【番外編】もう一度此処から(後編)
「リオル様‥こちらにいらしていたのですか‥?」
女性の声に振り向くと、足を止めた彼女は、ハッと息を呑んだ。ユリアスに驚いたようだった。
「彼女は婚約者のサファリナ・アンバーです。ラブリエ王国からの留学生となります」
「伯爵家のサファリナ・アンバーです。以後お見知り置きください」
片手を向けて婚約者を紹介したリオルからサファリナへと視線を移すと、彼女はドレスを掴んで淑女の礼をした。とても綺麗な礼法である。
「突然、お邪魔をして申し訳ありません。高貴なお客様がいらっしゃっていると聞いて、お手伝いすることがないか、伺いに参りました」
恐らく、リオルは、事前に来客の予定を伝えていたのだろう。婚約者の彼女は、当主代理のリオルを支えようとやって来たのだ。
「ありがとう、サファリナ。でも、ユリアス様は、休息を取る為に滞在されている。女性の手は、必要ではないんだ」
「そうですか」
優しく諭すリオルに眉を下げたサファリナは、残念そうにしながら一礼した。その背にユリアスは、乙女色の髪を揺らす少女の姿を重ねて見た。
「待って欲しい。‥君に聞きたいことがあるんだ」
ユリアスの声で足を止めて振り向いたサファリナは、不思議そうな顔を向けてきた。
「アミル・ルイーズを知っているだろうか?」
「彼女ですか‥存じております。良くも悪くも有名な方ですから」
「サファリナ、話してくれるかな?」
「一部の生徒から退学を迫られていると聞きました。しかし、彼女は勇敢で‥怖気付くことがないようです。それが返って反感を買ってしまうようで‥」
冤罪を着せられたアナイス・レガーへの謝罪と見舞金。それが、ユリアスとアミルに科せられた罰だった。この罪が軽いと反発する生徒が、一定数いることは知っている。ユリアスもアミルも罪の大きさを自覚し、自主退学を考えはしたのだ。これを拒んだのはアナイス・レガー本人だった。王族のユリアスは、国の為にならないと首を振りアミルには、辛さを乗り越えて欲しいと告げていた。虐げられることが罪滅ぼしの一環になるならと、ユリアスもアミルもこの提案を受け入れていた。
アミル・ルイーズは、乙女色の短い髪をした素朴な少女だ。特別、綺麗でも知的でもない。ただ、嫌がらせに堪えて言い訳をしない潔さが、彼女の強さだと思えた。彼女なりの懺悔の仕方なのだろう。巻き込んだユリアスを責めることもしないアミルは、困難に立ち向かう強さがある。
「アミル・ルイーズ嬢は、ユリアス様の婚約者候補のひとりですよね?話されたりはしないのですか?」
彼女と言葉らしい言葉を交わしたのは、あの時が最後だ。自分を選んで欲しいと言ったアミルに向き合うのには、整理しなければならない感情が残っている。手にしていた手紙に視線を落としたユリアスは、アミルに伝えるべき言葉が分からなかった。
「彼女は今もユリアス王子殿下を愛していますわ。この感情は誇りだと、胸を張って答えていらっしゃるようです」
少し驚いた。彼女には、迷いがないのだろうか。
「君たちはアミル・ルイーズをどう思う?」
「芯の強い女性ですね」
「正直申し上げて愚直だとお答えしますわ。王太子妃に相応しいのか疑問ではあります。でも、同じ女性として応援したい気持ちがありますわ」
「ありがとう」
正直な言葉が聞けて良かったと思う。両手を添えて丁寧に頭を下げたサファリナが、静かにその場を去って行く。
「サファリナが失礼しました」
「いいや、女性が抱く素直な声だろう。参考になった」
気遣わしげなリオルに振り向くことなくユリアスは、視線を下げつつ答えた。嫋やかで慎ましい女性が多いステファニア。特に自分の周りには、芯の強い女性が多いと思う。そのひとりが、手紙の主。アルメリア・プリムスである。困難に立ち向かう強さがある彼女は、今も多く人を助けている。隣国でも聖女として認められた彼女は、婚約者のアルフェルト・レガーと協力して人探しをしているようだった。恐らく、国の重要人物だろう。
振鈴の音が何処からともなく聞こえてきて、隣で静かに立ち上がる気配がした。ユリアスは、屋敷へと振り向いたリオルに声を掛けた。
「君は、ミデル・ウェルシナという人物を知っているか?」
「‥‥いいえ。存じ上げません」
一度、考え込んだリオルは、首を振って答えた。彼の思い付く人物ではないようだ。ユリアスは、詛呪術師関連を疑っていたので、被害者のリオルなら何かしら知っている可能性があると思っていた。しかし、リオルが、詛呪の被害を受けたのは、幼少期である。その頃、屋敷に出入りしていた人物を正確に覚えていなくっても不思議ではない。
「どのような人物なのですか?」
「分からない。アルメリア・プリムスが探している貴族だ。僕はアサンの人間だと考えている」
プリムス子爵が、人探しをしていると又聞きした話である。城務めの補佐官達に尋ね歩いている彼が「娘の探し人」だと口にしたという情報しかない。
「分かりました。こちらでも捜索してみます」
胸に片手を添えて快く引き受けてくれたリオルにユリアスは、小さく頷いて返した。リオルの詛呪に関わった残党の中にミデル・ウェルシナは、存在する可能性がある。今もカルンディラ領の何処かで身を隠し虎視眈々と暗躍の機会を伺っている。そう考えるなら警戒するに越したことはないだろう。
