【番外編】ペンタス〜正体の謎
コンーン、コンーンと、廊下の柱時計が夕方の四時を告げる。その音に合わせるように迎えの馬車が、次々とやってきた。
別れの挨拶を済ませ馬車に乗り込んだ彼女たちは、それぞれに自分の婚約者の家を目指す筈である。
蓬色のドレスに金色のサッシュを腰に巻いたエシャリ・ルシーラもそのひとりだろう。傾きが気になるのだろうか。金色のコサージュを髪に飾ったエシャリは、何度も手直しを試みていた。
その様子を木の枝で小首を傾げて見ていた青い小鳥が、飛んできてコサージュを揺らすのを慣れた様子で払う。指先だけでちょいちょいと払う仕草がなんだか可愛い。
「あら、邪魔しないでくださる?」
次々と去っていく馬車を見送っていたアルメリアは、なかなか馬車に乗り込まないエシャリに視線を向ける。御者台の男性は、何度も空を見上げて太陽の位置を気にしているようだった。
「エシャリさん、どうかなさいましたか?」
「い、いえ。ええ、実はっ」
意を決して何かを話し始めようとしたエシャリが、馬の蹄の音に振り向いた。若い男性が、御者台で手綱を操る馬車が、庭に緩やかに停車した。その馬車から降りてきたのはアルフェルト・レガーだった。彼は、こちらに気が付くと真っ直ぐ歩いてきて、片手を差し伸ばす。
「ん」
堂々と催促する姿が可愛らしく見えてしまうから不思議だ。
(前なら太々しいとか言って怒っていたかもしれないわね)
小さく笑んだアルメリアは、黄色の包装紙で飾られた小さな箱をアスレット事アルフェルトに差し出した。
「食えるよな‥」
何処か心配そうなアスレットの視線の先は、小さな箱に定まっている。
「食べて後悔するかもね?」
悪戯っぽく笑ってやると、その場で包みを解いたアスレットが、茶色い小箱を開いた。トリュフチョコは、五個入っている。ひと粒摘んで口に運んだアスレットが、味を確かめるように口の中で転がした。
「固いけど美味い」
「初めは石のように硬かったのよ?」
「へぇ〜」
腰を倒して顔を覗き込むようにして笑い掛けると、アスレットの目元も穏やかになる。
「今日はありがとうアルメリア。また、お菓子作りをしましょうね?」
「ええ、楽しみにしているわ。気を付けて帰ってね」
別れの挨拶に答えてアルメリアが手を振るとアナイスは、上品な微笑みで返した。王宮から出向いてくる礼儀作法の先生が、指導した立ち振る舞いなのだろう。淑やかで品良く見える。
こちらを見詰めていたエシャリが、何故か視線を下げてしまう。彼女の暗い表情が気になって首を傾げるとエシャリは、胸の前で両手を合わせて目を閉じた。
「どうかなさいましたか?」
「‥‥ルーク様は、喜んでくれるのかしら。私、甘いものが好きか聞かなかったの。‥自己満足にならないかしら?‥それに」
不安に心が押し潰されそうなエシャリの気持ちが理解できた。彼女は婚約をした訳じゃない。ルークとエシャリは、まだ友達以上恋人未満の関係が続いているのだ。
「きっと、大丈夫だと思います」
エシャリの今日の服装を見れば分かる。エシャリは、ルーク・ファンレイの好みを理解しているのだ。
「エシャリさんの装いは、ご自分で選ばれたのですよね?」
「え?‥‥いいえ。変かしら?」
意外な返答に驚いてしまう。勇気付けようとしたのに強張ったエシャリの表情からは、自信を感じない。
「侍女が勧めてくれたのでしょうか?」
「小鳥が‥」
そう呟くように言ったエシャリの視線が、木の枝に止まる青い鳥に向かう。
エシャリの話を聞くに藤色の小鳥と白い小鳥は、頻繁にルシーラ家の屋敷に現れるようなのだ。今日は、女性らしく桃色のドレスを選ぼうとしたエシャリに窓から侵入した小鳥達は、容赦なく体当たりをしたという。驚いたエシャリが、悲鳴を上げると、クローゼットから見えていたこのドレスを嘴で摘んで催促したらしい。
「私の聞いた話では‥ファンレイ会長は、蓬色と金色がお好きらしいわ」
彼の髪と瞳の色である。乙女ゲームの設定では、珍しくない好みだと言える。
「邪魔をする小鳥に助けられるとは、正にこのことですわ」
顔を両手で覆ったエシャリの肩に止まった藤色の小鳥が可愛らしく囀る。
「嫌がらせをした小鳥に慰められるとは、正にこのことですわ」
