【番外編】コデマリ
レグザに渡ったフローラ・プリムスは、ベニタ宮殿で過ごしていた。罪人の身なので、華美に着飾ることも宮殿から出ることも叶わない。しかし、宮殿の中には、全てが揃っている。宮殿の出入りを許された行商人が持ち込む珍しいものが、彼方此方に飾られているし、ライラック学園の図書館より立派な書庫もあるので退屈はしない。大国レグザの国王であるルーカス・レグザも暮らす宮殿内は、常に厳しい監視下でもある。
無地の白いワンピースに金のサッシュを腰に巻くだけ。罪人のフローラが許されている服装は、神殿から支給された神子服。これだけである。華やかな宮殿内で質素な服装で歩くフローラは、悪目立ちする。通り過ぎる間際に避けて歩く人がいない訳じゃない。しかし、自分で仕出かした罪を思えば、甘んじて受けるべき罰だ。
「フローラっ」
「エリオットっ」
気さくに話し掛けてくれたのは、騎士であり叔父のエリオットである。レグザでは、エリアス・グレイマーと、名乗ることが許されている。
「やあ、フローラ。元気かな?」
「ふふふ‥ええ、大丈夫よ?」
顔を合わせると、必ず聞いてくれる言葉だ。ステファニアで暮らしていたフローラとレグザに渡り騎士として活躍していたエリオットが、顔を合わせる機会は少なく、数える程であった。記憶にないだけで、何かしらの思い出はあるのかもしれないが、今は聞く気にはなれない。レグザでフローラに親切にしてくれる人は多くない。例え親切にしてくれていても詛呪に関わったと知れば、恐れて離れていく。しかし、エリオットは、フローラの全てを知っていて優しくしてくれるのだ。
祖国から追放されたフローラは、家族に手紙を出すことも難しい。異国の地で暮らすフローラを気遣って付き添ってくれた双子の兄ラムダスも長期滞在は認められていない。
いつかは、頼れる人達と完全に引き離されてしまうのだと覚悟はしていた。そんな、フローラに取ってエリオットは、不安と孤独感から救ってくれる特別な人であった。
騎士のエリオットが、護衛の任に当たっているのは、聖女のクレマチスである。クレマチスの祖国はレグザだと聞いていたが、親の仕事の都合でステファニアに渡りプリムス家の侍女として働いていた彼女が、聖女とは驚きである。
クレマチスが、聖女に選ばれたのは、神語の解読ができたからだと聞いている。彼女にそれを教えたのはアルメリアらしい。
「お姉様も余計なことをしたわよね」
「え?」
「だってそうじゃない?お姉様が余計なことをした所為で私が恥ずかしい思いをするのよ?」
「君は、またそんなことを言ってるの?」
「ルカ‥」
男性用の神子服を纏うルカは、直ぐに見付けることができる。それは、フローラにも言えることでルカは、フローラを容易く見付けたようだ。奥の廊下から歩いてきたルカは、話を聞いていたようで、少し不機嫌そうな顔で首を傾けていた。ルカの責めるような視線にムッとする。
「ルカには、分からないわよっ」
(落ち目になる経験がないじゃないっ?)
悔しくって恥ずかしくって口には出せない言葉。自業自得だとしても、大きく変わり過ぎてしまった環境を受け入れられない。
「侍女に馬鹿にされるなんてっ」
自分達に仕えていた侍女のクレマチスに見下されながら生活するのは、堪えられない。落ち目になったフローラに向けられる侮蔑を含んだ眼差し‥。
(侍女が主人を軽んじるなんて分不相応よっ)
無意識に拳を握って不満や憤りを抑え込む。そんなフローラに素っ気ない表情を向けたルカが、口を開いた。
「彼女はもう、君の侍女ではないよ?」
当然の言葉が胸に刺さってしまう。
「君は自分の性格が歪んでいることを自覚している。これからは、我慢することを学ぶべきだ。何でも感情のまま口に出すのは、身を危険に晒すだけだよ?」
(何よっルカの癖にっ)
「ルカは平民じゃないっ」
「君も平民なんだよっ」
「‥そ、そうだけど」
(そんなにきつく言わなくてもいいじゃないっ)
ステファニアで貴族として暮らしていたフローラは、罪を犯し国外追放の処分を受けた。レグザの地では、なんの肩書きもないフローラは、平民と名乗るしかないのだ。
「ルカは、フローラを心配しているんだよ?」
優しく諭すように口を挟んだのはエリオットだった。
「何も感情を押し殺せと言っている訳じゃない。君には、考える頭があるんだ。伝え方を変えてみるだけでも違うんじゃないかな?」
「僕は、入学前ニクロスに入れるだろうと言われていた。家庭教師の言葉を鵜呑みにした両親は、凄く喜んでいたよ。でも、結果は、知っての通りロッテナ止まりだ」