カルンディラ領の屋敷にその後も滞在し続けたユリアスは、リオルとサファリナの仲睦まじい姿を認めるしかなかった。リオルを必死に追いかけるサファリナは、健気な女性であり、婚約者を心底愛しているのだと傍目でもよく理解できた。そんなサファリナを受け入れるリオルは、穏やかな気質であり、こちらが煩わしく思えるような場面でも無碍に扱ったりはしなかった。
想うより想われる方が幸せだと何処かで聞いた言葉が脳裏を過る。自分もそうだろうか。
ふたりの関係を離れた場所で見詰めていると、冷静な立場でものを考えられる。
(もう一度、アミル・ルイーズと話し合ってみようか‥)
そう考えられるようになった頃には、持参した手紙を読み返すことも少なくなっていた。二週間滞在したユリアスが王宮へ戻る日、見送るリオルの隣には、当然のようにサファリナ・アンバーの姿があった。
「カルンディラは、廃れているという方もいますが‥僕たちは、とても過ごしやすい場所だと考えております」
「今度は、婚約者様と一緒にお越しください。私でよければ話し相手になりますわ」
「サファリナっ」
軽口を窘めるリオルに目を丸くしたサファリナは、素っ頓狂な振る舞いで返事をした。
「あら、よろしいではありませんの?王子殿下のお心は決まったようですもの。次、お会いする時は、良い話が聞けますわ」
自信たっぷりに微笑んだサファリナの隣でリオルがたじたじになっていた。努めて口角を上げたユリアスにも、分からない未来が見えていそうで少し怖い。
迎えの馬車へ乗り込んだユリアスは、そのまま湖畔の森へと向かった。白い鈴雪の咲く湖のそばの丘は、ユリアスのお気に入りの場所であり子供の頃、アミル・ルイーズと出会った場所でもある。あの頃は、まだ平民として暮らしていたアミルは、無邪気で明るいだけの女の子だった。まさか、婚約者候補になるとは夢にも思っていない。だから、別れ際深く考えもせずにアミレットを手渡したのだ。
『お守りだよ。さようなら』
『私を忘れないでっ』
「‥ライラック学園で会おう‥か」
秋の草原に春に開花する鈴雪は、咲いていなかった。それでも目を閉じると、乙女色の髪を揺らした少女が佇む足元に咲き誇る一面の鈴雪が浮かぶのだ。春の香りが無邪気に笑んで手を差し伸べる。
踵を返そうとして人の気配に気が付いた。そちらに視線を向けると、乙女色の髪に生成色のレースのリボンを飾った少女が佇んでいた。
「‥‥ユリアス様」
森を背に立っているアミルは、両手を胸の前で重ねて目を丸くしている。信じられないというような表情でこちらを見ているアミルも、偶然この場所に居るのではないのだろう。
何も話さないユリアスに目を伏せたアミルは、暗い表情に変化させた。正直、気不味い。何と話し掛けるべきだろうか。このまま背を向けてしまえたら楽だが、良心は痛む。彼女との今後を思えば、勇気が必要だろう。
ユリアスは、そっと喉を鳴らして息を飲む。
ユリアスがアミルを選ぶことは容易ではない。彼女を選ぶことで、王太子の地位は遠ざかるだろう。国民の理解を得るのも難しい。誰にも祝福されないかもしれない。今後の風当たりも強くなる。
ふたりで向き合う覚悟があるのか。そう問われ続けるだろう。
今まで以上に模範的な行動を心掛けるのは、当然だとして。信頼を回復できるように努力を積み重ねなければいけない。
「君を選ぶことに何の価値がある?利益がなくても君を選べと君は言った。‥‥思い合うだけでは何も解決しないぞ?」
「これから冬になる。雪に覆われるんだ」
今はまだ緑が見えているこの草原は、白銀の世界に変わるだろう。凍てつく寒さは、希望さえも曖昧にしてしまう。ふたりで身を寄せ合いながら、人々の記憶が朧になるのを待つだけでは、希望とはいえない。
「春になりますっ必ず春になるんです。ふたりで鈴雪の花を見ましょう?それまで、私は諦めませんっどんなに辛くっても諦めないんです」
ぐすんっと鼻を鳴らしたアミルが、涙を払うような仕草をした。王子のユリアスに面と向かって文句を言うことはなくても、男爵令嬢には遠慮がない。分かっていたことだが、それでもアミルは立ち続けている。
「‥誰もが認めなくてはならない人になってみせます。駄目でも、努力し続けますっ私、逃げませんからっ」
スカートを両手でギュッと握って懸命に堪えるアミルだって、辛い筈だ。何度も挫けそうになっただろう。その時、ユリアスはそばにもいなかった。それでも、アミルはユリアスを求め続けている。
(アルメリア以外は、僕が王子だから構うのだと思っていた)
王太子だから価値があるのだと、ユリアス自身も考えていたのだ。
(彼女を信じてみよう)
一歩、アミルに歩み寄ったユリアスは、片手を差し伸ばしてみる。
「まだ、君を認めた訳じゃない。けれど、君の努力の姿勢には価値がある」
今は、まだアミル・ルイーズを愛せるのかは、分からない。でも、歩み寄りたいと思った気持ちを無視するべきではないだろう。この気持ちが愛に変化するのかは未知数だ。でも、温めていきたいと思った。
差し伸べられた手に目を丸くしたアミルは、慌ててポケットから取り出したハンカチで手を拭うと、両手でユリアスの手を包んだ。涙で濡れた頬を光らせながら笑ったアミルは、可愛らしく見えた。




