【番外編】もう一度此処から(前編)
秋が深まり学園が長期休暇に入った。王宮を出た第一王子ユリアス・ステファニアは、数人の護衛騎士を伴うと、馬車に乗り込みカルンディラ領へと向かう。現在、領主不在のカルンディラ領では、リオル・カルンディラが当主代理を務め領主兼任を認められていた。国から派遣された補佐官が、不慣れなリオルを助けながら領地を監視している。
王族を手厚く持て成すことが難しいカルンディラ領に滞在するのは、気が引ける。しかし、声を掛けてきたのはリオルの方だった。学園の裏庭で日差しを遮ってくれる木陰を見つけたユリアスは、その場所を気に入っていた。生い茂る芝生の上に座り、風に吹かれながら陽に透ける木の葉を眺めて過ごす。それだけで心が癒された。
それだけの事件を起こしたのだ。誹謗中傷は、当然だ。そう思っていても冷ややかな視線や陰口は、ユリアスを追い詰める。
人目を避けて休んでいたユリアスに近付いてきた一羽の青い鳥は、些かふっくらとしていた。腕に止まった香色の小鳥が、チチチチと鳴くと、風が吹いて草木が音を立てて揺れる。
心地よい風に吹かれながら何となく小鳥を撫でていたユリアスが、近くで草を踏む音に振り向く。そこに居たのが、リオル・カルンディラだった。
「王子殿下もお一人で過ごされていたのですね」
人懐っこい笑顔を見せたリオル・カルンディラは、三年のニクロスに在籍する生徒であり、ユリアスとは同級生であった。無許可の武器の所持に加え詛呪術師との関わりが判明し、カルンディラ伯爵の退任が決定したのはつい最近のことだった。
罪人の父親を持つリオルへの風当たりが強いことは知っていた。しかし、ユリアスは何もしてこなかった。虚弱体質のリオルは、学園を度々休んでいたので深く関わってこなかったし、彼から声を掛けてくることもなかった。その全てが体の良い言い訳でしかない。
ピチュンッと鳴いた小鳥に視線を向けると、胸を張って自分の存在を主張しているようだった。これに笑ったのは、リオルである。
「申し訳ありません。貴方様がいらっしゃいましたね」
「チュン」と返事をした小鳥にふふふと笑ったリオルが、こちらに視線を向けた。
「王子殿下、秋休みのご予定をお伺いしても構いませんか?」
「‥‥特にない」
王宮から出ようとは考えていた。しかし、何処へ行けばいいのか分からない。視線を下げて手元の小鳥を見詰めたまま答えたユリアスにそっと近付いたリオルが、その場にしゃがみ込んだ。
「よろしければ、カルンディラ領に滞在されませんか?大したお持て成しはできませんが、ゆっくりお過ごしいただけると思います」
ユリアスには、リオルの意図が分からなかった。リオルが辛い時、ユリアスは知らぬ振りをしていた。同情することも心配することもなく、僅かな関心さえも向けなったユリアスを何故今、助けようとするのか。
怪訝そうに眉を顰めたユリアスに眉を下げたリオルが、優しげに微笑む。
「僕は厄介者なので友達もいません。王子殿下の秘密をあれこれ言い触らしたりもしませんよ?」
少しだけ沈黙したのは、考えたからだ。彼が信じるに値する人間なのか、どうか。返事は今しかない。「考えてみる」と、この場で保留にしても彼に予定ができる可能性もある。空いている予定を埋めるのは当人の自由であり、当主代理の立場上やむを得ない事態も起こり得る。
「君さえよければ‥」
迷惑ではないか。当然の言葉を口にすることが躊躇われた。救いの糸のように感じたからだ。ユリアスの精一杯の返事をリオルは、笑顔で受け入れてくれた。
カルンディラ領の首都に構える屋敷で出迎えてくれたリオルに貴賓室へと案内されたユリアスは、そこで数日のんびりと過ごした。屋敷に招待したリオルの宣言通り食事以外に呼ばれることがなく、ゆっくりと気儘に過ごすことができた。
王宮からの道中、警護にあたった騎士たちは、そのまま滞在し屋敷の見回りをしているが、仲間同士で談笑するようなこともなく静かに任務に当たっている。
