‥。茶葉の秘術を与えたミデルとの再会を願い続けていたフィカスが気の毒になる。
医師の診断は、加齢による衰弱とのことだった。別館の騒ぎを聞き付けて駆けつけた両親と、アスレット事アルフェルトの顔を見ると、緊張が解けて視界が歪んだ。
「アルメリアっ」
「‥っ」
アスレットの胸に額を当てて泣き顔を隠す。彼は、そっと肩に手を置いて落ち着くのを待ってくれた。
「私たちは、診察をした医師から詳しい話を聞いてくるよ。アルフェルト、アルメリアを頼んだよ?」
「はい」
ぐすんっぐすんっと鼻が鳴ってしまう。
「ミデル・ウェルシナがいるの。お祖母様を送り出すそうよ。あと二、三年しか生きられないって‥。お医者様も老衰だと言うし‥」
「‥‥」
返す言葉に悩んでしまう気持ちは、痛いほど理解できる。でも、何かに縋り付きたい。とても心細いのだ。
「アルメリア・プリムス。命とは必ず終わりがあるものよ。私は人と出会う時、必ずその終わりを想像するの。昔から何となく見えるのよ。その人の人生が‥」
「終わりが見えるというのですか?」
背後から声を掛けてきたのは、ミデル・ウェルシナだった。
「そう。それは私自身も例外ではなかった。だから、願ったの。終わりの終わりを」
不死を願ったミデルは、自分の死を察していたのだろう。
(それを打ち消すには、不老不死しかなかったの?なんか変じゃない?)
「私は神になりたかったのよ」
「え?」
まるでアルメリアの心を読んだみたいな言葉に目を丸くしてしまう。
「私は、あなた達の望みを知っている。叶えることもできる」
「だから、貴女を神様にしろと言うのっ?」
(無茶苦茶じゃないっ?神様の使いの精霊王ピッピに、そんな力ある訳ないわっ)
「混乱させたね。私の望みは単純明快さ」
ミデルは、全てを見透かしたような優しげな表情で目を閉じて微笑む。
「丈夫な皮膚。それだけだよ」
「え?皮膚?」
ミデル・ウェルシナの願いをすっかり健康だと思い込んでいたアルメリアは、意表を突かれてしまう。
「私は不老不死だ。でも、痛みを感じない訳じゃない。つまり、傷痕も残るのさ」
腕を捲って見せたミデルの肩には、火傷の痕が確認できた。特徴的な傷痕だ。
「傷跡で本人を特定するという方法もあるからね。幾ら姿形を変えられてもそれでは何も意味がない」
「誰にも悟られず、流離うように生きることが、あなたの目指す神様なの?」
「いいえ、私は願いを叶えて続けていく。そうすれば、何れ天に手が届くと信じているのよ。‥‥貴女も私に付いてくる?」
「‥‥」
壮大な夢だと思う。思わず言葉を失ってしまった。
「いいえ、私の願いはお嫁さんです。確かに魅力的な申し出ですけれど、大切な人を見送り続けることに疲れてしまうと思うわ」
泣き出したいのに笑うしかない。不恰好な微笑みにミデルは、上品な所作で小さく笑う。
「ふふふ。そうね。確かに‥とても疲れたよ」
ミデルの空色の瞳は、闇の中を見ているように暗く力がないように見えた。
「茶葉作りは明日伝授しよう。よくおやすみアルメリア」
そう言って優しげに微笑んだミデルは、背を向けて廊下を迷うことなく進んでいく。フィカスの師匠だったミデルは、この建物の構造も熟知しているのだろうか。