(とても仲良しのようね)
チュンチュンと誘導するような小鳥に促されて歩き始めたエシャリは、馬車の踏み板の前で立ち止まり、こちらに振り向いた。
「アルメリアさん、お願いがあるのですわっ」
両手を組んだエシャリは、今にも泣き出しそうな顔でいる。とても、断れない。
「ご一緒しますわ」
馬車に向かって歩き出したアルメリアの腕を掴んで引き止めたのはアルフェルトである。
「もう日が暮れるんだぞ?」
ファンレイ領は遠いのだ。きっと、帰りは夜になる。
「アルメリア、馬車を一台貸してくださらない?アルフェルト、貴方はアルメリアに付き添うのよ」
アナイスの提案を受け入れるのが一番良さそうだ。レガー家の馬車には、屈強そうな騎士の姿も見える。彼らは、アナイスの護衛に当たるだろう。第二王子の婚約者であるアナイスは、第一に守られなければならない立場なのだ。
アナイスの指示通り馬車を用意したアルメリアは、レガー家の馬車に乗ってファンレイ家の屋敷を目指した。
「ご迷惑をお掛けします」
しょんぼりとしたエシャリを勇気付けるように微笑むと、屋根で小鳥達もチュンチュンと鳴いた。
辺りが暗くなり通り過ぎる町の街灯に火が入れられるのを馬車の窓から眺めていた。賑やかな街を走り抜ければ広大な森が広がっている。
近代的な外観の豪邸の前で馬車は、ゆっくり速度を落とした。豪邸の奥には、威厳を放つお屋敷も窺える。別棟二世帯住居なのだろう。
門の前に立つ人影が、こちらに気が付いて振り向いた。ルーク・ファンレイのようだ。路肩に停車した馬車から慌ただしく降りたエシャリが、駆けるようにして近付いて行くと、彼は優しげに微笑む。
「ルーク様、こんばんは」
「エシャリ嬢、こんばんは」
「お待たせして申し訳ありません」
両手の中にある蓬色の小箱を渡すタイミングは今だと思うのだがエシャリは、迷いを払拭できないようだ。
「ファンレイ会長、ご機嫌よう」
アスレット事アルフェルトの手を借り、踏み板を踏んで馬車を降りたアルメリアが挨拶するとルークは、落ち着いた動作でこちらを振り向いた。彼は、二台の馬車を見て察していたようだった。
「アルメリア・プリムス嬢にアルフェルト・レガー。こんばんは」
「会長は、歯が丈夫ですか?」
「‥人並みには」
真顔で尋ねるアスレットにルークの表情が硬くなる。
「甘いものはお好きでしょうか?」
今度はアルメリアが穏やかな口調で尋ねてみる。これに安心したのか、ルークの表情も優しくなった。
「‥ええ、そうですね」
「エシャリさん」
アルメリアが促すと、話を聞いてきたエシャリが、目を閉じて両手で持った小箱を差し出した。
「ルーク様、こちらを受け取ってくださいっ!初めてですが、一生懸命作りましたわ。包装も‥」
馬車の屋根からルークの肩に止まってじーっとエシャリを見詰めるのは、藤色の小鳥だった。無言の眼差しが「不正は許さないわよっ」と言ってるように見える。その圧を感じた様子のエシャリが、スッと体勢を整えた。
「‥‥お菓子作りは、リズリー・アデレード様に助けてもらいながらみんなで行いました。侍女たちの意見を聞きながら包装もしましたわ」
この正直な言葉を聞いた小鳥が、微笑むようにチュンと鳴く。満足した様子の小鳥を見てから納得したようにルークは、エシャリに向き直る。
「こちらの紅茶のクッキーは、生徒役員からの贈り物です。いつもありがとうございます」
アルメリアが手渡した紙袋の中身は、手作りの紅茶のクッキーである。これは、生徒会役員の男子生徒全員に配られる予定だ。日頃の感謝と労いの気持ちである。
「ありがとうございます」
クッキーの紙袋とチョコレートの小箱を受け取ったルークは、少し照れ臭そうに笑んだ。その嬉しそうな表情を見てエシャリも幸せそうな微笑みを浮かべる。ルークの肩に止まっている藤色の小鳥も馬車の屋根から見守る白い小鳥もふたりを祝福しているように見える。
その光景を見ていれば、ふたりが恋人と呼べる関係に進展するのに、もう時間はかからないだろうと推察できた。
「ルークっ!」
男性の声がした方向に振り向くと、見知らぬ青年が、屋敷の玄関から駆けて来るところだった。
(誰かしら?)