何となく引き籠もってしまったが、窓の外に見える庭園は、美しく過ごしやすそうだ。誘われるような心地で、外へと出たユリアスは、持参した手紙を持っていた。
窓から見えていた大きな木を目印にして庭を歩いたユリアスは、その根元の芝生の上に腰を下ろし封筒から便箋を取り出した。
何度も読み返した手紙だが、読んでいるとあの頃を思い出す。寂しくって彼女を恋しいと感じていた小さな自分。
手紙に気を取られていたユリアスの肩に小鳥が止まった。振り向くと、香色の小鳥が手紙を見詰めていた。この小鳥が、王都から付いてきていたとは思わずいた。少し驚いたユリアスは、繁々と手紙を見詰めている小鳥に小さく笑んで、視線を戻す。
小鳥が文字を読める筈はない。けれど、この小鳥は、手紙という物を理解し、文字を読んでいるように見えてしまうから不思議だ。
「僕から言い出したアルメリアとの手紙のやり取りは続けられてきた。この手紙は、僕には大切なものだ」
「アルメリアとの手紙のやり取りは自然と少なくなっていってしまったが‥やはり、この気持ちを手離すのは難しいんだ」
小鳥に打ち明けるとスッキリした。相談する相手も愚痴を言える人もいない。人間関係が気薄なユリアスには、八つ当たりする相手さえもいないのだ。身分的に醜態を晒せないとも言える。
ユリアスが、肩口の小鳥に視線を向けると、人影が伸びているのに気が付いた。そちらに視線を向けると、優しい緑の目を細めるリオル・カルンディラが佇んでいた。少し色黒い肌に青い髪と緑の瞳を持つリオルは、白いシャツに灰色のベストを合わせ黒いズボンを履いている。装身具は一切ない。王族に合うには、素朴すぎる服装だと思える。
「お隣にお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「ああ」
「その小鳥は賢いですね」
「最近、目を覚ますと青い鳥が、窓辺からこちらをじっと見ていることがあるんだ」
「どんな夢を見ていらっしゃるのですか?」
「信じられないような不思議な夢さ。でも、何となく彼らが、やり直せるって勇気付けてくれているような気がするんだ」
隣に座ったリオルが、澄んだ瞳で促してくるのでユリアスは、夢の話を彼にすることにした。
「これは夢だ。僕、本人の気持ちは一切関係しない。だから、誤解しないで聞いてもらいたいんだ」
ユリアスの前置きにリオルは、小さく頷いて返した。
「僕は子供達を愛しているのだろうか?」
夢の中のユリアスは、二人の子供を抱える父親であり、思い悩んでいた。弱音を吐く相手は、弟のリゼル・ステファニアである。
「僕は自分の心が分らない。アルフェルトだけが明確な僕の愛なんだ」
夢の中でユリアスが結婚した相手は、あのアルフェルト・レガーなのだ。自分自身にびっくりしてしまう。
「お腹の子が僕とアルフェルトを引き裂くんじゃないだろうか。そう考えるだけで気が狂いそうだ」
夢の中のユリアスは、二人の間に子供を授かることを願い続け、それが叶っていた。伴侶のアルフェルト・レガーは男性だ。奇跡としか考えられない。アルフェルトにぞっこんのユリアスは、三人目の出産を喜びつつも不安で押しつぶされそうだった。三人目を妊娠したアルフェルトは、体調が悪く医師に出産は危険だと告げられていた。当日まで懸命に祈りを捧げていたユリアスは、疲弊していたのだ。
何も言わず静かに耳を傾けるリゼルは、辛そうな表情を俯きで隠す。秒針の音しか聞こえない。静かな王宮の隣室から赤子の泣き声が響いてきてユリアスは、咄嗟に椅子から立ち上がり廊下へと駆けて行く。
隣室のドアは閉じられたままだ。そのドアの前に立ったまま動かないユリアスを通り抜けて、その部屋に入るとアルフェルト・レガーが、ベットの上で目を閉じていた。顔色が悪い。不安に駆られたユリアスが手を伸ばすと、吸い込まれるように引っ張り込まれる。
目を開けると、そこは真っ暗な世界だった。とぼとぼ歩く人影が横切り振り向くと、虚ろな目をしたアルフェルトがいた。何かを探しているようだと気が付いたユリアスが、周囲を確認するも何もない暗闇の中だ。見つかる筈もない。