「ロッテナに在籍する生徒の大半が僕と同じ思いをしている」
入学当時、不服に思った記憶が過るフローラにも覚えがある感情だった。
「でも、首席じゃないっ?」
「‥‥僕が言いたいのは、ロッテナの教室で勉強を教え合う生徒達も我慢しているってことだよ」
「え?」
意外な言葉に目を丸くしてしまう。ロッテナの教室には、比較的模範生が多く和やか雰囲気だった。誰かに意地悪をされたと訴える生徒はいなかったはずだ。紛失物が多かった訳でもない。
(私は、机を荒らされたりしたけど、盗まれた物はないし‥)
フローラの場合は、自業自得だと分かってもいる。貴族令嬢としての基本がなっていなかったのだから。制裁を加えようとする令嬢が現れても不思議ではない。貴族社会の厳しさでもある。貴族としての矜持を守ろうとするからはぐれ者には、容赦がないのだ。
「みんながライバルなんだよ。それでも、勉強を見てあげている生徒もいただろう?教えてもらう側の生徒も教える側の生徒も何かしらの葛藤を抱えているってこと」
「みんなが、自分の気持ちに素直になりすぎれば、教室のまとまりなんてなくなるんだよ。君は偽善だと思うかもしれないけどね」
「不満や憤りを表面に現さないだけなんだ。鬱鬱した気持ちを抱くのは君だけじゃない。不満がない人なんて多分いないよ?」
「‥‥」
(何よっ)
「ルカの言ってることは正しいと思う。でも、私が聞きたい言葉じゃないのよっ」
駆け出したフローラの前方には、クレマチスの姿があった。冷ややか目でこちらを見ているクレマチスは、綺麗なドレスを纏い侍女を引き連れている。以前なら化粧を施し綺麗なドレスを纏っていたのは、フローラの方であった。完全に立場が入れ替わっているのだと一目で分かる状況が、只々腹立たしい。
「何よっ?どうせ私を見下しているんでしょうっ?」
「そうね。馬鹿だと思っているわよ?でも、それは昔からだわ」
「なっ?」
「大人しくしていれば、もう少し年相応の分別があれば‥今もまだ貴族令嬢でいられたのに。あの温かな家で暮らしていられたわ」
「誰に何を言われても選んだ結果に伴う責任は、貴女のものよ?貴女には、考える頭があるんだから」
側に仕えるマリア達の甘言を真に受けたフローラは、配慮に欠ける行いばかりしていた。分かっている。けれど、悔しくて堪らない。興味の無さそうな顔をして去って行くクレマチスに、つい悪態をついてしまう。
「平民の癖に‥」
「今は君も平民なの。食事の時間だよ」
近付いてきたルカが、溜息を吐きつつ窘める。何も言わずにクレマチスに付いて行ったエリオットの背中をチラリと窺うと、側付きの侍女が厳しい眼差しをこちらに向けていた。忌々しいとでも言いたげな表情で、一瞥睨んだ侍女から目を逸らす。悔しいが何かを言える身分ではない。
「アルフェルト様だったら何も言わずに聞いてくれたわ」
「アルフェルト・レガーは、君に無頓着だっただけだと思うよ。君が何を言おうと気にしなかっただけじゃないの?」
「そんなことないわよっ慰めてくれたわ。抱き寄せてくれたことだってあるんだからっ」
ふんっと目を細めたフローラが嘲笑うとルカは、不思議そうな顔をした。
「ルカには、分からないわよね?」
「?」
「だってルカには、ないもの。あの逞しい胸板に抱き締められたなら女の子は、キュンと胸がときめくものなの」
「君って人はっ体が目当てだったってことなのっ?君は女性だろう‥?」
真っ赤になって抗議するルカに呆れてしまう。
「異性を感じるのに男も女もないんじゃないの?男性が女性の体を嫌らしく評価するように女性だって気にするわよっ?」
「‥‥食堂へ行くよ。そのあとは祈りの時間だ」
出かけた溜息を飲み込んで歩き出したルカより、あの生意気な侍女の方が気になる。何か仕返しができないかと考えたフローラは、こっそり三人の後を追いかけた。
「国王陛下は、何れ聖女様に爵位をお与えになられます。そうなれば、あのような罪人に軽んじられることもなくなります」
恐らく、あの生意気な侍女の声だろう。そっと廊下の影に隠れたフローラは、聞き耳を立てて様子を窺う。
「私は聖女よ?聖女の称号があれば十分だわ」
「いけませんっ聖女様は尊いお方なのですから。生まれで差別されるのは間違いです」
彼女は、真剣に怒っているようだった。そんな侍女に優しげに微笑んだクレマチスが、上品な所作で労わるように声を掛けた。
「ありがとう。でも、深く思い詰めないで頂戴。行いが正しければ恥じることは何もないのだから」
(クレマチスってあんな感じだったかしら?)