「ルゼ様、ご機嫌よう」
ぎこちない挨拶をしたエシャリより、ルークの手にしている紙袋と小箱に視線を向けた青年は、忌々しげに目を細める。
「アルメリア・プリムス嬢っ私にお声掛けくださればいいのに‥ルゼ・ファンレイと申します」
目を閉じて口角を上げ自信たっぷりに前髪を片手で掻き上げたルゼ・ファンレイは、格好つけのようだった。
「初めまして」
(ルーク・ファンレイと親しくないようね)
張り合うような気配を察したアルメリアは、にっこり笑んで挨拶だけをした。何れ、宰相になるルークと懇意ではない兄弟など勿体無いとしか思えない。
アルメリアが視線を向けた先には、アスレット事アルフェルトが佇んでいる。ルゼの登場に眉を顰めていたアスレットは、アルメリアの視線に気が付くと、浅く息を吐いてから手を差し伸ばす。
「アルメリア嬢っ屋敷の中へどうぞっお茶でも如何でしょうか?」
「折角のご厚意ですが‥もう、遅いので失礼いたします」
アスレットの手を借りて馬車へと乗り込んだアルメリアは、追いかけてきたエシャリに微笑み掛けた。プリムス家から追尾してきたルシーラ家の馬車は、後方でエシャリを待っている。
「休日明けに学園で会いましょう」
ルークの言葉に振り向いたエシャリは、小さく頷いてから『ご機嫌よう』と挨拶して後方の馬車へと向かう。
「ふん。いい気になるなよなっアルメリア・プリムスは、義理でお前にお菓子を渡したんだ」
面白くない展開なのだろう。嫌味たらしいルゼは、ルークの手の中にある紙袋を無断で掴み横取りしようとした。これに甲高く鳴いた藤色の小鳥が、ルゼの手に攻撃を仕掛ける。
「いてっこの馬鹿鳥っ!」
「小さな生き物に乱暴な振る舞いはやめてくださいっ」
「煩いっ!お前っ誰に向かって言ってるんだっ!」
「とても小さな体です。当たりどころが悪ければ死んでしまうこともあるんですよっ?」
「お前だって虫を殺すだろうっ⁉︎」
嘴で突く藤色の小鳥を叩き付けるように手のひらで払うルゼにルークが、大きな声で制止して、口論へと発展してしまう。すると、白い小鳥も飛んできて応戦し始めた。白い小鳥の嘴で眉間を突かれて降参したルゼが、紙袋を落とし逃げるような足取りで玄関へと駆け去って行く。最後に悔しそうに舌打ちする様が彼らしい振る舞いなのだろう。残念でならない。
「大丈夫か?」
案じ顔を向けたアルフェルトにルークは苦笑いを返した。
「ええ、いつものことです」
「私がひとりで来ればよかったのですわ。‥勇気がないばかりに‥ルーク様にご迷惑をお掛けしてしまって‥」
肩を落とし、しょんぼりとしたエシャリにルークが首を振る。
「何かしらちょっかいを仕掛けてくるのは、いつもことです」
「実は‥この手紙をとある女生徒から預かっているのです。ルゼ様宛てに書かれたお手紙です」
肩に掛けた小さな鞄から取り出した白い封筒には、封蝋印が押されている。赤い封蝋には、紋章が浮かんでいて貴族からの手紙なのだろうと考察できた。何か深い意味がありそうだ。
「あの時の女生徒でしょうか?」
手紙からエシャリに視線を移したルークの表情は、困り顔だった。
「はい。彼女に呼び出された時は、ルーク様のことで何か言われるのだと思っていたのですが‥」
エシャリの説明だと、前日の放課後に遡る。靴箱に折り畳まれた手紙が入っていることに気が付いたエシャリが、その指示通り裏庭に向かうと女生徒が、ひとりで佇んでいたらしい。
実は、この数日前にルークが見知らぬ女生徒とふたりきりで会っていた現場に偶然出会してしまったエシャリは、徒ならぬ雰囲気を察して咄嗟に『お待ちくださいっ!」と声を張ってしまい気弱な女生徒追い払ってしまっていたのだ。
その後、彼女から呼び出されたのはエシャリで、『ファンレイ様にこちらをお渡しください』と、言って手紙を差し出してきたと言う。エシャリは驚いた。最近、ルーク・ファンレイと親しい令嬢として名前が挙がっているエシャリは、身構えていたのだ。そして、彼女は開口一番でファンレイの名を口にした。恋のライバルだと思ってしまっても致し方ない展開なのだ。
しかし、よくよく事情を聞くと彼女は、涙ながらにルークの兄ルゼの名前を口にした。青い顔をした彼女は、小さく震え怯えているようにも見えたと言う。
「お兄様には婚約者がいないのですね?」