「‥赤ちゃん‥赤ちゃん」
少しゾッとした。アルフェルトが、探しているのは、自分の赤ん坊なのだ。
「生まれた赤子は死んでしまうのではないかと、不安になってしまった」
ユリアスの言葉に目を丸くしたリオルが、視線を下げる。
「怖い夢ですね」
これにユリアスは、首を振ってから続きを話した。
「あなたは、もう十分じゃない?ふたりも子供がいて、あの子もそばにいる。これ以上望むのは、強欲がすぎるわ」
「人の子は、強欲でなければ生きられないものさ。それだけか弱く過酷な世界で生きているのだよ」
「もう!‥仕方ないわね。この子で最後になさい」
諭す女性の声に苛立った女性の声がしたと思った瞬間。暗闇を照らす一粒の光が天から振ってきた。それを両手で受け止めたアルフェルトが、大切そうに抱き締める。強烈な輝きを放つ光に目を閉じて暫し‥。
涙を浮かべるユリアスが、産着の赤子を抱き抱えていた。
「なんて、可愛いんだ。君にそっくりじゃないか?」
「サンなんてどうかな?」
「アレクサンドラ‥良い名前だな」
「‥‥」
無言で不満を露にするアルフェルトは、まだ病衣を纏いベットに横たわったままだ。
「ふたりでゆっくり話し合ってねっ?」
叱るようなリゼルの声にも赤子を抱えるユリアスは、知らぬ振りでいる。確かに赤子は、アルフェルトにそっくりだった。しかし、着用している産着は薄紅色であり、女の子のようだ。姉のアナイスに似ていると言うべきだろう。
「将来は女王になるかもしれないんだから、そこら辺も考慮してよね?」
人差し指を立てて念押しするリゼルの言葉にアルフェルトが目を丸くした。
「僕、子供たちには、自由な暮らしを選ばせてあげたいんだ」
照れ臭そうに胸の内を語るリゼルに無表情な顔を向けたユリアスが口を開く。
「君のその考えは、僕たちの自由な暮らしを妨げる。いいか?王族は、責務を全うするべきだ」
「その台詞、兄さんにだけは言われたくないよっ」
ふいっと顔を背けて退室したリゼルの背中は、怒っているようだった。
「リゼルは反抗期なんだろうな」
「此処で頷けたら僕は、リゼルの親友じゃないよ?」
「リゼルの反抗期は長すぎる。いつになればあの頃のように穏やかなリゼルに戻るんだろうな‥」
呆れてしまう会話だ。
ユリアスが振り向くと、呆気に取られたようなリオルが眉を下げていた。これについ笑ってしまったユリアスが、うっかり口を滑らせた。
「僕とリゼルもああなれる日が来るだろうか‥。そう思ってしまった」
気が緩んでいたのだろう。失敗したと思ったユリアスが、視線で確認しようとすると、気不味い雰囲気を察した様子のリオルが、小さく頷いて返した。
「努力を惜しまないことです。僕は、そうあるべきだと自分に言い聞かせてきました。きっと、何かが変わる筈だと‥」
「‥‥そうだといいと思う」
生まれてこなければよかったとリゼルに言ってしまったあとだ。今更後悔しても遅いが、あれがユリアスの正直な気持ちだった。せめて、いとこや親戚だったら仲良くできたかもしれないのに‥。そう思うと遣り切れない気持ちが疼く。
リゼル本人を嫌っているつもりはない。それもまた事実だった。立場がお互いを追い詰める。
「他にも夢を見ましたか?」
興味津々なリオルの問い掛けにユリアスは、迷いから唇に力を入れてしまう。今から語る話が、冒涜となってしまわないか心配なのだ。
「王子殿下‥夢の話です」
唆すようなリオルの言葉に小さく頷いたユリアスが語った夢の物語は、建国時代へと遡る。
「この地に君の名前をつけようと思う。ステファニーこの地を君に捧げる。僕と‥」
片膝を地面に突いて愛の告白をしているのは、初代国王となったアルテルトであった。驚いたようにアルテルトを見詰めていたのは、初代王妃ステファニーである。王宮に飾られた肖像画から抜け出したような姿をしているので間違えようもない。