不意に庭から声がして視線を向けたクレマチスの表情が、気になった。
(何を見ているの?)
視線を追いかけると、若い男女の姿があった。側には、近衛兵と侍女が数人控えているようだ。
(あれは、側妃のスグリ・リリクロ‥)
若き国王陛下の隣で花壇の花を見ているのは、側妃として宮殿で暮らすスグリ・リリクロであった。黒い艶やかな髪に赤い木の実のような瞳を持つ彼女は、派手な化粧をしていない。質素な暮らしを好むらしいスグリをルーカス国王は、気に入り大切にしていると聞く。
何処か遠くを眺めるようなクレマチスの瞳が、切なげで直ぐに理解できた。
(クレマチスは、ルーカス国王陛下が好きなのね)
思わず笑ってしまった。
(無理よ。平民の女が大国の国王陛下を好きになっても‥相手にされないわ)
「え?」
何気なく視線を向けた方向には、叔父のエリオットがいた。離れた渡り廊下からクレマチスを見詰める眼差しは、憂いを帯びている。
「‥離れるよ」
(どういうこと?‥まさか、エリオットは‥)
フローラの手首を掴んで歩き出したルカに歩調を合わせながら、尋ねるように声を掛けた。
「ルカ‥貴方、そばで見ていたの?」
「‥ふたりのことは知らぬ振りをした方がいいよ。これからどう転ぶか分からないからね」
「嫌よっエリオットが平民の‥それも侍女だったクレマチスを好きになるなんてっ」
「しっ!声が大きいよっ」
思わず足を止めたルカが、こちらに振り向いて諭すが、とても納得できない。
「当人同士の問題だよね?君が口を挟むことじゃないんじゃないの?」
(平民のふたりが幸せになって‥どうして私が‥こんな‥っ)
視界が滲んだ。堪らずに「わーんっ」と、泣き出したフローラの肩に手を置いたルカが、宥めるように声を掛けてきた。
「彼女は確かに平民だけど、教養がしっかりしているし、聖女として多くの国民から慕われている。悲嘆する必要が何処にあるのさ?」
「どうしてルカは、私に構うのよっ?お願いだから放って置いてっ!」
ルカの手を振り払って廊下を駆け出したフローラは、自室に逃げ込んだ。それからずっと引き籠もる選択をしたので、予定されていた神官の説経を聞くこともできなかった。説経を聞いて己の心に向き合うのは、罪人のフローラの務めでもある。
「フローラ、パンと牛乳を貰ってきたよ?」
「ラムダス‥」
ドアを叩く音とその声で兄のラムダスだと気が付いたフローラは、飾り気のない質素なベットから降りて部屋のドアを開いた。
「祈りの時間にも顔を出さないなんて明日は叱られるよ?」
「説経を聞きたくない気分だったのよ。どうしてルカは、私に構うのかしら‥」
「フローラが好きなんじゃないの?」
「冗談でもやめてよねっ」
「いや、冗談じゃなくって‥少し前にルカから聞いたんだ。フローラとルカは口付けをしたんだよね?彼は、その責任を取るつもりらしいよ」
「はあ?」
「なんなのよ‥それっルカは、襲ったじゃなくって私に襲われたのよっ?私に責任を取れって責めるのなら分かるけど‥」
「そんな迫り方はしないと思うよ?」
「‥‥もう、いいわ。食事をありがとう」
木製のトレイに乗せられたコッペパンと木製のコップに注がれた牛乳。それが、今夜の食事になる。‥侘しい。こんな時は、貴族時代が懐かしくなる。パーティの時は、食べきれないほどの料理がテーブルに並べられていた。それをフローラは、当たり前だと思っていたのだ。トレイを両手で受け取ったフローラが部屋に踵を返すと、そっとドアが閉じられた。だから、小さく呟いたフローラの声を聞く者はいない。
「ルカが私を好き‥まさかね」
被害者と加害者。ルカとフローラの関係はこれだけしかない。
それは突然だった。早朝の中庭から掛け声がすると気が付いたフローラが、部屋から出て様子を見に行くと、ルカとエリオットを見付けることができた。木刀を構えたルカをエリオットが指導しているようだった。
それは連日続いた。朝と晩の素振りから形を教わるようになるのにそれほど、時間はかからなかった。それだけルカも真剣に取り組んでいるのだろう。