「はい。祖父の方針で見合う相手を自分で見つけるようにとのことです。当主となる条件でもあるので、見境なく躍起になっているようですね。僕たちが、当主の条件を満たせなければ、祖父の外戚から条件に合う青年を迎えるつもりのようです」
「この手紙の送り主も困り果てて認めたのかもしれないな」
ルークの説明を聞いて眉を下げたアルフェルトが、手紙に視線を向けた。
(求婚のお断りをお手紙でする淑やかな令嬢なのね)
ルゼは、気弱で従順そうな相手に目星を付けたのだろう。しかし、思惑が外れたようだ。
言い寄られて泣きたくなるほどに困る相手=ルゼ・ファンレイ。弟のルークが気の毒だ。この手紙もルゼに渡せば、とばっちりを受けてしまうだろう。
状況を理解したアルメリアは、自分のするべきことを実行に移した。馬車から降りたアルメリアは、エシャリの預かった手紙を受け取ると、豪邸へと向かって歩き出す。エシャリが、一緒に来て欲しいと言った理由を漸く理解したからだ。
アルメリアが玄関の前に立つと、待機していた侍従が、深々と頭を下げて扉を開いた。直ぐに怒鳴り付けてきたのはルゼ・ファンレイだった。
「ルークっお前よくもっ!」
問答無用で拳を握って振り上げてくるルゼに反射的に目を閉じてしまう。その手を片手で押さえ受け止めたのは、アルフェルト・レガーだった。
「見っともない真似はやめろっ」
「なっ?アルメリア・プリムスっ?」
「こちらを女生徒から預かって参りました。彼女は困っているようでした。静かに気持ちを汲んであげてください」
アルメリアが、両手で差し出した手紙をルゼは受け取らなかった。
「それと、私は聖女です。こんなに手荒な出迎えは初めてです。以後、お気を付けてください」
恐怖に屈してはならない。アルメリアが、背筋を正してはっきりした口調で伝えると、屋敷の中に響いたのだろう。彼らの父親と母親と思しき人達が、驚いた様子でこちらを見て硬直していた。
「ルーク・ファンレイ様は、多くの生徒に慕われる模範的な生徒です。誇ることがあっても貶めることは許されません。例え事情に明るくないご家族であってもですっ」
「それと、青い鳥は神様の使いです。虫などと発言するのは、お控えになった方がよろしいかと思います」
「あ、あれは‥っ」
「私はこれ以上貴方と話すつもりは御座いません。両陛下の前で屁理屈を並べられては如何ですか?」
怯んだルゼに手紙を押し付けて「失礼します」と淑女の礼をしたアルメリアの手を取ったアルフェルトは、無駄のない動作で馬車へとエスコートしてくれる。
門の前からこちらを見ていたエシャリは、アルメリアが殴られる寸前だったと知って口を両手で覆っていた。歩いてくるアルメリア達に向かって泣き出しそうな顔をしながら声を張る。
「アルメリアさんっ大丈夫ですかっ?」
この様子に胸が痛んだ様子のルークが、顔を伏せてしまう。ルークと懇意になるということは、この家族とも関わりを持つ覚悟が必要なのだ。
「なんて無礼な方っ私だったら引っ叩いてやりますわっ」
両手の拳を握ってムッと口をへの字にしたエシャリにアルメリアがふふふと笑う。エシャリは、怯えているのではなく憤慨しているのだ。暴れ出したい感情を必死に抑えているのだろう。エシャリの言葉に驚いた様子のルークが、こちらを見てから眉を下げた。この場に泣き出すような淑やかな令嬢はいない。
「お前の所為じゃない。お前は、堂々としていればいいだよ」
ルークの肩に片手を乗せて軽く叩いたアルフェルトが、アルメリアを馬車へと誘導する。王子然としたアルフェルトに少し驚いた様子のルークが見詰める先は、開いた玄関の先だった。恐らく、表情を強張らせた兄と両親の顔だったのだろう。目を閉じて口角を上げたルークは、胸がスッキリしたような顔をしていた。
「また学園で」
「お気を付けて」
蟠りもなく明るい笑顔を向けたエシャリに優しく微笑んだルークが手を振り送り出す。途中まではルシーラ家の馬車を追尾するかたちで帰路を目指したアルメリアとアスレットは、ルーク・ファンレイの正体について当たりを付けていた。
「前世のルークとアナイスの間には子供がいた。恐らく、その子供が現在のルーク・ファンレイなんだろうな」
だから、藤色の小鳥と白い小鳥は、彼のそばを離れないのだろう。親の愛だ。
「その子供が、本来のルーク・ファンレイだった可能性もあるわね」
(リラだったら何か知っているかしら?)
アスレットの胸に飾られたブローチに視線を向けてみるが、返事が返ってくることはなかった。