何故か不機嫌そうに唇を尖らせた彼女は、アルテルトの差し出した指輪を受け取ろうとはしなかった。甲冑を脱がずに荒地で指輪を差し出した背景には、部下と思しき人達が固唾を呑んで見守っている。アルテルト本人にも大きなプレッシャーが押し掛かっているのは、想像ができる。しかし、冷淡な人なのか。兎に角、彼女は気に入らないのだ。
「じゃあ、私達これまでね。私との結婚はなかったことにして」
「何故だっ?」
「ステファニー・ステファニーになるのよっ?絶対に嫌っ」
「やり直しっ!やり直しだ。君の名前と僕の名前を組み合わせてステファニアとする」
「‥‥ステファニー・ステファニアも微妙だけど‥そうじゃないのっ」
不機嫌そうにしても可愛らしい彼女も甲冑を纏っている。編み込んだ長い金の髪が所々解れて風に靡く。先程まで戦闘があったのだろうか。警戒態勢が解かれたばかりでプロポーズするのは、胸がときめくものだろうか。茶色の乾いた砂地が続く荒地には、花一本も咲いていない。些か残念な場所だと言わざるを得ない。様々な要因が合わさって彼女の不満を掻き立てるのだろう。
「樹洞に閉じ込められてっ網に絡め取られてっ一晩中、木に括り付けられたこともあったわねっ」
「それは君に良い景色を見せよう思って」
「大きなお世話よっ好きな景色は自分で見られるわっ」
眉を下げて言い訳をするアルテルトより、彼女の言い分が正しいのは分かる。
「貴方と結婚なんて絶対にしないからっ」
そう言うとステファニーは、背を向けて去って行く。
「どうしたらいいんだ、レガートっ?」
「謝るしかないな」
困り果てたアルテルトが助けを求めた相手は、無感情な顔で迷いなく答えた。それに納得しないアルテルトが当惑顔で声を張る。
「ステファニーと再会した僕の第一声を君は、覚えていないのかっ?」
そうなのだ。「会いたかった」ではなく「済まなかった」だったのだ。振り向いたステファニーは、不機嫌そうな顔をしていた。
「‥‥」
「‥‥」
何となく目を合わせづらくって閉じていた。この国の王子である自分が語るには、相応しくないと分かっている。
「ゆ‥夢の話ですから‥」
目を伏せソワソワとしてから躊躇うような言葉を発したリオルにユリアスは頷いて返した。ここだけの話というやつだ。
「僕も実は可笑しな夢を見たことがあるんです。夢の中の僕は、生徒会長のルーク・ファンレイになっていました」
「彼に憧れているのか?」
「どうでしょう‥健康そうなので羨ましくはありますが‥」
目を伏せたリオルは、昔ほど体調が悪そうには見えなかった。一年生の頃より体つきもしっかりしてきているし、身長だって伸びたと思う。最近は、青い顔で俯きながら歩くところを見掛けることもない。
「彼は学業に秀でているからな。家督を継がなくてもしっかりした進路を選べるだろう」
表情を窺うような視線を向けてきたリオルではなく、正面の噴水を眺めながらユリアスは話を続けた。
「でも、君は次期カルンディラ当主だ。領民を守る領主として今まで以上に研鑽を積む必要がある。息が詰まる日もあるだろう‥」
何も答えないリオルは、言葉に悩んでいるようだった。弱音を吐けないのは自分達の共通点のように感じる。
「王都からカルンディラはそれ程遠くありません。春夏秋冬と景観を楽しめる場所もございます。王子殿下さえよろしければ、卒業後もこの屋敷にお越しください」
今度はユリアスがリオルの表情を窺う番だった。優しげに笑んだリオルは、ゆっくりと眉を下げる。
「実は‥夢の中の僕は、王子殿下に意地悪をしてしまうのです。困っていらっしゃる王子殿下を更に困らせようと企むのです」
胸の痞えを白状したようなリオルは、何処かスッキリして見える。
「どうか、罪滅ぼしのようなものだとお考えください」
軽く笑って誤魔化したリオルに罪はない。夢の中の出来事で彼を責めることはできないからだ。彼は、良い人なのだろう。良心が咎めるからユリアスに親切にしたいのだ。結果に見返りは求めていない。
「ありがとうリオル。僕のことはユリアスと呼んでくれ」
「はい、ユリアス様」
屈託なく微笑んだ心優しいリオルとなら、友人と呼べる関係を築けるような気がする。