突然どうしてとも思う。けれど、汗を掻きながら懸命に体を鍛えるルカは、何も語ろうとはしなかった。いつしか、フローラとラムダスは、一緒になって見学するようになっていた。
「え?お姉様が?」
「そうらしいよ?バレンタインデーだったかな。新しいイベント事に学園は、盛り上がったらしい」
婚約者のニーナからの手紙に書かれていたらしい。幸せそうに話すラムダスの手には、見慣れぬ青いハンカチがあった。上品で丁寧な刺繍があしらわれているので、贈り主の意図が伝わってくる。
「ふーん。何がいいのかしら‥?」
「義理チョコとか、友チョコとか。自分用とかもあるらしいけど、本命チョコを渡すのがこのイベントの醍醐味らしいよ」
チョコレートは食べ物だ。ライラック学園は、貴族の令息と令嬢が通う学舎なので、毒殺の危険もある。なので、食べ物の受け渡しは基本禁止されている。婚約者たちが、こっそりお弁当を渡し合う行為は、黙認されているが学園側では、遠慮して欲しいのが本音だろう。
「学園は、飲食物ではなくリボンやハンカチの贈り物に定めて持ち込みを許可したんだって‥」
「ふーん」
ルカが、体を鍛えだしたのはフローラが、胸板の話をした翌日だった。ルカの気持ちは分からない。けれど、劣等感を刺激してしまったのは間違いない。悪気はなかった。でも、言ってはいけないことだった可能性はある。
太りやすい体質。筋肉のつきにくい体。隠したい傷。人それぞれに悩みはつきものだ。そう思ったと言うのは勝手だ。でも、それを伝えるのは控えるべき他人が存在する。説経を聞いているうちに気が付いたことだ。言葉は諸刃の剣。無闇矢鱈に振り回すものでない。
この日の昼食に紅茶のクッキーが出た。フローラは、この一枚のクッキーを隣に座るルカに差し出した。
罪人の身のフローラは、配分された食事とはいえ許可なく分け合うことを禁止されている。だが、使用人達が集まる広い食堂の片隅で、並んで座っているフローラとルカを気にする人はいない。
「ルカにあげる」
「ん?」
「知らないの?バレンタインデーには、義理チョコとか友チョコを贈り合うのよ?」
「‥それで、これは何チョコなの?」
「‥義理チョコよ」
「せめて、友チョコにしてよ」
「ふふふ」
眉間に皺を寄せて紅茶のクッキーを口にしたルカに思わず笑ってしまう。そもそもルカは、被害者だ。加害者のフローラと同じように過ごす必要はない。けれど、フローラが孤立してしまわないように気遣ってくれているのを知っている。レグザに渡って直ぐに神殿から支給された神子服に着替えるように命じられたフローラと、同じ生活をすると決めたのは、ルカ本人であった。
フローラが掛けた術の影響だと初めは思っていたが、どうやら違うようだ。
ルカ曰く、「僕の精神が弱かった」と落ち度を認めるような発言をしていたが、術者のフローラからすれば立派な精神の持ち主だと思う。
受けた術が完全に解かれた後にルカは、レグザの学園に通うことが決まっている。いつまでもフローラのそばにはいられない人なのだ。
「船着場で君たちが言っていた話しが気になっていたのだけど‥あれはどういうことなの?」
「え?ああ‥あれね」
フローラは、ルカにも分かるように生まれ変わりの記憶があること。フローラとアルメリアの前世の関わりについて話して聞かせた。
「つまり、君たちには前世の記憶がある。前世の君は詛呪術者の素質があった。それで、どうしてアルメリア・プリムスが転生を繰り返すのさ?」
「正直言ってそこは分からないのよね」
「え?」
前々世でお姉さんの小春を恨んだのは間違いない。しかし、リシュリーへと小春が憑依したのは、呪いの力だったのだろうか。
リシュリー女王からアルメリア・プリムスへと転生したのは、更に別の強い意思が導いた結果だと思うのだ。
「輪廻転生という言葉があるの。前世の行いが現世に影響していると、聞いたことがあるわ。繰り返す転生は苦しみよね?でも、ひとりの呪いだけで何度も続くことはないと思うのよ。お姉様の宿命だったと思うわ」
「それぞれに使命があるものだよね。君の場合は、激しい感情の揺れに振り回されずに堪え忍ぶことかもしれないね」
「何よそれ‥」
可笑しな使命もあったものである。
「ルカは、来年の春から学園に通い始めるのよね?」
「そうだね。そうなるだろうね。‥‥君はどうなるんだろう?」
「私はいずれ宮殿を出て神殿で暮らすのよ?」
罪人のフローラは、一生神殿から出られないだろう。なら、学園で何かを学ぶ必要はないし、人脈作りだって求められていない。フローラが、学園に通うようになれば、逃げ出さないように監視する手間が増えるだけだ。特別な恩情でもない限り誰も言い出すことはないだろう。そもそも、孤独にひとりで生きる定めのフローラに普通の暮らしは毒でしかない。
「会いに行くよ。君はひとりだと何を仕出かすか分からない人だからね」
ルカの意外な言葉に目を丸くしてしまう。素っ気ない横顔で食事を続けるルカを見詰めるフローラの脳裏にラムダスの言葉が唐突に甦ってきた。
『好きなんじゃないの?』
「何よっ」
染まった頬を隠すように膨れっ面をしたフローラは、怒ったふりをして食事を始めた。
「君は何故そんなに平民が嫌いなの?」
「え?」
深く考えたこともなかった。
「平民って恋愛が自由でしょう?好きなことばかりしているし‥」
「確かに恋愛は自由だと言われているけど、大多数の平民は、親の決めた相手と結婚するよ?結納金として貴重な家畜が贈られることもあるから、農村では年の差夫婦も珍しくない。物騒な所では、逃げ出した若い嫁を捕まえて売り捌くなんて話も聞くよ」
「好きなことばかりに集中できるのは、ある程度裕福な平民だけで、朝も昼も夜もなく働き続ける人もいる」
「まあ、僕は君が嫌いな平民かもしれないけど」
「ルカが好きなことばかりしているとは思っていないわっ」
「ただ、貴族として生きるために好きでもないことを勉強して家の為に嫁ぐのが普通だと言われるのに、狡いって思ってしまったの」
「好きな人のお嫁さんになれるお姉様が‥」
アルフェルトに大切に守られているアルメリアは、厳格な貴族社会に染まらずに無邪気なままでいられるのだ。
「ラムダスと結婚するニーナが‥」
ラムダスに愛されることで自信を得たニーナは、幸せそうだった。
「エリオットに大切に想われるクレマチスが‥」
叶わなぬ恋心を抱くクレマチスをそっと見守る目がある。きっと、クレマチスが諦めるまで寄り添い続けるのだろう。
「ルカだって平民なのに首席になれたでしょう?」
「努力しているだけだよ」
「僕は子供の頃から物覚えだけは良かった。それだけが特技だったんだ。だから、人一倍勉強をした。自分の価値を高めるのに必死だったんだ」
それでもルカは、希望するニクロスには通えなかった。あのまま二年生に進級していれば、彼の望みが叶った可能性もあったのだと思うと、心から申し訳ない。
『ごめんね』では軽すぎる。ルカの積み重ねた努力をフローラの身勝手な欲望は、踏み躙ってしまったのだから。
「でも、これからは自分の為に勉強するよ。親の期待に応えるためじゃなくって自分が興味を持てる分野を見つけるために学園に通うつもりだ」
「そうなのね」
(私には何ができるのかしら?)
自分で狭めてしまった未来を嘆くより少しでも輝けるものにするために努力がしたい。
「私も神殿で少しでも役立つ人になれるように努力するわ」
「私が捻くれたりいじけたりしていたら叱ってね?」
勿論、優しく叱って欲しい。その要求は甘えからくるのではなく、拘りが強く出ている時にきつく叱り付けられるのは逆効果なのだ。返って強情になってしまう。
「直ぐに泣く癖に」
「ルカは意地悪ねっ」
ムスッとしたフローラにクスッと笑ったルカは、明るい表情をしていた。今、ルカがどんな感情を胸に秘めていのか。フローラには、分からない。けれど、真面目なルカは、環境が変わり抱く気持ちが変化してもフローラを忘れないと思う。
(友達‥そう呼んでいいのかしら?)
悔い改めようとするフローラをルカは認めてくれている。突然、大きく変化することは難しい。でも、少しずつ周りの助言を聞き入れられる人間に成長できればいいと思う。




